EP.02 追憶 -side Lycea-
私の名前は、リセア。
ごく一般――いや、悲惨な家の生まれの平民だ。何が悲惨かと言えば子供にお金を掛けるより、自分達が散財する両親だったからだ。
いつも着る服はボロ。お腹も常に空いている。特別貧乏って訳じゃないのに幼少の頃は苦労した。
二歳までは、これが普通なんだと思っていた。そうじゃないと気付き四歳の頃、お手伝い程度でも仕事をさせて貰えるとこを探した。
勿論、国の法律で働けるのは成人した十五歳からと決まってるが、お手伝いはその限りではない。当然ピンハネは酷く一割でも貰えれば良い方だ。
そんななけなしのお金でお腹を満たしていたが、お金を貰っているのが親に知られた瞬間、全て取り上げられてしまった。しかも、もっと稼いで来い言われる有様。
稼ぎが悪いと次第に暴力も振るわれるようになり、顔に痣がなかった日なんてなかった。
そんな私に五歳の時、転機がやって来た。
その日、親の虫の居所が悪かったのか、いつも以上に殴られフラ付きながら町中を歩いていた。そのせいで、男の人にドンっとぶつかってしまう。
「あ! ごめんなさい」
「何だぁ? この薄汚いガキは!? 病気が移るじゃねぇか!」
確かに親にまともな服を与えられていなし、殴られまくったせいで、薄汚れ傷だらけだ。でも、病気なんて持っていない。
尤も、そんな事を言っても通じないだろう。足が震える。怖い。人数も連れがいて五人。私は、五人の大人に囲まれてしまう。
「お止めなさい! 一人を相手に大人数で囲むものではありませんよ」
その時、私の前に立ち庇ってくれる人が現れた。私よりまだ小さい空色の瞳に赤い髪の女の子。でも凄く綺麗な服。お貴族様かな?
「ガキ! 邪魔だ! 俺は後ろの薄汚いガキと話してるんだ」
そう男が恫喝し、お貴族様を払い除けようと肩に手を置こうとした瞬間……、
パッシーンっ!
お貴族様の持つ扇子で払い除けられた。
「てめぇ!」
「本当に宜しいのですか?」
「あん!?」
「私を払い除けようとして、本当に宜しいのですか?」
「だったら何だ!?」
お貴族様がニコっと笑い……、
「お巡りさーーーーん!! こっちでーーーーーすっ!!!」
そうかと思ったら、今度は大声で叫び出した。
お巡りさんって何!?
「何だ!? お巡りさんって何だよ!?」
男にも分からないのか焦ったように叫ぶ。
「良く分からないが、やばくないか?」
「お巡りさんってのが何か分からんが、大声で叫ばれたし逃げた方が良いだろ」
そう男達が相談し、一目散に逃げて行った。
「貴女、大丈夫でして?」
私の方に振り返り、案じるように声を掛けてくれる。
「あの……お巡りさんって何ですか?」
と、私も素っ頓狂な事を聞いてしまった。まずはお礼だろうに……。
「お巡りさんってのは、異界の方々の世界で幼女が、お痛をされそうになった時に、呼ぶ者だそうです。まぁ此方で言えば衛兵さんですわね」
気分を害する事なく律儀に答えてくれた。平民がお貴族様に無礼を働いた場合、その場で処断する無礼打ちがある。それをされなくて良かった。
「でも、私は幼女ですが、貴女は少女ですかね?」
そう言ってクスクスと笑う。その仕草も上品で見惚れてしまう。聞けばまだ三歳だと言うのに私とは大違いだ。
ちなみに私は五歳なので十分幼女だと思うのだが、この方なりに冗談で和ませようとしているのかな?
これが、最初の出会いだった……。
この時、この方は退屈で、お忍で来ていた所を私と出会ったらしい。
その後もちょくちょく会いに来てくれたが、後で聞いた話によると、近くで護衛が見張ってる事を条件に庶民が暮らすとこまで降りて来ていたらしい。全然気付かなかった。
それが二年続く。
その頃の私の家は、冷え切っていた。両親共に外で別の相手を作り、顔を合わせれば喧嘩ばかり。
私が目に付くと当然のように暴力を振るわれる。だから家の中で息を殺し両親の視界に入らないようにしていた。
それでも二人の怒鳴り声は耳に届く。それがまた苦痛だった。もうこんな生活嫌だ。逃げたい。この頃の私は、そればかりだった。
「最近元気ないですね。如何なさいました?」
「いえ、何でもないよ」
この二年で普通に接して良いと言われたので、敬語を使わず普通に話していた。しかし、相手のお貴族様は、育ちが良いせいか、いつも丁寧な口調だ。
それが余計に惨めにさせる。所詮生まれが違う。きっとこの人は、苦労なんてせず花や蝶と愛でられて育ったんだろうな。
それに毎日殴られたせいで薄汚く顔も傷だらけ。それなのに如何も何もないだろう。見れば大変なの分かるだろう。同情してるフリをしてるだけなんだ。
そんな悪感情を抱く自分にも嫌気が差す。
「良ければ話して頂けませんか? 話すだけで気が楽になる事もあるかもしれません」
「貴女にはきっと分からない。ほっといてください」
今度こそ無礼打ちかな。それも良いかも。もう死にたい。生きていたくない。生きていても良い事なんてない。辛いだけだ。
「……そうですか」
だけどあの方は、ただただ悲しい顔をするだけで、それ以上何も言って来なかった。
それから数日後、私の心は完全に擦り切れた。もう生きて行きたくない。
そう思い橋から川に向かって飛び降りた。このまま溺れ死のう。そう思っての事だ。
しかし、私は引き上げられた。あの方によって……。
状況を見るにあの方は自分にロープを巻き、川に飛び込み私を捕まえた。そして、そのロープを護衛らしき人が引き上げたのだろう……。
「バカーーーーー!!! 何で死のうなんてするのよーーー!!」
このお方は素が出ると叫ぶんだよなーとか、どうでも良い事を考えてしまう。そして次に考えるのはどうして死なせてくれんかったのか、と。
「どうし……」
「バカ! バカバカ!!!」
そう言って私を包み込むように抱きしめて来る。出会って二年で初めてかもしれない。いや、物心付いてから包み込むように接してくれたのは、この方が初めてかもしれない。
「馬鹿はお嬢様です!」
護衛の人が口を挟む。
「黙って! お叱りなら後でいくらでも受けるから、今は黙りなさい!」
初めてかもしれない。この方が、誰かを叱責し命令するのは。見た目から、かなり高貴な方だとは思うけど。
それから、そっと私から離れる。
「死んだらダメよ! 死んだら大人になった時、手にする幸せはどうするの?」
空色の双眸に覗き込まれて問われる。
「だから、貴女には分からない! きっと高貴な生まれなんでしょうね! 何不自由無く暮らし……そんな方が、私の事なんて分からないわ!」
今回は護衛の人も見てるし、今度こそ無礼打ちかな? それで良いと前から思ってるのに、どうせ今回も何もしないんだろうな。
「えぇ。分からないわ。貴女の気持ちなんて私には何一つわからないし、理解出来ない」
今回は、はっきり言われた。うん、その通りだよ。だから、私なんてほっとけば良いよ。
「でも!」
しかし、このお方は言葉をまだ繋ぐ。
「分かろうとする事はできる。分かりたいの。それじゃあダメなの!?」
私の為にこの方は、今泣いてくれている。何で? 何でそこまでするの?
「何故……」
言葉が続かない。なんて言えば良い? そのまま言えば良い?
「何?」
「私の気持ちなんて分からなくても良いのでは? 何故分かろうとするのですか?」
「死んで欲しくないから以外にある!? 私は貴女に生きて欲しいの!!」
いや、だから何で? 答えになってないよ。でも、言葉が続かない。言語化できない。
だから私は別の話題を出した。
「私が普段殴られたり、粗末な服しか貰ってないの知ってるよね?」
「えぇ」
「だったらお金でも服でも、与えてほっとけば良いでしょう? 貴女も死ぬとこだったのよ?」
ああ、私も何を言ってるの? お金で苦労しているのに、他人にせがむような言動をするなんて、はしたない。
「それで貴女の事が分かるのですか?」
キョトンと首を傾げる。そうじゃない。私なんかに関わる事ないって言いたいのよ。
「それに貴女は、それを望んでるのですか? どんなに薄汚れたお召し物でも、私と会ってる時、何も言いませんでしたよね? そりゃ最初の頃は恥じているご様子でしたが、次第にそう言うのもなくなりました」
ああ、そんなとこまで見られていたのか。
「もう一度聞きますね。貴女は、お金さえ貰えれば満足なのですか?」
「………」
私は何も言えなかった。ただただ自分が情けなかった。二歳も年下になんだかんだ自分の事を分かって貰っていたのだ。それなのに私はこの方に失礼な事ばかり言って……。
金を貰えれば良い訳じゃない。そう私は今の生活をどうにかしたいだけだ。
「更に重ねて申し上げますね。今、死なれたら大人になった時に手にする筈だった幸せはどうするのですか?」
「………」
何も言えない。この方は聡明過ぎる。知的で誠実なんだ。だからお金でどうこうと考えないで、真正面から向かい合ってくれてるんだ。
そう思った瞬間……、
「ぅぅううう……ぁああああ……」
堰を切ったように涙が溢れた。
そんな私にまた包み込むように抱き、後ろに回した手で背中を優しく撫でてくれた。
ああ、何て自分は愚か何だろ? 不幸? 大人になった時の幸せ? 違う! 今の幸せを失うとこだった。この方に出会えた幸運を、この手で手放すとこだった。
ああ、どうか……何時か……何処かで……どんな形でも……絶対に……この方の……お役に立てますように――――。
その後は目まぐるしかった。
まず、両親に暴行を加えられていた時に、あの方が家に飛び込んで来たのだ。
「其処までにしてくださらない?」
「誰だ貴様?」
「リセアさんのお友達ですわ」
「うちにそんな上品な恰好の友人はいない」
そう言って突き飛ばす。綺麗な顔に痣ができてしまう。
「お嬢様! 貴様……お嬢様に手を上げたのだ。ただで済むと思うなよ?」
護衛の人も家に飛び入り、そう言い放つと剣を抜く。
それで状況が理解出来たのだろう。両親が顔を蒼白にしだす。
「まぁまぁ。今のは、私の不注意で転んでしまったのですわ。そうでうわよね?」
そう言ってニコっと笑う。
両親達はコクコク頷く。
「しかし、子供への衣食住の責任はありますよね? あら、リセアさんの服はボロボロではありまあせんか?」
打って変わってあの方が、そう告げると再び両親の顔が蒼白になり始める。
「それにいつもリセアさんは傷だらけです。親による暴力、及び稼いだお金の略取。これだけでもだいぶ罪になりましてよ? 私への暴行がなかったとしても軽い罪ではありませんね。皆さん連れて行ってください」
そう言うと護衛の人達が両親を連れて行く。
「あの……何故自分で転んだだのと……」
嘘を付いたの?
「あれでもリセアさんのご両親ですからね。罪で連れて行くにしても少しでも軽くしときたいと思ったまでです」
そう言っておっとり微笑む。
「さて、それはそうとリセアさん。貴女は、今では一人です」
「はい」
「歳も七歳で働けない」
「……はい」
「其処で選択肢が二つあります。一つは孤児院に行く事です。食事は少ないですが、今よりは多いでしょう。それに衣食住が確りしております」
そこで一度言葉を切る。
「二つ目は?」
「私に忠誠を誓う事です。ですが、これはあまりオススメしませんね。何かあれば私の盾となり命を散らさなければなりません。私の命とならば誰かを殺めないといけません。なので孤児院のがオススメです」
取り方によっては、『忠誠なんていらないから孤児院へ行け』と、取れる。しかし、それなら二つ提示せず、そのまま孤児院に連れて行けば良い。
デメリットばかり並べたが二つ目の選択肢は、彼女なりの誠実な表し方なのだ。私にはそう感じた。
なら迷う事はない。
前に思った想いが叶うのなら迷いはない。盾になる? 人を殺す? この方の為になるなら、ドーーーンっと来い!!
「この身の生涯を全て貴女に捧げます」
私は無作法ながらに膝を付きそう答えた。
その後、この方のお城でダンスに所作に勉学に目まぐるしく学び吸収して行った。その間、あの方とは滅多に会えないが、生涯の忠誠を誓ったのだ。今は目の前事だけを片付けて行こう。
その後、あの方の口利きで伯爵家に養子にして貰い、愛情は貰ったが、それ以上にレッスンに拍車がかかった。はくしゃくだけに……って、うるさいわ!
それもその筈、九歳で学園通いになるのだ。あと一年ちょっとで詰め込まないといけない。
そうして散々詰め込まれて学園になんとか入学出来た。
更に卒業後は、あの方の侍女になる事が内定した。これでやっとあの方の力になれる。私は希望を胸に学園で勉学に励み、十五歳の成人で卒業して、晴れて侍女になれた。
なんて幸運なのだろうか。なんて素晴らしい機会なのかと心躍った。
しかし、最初の任務は大変だ。まだ学園通いだったあの方は、国の為に休日を取り、使者としてあの国に向かう事になったのだ。
最初だから無理しないで良いと言われたが、着いて行く事にした。その言葉に甘えてしまったら今までの決意が無駄になる。と、そう思ってしまったからだ。
だが、集団暴走を起こされ、魔獣達に吹き飛ばされ、踏まれ蹴られ体中がボロボロになる。
それでもあの方だけは、あの方だけはお守りせねば。
あばら、腕、足、あちらこちら折れているが、それでも這いずる。何があってもこの忠誠は貫く。
「サフィーネ様! ……サフィ、ーネ様。サ……フィ……ネ……様…………!」
意識が遠のく。それでも私に出来る事は、サフィーネ様に圧し掛かる事だけ。
それで魔獣に直接踏まれなくて済むだろう……。
だから、今行きますサフィーネ様。
我が生涯のただ一人の友、そして仕えるべき敬愛する君主サフィーネ様の下へ――――。