自分に殺される夢④
「君が選ばれたのは偶然だろう。再び見られることを夢見る夢が、たまたま君に目をつけてしまった」
夢見る夢……。その言葉の意味がようやく分かった。
忘れられ、もう一度誰かに見られることを夢見て漂う夢……。かろうじて理解はしたが、まだ腑には落ちていない。
「でも夢なんて普通すぐ忘れますよね? だったら、そこら中がその夢見る夢であふれてるんじゃないですか?」
そう。覚えている夢なんて、片手ですら持てあますほどに数少ない。夢見る夢が忘れられた存在なら、その数は膨大なんて言葉じゃ足りないはずだ。
それら全てが、再び誰かに見られたがっているのなら。今の自分のような事例は、ありふれたものでないと辻褄が合わない。
「話がスムーズで助かるよ」
優丸の疑問を見透かしたように、マスターは感心する。そして人差し指を立て、カウンターをなぞった。
「夢見る夢たちは、なにも当てなく漂っているわけじゃないんだ」
「どこかに目的地が?」
「目的地と言うより、彼らの習性と言った方が正しいかな」
マスターの指が止まり、コツコツとたたく動作に変わった。
「世界には何カ所か、夢見る夢が集まりやすい座標があるみたいなんだ。大抵はさっさとそこまで流れ着くことを優先する。見られたいという欲求を抑えてね」
なるほど、それは確かに習性と表現できるかもしれない。夢に意思のようなものがあるだけで、優丸にとっては驚きなのだが。
「まあ、中には辛抱できない夢もいるみたいだ。君のような事例も充分起こりうる」
「……なる、ほど」
優丸は適度にぬるくなったコーヒーを口に含む。
再び見られることを我慢できなかった夢見る夢が、見てもらう相手に自分を選んだ。要はそういうことらしい。
「なんであなたは、そんなに詳しいんですか?」
「さっき言った、夢見る夢の集まる座標。そのうちの一つがここだからさ」
カウンターをたたき続けるマスターの指に、優丸の視線が吸い込まれた。思わずコーヒーを噴き出しかける。
「こ、ここが!? ちょっと待ってください、だったらまた別の夢を見る羽目になるんじゃ!?」
「それは心配ないよ。ここに集まった夢は大人しいものさ」
マスターがちらりと、さっきから沈黙を貫く少女の方を見て薄く笑う。
「夜子が面倒を見ているからね」
夜子は肘をつきながら、砂糖であふれそうなカップを傾けていた。優丸にまるで興味がないようで、話題に出されてもこちらを一瞥すらしない。
「ここ……喫茶・夢心地は、夢見る夢の集まる窪地。そして夜子は、それら全ての管理人なのさ」
「管理人……」
「ハリセンやハンマーで殴られたと言ったね。そのとき痛みは感じなかっただろう?」
「確かに」
「それは、数多ある夢の中から引っ張り出してきた物体だからだ。夢は普通、現実に影響は与えられない」
「……マジですか。そんなことできんの?」
つまり。夜子は、ここに流れ着いた夢全てを常に見ている。だから夢見る夢たちはあふれることなく、夜子の中で大人しくしている。更にその夢たちを、必要とあらば現実に持ってくることができる……。
接点のないクラスメイトから、指折りの嫌な奴へ。そこから更にクラスチェンジし、優丸の中で夜子は得体の知れない人間になった。
「夜子は特別、夢から好かれるタチのようでね。どんな夢とも安全につき合える。その分対人能力が壊滅しているが」
「うっさい」
「それでも管理人として、夢を見させられている人を連れて来ることもあるんだ。丁度君みたいにね」
はあ、と優丸は息を漏らす。
「だとしても結局、オレを凶器で殴ったのはなんだったんだ」
「…………」
「この期に及んで無視はおかしくない?」
沈黙する夜子に、マスターが目の間を指で押さえている。過去にも同じようなやり取りが、優丸のとき以外にもあったのだろう。
「夢で現実は殴れないが、同じ夢なら殴れるんだ。要は君越しに夢を殴って、君から夢を引き剥がそうとしたんだよ」
「……なら最初からそう言ってくれよ」
「めんどい」
一応、ちゃんとした理由があった。だからって許そうとは微塵も思わない。
しかし、ということは……。
「あれ? じゃあもうオレの中に夢はいないのか?」
「そうだといいんだが……」
優丸の期待に反して、マスターは浮かない顔で夜子に問いかけた。
「実際どうなんだ?」
「だったら連れて来てない」
夜子の持つカップがソーサーに置かれ、かちゃりと音を鳴らす。
「多分、もうちょっとで現実に出てくると思う」
マスターは僅かに目を剥き、表情を険しくした。
「……君、夢を見始めて何日くらいになるんだ?」
「ええと、三日ですね」
「三日? 早いな……」
ただならぬ反応に不安を覚え、優丸は二人を交互に見やった。既にギリギリなのに、話から本格的に置いていかれる。そんな焦りから、右往左往した視線。
「な、なに? 三日でどうだとなにがまずいんで……」
その隅に、不可解なものが映った。
「……!?」
制服姿……自分や夜子の通う学校のもの。髪型はポニーテール。どんよりとしたオーラをまとい、朧気でハッキリしない輪郭。そんなナニカが、店内の片隅に佇んでいる。
「ひっ」
見間違えたりしない。できない。
それは夢に現れる、もう一人の優丸そのものだった。
「うわあああああああああああああああああああ!?」
優丸は絶叫し、椅子から転げ落ちた。
「どうした!?」
「い、今! そこに! 夢……夢の中に出てきたオレが……!?」
尻餅をついたまま、錯乱気味に空間を指差す。その方向に全員の目が向いた。
なにもない。誰もいない。
「なんで……今、確かに」
震える優丸の指が、力なく下ろされる。あまりの衝撃にしばし呼吸を忘れ、目眩すらも感じた。おかしくなってしまったのかと、優丸は自分の頭を疑う。
「見たのかい? 夢の中の光景を」
その問いかけで我に返り、かろうじて頷いてみせた。
マスターがいよいよ深刻げにうなる。
「夢の欲が強まっているね」
「ど、どういうことです?」
「何度も君に見られるうちに、それだけじゃ足りないと感じ始めたようだ」
望みが叶い、それが難しいことじゃなくなると、更にその先を望んでしまう。人間にもままある心理現象だ。夢見る夢にも、同じことが言えるのだという。
では、夢見る夢にとってその先とは。
「回数を重ねるにつれ、夢はリアリティは増していき。最後には正夢になろうとする」
優丸の顔が引きつり、青ざめた。
「正夢……」
あの悪夢が、正夢に。現実になろうとしている。
黒い空間で優丸を追い。追い詰め。捕らえ。
「こうなってしまっては、最後までつき合ってやるのが一番早い。空想から現実になる、そうすれば夢も満足するはずだ」
「いや、つき合うって……」
「……もしかしなくても、そうはいかない夢なのかな?」
首を、もぎ取る……。
「あの」
「なんだい」
「正夢って言っても、所詮は夢ですよね? 夢は現実に危害を加えられないんなら、実際に死んだりとかは……ない、ですよね……?」
「…………ええと」
「普通は、そう」
マスターが目を逸らして言葉を濁した瞬間、夜子があとを引き継いだ。
「でも、極限まで欲が強まった夢は違う。あいつらは現実を超えてくる。ちょっと殴ったくらいじゃもう離れないくらいになったら、尚更」
「……と、いうと?」
「夢の中でお前が死ぬなら、正夢になればちゃんと死ぬ」
夜子は冷静に断言した。あまりにあっさり、思うところがなにもないかのように。
「ど」
優丸はもうすぐ、夢に殺されると。
「どうすんのこれ!?」
「一旦落ち着こう! それで、具体的にどういう夢なんだい!?」
優丸はかいつまんで説明した。
黒い空間、追いかけてくるもう一人の自分。やがて足がもつれて転び、そのせいで追いつかれ。そして首を思いきり絞められ、もがれる。
聞き終わったマスターもまた、優丸同様に青ざめた。
「それは……死ぬね……」
「やっぱりそう思います?」
そう言われ、実感が余計に強まった。あんなおぞましい死に方冗談じゃない。優丸は頭を抱えて項垂れる。
「うわああ死にたくねええええ」
「……ホラー系か」
ぼそりと。しかし今まで聞いたのに比べ、少し弾んでいるような夜子の独り言。
「なに? ホラー?」
「だったら……うん。あそこ一帯に入れてやれば違和感ないか……もしくは……」
空になったカップの中を覗きながら、優丸を無視してつらつらと言葉を並べ始めた。
仏頂面なのは変わらないが、心なしか頬が紅潮している気もする。優丸への冷淡な態度とはまるで違う。新しいおもちゃを目の前にした、子供のような印象だった。
「よし。それ貰う」
「貰うって……殴っても出てこなかったんだろ? どうするんだよ」
「別に追い出す必要ない。もう出てきかけてるし」
「完全に出られるとオレ死ぬんですが」
「……チッ」
「『物分かり悪いな』みたいな顔しないで」
「……物分かり悪いな」
「口に出せばいいって話じゃないよね?」
状況を忘れて苛々してきた。突然饒舌になったが、やはり口が悪い。
「つまりなにが言いたいんだ? 考えがあるなら教えてくれよ」
「やりようはあるけど説明めんどい。というかお前が知る必要もない」
「こいつ……」
優丸は心を落ち着けようと、残ったコーヒーを一気に飲み干す。随分と冷めてしまっていたが、それでも香ばしい香りが鼻に抜ける。
しかし残念ながら、夜子への印象は微塵も変わらなかった。絶対分かり合えない。
「で、どうすんの。そのまま持っとくの」
ぶっきらぼうな最終確認が飛んできた。
「…………」
この女に借りを作るのは大変戸惑われる。しかし、背に腹は替えられない。優丸は腹を括った。
「貰えるなら是非貰ってくれ。早く安眠したい」
「ならこっち来て」
夜子は片肘をつきながら、面倒くさそうに手招きした。その間の距離は、カウンター席三つ分。完全なる対岸だ。
「……はあ」
自分は意地でも動かない気らしい。別にいいのだが、一度嫌いになったせいで細かなところにケチをつけたくなってしまう。よくないことだと思いながら、優丸は席を立った。
立って、そのまま動かなかった。
「……?」
「どうしたんだい?」
夜子が眉根を寄せ、マスターが怪訝そうに聞く。
「あれ…………」
どうしたのか。そう聞きたいのは優丸だった。
来いと言われたのに、その場に突っ立っていてどうするのかと。さっさと夜子の方に行けと。意識が、脳がそう訴える。
しかし、足が上がらない。かかとが地面から離れない。一歩も歩けない。なにが起きているのかと、自然と足下に視線が落ちる。
背筋が凍った。
「なん……!?」
優丸を起点として、黒いなにかがインクのように広がってゆく。
見覚えのある色だった。悪夢の世界を包む完全なる黒が、優丸の記憶に湧き上がる。
「もう正夢になった……本当に早い」
ちょっと珍しいものを見たくらいのテンションで、夜子は僅かに目を見開いた。
「……っ!」
優丸は息を呑み絶句する。膝から崩れ落ちそうなのに、金縛りのせいでそれすらできない。
黒いなにかが球状に持ち上がり、優丸を包み込もうとする。
呑まれたら、きっと終わり。黒い空間の中で、あの悪夢が現実に起こる。なのに動けない、逃げられない。
「……はは」
完全に黒が閉じきる寸前、笑った夜子の顔が見えた。
「隣に座ってれば間に合ったのに」
「お前えええーーーーーーーーーーーーーーーーー!」
その叫びが届いたかどうか確かめる前に、優丸は完全に呑み込まれた。