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自分に殺される夢①

 とある街の、人目につきにくい一角。

 その最果ての位置に、小さな喫茶店がぽつんと建っていた。電飾つきの古めかしい立て看板が、動きのない出入り口をひたすら眺め続けており、客入りがいいようにはとても見えない。


 そんな物寂しい様相の店の扉に、こう書かれた紙が貼りつけられていた。


『夢に関する悩みごと、承ります』







 忙しない心臓を胸の上から押さえながら、少年……寝屋川優丸(ねやがわやさまる)は駆けていた。


「ああくそ! なんなんだよもう……!」


 後ろを振り返らずに悪態をつく。確認なんてしている余裕はない。どうせ、ソレは自分を追いかけてきているのだ。


 であれば今やることは一つ。

 走ること。逃げること。ソレに捕まってはいけない。


 助けを望めないのは分かっている。ここには自分とソレ以外に誰もいないのだ。せめて場所が見知った土地なら、まだ自分なりに逃走経路を組み立てられもしただろう。しかし、ここは果たしてどこなのか。


 辺り一面を覆うのは黒。見渡す限りの黒。暗闇ではなく、黒。地面と空の境界も分からないほど、完全なる真っ黒の世界。

 それでもどこかに光源があるのか、自分の輪郭はハッキリと視認できていた。まるで現実感がない。本気でここがなんなのか分からない。ソレに追われていなくとも、ここにいるだけで頭がどうにかなりそうだった。


 恐怖が優丸の全身を蝕む。こんな非現実に襲われているのに、全力疾走を続けた体は現実相応に疲労してゆく。呼吸が激しくなり、肩が上下する。背中を大粒の汗が伝う。


「っ……」


 どうなっているだろう。

 ソレは今、どの辺りにまで迫ってきているだろう。


 体と共に余裕をなくした心が、一時は無駄と断じた行動を選択肢に含め始めた。状況の分からない恐怖が積もりに積もり、優丸の思考回路を滞らせる。


 怖い。

 どこまで引き離せた?

 それとも距離が詰まっている?

 もしかしたらいなくなっているかも……。

 淡い期待を膨らませつつ、優丸はちらりと背後を見やろうとして。


「あがっ!?」


 足をもつれさせ転倒した。限界の体に蓄積された疲労が、ここに来て牙を剥く。


 絶望感に呑まれつつ、ソレの方を見上げる。


 自分自身と瓜二つの姿。違うところといえば、焦点の合わぬ目を異常に血走らせている点。そんなナニカがおぞましい笑みを浮かべ、倒れた優丸に向かって飛びかかってきた。


 ソレの伸ばした手が、優丸の首を鷲掴みにする。一切の加減なく力を込められ、呼吸がせきとめられる。立てられた爪が食い込み、ねじ切れるような激痛が走る。


「や、め……」


 優丸は必死に引き剥がそうとするが、全くもってびくともしない。酸素が満足に吸えなくて力が出ない。あまりの恐怖と苦しみに涙が滲み、眼前のソレの輪郭がぼやけ始めた。

 首にかかる力は尚も強まる。食い込んでいた爪が遂に突き刺さり、痛みが倍増すると共に生暖かいものが流れ出た。


「…………ッ!!」


 目を剥き、声にならない悲鳴を上げる。ソレの指が、首に空いた穴にねじ込まれた。肉をかき分け異物が走る音を、優丸は自分の体内で聞かされた。口の中が、錆のような味の液体で満たされる。最早抵抗もできなかった。 


「ヒャハ」


 満面の笑みを浮かべる自分そっくりのソレが、いよいよとばかりに一層力を込め。


 優丸の首を、胴体から引きちぎった。


「ヒャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」


 他人を嫌悪感で満たす高笑い。一気に広がる錆臭さ。急速に奪われてゆく自分の体温……。


 ソレの両手に掲げられた、優丸の頭に宿る目が。鼻が。感覚が。鮮烈にそれらを知覚する。力尽くで首をもがれ、黒い世界を大量の血で汚しながらも、優丸の意識はまだそこにあった。


「う……」


 横たわる体。もがれた首の断面から流れる血。覗く骨や肉。鼓膜を打ち鳴らす高笑い。自分そっくりのおぞましいナニカ。それら全てを包み込む黒、黒、黒。


「うあ」


 とうとう薄れゆく意識の中、優丸の心は限界を迎えた。







「うわああああああああああああああああああああ!」


 授業中の教室に、優丸の大絶叫が響き渡った。音を立てて椅子を倒し、両手を机について勢いよく立ち上がる。空気を振るわせひたすら叫ぶ。


「あああああああああああああああああああ……あ?」


 現実の空気が肌に触れ、優丸は冷静さを取り戻した。

叫び声は尻すぼみになって消え、自分の置かれた状況を客観視する。


 ここは教室。

 今は授業中。

 同級生全員のぽかんとした視線が突き刺さる。


「……はあーっ」


 そして理解し、項垂れた。

 まただ。またこの夢。

 筆舌に尽くしがたい、凄惨な悪夢。


 夢でよかったという安堵。まだ悩まされるのかという恐怖。二つの感情をブレンドし、盛大なため息を吐き出した。


「寝屋川」


 名前を呼ばれ、重い頭を上げ正面を向く。目を除いて笑顔の教師が、教科書を片手にこちらを見ていた。


「……おはようございます」

「後で職員室に来い」


 優丸はもう一度ため息をついた。







 寝屋川優丸は高校一年生である。

 特徴を挙げるなら、やや線が細い華奢な体格。中性的な顔立ち。ポニーテールに結った、男子にしては長めの髪。お陰で女子と間違われることもそれなり。入学してから一ヶ月と少し。友人の数はぼちぼち。成績もぼちぼち。部活もバイトもしていない。容姿が少し目を引くが、それ以外はごくごく普通の平凡な少年だ。


「つらい……」


 そんな優丸だが、ここ三日間ある悪夢に悩まされていた。


 気がつくと、真っ黒な世界に一人で立っている……という場面からそれは始まる。じきに漠然とした恐怖を強く感じて、たまらず逃げるように走り出してからが本番だ。

 錯覚にも似た恐怖は現実となり、ナニカが優丸を追いかけてくる。振り返りもせずひたすら恐怖から逃げ続けるも、やがて優丸は転倒してしまう。好機とばかりにソレ……狂気的な目をしたもう一人の優丸が、爪を立てて首を掴み。最期には、引きちぎられる。


 最初に見たときも確かに怖かったが、まだ深く考えていなかった。悪い夢を見ることもたまにはある。そんな程度の認識だった。


 しかしその日のうちに、優丸の認識が変わり始める。

 昼休みに眠りこけていた際、全く同じ夢を見た。それも心なしか、一度目よりもリアリティを増して。

 おかしなこともあるものだと思いつつ、その日の夜。再び同じ夢を見て、起きたことのない夜中にうなされて飛び起きた。流石におかしいと気づく。


 結局その日は寝つけず、翌日の学校。眠気に負けてホームルーム前に寝てしまい……またしてもその夢を見てしまった。


 結論としてそれ以来、優丸は同じ悪夢を連続して見続けている。


「なーんでこんなことになった……?」


 昼休み。居眠りの説教を終え、自分の机で頭を抱える。


 タチの悪いことに、回数を重ねる度に夢のリアリティが増していた。追われる恐怖、首を絞められもがれる痛さ、自分の血のむせ返るにおい……それら全てがより鮮明に、優丸の精神を削ってゆく。


 お陰で眠るのが恐ろしく、今日は特に寝不足気味だった。目元にはくっきりと隈が浮かび、常に倦怠感と眠気に襲われる始末。学生生活にも支障をきたしている。ため息が止まらない。


 そんな優丸の様子に、さっき呼び出した教師も途中から心配の色を見せ始めていた。『体調が悪いなら早退するか?』という申し出に、先ほど首を縦に振ったところだ。どうせ授業には集中できない。


「こういうのって精神科医? それとも心理カウンセラーか?」


 荷物をまとめながら、本気で対策を考え始める。ずっとあんな夢を見せられ続けてはたまらない。遠くない未来、優丸は精神をやられるだろう。


 相談するなら、やはりそういう専門家がいい。帰ったらいい相談先を即刻見つけ、今日中にでも駆け込もう。大仰な場所に出かけるのが面倒だとか、もうそんなことを言ってられない。下手したら命に関わる。


「……?」


 席を立とうとしたそのとき。隣に人の気配を感じた。


「うわ!?」


 夢を引きずっていたせいか、必要以上に驚き体が強張る。結果、座ったままでその人物を見上げる形になった。

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