第21話:障り
事務所に戻った二郎と由沙は、明け方近くまで腹を割って話し合い、それはもう有意義な、そして特濃な時を過ごした。そんなことがあった当日の朝、ほとんど寝ていないというのに、彼女は元気溌剌で電話に対応している。その顔に悲壮感は微塵も感じられず、納得がいく話し合いができたのだろう。
一方の二郎は当日の撮影で、眠気を我慢するあまりずっとしかめっ面だった。ひな壇に座る彼のあまりにも近寄りがたい雰囲気に、撮影スタッフや共演者たちを引かせてしまったほどだ。唯一人、企画主の新井プロデューサーだけはニコニコ顔で、面白い画が撮れたと喜んでいた。
それから一月ほどが経過し、寒さが緩んできたころになって、二郎はようやく陽が高い時間に事務所にいるという状況を迎えている。
その代わりといってはなんだが、二郎とよくセットで共演していた水瀬が忙しくなった。彼女はもともと露出が増えることを望んでいたようだったし、肩の荷が下りた気分だったが、その日の夜に事件は起こった。
「水瀬、憑かれてるぞ」
「疲れてなんかないわ。ちょっと肩が重いだけよ」
もちろん水瀬は勘違いしている。いや、ボケているだけかもしれない。二郎は構うことなく彼女の襟元をめくりあげた。
「あら、今日の二郎は大胆なのね。でもダメよ、由沙姉も波留兄も見てるわ」
妖艶な顔つきでしなを作り、頬を上気させながら、水瀬は色っぽい声色でそう言った。けれども二郎は相手にするそぶりさえ見せず、遅れて入ってきた由沙の様子を視た。
「由沙、お前もこっちに来い」
由沙は二人の状況に驚くというよりも、急に呼ばれたことに驚いているようだった。
「えっ!? えっ、えぇぇぇ」
二郎は近づいてきた由沙の襟元を、ためらうことなくめくりあげた。ブラの肩紐が露出するも、それには目もくれずに、とある痕跡に目をやった。
由沙の反応は芝居がかった水瀬とは対照的で、初心な少女が恥じらいに耐える構図そのものだった。首筋までもが真っ赤に上気し、あてもなく視線がさまよっている。けれども抵抗するそぶりは見せず、なすがままだ。
「勘違いしてんじゃねぇ。テメェら障られてんぞ」
その指摘に、二人は意味が分からないという顔を向けただけだった。二郎の所見では、水瀬が浮遊霊かなにかに取り憑かれているように一瞬思えた。しかし違和感を覚えて先の行動に至ったのだ。
「たしかに二郎に触られて脱がされかけたわ。由沙姉まで剥こうとするなんて、二郎溜まってる?」
水瀬、それは字が違うぞと反応しかけた二郎より早く、波留の声が聞こえてきた。
「いけませんね。二郎さん、もちろん祓えますよね」
眉一つ動かさず、冷静に聞いていた波留だけが言葉の意味を理解していたようだ。
「当然のことを聞くな。だが、この場では無理だな」
「えっ? ど、どういうことですか二郎さん」
ワンテンポ遅れて我に返ったらしい由沙の目を二郎は見た。その真剣な顔を見た彼女も、隣で興味深そうにしていた水瀬も、ごくりと喉を鳴らして彼の瞳を見つめている。
「お前ら二人はな、障りを貰ってきたんだよ」
「触りって?」
水瀬と同じ勘違いをしているらしい由沙は、自分が置かれた状態をいまだに理解していないようだった。水瀬は分かったような分かっていないような顔で、その表情からなにを考えているのか読めない。
それでも二郎は我関せずと話を進めた。
「祟りとか呪いのことだ。コイツはな、障った本体を祓わなきゃならねぇ。しかも相手は人じゃねぇからな」
「人じゃないって?」
「虫かなんかだ。蛇かもしれん」
ようやく理解したらしい由沙。その顔が、悍ましいものでも見たかのように歪んでいく。
「ねぇねぇ二郎、虫か蛇だとヤバい?」
一方、なんの変化も見せない水瀬は、まるで他人事のようだった。二郎の見立てでは彼女のほうが障りの症状が重く、すでにかなり体調がおかしいはずなのに。
そんなことを思いながらも、二郎は昔を思い浮かべるかのように二人から視線を外す。
「用心深くてな。すぐ逃げちまうんだ。そのくせ質がわりぃ」
「たちが悪いって?」
興味を持ったような、なにか面白いことでも見つけたような顔で水瀬が聞いてきた。そんな彼女を見て二郎は思った。コイツのことは気にするだけ損だと。だからいつもどおり彼は返した。
「残るんだよ。霊障がな。だから障りって言うんだ」
いまだによく理解していないような顔で水瀬が聞いてくる。
「霊障って?」
「痛みが残ったりな、体が動かし難くなったりだ。病気になることもある。ひでぇのは一生抜けねぇアザが残る。こんなふうにな」
二郎にしては珍しく、言葉を選んで分かりやすいように説明しながら、上着とシャツを脱ぎ、上半身を露わにした。かつて患った特大の障り。その痕跡を見せつける。
引き締まった上体にはいくつもの刃傷が走っているが、そんなものはタダの飾りだと主張するかのような大きなアザが、鳩尾から胸板の半ばまでにかけて黒ずんでいる。
「二郎カッコいい。でも、乙女にそれは困るわ」
水瀬はモジモジしながらセリフを吐いたが、その顔は少しも恥ずかしそうではなかった。しかしことの重大さだけは理解しているようだ。由沙は顔を両手で覆うように隠して赤面し、しかし指の間からしっかりとガン見している。
「困るだろうな。だが安心しろ、障りは俺が祓ってやる。けどな、スグに祓えるとは限らねぇ。だから覚悟しておけ、しばらくは動きが鈍くなったり、怠かったり、痛かったり、気が滅入ったりするからな」
こんな状況なのに、水瀬からは緊張感とか切羽詰まった様子がまるで感じられなかった。まるで他人事のように、自分の不都合を主張してくる。
「動けなくなるのはイヤよ。お芝居の質が落ちるわ」
「対処法はある。だが、反動が来るぞ」
二郎は脱いだ服を再び羽織りながらそう返した。由沙はホッとしたように顔から手を離し、水瀬は舌打ちでもしそうな残念顔で口を開く。
「具体的には?」
「筋肉痛みたいなもんだ。かなり痛いが一晩寝れば治る」
「それなら問題ないわ。痛いのには私、強いもの」
あっけらかんとそう答えた水瀬は、自慢するかのように腕を曲げて力こぶを作るポーズをとった。そんな彼女を気に留めるでもなく、二郎は指示をだす。
「よし、それなら今夜祓ってくる。お前たちは大人しく寝てろ」
「イヤよ。どんなヤツか見たいわ」
「わたしも見ておきたい。これからも二郎さんと仕事していくんだから、わたしも役に立てるようになりたいし」
その反応は二郎にとって予想外だった。いや、水瀬のことは気にしたら負けだと思っているが、由沙に関しては前例があったからだ。
「お前、幽霊とか怖がってただろうが」
「真由ちゃんは大丈夫だったよ」
たしかに真由のことは怖がってはいなかったが、あれだけ可愛い少女だ。怖いと思う人間は少ないのではないか? そう思った二郎だったが、由沙の決意じみた視線を見て考えを改める。
「分かった。なら、全員で行くぞ。しかしまずは準備だ。由沙、和紙と墨頼む。波留さんは車の運転を」
「私は?」
「準備ができるまで水瀬は休んどけ。お前のほうが障りがひでぇ」




