人のような夢①
その日の夜、優丸は例の悪夢を見なかった。
翌朝目を覚まし、ベッドの上で一人ガッツポーズをする。安眠できる幸せを、精一杯に噛みしめた。
身支度と朝食を手早く済ませて家を後にし、駅まで歩いて電車に揺られる。その最中、ぼんやりとスマホの連絡先を眺めていた。新たに追加した『喫茶・夢心地』の文字が、昨日の出来事が夢ではないと物語る。
マスター曰く。夜子ほどではないが、優丸も夢に好かれやすい性質であるという。夢を見させられてから正夢になるまで、普通はどんなに早くても一週間はかかるものらしい。それが今回は三日。「よほど居心地がいいんだろうね」と、マスターは苦笑いしていた。
それだけ好かれやすいなら、過去に目をつけられていてもおかしくないのでは。どうして今までこんな目に遭わなかったのか。
答えは場所。喫茶・夢心地は、世界に何カ所かある座標の一つ……夢見る夢の集まる窪地。そこには大量の夢が流れ着く。習性に従い、欲求を抑えてきた、見られることを夢見る夢が。
中には我慢の期間が長く、欲が一層強まっている夢も少なくない。ゴール間近だからこそ気が緩む。居心地のよさそうな人間がいれば、ついつい飛びついてしまうほどに。高校に通うまであの近辺に行ったことがなかったから、今まではなんともなかったわけだ。
ダイエット中、もうすぐ目標体重に到達というときに、我慢できず爆食いしてしまうみたいな感じだろうか。優丸は他人事のようにそう思った。
「モテ期……」
つまり優丸は、通学しているだけで同じ目に遭うリスクが高い。そこで緊急時に備え、連絡先を教えてもらった。
できれば、もう正夢は勘弁願いたい。しかし好奇心はあった。喫茶・夢心地のこと。夢見る夢のこと。そしてその管理人、夢ヶ丘夜子のこと。
だから土曜日である今日、優丸は朝から再びあの喫茶店へ向かっていた。一応連絡済みである。マスターは快く承諾してくれた。財布も持った。
電車に揺られて約三十分。駅を出て、普段の通学路から外れ、人気のない道を程なく歩く。やがて昨日見たままの、寂れた喫茶店が目に入った。この時間からでもオープンはしているようだが、果たして客など来るのだろうか。余計なお世話だと思いつつ、優丸は扉を開いた。
「おはようございまーす」
少し抜けた挨拶と共に店内を見回し。
テーブル席に、二人分の人影を確認した。
「いらっしゃい」
マスターが挨拶を返してくれたが、予想外のことに固まって反応を逃す。まさか先客がいるとは思わなかったし、その出で立ちも非常に特徴的だった。
一番奥のテーブル席に向かい合って座る、男女の二人組。
男の方は背を向けていて顔は分からないが、かなり高身長なのが見て取れる。座った状態でも優丸よりでかい。ボサボサな赤茶色の髪と年季の入ったコートが合わさり、背中から放たれる威圧感が凄まじい。
向かい合う少女は、相反するように可憐だった。ツインテールに結われた銀髪、夜空のように澄んだ瞳、汚れという概念がない色白な肌。そして全身を包む、黒を基調としたゴスロリ衣装。月並みな表現だが、あらゆる意味で人形のようだ。
「あら、お客さんですか?」
ゴスロリ少女の目が優丸と合う。それに反応し、大柄な男も背もたれに肘をやり振り返る。無精ひげが目立つ、印象通り厳つめの顔つきだ。
「どうも……」
「なんて珍しい。明日は雨どころか天変地異が起きますね」
少女は微笑みながらコーヒーを口に運ぶ。その発言にマスターが苦笑いしていた。
男の方も物珍しそうにしていたが、やがて合点がいったように目を見開き手を打つ。
「ああ、もしやお前が寝屋川優丸か? 昨日夜子が言ってた」
「あ、はい」
「あら!」
優丸が頷くと、少女が嬉しそうに手を合わせて立ち上がった。
「では昨日の夢は、貴女が連れて来てくださったのね! ありがとうございます、けれど女の子にあれは刺激が強かったでしょう? 大丈夫でした?」
「だ、大丈夫ですよ? あとオレ男です」
「あら……」
「それも昨日聞いただろう。『女みたいな男』って」
慣れたことには突っ込まず、とりあえず昨日と同じ席に座った。
「コーヒーでいいかな?」
「お願いします。……失礼ですけど、お客さん来るんですね」
「いや、彼らは客というか……」
マスターはどこか煮えきらない様子でサイフォンを手に取る。
優丸は小首を傾げて例の二人を見やった。
客ではないのか。そういえばさっきの口振りからして、夢見る夢や夜子のことも知っているようだ。自分と同じ口でここを知り、自分と同じく好奇心で立ち寄ったとか。しかしそれにしては引っかかる言葉があった。
「あの。さっきのどういう意味ですか? 『夢を連れて来てくれた』って」
カウンターの端に陣取ってしまって距離が遠かったので、少し声を張って問いかける。
管理人の夜子が言うなら分かるが、そうでないのにあの言い回し。それにお礼。どうして彼女がそんなことを言うのか。
「どうって。わたくしの管轄に割り振られたのですから、なにもおかしくはないでしょう?」
「……?」
優丸は一層深く首を傾げる。
「なんですその可愛らしい仕草……本当に男の子ですか?」
「オイ」
とろけた顔をする少女の頭を、男が軽くたたいて突っ込む。
「怖いからよだれ垂らすな。それに伝わってないぞ。俺たちのことは聞いてないんじゃないのか?」
「あら、そうでしたか。仙一さん?」
誰のことだと思ったが、該当しそうなのは一人しかいない。目線を移せば案の定、マスターがこくりと頷いていた。
「まだ話していないね。せっかくだし、今日紹介しようと思っていた」
「では。初めまして優丸君」
少女は気品ある所作で一礼し。
「わたくしたちは、夜子ちゃんの夢の副管理人……いや」
どこか人間味の薄い笑みを浮かべた。
「人ではないので、副管理者とでも言いましょうか」
「え……」
人ではない。どういうことだ。
ぽかんとする優丸の前に、入れ立てのコーヒーが置かれる。
「…………夢の数は膨大だ。夜子一人では管理しきれないほどにね」
「はあ」
「人手を増やそうにも、管理人以外が夢を操るのは難しい。だから……」
マスターは言葉を選んでいるようだった。優丸にも理解しやすいよう咀嚼してくれているのだろうか。昨日の説明からも、そういう気遣いができる人だと分かる。
「だから、夢に手伝ってもらうことにしたんだ。同類なら性質も分かっているし、夜子が起きている間も目を光らせられる」
「じゃあ、つまり……あなたたちは」
「ああ。俺たちは、夜子に自我と役割と人の姿を与えられた夢だ」
驚きのあまり、優丸は呆けた表情でその二人を眺めた。夢見る夢の管理人は、そんなことまでできるのか。
「だからまあ、自己紹介といっても名乗るような名はない。参考までに、俺はノイズと呼ばれている。こっちはゴシック。好きに呼んでくれて構わないぞ」
「よろしくお願いします」
「こ、こちらこそ」
夢見る夢の副管理者……明確な自我を持つ、人のような夢。その事実を知ったからか、人間らしからぬ雰囲気を強く感じた。
「夢ってコーヒー飲めるんですか?」
「味は感じますよ。これを味わいたくて、たまに現実に出してもらってるんです」
カップを手に取りゴシックが微笑む。
可愛い。改めて絵になるなと思った。
「……で、その夢ヶ丘は?」
「上で二度寝中だ。寝起き悪いからそっとしておけ」
「想像に難くないですね」
ノイズの答えに苦笑いを返す。そういうことなら、今無理に関わる理由はない。優丸はゴシックに倣ってカップに口をつけた。
「苦美味い……」
「そこにメニューがあるから、追加で注文があれば言ってくれ」
「どうもです」
促されるままにメニューを取った。店の内装と同じく、ラインナップもまた純喫茶然としている。早速ホットケーキを頼むと、マスターは笑顔でそれに応えた。
「……しかし、物好きな奴がいたもんだな」
「?」
「隣、いいか」
「どうぞ」
ノイズは優丸の方に歩み寄り、確認してから席に座る。奇異なものを見る目を向けられて戸惑うが、悪意の類いではないと見て取った。
「聞いた話じゃ、そこそこ怖い目に遭ったんだろ? 腰抜かして泣いたって」
「あんにゃろう……」
腰は抜かしていない、こけただけだ。情報を歪曲するな。そんな奴がいるから、謂われない誹謗中傷が世にあふれるのだ。
眉間に皺を寄せ、この場にいない夜子へよく分からない文句を募らせる。
ノイズは察したようにため息をつき。
「その様子なら知ってるだろうが、夜子は誰とでも仲よくできるタイプじゃない。諸々踏まえて、進んで関わりたくなるような場所じゃないと思ってな」
「まあ……好奇心というか、怖いもの見たさというか。あとオレ夢に好かれやすいらしくて。だから顔見せがてら、通い慣れた方がいいかなとか……そんな程度ですよ」
優丸はなんでもない風にそう答えた。
嘘は言ってない。夢見る夢、喫茶・夢心地、管理人……そんな摩訶不思議に対して、純粋に興味がある。それに。
「それに……確かにあいつは嫌な奴だけど。そんな悪い奴じゃないでしょう?」
昨日の去り際のやり取りを思い出して、優丸は笑った。
ノイズはおろか、最初の席から動いていないゴシックすらも目を見開く。フライパンに生地を広げるマスターだけが、平静を保ち続けていた。
「……あいつと知り合って二日目の奴から、そんな言葉が聞けるとは」
「なんていい人なの……! 天使かしら?」
「その反応は流石に可愛そう……でもないか」
あまりの言われように優丸は同情しかけて、結局思い直した。あれは言われるだけの振る舞いをしている。自分は天使と称されて然るべきだ。
ふんと鼻を鳴らす優丸の前に、湯気を立てるホットケーキとシロップ入りの瓶が置かれる。
「おまたせ。それと、ありがとう」
「…………」
マスターはなにかを暗に語るようにウインクを残し、厨房の方へ戻っていった。優丸は無言で背中を眺めつつ、ホットケーキにシロップをかける。
「お前がいい奴だってのはよく分かった。でも程々にな。ヤバイと思ったらトンズラしろよ」
ノイズは席を立ち、優丸の頭を軽く撫でてからゴシックの方へ戻っていった。特に深く聞かれずに済んで、内心で安堵の息を吐く。
ホットケーキを切り分け、フォークで一切れ突き刺して頬張る。口内を満たす濃厚な甘みに目を細めつつ、優丸は再び昨日のことを思い出した。