EP.01 プロローグ
「ふっ! ふっ!」
剣を振るう青年。
耳がかかる程度に切り揃えた金髪に黒い瞳をした青年。顔立ちは整っており、美丈夫だ。色気もあり、その辺の娘なら簡単に落とせそうな、不思議とそんな気にさせる。
彼は朝の日課の剣の鍛錬をしていた。朝早く目覚めるとまずは剣を一時間程振る。
「はぁぁっ!」
時に力強く振るう。しかし、やがて顔を強張らせる。
「くっ!」
「おはおは」
そこに風の精霊シルヴェストルがやって来た。黄緑の足まで届くような長い髪に緑の瞳をした精霊。見た目は人に近い……いや、その美しさはエルフ寄りとも言える。肌は透き通るように白くきめ細かい。
フリルがふんだんにあしらったワンピースを着ており、これは元々シルヴェストルと一体になっていたものではない――精霊は基本的には服と一体になっている――シルヴェストルが好んで購入したものだ。
「おはよ、シル」
シルヴェストル……愛称シルは、風の精霊らしく自由精霊だ。フラっと青年の前に現れて契約した。
契約内容も、平常時は常に実体化させてくれというもの。流石にMPが保てないが、このシルは自由人らしく人間の食事も好む――普通の精霊は食事は摂らない――故にMPは、食事で賄っていた。まあ食事代は、掛かるが。
「なになに? またアレの事を考えていたの?」
自由人で喋り方も軽いが、人の顔色を読む事には長けており、青年の表情から察した。
「……ああ」
「今はいないんだから、無心に剣の鍛錬ふぁいとー!」
「そうだね」
緩い言葉に青年は、苦笑いを浮かべる。
この青年はごく普通の家庭で育った。父がいて母がいて家族三人で、決して裕福とは言えないが穏やかに過ごしていた。しかし、それが十年程前に一変する。
青年が少年……というのも少し幼い五歳の時だ。
▽▲▽▲▽▲▽▲▽
父が執拗に襲われるようになった。時には罠にかけられ、時には数人がかりで囲まれる。殺すことなど容易いはずなのに、まるで弄ぶかのようにジワジワと痛めつけられ続けた。
そのため父の体は常に傷だらけで、働きに出ることすら困難になり、代わりに母が働きに出るようになった。
犯人が誰かは分かっていた。だが決して証拠を掴ませない。襲撃者を捕らえても、それはただの捨て駒――蜥蜴の尻尾切りに過ぎなかった。
そんな日々が一年続いた。
コンコン……。
家にノックの音が響いた。父は傷で動けず、代わりに少年が玄関へ向かい扉を開ける。
「よォ」
「……あ」
掠れた声が漏れる。そこに立っていたのは、全ての元凶である男だった。油断していた。襲われるのはいつも父が外に出た時だけで、家に乗り込んでくることなどなかったから。
「がはっ!」
少年は容赦なく蹴り飛ばされ、床に転がる。
「人にはなァ、人の皮を被った悪魔がいるんだ。一つ勉強になったなァ?」
頬を掴まれ、耳元で囁かれるその声に、少年の背筋は氷のように凍りついた。
「き、貴様! 息子から離れろ!」
父が剣を手に立ち上がる。
「おっと」
しかし傷だらけの体では満足に動けず、男は容易くそれをかわす。
「オラァ! もっと遊ぼうぜェ!」
重い拳が父を打ち据える。何度も殴り飛ばされ、返り血を浴びてなお男は愉悦に嗤った。
「どうしたどうした? 弱ぇなァ! 俺はなァ、いつでも殺せたんだぜ? けど直ぐ殺すのは勿体ねぇからよォ」
血に濡れた笑みを浮かべながら、男の目が少年を射抜く。
「そろそろ別の遊びも欲しいだろ? なァ?」
「ひ……!」
少年は震えながらも睨み返す。恐怖が骨の髄まで染み込んでいるのに、視線だけは逸らさなかった。
父と少年は椅子に縛り付けられ、猿轡までされる。息すら重苦しい。
「ただいま……」
数時間後、母が帰宅した。
「えっ!?」
縛られた夫と息子、血に塗れた惨状にその場で凍りつく。
「お帰り」
男は冷ややかに言い放ち、その瞬間、父の首を刃で断ち切った。
「キャーーッ!! 貴方ぁぁぁぁ!!」
「ひゃーはははは! 最高だなァ! オイ!」
母の目の前で父が絶命する――その光景を少年はただ見せつけられた。胸の奥に渦巻くのは恐怖だったが、それ以外が目覚めた瞬間だった。
燃え上がる憎悪。息が苦しくても、視線だけは逸らさず、男を睨み殺そうとした。
だが、これはまだ序章に過ぎない。地獄はこれからだった。
「もうお前を使う女はいないよなぁ? 俺様が使ってやる」
「キャーっ!」
母は押し倒され、服を乱暴に裂かれた。抵抗する間もなく貫かれ、準備もない痛みに悲鳴を上げる。
「いやっ……痛いっ! やめて……!」
涙を流す母を見下ろしながら、男は嗤う。
「お前のような良い女が、あんな男に抱かれてたなんて許せねェ……だが今は俺のモンだ。いい具合だぜ、オイ!」
母が苦悶に歪むほど、男の表情は快楽に満ちていく。痛みに震える母と、恍惚に浸る男――その対比が残酷なほど鮮やかに突きつけられた。
少年は縛られ、猿轡で声を塞がれたまま、何をされているかを理解してしまう。眼を逸らしたくても逸らせない。母は苦しんでいるのに、男は気持ちよさそうに笑っている――その事実が胸を抉り、憎悪を燃やし続けた。
「おっと出ちまったァ。いいなァ、最高だ! 今までのどの女より良いぜ!」
その嗤いが夜更けまで続き、母が解放されたのは深夜だった。
だが翌日も、更に次の日も、男はやって来た。
「今日も愉しもうぜ」
「こ、子供が見てるんです……や、やめてください!」
「見てなければいいのかァ? オイ!」
「そんな訳ないでしょう!?」
「だったら、大人しくしろや!」
頬を叩かれ、再び押さえつけられる。準備もなく力任せに蹂躙され、母は痛みに泣き叫ぶ。
「痛い! 痛いです……お願い、止めてください!」
「誰が止めるか! もうお前を使う男はいねェんだ。問題ないだろォ? オイ!」
「やめろ! 母さんから離れろ!」
少年が必死に声を張り上げる。だが……、
「邪魔だァ! ガキはすっこんでろ!」
蹴り飛ばされ、壁に叩きつけられて意識を失った。
夜逃げしてもすぐに見つかり、母は繰り返し蹂躙された。憲兵に訴えても、残るのは無残な死体ばかり。父が生きていた頃も同じだったのかもしれない。だが、男は強く、誰も敵わなかった。
そんな生活が二年続いた。
「うっ……」
ある日、母が口元を押さえ、苦しげにうずくまる。
「母さん、どうしたの?」
「……何でもないわ」
旦那を殺され、蹂躙され、尚も子には慈愛を向ける母。その瞳に決意が宿るのを、少年は見逃さなかった。
「……あんな人の子を産む訳にはいかない」
お腹を押さえ、絞り出すように呟く。
その後、母は少年を連れて孤児院を訪れた。
「ごめんね。最後まで育てたかったけど……お別れね」
涙を流し、それだけを言い残し少年の下を去っていく。少年は黙って見送った。前世の記憶が告げていた。母は妊娠し、お腹の子供ごと自ら命を絶つ覚悟を決めたのだと。どんな状況でも愛を注いでくれた母が選んだ決意を、何を言っても変えられないことを――少年は悟っていた。