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第3話:芸能マネージャー 和泉由沙

「あっ、二郎さん! 大変なことになってます。これはまずい。スゴクまずいですよ、二郎さん」


 彼女はデスク上のノートパソコンに顔を近づけ、マウスでカチカチとスクロールしながらテキストに目を走らせていた。


 どうひいき目に見ても美人には見えない。どこにでもいそうで、たとえ電車の座席で隣に座られても意識することはない、ちょっとブサイク目な女。それが初見のときに二郎が抱いた印象だった。


「名前は二度呼ばんでも分かる。慌てるな由沙(ゆさ)。で、なにがマズいんだ?」


 はた目に見て、彼女の慌てようはただ事ではなかった。しかし二郎は、ああ、いつものことだと気にする様子を見せない。


「拡散してます。しまくってます」

「なにが」

「二郎さんが犯人じゃないのかっていう。喜多川みゆを殺した」

「ならなんで俺はここにいる? 警察からは昨日解放されたぞ」

「そんなの、視聴者が知るわけないじゃないですか! どうしよう、このままじゃ……」


 長い間、幽世(かくりよ)という浮世離れした世界にいた二郎でさえ、彼女がなにを()わんとしているのか理解できた。現世(うつしよ)に戻って一年。彼はWebを教師に、奪われた十年の時節を取り戻そうとしてきたからだ。


 Webに蔓延(はびこ)る雑多な思念は、ときに無力な(にえ)を求めて集い、ひとつの意思となる。贄はその意思に飲まれ、野獣の(むれ)に狩られた獲物のごとく(なぶ)り犯されるのが運命だ。そのさまは情けなど無縁。徹底的に、余すところなく(むさぼ)り尽くされる。


 そんな様子を彼はイヤというほど見てきた。匿名で顔が見えないという魔法。それは容易(たやす)く人を魔物に変えてしまう。しかしそんな魔物も、幽世の悪霊、悪鬼、魑魅魍魎(ちみもうりょう)と比べれば何のことはなかった。


「ほっとけほっとけ」

「二郎さん」


 しかし彼女には、彼がくぐってきた想像を絶する修羅場など、理解できようもないのだろう。諭すような真顔をズイと近づけてきた彼女に、彼は思わずたじろいだ。


「おう……」

「インターネット、舐めてません? 若い子たちの間じゃテレビより影響力あるんですよ。炎上ですよ、炎上」

「んなもん、見なきゃいい」

「はぁ、二郎さんはお気楽すぎます。炎上がひどくなって事務所に突電きたり、マスコミに追いかけられたり……って、なにのんきに本なんか見てるんですか! って、それわたしの本」


 デスクの飾りと化している一冊だけの文庫本。不自然に思い、それを無造作に手にとった二郎は、聞いたことがある名の知れたタイトルを見て、わずかな違和感を覚えた。猪突猛進を地で行く彼女と合わないのだ。


「由沙でもこんな本読むんだな。おまえ、ミステリー好きだったか? というか事務所にこんな本置いといて読む暇なんかないだろ」

「返してください。コレは特別なんです。わたしにとってはお守りみたいなもので――」


 とつとつと語られたその内容は、娘の前のめりすぎる性格を危惧した父親からの、教訓を含むプレゼントだった。これを読んで、すこしでも慎重な性格になればとの願いが込められているらしい。


 しかしそれは、彼女がこの本をお守りにしている理由ではなかった。


「――その本を渡された日に受けた面接に受かったんです。それまでは全部落ちてて。って、危ない危ない。話題をそらそうとしてもダメです」

「チッ」

「チッ、じゃありません。ほらっ、コレ見てくださいよコレッ」


 由沙が指さした先。そこに書かれていることを流し読みした二郎は、よく妄想だけでこれだけの虚言をでっちあげられるものだと、かえって感心したほどだった。


「もうこんなのまでできてる。場合によっちゃ法的措置まで検討しなきゃダメですね。コレは」


 それはいわゆる、(まと)めサイトと呼ばれる(たぐい)のものだった。


「そこまでするか? ほっときゃいいだろそんなもん」


 こんなものが残ってしまえば、なんらかの不利益をこうむる可能性も確かに残る。


 考えるということを放棄した人種がいる。もはやそれは人としての権利を放棄した、人ならざる者たちだ。そんな彼らによって、この虚構は語り継がれていくのだろう。


「芸能界舐めてませんか? 二郎さん。タレントはイメージが命なんですよ。せっかく人気が出てきたところなのに、このままじゃどこの局も使ってくれなくなります」


 しかしそんな不利益も、彼には響かない。


「別に俺はタレントになんぞなるつもりはなかったんだが。お前との約束はテレビに出演して芸能人相手にマジックを見せる。それだけだったはずだ。現に、この事務所とも契約しなかったしな。……それにだ、稼ぎのあてはもうついてる」


 食い入るように見つめていた画面から目を離し、二郎の両眼を直視した由沙。その顔には、小さな怒りと大きな興味の色がにじみ出ていた。


「なんなんですかそのアテって?」


 彼は危機感を覚えた。人知を超えた修羅場をくぐってきた彼にしてそう思うのだから、彼女の目力(めぢから)もそうとうなものだ。


「お前には関係ねぇ」

「薄情なこと言わないでくださいよー。ここまでくるのにどれだけ苦労したと……ダメダメ、これは言っちゃダメなこと――」


 目力をたたえた顔が、一瞬で情けない顔へと変わり、こんどは思案顔でブツブツと呟いている。そんな彼女の百面相に彼は毒気を抜かれ、ほっこりした気分にさせられてしまう。


「分かった分かった、そのへんにしておけ。お前には助けられたからな。手伝ってやるから安心しろ」

「手伝ってやるって、なんですか、そのエラそうな言い方は。そりゃぁアレはわたしが提案した企画ですよ。って、あれ? それならわたしに責任が……いやいや――」


 彼女を見ていると本当に飽きない。


 知り合った当初は、せっかちでうるさいブサイク女だとしか思わなかった。しかし関わりを深めていくうちに、その印象はすこしづつ変貌を遂げ、今では近くにいないと物足りなさを感じるまでに至っている。


 自分の容姿を気にしているのだろう。決してしつこくはないが、念入りに施されたナチュラルメイク。まったく嫌味を感じさせないそのメイク術にも感心したものだ。髪も丁寧に後ろでまとめられていて清潔感を演出している。


 それだけではない。もはや普段着のように着こなしているグレーのパンツスタイルスーツからも、身なりには気を使っているのがよくわかる。


 さらに、本人は気にしているようだが、スーツの上からでも分かる安産型の大きな美尻(びけつ)は、男の本能を程よく刺激し、スーツの上からでは全く判別できないほどに小さな胸のふくらみをうまく相殺している。


 たしかに彼女は美人でもないし、可愛いほうでもない。しかし一人の女としてみると、なぜか好印象を抱つつあることに、彼は気づきはじめていた。

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