人のような夢②
「そういうわけだから、君は気をつけた方がいい」
「なるほど」
「……ここまで僕に説明させる気で君を呼んだんだろうな、あの子は。自分で話してくれればいいんだが」
マスターに呼びとめられ、優丸は夢見る夢について詳しく聞かされていた。自分も夜子のように、夢に好かれやすいであろうこと。この近くが行動範囲になるなら、今後も似たような目に遭う可能性が高いこと。
「とりあえず、僕の連絡先を教えておく。なにかあれば連絡してくれ」
「ありがとうございます」
サービスでもう一杯出されたコーヒーを飲みつつ、優丸は思ったより大事だなあと漠然と思う。現象の正体も対処法も分かったからか、危機感や実感はイマイチ湧いていなかった。さっき恐怖のあまり泣き出したばかりだが、それは一刻も早く忘れることにする。
「それで。ここからが本題なんだが」
「お願い、ですか」
「ああ」
マスターは少しばつが悪そうに頷く。最初に前置きしてまで、初対面の自分に頼みたいこととはなんなのか。大層な無茶ぶりは飛んでこないとは思うが……。
「夜子のこと、気にしてやってくれないだろうか」
「……え」
優丸は固まる。顔に出さないよう努めたが、若干引きつってしまったらしい。「だろうね」と言いたげにマスターは苦笑いした。
「あえて言うまでもないが……夜子は人付き合いが苦手だ」
分かっている。今日の理不尽かつ不遜すぎる態度の数々は、人に嫌われる訓練でも受けていたのかと思うほどに優丸の心を抉った。
さっき死ぬ結末を防いでくれたあたり、それだけの人間でないことは分かる。しかしそれで全部帳消しにできるかと問われると、優丸は首を横に振る。
「ただ、昔はああじゃなかったんだよ。口下手で人見知りなのはずっとだが、あんなに攻撃的で強引ではなかった」
マスターは遠い目でカップを洗う。浮かべる表情が悲しげであることに気づき、優丸の眼差しに真剣さが戻った。
「ある時期を境に、夜子は変わった。自分を変えた。誰かに歩み寄ることを、完全にやめてしまった」
「……なんでとは、聞かない方がいいんですかね」
「すまない」
カップを洗う手がとまる。ずっと気が引けるような面持ちなのは、そういうことだったのだろう。頼み事をする立場でありながら、その詳細は明かせないから。
「言える範囲で言うならば、あの子なりの自衛であり結論なんだ。誰とも繋がりを持たず、夢とだけ心を通わせる……それが自分のためであると」
「…………」
「しかし……それじゃあんまりだろう。あの子だって、人が嫌いなわけじゃない。だからこそあんな態度を取るに至ってる。都合よく聞こえてしまうだろうが……いい子なんだ、本当は」
憂う目で俯いたまま、絞り出すような声での吐露。心臓が重くなったような錯覚に、優丸は息を呑んだ。
台詞の最後だけ切り取って文字にすれば、確かに都合がいい。本当は……なんて言われても、知ったこっちゃない。こちらからしたら、自分で見聞きした情報が全てなのだ。文言でそんな風に繕われても、陳腐だなとしか思えない。信じられない。優丸も信じられなかった。
「こんな個人的なことを……知り合って間もない君に。あまつさえ、詳しい事情も伝えられない分際で。無理を言っているのは承知している……しかし、落とし前は僕が必ずつけるから」
自分でなく、夜子を本気で心配するこの人の言葉でなければ、信じられなかった。
「夜子と……友達になってやってくれないだろうか……」
カップを傾け、僅かに逡巡。どうするのかは、啜ったコーヒーが喉を通る間に決まった。
「……上手くやれるかは分かりませんよ?」
「! じゃあ」
マスターは弾かれたように顔を上げる。
「やれるだけ、やってはみます」
「……ありがとう!」
今にも泣き出しそうになりながら、マスターは再び頭を下げた。深々と、言葉では足りない分まで伝えきろうと。体感で何十秒にも感じるほど長く、優丸にあふれんばかりの感謝を示した。
*
優丸が再び夢心地へ足を運んだのは、そういう経緯も理由としてあった。
マスターの頼み事……夜子と友好的な関係を結ぶため。好奇心と自己防衛だけで首を突っ込むのは不義理だと思った。それと、あんな風に頼まれて『得がない』と言えてしまうほど、優丸は合理的じゃない。
結果として今日は空振りのようだが、ホットケーキが食べられたのでよしとする。
因みにこの話は、マスターから口どめされていた。もし夜子の耳に入ってしまえば、目論見もむなしく頓挫するのが目に見えている。
さっきノイズに探られそうになって、実は結構ヒヤヒヤしていた。彼やゴシックも正体は夢であるなら、管理人たる夜子に逆らえないはずだ。言えと言われれば言わざるを得ない。
さて、実際どうやって仲よくなればいいのかと優丸は考える。やはりまずは会話だろうか。しかし素直に応じてくれる気がしない。他人との間に明確な壁を作っているらしい夜子が、和気藹々と雑談するだろうか。絶対しない。どうしようか……。
ホットケーキを一枚食べ終え、二枚目に取りかかろうとしたところで、厨房の奥……階段から足音が下ってきた。同じく気配に気づいたマスターが、その奥へ顔を覗かせる。
「おや、今日はもういいのかい?」
返事は聞こえてこない。しかし誰かは想像がついた。図らずも訪れた交流の機会に、優丸は思わず身構える。
ぎしぎし、と階段の軋む音が徐々に近づいてきて。足下から順に、その人影……夜子が上階より姿を現した。
「…………?」
夜子は店内を寝ぼけ眼で見渡し、やがて優丸に焦点を定めて小首を傾げる。見慣れないものが映って反応が遅れている様子だ。
「……よう」
優丸は優丸で言葉が浮かばず、曖昧な笑顔で曖昧な挨拶を投げかけた。そして他意はないのだが、つい夜子の様子をつぶさに観察してしまう。
寝癖なんだか分からない髪は昨日以上に乱雑。半目で訝しげな目元はより腫れぼったい。身にまとうはよさげな生地を使用したパジャマ。要するに、寝起きそのものであった。
ややあってから、優丸は気づく。これは、まじまじと眺められたいような居住まいでない。
「……なんかごめん」
「灰になって消えろ」
「灰になって消えろ!?」
覚醒しても眠たげな目を苛立ちに燃えさせ、夜子はバッサリとそう吐き捨てた。そして踵を返し、二階へと足早に戻っていってしまう。優丸は碌に反応できず、その背中を黙って見送った。
「…………」
現れたと思った夜子は、あっという間に立ち去った。気まずさだけをそこに残して。
「……まあ、今のはオレが悪いな。うん。でも灰になって消えはしない」
「気にすんな。大体誰にでもあんな感じだ」
「そうですよ。蹴りやパンチがない分まだ大人しい方です」
必死に心を取り繕おうと、誰にとでもなく言いわけしながらホットケーキを切り分ける。
仲よくなるどころか、多分無駄に距離が開いた。ノイズとゴシックのフォローも、あまり耳に入ってこない。
マスターが額に手をやる。
「……すまない。失念していた」
「いえいえ」
スタートからバックステップをかましてしまい、優丸は静かに項垂れた。前途多難だと頭を抱える。
しかし。
欲を抱き漂う夢見る夢。
正夢になりたいという過ぎた願いが引き起こす波乱。
それが二人を繋ぐことを、このときは誰も知らなかった。