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第七話.黒鴉の舞うとき


 転がり込むようにして戻ってきたリースを迎えたネムサクナリアは、すでに覚悟を決めた顔をして背筋を伸ばし、しゃんと立っていた。


「ネムッ、鉄の、鉄の竜がっ……!」


「分かっているよ」


「僕っ、どうしたら……」


「落ち着きなさい、リース」


「っ……」


 鋭くも優しい声音と赤みを帯びた黄金の双眸に射抜かれて、リースは息を飲み、大きく吐いてから「すみません」と肩を落とす。

 そんなリースのことを見つめ、小さく苦笑混じりの溜め息を吐いたネムサクナリアは衣の裾がさやさやと地衣類を掠める音を立てながら彼の前へやって来た。


「お前に頼みたいことがある」


「っ、何ですか?」


「これを」


 そう言ってネムサクナリアが差し出したのは、夜空の星の一つの様な銀色の卵が鎮座する籠だった。

 ネムサクナリアが卵を自分に預けようとしている、それすなわち卵を置いていかなければならないほどの危険に立ち向かわなければならないと言うことで。

 鉄の獣を片手間の魔法で追い払っていたこの(フェイ)が危険だと言うことは、つまり相手は…………


「鉄の竜と、戦うんですか」


「うん。そうしなければ卵もお前も、そしてわたしもお仕舞いだからね」


「っ……」


 リースは籠を、その中の銀の卵を見つめて唇を噛んだ。


「……でも、卵はネムの魔力を吸って育っているんでしょう? 人間の僕が持っていて平気なんですか?」


「ちゃんとわたしの魔法で包んである。一月(ひとつき)保つようにしてあるけれど、そこまで時間はかからないだろう」


 戦いは長引かない、とネムサクナリアは空を見上げて言った。

 それに釣られて見上げるも、リースの目に変わったものは映らない。ただ代わり映えのしない青空と、けたたましい鳴き声を上げて飛んでいく鳥たちが見えるだけ。

 独り言の様な苦笑を漏らして、ネムサクナリアはリースの手に籠を押し付けた。ハッとしてその顔を見る。


 天泣の様な、穏やかな微笑みがそこにあった。


「……っ、ネム」


 息を飲み、そして堪らなくなったリースは籠を地面に下ろしてネムサクナリアに抱きついた。その抱擁を静かに受け入れたネムサクナリアは「泣かないで、わたしの愛しい子」と涙を溢し始めたリースの耳元へ囁く。


「ネム、ネム、っ……」


 行かないで、とは言えなかった。


 リースはただ愛しい(フェイ)の名を繰り返し呼び、縋るようにその胸にしがみついた。遠くで鉄の竜が咆哮している。その軋む様な音を聞きながら、リースは涙を溢す。


 優しく背を撫でる温かくも冷たい手。端麗に香る甘やかな夜のにおい。そしてネムサクナリアは再び口を開く。


「わたしを信じて待つと、そう、約束してくれるかい」


「っ!!」


 約束。


「お前がこの子と待っていてくれるなら、わたしは強くなれると思うんだ」


 苦笑したそのひとの胸から離れ、涙を乱暴に拭いたリースはその美しい顔を見上げて鼻をすすり、肩をすくめて笑った。


「随分と、人間っぽいことを言いますね」


「お前に影響されたのかもね」


「それは、何だか嬉しいです」


「まったく、愛いことを言うじゃないか」


 ネムサクナリアの手がリースの頬を撫でる。その手に自分の手を重ね、リースは祈る様に緩く握った。


「……勿論、あなたを信じて待ちますよ。僕は、あの冬の日に、あなただけを信じると決めたんです」


「……ありがとう、リース」


「卵も、ちゃんと預かって、守ります」


「うん、頼むよ」


 そっと頬を離れる手。リースは籠を拾い上げて、歩き出したネムサクナリアの背を見つめた。

 地を掠めていた漆黒の双翼がばさりと広がる。艶やかに陽光を受け、その隅々まで緻密に流れる魔力が妖しげな色香を振り撒いた。数回羽ばたいて、一度だけ振り返るネムサクナリア。リースはただ無言で頷いた。

 微笑んで頷きを返した黒鴉の(フェイ)は前を向き、大きく翼を動かした。勢いよく飛び上がるその身は躍動する夜色の生命そのもの。神秘の輝きだ。



 飛び去った()のひとの姿を探すようにしばらく青空を見上げていたリースだったが、すぐに聞こえてきた鉄の竜の叫び声と激しい爆発音、そして轟く様な地の揺れに、籠を抱え直して巣の奥へ引っ込んだ。

 柔らかな苔の敷き詰められたねぐらに腰を下ろし、籠を抱え、優しい魔法に包まれた何も知らない銀の卵を見下ろす。


「君も、ネムを信じているよね。だから僕と一緒に待っていよう」


(必ずあのひとは戻るから)


 信念の剣の様に真っ直ぐな約束を抱えてリースは罠を編み始めた。

 きっと隙をついて卵を狙う鉄の獣がここへやってくる。今森に仕掛けられているものだけでは足りない。

 約束をくれたあのひとの信頼に答えるために、リースはここを守るのだ。




 大地は揺れている。

 空ばかりが、何も知らずにひたすら青くそこに広がっていた。



――――――――



 ネムサクナリアは空を翔ていた。


 橙に近い赤を帯びた黄金色の双眸が睨む先には、空の青と森の緑に似合わぬ鈍色の塊が――鉄の竜がいる。

 鎧の様な甲殻を何重にも重ねた、生き物とは思えない存在。(フェイ)を喰らい、その卵をも喰らって生きる忌まわしき天敵だ。


 黒い双翼を力強く動かしたまま、ネムサクナリアは手を振るった。抱卵中で不安定な魔力をほとんど調整せずに、竜の翼を狙って爆炎を生む。

 全身の中では比較的弱い部分に突然攻撃を食らい、鉄の竜は叫び声を上げた。宙でぐらつく巨体、しかし数回羽ばたいて持ち直す。


「そう簡単には墜ちないか。まあ、お前たちの魔法への耐性は異常に高いからね」


 鉄の竜が吼えた。その口腔が蒼く目映く輝いて、蒼炎が吐き出される。それを見たネムサクナリアは笑みを浮かべ、再び手を振るった。

 放たれた不可視の魔力が蒼炎と激しくぶつかり双方の中間に突風を生む。艶やかな黒髪をその風に荒くなびかせて、ネムサクナリアは双翼に力を込めた。


 直後、突風と共にその場に留まって燃え盛っていた蒼炎を割って鉄の竜が突進してくる。

 羽ばたいて回避、竜の鼻先を右上へ撫でる様に移動し、その長い首へ回転と魔力を加えた蹴りを振り下ろす。鉄の甲殻と魔力に覆われた踵がぶつかり合った。蒼と黄金色の火花が散る。


 鉄の竜は叫んだが、その巨体に由来する力にものを言わせて身を捻ると、その大きな翼でネムサクナリアを打ち据えた。

 勢いよく下方へ飛ばされるネムサクナリアへ蒼炎の追撃。木々の枝を折りながら地面すれすれで翼を広げ、身を翻して上昇を開始したネムサクナリアは襲い来る蒼炎を躱し、森の中から飛び出した。


「今のは少し痛かったね……」


 お返しだ、と一気に上空へ(かけ)上がったネムサクナリアは鉄の竜の上で両腕を振り上げ、そして振り下ろした。

 魔力が渦を巻いて風に変わる。それはそのまま五本の烈風の槍に。鉄の竜の巨体へ突き刺さる勢いで突撃していく。

 翼を広げて抵抗した鉄の竜であったが五本もの槍の勢いに勝つことはできず、吼えながら森へ落下した。

 降下して追いかけた先で追撃。土塊を落としながらもたげられた大きな頭へ風の槍をもう一本。そのまま大地へ魔力を浸透させて大量の蔦で巨体を押さえ込もうと試みる。


 咆哮。鉄の甲殻がバキッと逆立って、全身に絡み付く蔦を千切り、鉄の竜は身を起こした。口腔に宿る蒼い光。金属がぶつかり合って軋む音を立てて、鉄の竜は飛び上がる。

 後方へ宙返りをして距離をとるネムサクナリア。竜の追撃は伸びてくる鉤爪の生え揃った前肢による一撃だ。ひらりと身を翻して逃げるも、体躯の大きさの違いから距離を簡単に詰められる。


「っ、まずい……!!」


 鋭い鎌の様な爪の先が左の翼の中程を掠めた。ぐらりと一瞬崩れる体勢。鉄の竜はそれを見逃さず、ネムサクナリアへ更なる攻撃を仕掛けてくる。


 大きな前肢が四本の指を広げ、ネムサクナリアの体を掴んだ。


 全身が軋むような力で、押し潰そうとするように握り込まれる。同時に、(フェイ)が忌む鉄の力がネムサクナリアの肌を焼く。


「ぐっ……」


 激痛に呻く。しかしそのままではいられない。ネムサクナリアは不安定な魔力を思い切り暴走させ、鉄の竜の前肢を切り刻んだ。

 怒りを滲ませた金属の軋る悲鳴。ネムサクナリアの双翼から抜け落ちた黒い羽根がひらりと舞う。白い肌に刻まれた赤い鉄焼けにネムサクナリアは顔を顰めた。


「まったく厄介なものだね……人間の生み出したものは」


 いずれ人間は、その数と力によって夜闇すら淘汰するだろう。森を、海を切り開き踏み荒らした鉄を生み出した時のように。


「……幸いにも、まだ夜は我々人ならざるものの領分だ」


 重たい翼を動かしてこちらの出方を伺う鉄の竜へ、ネムサクナリアはうっそりと獰猛に微笑んだ。


「我が母なる夜を招くとしようか」


 赤みがかった黄金色の双眸を爛々と輝かせ、黒鴉の(フェイ)はその膨大な魔力を勢いよく解放した。

 素知らぬ顔をしていた青空へと飛び込んだそれは、瞬きの間にそこへ冷淡な白い月を浮かべた。


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[良い点] 前回頂いたコメント返信の…… >特別意識していることでもないのですが、三人称で書きながらも「作者の視点は主人公に置いている」ということが効いているのかもしません。 世界観や秘密の全てを知…
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