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第9話:業務内容

「今は泣いてる場合じゃないですね」


 涙をぬぐった由沙は、笑顔を見せてくれた。無理して作ったものではない。二郎にはそう思えた。


「まあ、あれだ。由沙がやりたいことは分かった」

「じゃぁ、わたしと一緒に新しい事務所やってくれるんですね」


 由沙には(かね)に困っているときに仕事を持ってきてくれた恩がある。だからといって、今の事務所に恩義を感じているわけではない。彼女が新たに事務所を起こすというのなら、そこに所属することに異存はない。むしろ二郎は、彼女と一緒にやっていきたいくらいだった。


 しかし由沙の場合、「じゃぁ一緒にやろう」と安易に了解の意を示してしまえば、後先考えずに突っ走る姿が容易に幻視できた。だからあらかじめ、ブレーキをかけておくべきだろう。


「だがな、それを本業にすると俺の体が持たん。人探しは疲れんだ、週一くらいじゃないとやってられん」

「もう、コワイ顔しないでください。疑いを晴らすまではガンバってもらわなきゃだけど……ってアレ? 前に一日寝れば回復するって言ってませんでした?」


 しくじった。コイツの記憶力の良さを忘れていた。二郎はそう思って、とっさに誤魔化しにかかる。


「チッ、覚えてやがったか」

「やっぱり。二郎さんは面倒ごとになるとコワイ顔になりますからね。もうだまされませんよ」

「お前も言うようになったな。まっ、そんな顔ができるなら上等だ」


 由沙は都合良く流してくれた。いや、もしかしたら分かったうえで追及しないでくれているのかもしれない。そう考えた二郎だったが、彼女の顔には不安の色よりも希望の色のほうが、色濃く見てとれたことに安堵したのだった。


「ずーるーいー。ふたりだけの世界になってるー」


 気配薄く二人の様子をじっと眺めていた水瀬が、字面(じづら)だけを追えば悔しがっているととれる台詞を吐きながら、二郎の前へと歩みでた。そんな彼女を、彼は椅子に座ったままの態勢で見上げている。


 由沙はといえば、さっそくデスクに取り憑き、パソコンに向かってブツブツツ呟きながらなにかを考えているようだ。


「そうか? しかしだ水瀬、なぜ棒読み。そして無表情」


 二郎には水瀬の行動がイマイチ読めていない。いや、なにかを演じているのは分かるが、なぜ今それを? どんな理由でそんな役作りを? と、疑問が尽きないのだ。普段はテレビ出演のときと同じく理知的な口調で受け応えし、行動もいたって普通なのに。


 けれども、突如としてスイッチが切り替わり、今みたいな感じで口調から行動まですべてが切り替わることがある。とくに二郎が相手の場合はその傾向が顕著だ。


「それを聞いちゃダメよ。せっかくの役作りが台無しになるわ」


 それは予想できていた。しかし二郎には、その役作りが今なぜ必要なのか分からなかった。


「をっ、今度は素に戻ったか。だがお前、役作りするような役なんてもらってねーだろ?」

「いまはまだないわ。でもいずれ必要になるときがくるの」


 水瀬は確信めいた顔でそう言ってのけた。すこしだけ興味がわいた二郎は、ちょっとだけつついてみる。


「どんな役だ」

「劇中劇の素人が演じるモブBよ」


 やはりつつくんじゃなかった。別の意味で分からなくなった。そんな役になりきってなんの糧になるんだ。それが二郎の感想だった。


「なんでそんなマニアックなところを……俺はお前がよー分からん。にやがってんのか?」

「べつにふざけてなんかいないわ。いたって真剣よ。それに、それは九州弁ね。二郎は東京生まれだったはず」


 たしかに水瀬の言うとおりだ。が、話し言葉なんてものはうつるものなんだ。と、幽世にいたころからの相棒が脳裏によぎった二郎だった。


「……ちょっとあの世でな」

「そう」


 二郎にしては珍しくセンチな雰囲気だったからだろうか、水瀬がそれ以上つっこんでくることはなかった。


「はいはい、水瀬ちゃんはレッスン行った行った」

「もうレッスンには行かないわ。いえ、行く必要がないわ」


 由沙はもう通常モードに復帰しているようだ。ほんとうに彼女は気持ちの切り替えが早い。もちろん二郎にも、彼女の心のなかまでは読めない。だから今、彼女がどんな気持ちなのかまでは分からない。


「あら、どうしてかしら」

「私も由沙(ねえ)のところに行くからよ」

「ちょっと、それは短絡的すぎない?」

「由沙姉よりは考えているつもりよ。いえ、考えているわ。だって二郎は必ず売れるもの。ここに残って少ない機会を待つよりも、二郎と一緒のほうが絶対にいいと思わなくて? 競争率がまるで違うわ。それはもう雲泥の差よ」


 由沙はいつもどおり水瀬と会話している。クビを宣告されるという、普通ならショッキングな出来事があったにもかかわらず、そんなことはみじんも感じさせない空気だった。


 話をそらして気を紛らわせているわけではない。話をそらさずに次のビジョンを見据えた会話の内容に、由沙の(たくま)しさと、抜け目なさを二郎は感じるのだった。これが窮地に立たされ、覚悟を決めたときの女の(たくま)しさなのだろうか、と。


「あらぁ、言うようになったじゃない。水瀬(みーなーせ)ーちゃぁん」

「うっ、脅しても無駄」


 由沙は水瀬を後ろから捕まえ、あごの下から首筋、そしてうなじから背中へと手を滑らせた。これは水瀬が言うことを聞かないときに、彼女がよくやるお仕置きだ。


「ひゃあぅ~、しょこはラメぇ。ひきょうにゃにょ~」


 男がやれば行き過ぎたセクハラというか、明らかに犯罪行為になるが、気心が知れた女同士の場合は、ただの微笑ましいじゃれあいにしか見えない。


「ふぅ、ふぅ。助けて二郎」


 助けを求めてきた水瀬を抱きとめ、追い打ちをかけるように二郎は頭をなでる。これも彼女の弱点の一つだ。


「ふにゅぅ~」


 水瀬は(とろ)けるように目を細め、ご満悦の顔で脱力しきっている。


 まぁこれくらいならば、セクハラにはならないだろうという二郎なりの分水嶺でもあるが、彼がなぜこんなことを気にするようになったのかといえば、それは由沙からの度重なる指摘が原因だったりする。


「あら、わたしはダメで、二郎さんならいいの?」

「二郎は特別」


 水瀬の場合はもう少し踏み込んでボディタッチしても許されそうだが、由沙の厳しい目が光っているかぎり二郎がその禁忌を侵すことはない。


「はいはい、おふざけはココまでよ」


 パーティションに囲まれた由沙のデスクスペースには、いつのまにかいつもどおりの日常が展開されていた。ついさっき彼女が首を宣告されたことなど、まるでなかったかのような空気がそこには流れていた。

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