EP.32 亡命する者達
スイースレン公国には大きく二つの派閥がある。一つはシュバイツァー公爵を筆頭とした公王派……この派閥は西のジャアーク王国と同盟しようと政治的な争いを国内で行っていた。
現状国内が安定せず、不穏な空気が漂うジャアーク王国との同盟に異を唱えるのがもう一つの派閥である。アルビソン公爵を筆頭とした貴族派だ。
しかし、貴族派はライオスを冤罪にし、その結果ウルールカ女王国の女王を怒らせ、国交断絶され政争は事実上敗退した。
この一連のライオス冤罪事件と呼ばれるものにより、貴族派は亡命の為に東のダンダレス帝国にやって来た。そこにはスイースレン公国の公女であるクリースティアラもいる。
スイースレン公国のクリースティアラ公女が、ダンダレス帝国領内の辺境伯領に亡命してきた背景には、複雑な政情が絡んでいた。ライオスの冤罪事件の現場に居合わせながら何も出来なかった事を、アルビソン公爵に責任として追及され、巧みに口車に乗せられ、貴族派の旗頭に据えられたのである。
尤も、公女自身は積極的に政治の駆け引きに関わる意思を持たず、内心ではアルビソン公爵の策に巻き込まれたと自覚していた。それゆえ彼女は、表向きこそ旗頭として扱われながらも、実際には静観の立場を守り続けている。
一方で、ダンダレス帝国はこの亡命を受け入れようとしている理由として、ジャアーク王国に対する防波堤としての役割を期待していた。辺境伯領に滞在させることは、帝国にとっても戦略上の利点があると考えたのだ。とはいえ、辺境伯領は帝国の直轄地であり、スイースレン公国側が自治に干渉すれば、それは内政干渉となり、最悪の場合は両国間の戦争を招きかねない。故に、公女側もそこには一切口を出さないという暗黙の了解が存在していた。
尚、アルビソン公爵令息のハンネルの存在もこの亡命の背景に少なからず影響していた。現況を招いた張本人ともいえる彼を公国に残すことは火種を抱えるようなものであり、結果として金銭を投じて飛び級卒業させ、国外に退かせる措置が取られた。一方、クリースティアラ公女は純粋に実力で飛び級卒業を果たしている。こうして二人はそろって祖国を離れ、それぞれが異なる立場で、亡命先での新たな日々を送る事なる。
此処は辺境都市クラメントの迎賓館の応接室。
そこにアルビソン公爵とその息子のハンネル、クリースティアラ公女、他数名のスイースレン公国の者達がいた。
元々は貴族派だったが先のライオス冤罪から始めるウルールカ女王国との国交断絶が、政争の事実上の敗北に繋がってしまう。
ハンネルは机を叩き、声を荒げる。
「だから! あの事件は――俺のせいじゃない!」
アルビソン公爵は眉間に皺を寄せ、鋭く息子を睨みつける。
「お前が何を言おうと関係ない! あのライオス冤罪の件は、全部お前が火種を作ったからだ!」
ハンネルの顔が赤くなる。思わず机を叩き直すが、アルビソン公爵の目は冷酷だ。
「俺は……俺は……」
「いいから黙れ! お前が行動を起こさなければ、我が国にまで悪影響は及ばなかった!」
アルビソン公爵は、自分が最終決定したのだが、息子に責任を押し付けることで自分の立場を守ろうとしている。
「落ち着いてくださいませ、ハンネル様。今は叱責の場ではなく、過去を整理するための場です」
クリースティアラ公女は、背筋を伸ばし、穏やかな声で話す。
内心では、アルビソン公爵の態度がすべて事実を歪めていることを理解している。だが、今口を出せば事態はさらに悪化する……私は静観するしかない、そう思っていた。
尚もアルビソン公爵はハンネルを睨みつける。
「お前の愚行のせいで、ウルールカ女王国との国交が断絶したのだ! お前がすべての元凶だ!」
(……何故俺だけが怒られるのか? どうして親父は悪くない?)
ハンネルは歯を噛みしめ、拳を握る。
過去の振り返りはそこで終わる。いやある人物の登場で口を閉じるしかなかった。弱みを見せる事になると思い。尤もその人物もある程度知ってるのだが……。
その人物とは辺境伯令嬢のリズレーティだ。
重厚な扉が静かに開き、リズレーティが一歩踏み入れる。その瞳は氷のように鋭く、場の空気が一瞬にして引き締まった。
「お待たせいたしました。……今回の件、我が辺境伯領としては一切の責を負いません」
声は柔らかいが、意志の強さが伝わる。
「その上で、亡命者受け入れに関する橋渡しの話に入りましょう」
クリースティアラ公女は小さく頷く。
彼女も、この辺境伯令嬢の立場が帝国皇帝に直結していることを理解している。余計な口出しは避けねばと思っていた。
リズレーティはソファーに腰掛けるとワインを一緒にやって来た侍女に注がせる。
そのワインを楽しむかのように唇を湿らした。
「条件は二つ。まず、辺境伯領の自治に一切干渉なさらぬこと。そして、今回の一件を口外しないこと。……お約束頂けますわね?」
その言葉だけで、大広間の空気は水面下の緊張に包まれる。アルビソン公爵はわずかに息を飲むが、顔には余裕を作る。
「当然だ、筆頭公爵家としても筋を通さねばならぬ」
表向きの強がり。内心では、これ以上の混乱は避けたいと思っている。
辺境伯令嬢は淡く微笑む。
「筆頭公爵家でいらっしゃるなら、なおのこと重く受け止めて頂けますわね」
亡命者たちは暫く辺境伯領に滞在するため、自由に振る舞えば地元住民や役人との関係に影響を及ぼす恐れがある。条件を明示することは、単なる形式ではなく、誰が見ても『ここまでが許容範囲』と理解できる線引きなのだ。
辺境伯令嬢の冷ややかな視線に、ハンネルは少し怯む。公女は静かに立ち、状況を見守る。
「……承知した」
「これで、橋渡しの話は成立です。後は皇帝陛下への報告を私どもが行います」
アルビソン公爵は小さく頷き、条件を受け入れるしかなかった。
交渉はここで一応の決着を迎える。亡命者たちは辺境伯領に滞在するが、自由は限られ、自治や内政に干渉することはない。公女は巻き込まれた立場ながらも、場を収める役割を果たす。そんな、政治的駆け引きの一幕である。
しかし、各人の心にはまだ、過去の事件と親子の軋轢、そして新しい地での生活への期待と不安が残っていた
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とある場所の屋敷の一室。アルノワールが不気味に笑う。
「ククク……バリガリスさん、お仕事です」
「あァん? 俺様はあのガキを殺さないと気がすまねェ」
「貴方じゃ勝てませんよ」
「だとォ? 俺様はまだ負けてねぇ」
「やれやれ」
アルノワールが肩を竦めた。
「では、この仕事をこなせば貴方の為の戦場を用意しましょう。そこで彼女を殺すなり好きにしてください」
「マジか? マジで用意するんだなァ?」
「えぇ」
「で、何すれば良いんだァ?」
「クリースティアラ公女の殺害ですが、偽装工作をしたいので、まずは誘拐をお願いします」
「ちっ! つまんねー仕事だなァオイ。それくらいてめぇでやれや」
「生憎、私は手が離せなくなります」
「ちっ! わーったよ」
「では、詳細はまた後程」
そう言ってアルノワールが退室する。その扉の外でまた不気味に怪しく笑う。
「ククク……あの愚鈍なサルは実力差が分からないようですね。エーコさんには一生かかって勝てませんよ」
ボソリ呟くと廊下を歩き始める。
「問題はアークさんですね。奇縁なのかまた計画を実行する場所に現れるのですか。出来れば話し合いのですがね。ククク……」
そうして廊下にアルノワールの不気味な笑いが響くのであった。