自分に殺される夢③
健康的ではない雰囲気を互いに醸しつつ、優丸と夜子は並んで歩く。とはいえ、間に大人が三人くらい入れそうな隙間が空いているので、端から見ればほぼ他人である。そのくらい第一印象が悪かった。
距離を取りつつ、しかし見失わない程度の歩幅で黙々と歩く優丸。夜子はそれを一瞥もせずに、どんどん人通りの少ない道へと進む。
「どこに行くんだ」とつい聞きそうになったが、どうせ碌なレスポンスが帰ってこないと思ってやめた。精々「うっさい」か「黙れ」か舌打ちだろう。とんでもない奴だ。
勝手に苛々しながらついて歩くうちに、いつしか優丸と夜子以外の人は消えていた。気晴らしがてらに優丸は周囲を見回す。
通ったことのない場所だ。ほっそりとした道の両脇に、見渡す限りのシャッター街。そびえる街灯は今にもへし折れて倒れてきそう。ずっとここにいると気が滅入りそうな寂れっぷりだ。目的地に対する不安が増した。しかし意地で口を閉ざし続ける。
程なくして、二人はシャッター街の果てまで辿り着く。
そこに一軒だけ、明かりのついた建物があった。
「……?」
レンガ風のレトロな外装に、木製と思われる古めかしい扉。狙ったかのように古風な電飾つきの立て看板。そこには丸っこいフォントで、『喫茶・夢心地』と書かれていた。
見たところ、潰れる寸前の喫茶店。優丸が小首を傾げるのをよそに、夜子は真っ直ぐその建物に進んでいく。
「おい?」
「…………」
相変わらず言葉を交わしたりせず、一人で中に入る夜子。期待はしていなかったので、優丸は自分で考える。
夜子が連れて来たかった場所とは、まあここで間違いないだろう。手の込んだ嫌がらせの線も捨てきれないが、それはこの際ないと信じる。もしそうだったら、生まれて初めて他人を殴ることになるかもしれない。
優丸は悶々としつつ扉の前に立つ。そこでようやく、張り紙の存在に気づいた。
『夢に関する悩みごと、承ります』
「!」
瞬間、余計な考えは全て吹き飛び、気づけばドアノブを回していた。ドアベルが静かな店内に響く。
「いらっしゃい」
それに次いで、渋い男性の声が優丸を出迎えた。
いかにも純喫茶然とした店内は、外観通り広くはない。四人がけのテーブル席が三つと、カウンター席が五つ。入口から見て右端のカウンター席には夜子が座っている。
そして奥の厨房に、ここのマスターであろうさっきの声の主が立っていた。三十代くらいだろうか。髪はオールバックにし、白いワイシャツに黒いエプロンと、これまた絵に描いたように喫茶店っぽい格好だ。
「適当な所にかけてくれ。歓迎するよお嬢さん」
「はあ、どうも。でもお嬢さんじゃないです」
「……失礼」
マスターは気まずそうに目を逸らして咳払いする。
自分の容姿は理解しているので、優丸は大して気にせず席を物色し始めた。テーブル席だと相談がしづらいので、カウンター席が望ましい。うち一つは夜子が使っているので、選択肢は四つだ。
「…………」
ほとんど悩むことなく、優丸は入口から見て左端……夜子から一番遠い席に着席した。マスターは察したように苦笑いし、優丸の前まで移動する。
「さて。久しぶりのお客さん……と思いたいところだが、コーヒーを飲みに来たわけじゃないようだね」
「ええ、まあ」
「夢に関する悩みごとかな? 例えば、最近同じ夢を何度も見ているとか」
「! そうです!」
夜子に続いて言い当てられ、優丸は身を乗り出した。マスターはふむ、と顎に手を当てる。
「それで、夜子からはどの程度聞かされた?」
「いや、なにも。でもなんか殴られました」
「殴……」
「ハリセンとハンマーで」
「ハリセンとハンマーで!?」
マスターは声を引きつらせ、ため息をつきつつ夜子の方を見やる。
「夜子……お前はまたなんの説明もせずにそんなことを」
「うっさい」
「彼に謝りなさい」
「うっざ」
「謝りなさい」
「……チッ」
二回目は強めに咎められたからか、夜子は椅子を回転させて優丸の方を向く。
「さーせん」
しかし、渋々言わされた感全開でそれだけ言い、またカウンターに向き直してしまった。優丸は握り拳を震えさせ、マスターは顔を片手で覆う。
「お前は本当に……」
「あれ許さなくていいですか?」
「申し訳ない。あとで僕から言っておく」
優丸が事情をなにも分かっていないことを理解し、マスターは改めて口を開く。
「そうだね、どこから話そうか……」
そして放たれた言葉は、理解に苦しむものだった。
「一言で説明すると、君は夢見る夢を見ている」
「……夢見る夢?」
マスターは頷き、コーヒーを入れるサイフォンを手に取った。
「サービスするから、ゆっくり飲みながらでも聞いてくれ」
言うや否や、手際よく色々な道具が並べられた。豆を挽くところからスタートし、優丸には名称の分からない道具が次々と駆使される。
見入っていた数分のうちに一杯のコーヒーが入れられ、優丸の前に差し出された。
「ありがとうございます」
カップを取り、ゆっくり口に近づけて傾ける。心地よい苦みと香りで口内が満たされた。一口飲んで息をつく。
「美味いです。コーヒーあんまり飲まないけど、なんか落ち着く」
「それはよかった」
「私にも。砂糖多め」
ぶっきらぼうな夜子の注文に、マスターは苦笑いしつつも応じた。同じ手順でもう一杯コーヒーを入れ、そこに角砂糖を投入する。一つ、二つ、三つ、四つ、五つ……。
六つ目の段階から、優丸の目が訝しむものに変わった。既にカップの中で白い山ができあがりつつある。自分も味に強いこだわりはないが、いくらなんでもあれはどうなのか。
「……カブトムシみたいだな」
「死ね」
「死ね!?」
遂に命を命令形で否定された。
飲むコーヒーは角砂糖が山盛りのくせに、口調は辛口もいいところだ。……上手いこと言えた気がしたが、優丸は口に出さなかった。
「本当にすまない。ここに来るまでにも色々言われただろう」
「まあ、はい。今のはオレから仕掛けましたけど。それで、ええと……あなた夢ヶ丘の親父さんですか?」
「叔父だよ。色々あって僕が面倒を見ている」
マスターは首を横に振り、意味ありげにうっすら笑った。
色々、の内容を聞くのは野暮だし本題じゃない。優丸はそう考え、話の舵を切り本題に入った。
「夢見る夢って、どういうことです?」
「ふむ」
使った道具の後処理をしつつ、マスターは答える。
「眠っているとき、人は夢を見るものだね」
「? はい」
「例えばそうだな。半年前に見た夢の内容を、君は覚えているかい?」
「半年……?」
優丸は腕を組みうなる。しかし、記憶の片隅にすら映像が浮かばなかった。思い出す気すらも起こらない。というか見たかどうかも覚えていない。
そもそもこんな状況でもなければ、昨晩の夢すら覚えているかどうか怪しい。夢とはそういうものではないのか。
「覚えていないね? ではそうして忘れ去られた夢は、一体どこに行くと思う?」
「どこって……脳味噌のどこか?」
「いいや。答えは、漂う」
漂う。どういう意味か分からず、続きを待つ。
「見た人の記憶に残らなかった夢は、その人から離れて空間を漂うことになる」
「え……オレ今なんの話聞かされてます?」
「まあ聞いてくれ。そうやって漂う夢は、次第にとある欲求に駆られるんだ。君が夢だとしたら、なにをしたいと思うかな?」
あまりに突拍子もない話をされてぽかんとしつつも、優丸は考える。
自分が夢なら。忘れられて漂っている夢なら。
そんな仮定は想定したこともないが、一つ思い浮かんだ。
「見られたい、ですかね」
「正解。誰かに見られて、今度は忘れられたくないと思うだろうね」
「……え? じゃあ」
口に出したことで、優丸の中でピースがはまり始めた。
そんな漫画や小説のようなことが、現実に起こるのか。普通はとても信じられない。しかし同じ悪夢に襲われ続けている時点で、もうホラー映画のようなものではないか。だから案外すんなりと、優丸は自分で出した結論を受け入れた。
「オレは今、誰かが忘れた夢を見続けている……?」
「そういうことだ。理解が早いね」
マスターが満足げに頷く。