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【書籍8巻2025年冬発売】週に一度クラスメイトを買う話  作者: 羽田宇佐
今日も宮城のことばかり考えている
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 気まずい。

 私と宮城の間にある空気は、それ以外の言葉では言い表せない。


 夏休み最後の日、今まで触れたことのない場所に触れて、聞いたことのない声を聞いた。と言っても、触ったのは胸くらいだし、声だってたいして聞いてはいない。


 それでも。

 それでも気まずかった。


 教科書を開いて宿題をしているだけなのに、私たちは相手の顔色をうかがうような時間を過ごしている。


「なんか喋りなよ」


 私は、黙り込んだまま口を開かない宮城に消しゴムを投げる。

 あれから初めて来た部屋の空気は微妙で、落ち着かない。


「仙台さんこそ喋りなよ」


 向かい側に座った宮城が素っ気なく言って、消しゴムを投げ返してくる。私はコロコロと転がる消しゴムを手に取って、消したくもない文字を消す。


 夏休みが終わったら夏も一緒に終わるなんてことはなく、九月に入ってもまだ暑い日が続いている。昨日も今日もアイスが美味しいし、クーラーが必要だ。


 この部屋の温度は今、適温に保たれている。


 暑さを理由に宮城の服を脱がせることも、私が脱ぐこともない。もちろん、宮城の体に触ってもいないし、触る機会もない。


 新学期が始まって数日が経ったのに、そんな当たり前のことを考えるくらい私はどうかしている。


 今日、宮城とはそういうことをしていない。

 そんな雰囲気になることもない。


 そりゃそうだ。


 私たちはセックスをするような関係ではないし、そうそうそんな雰囲気になるわけがないのだ。


 ――それがどうして。


 あのときそういうことをしたいと思ったことは否定しないし、自分の中にそういう欲求があったことにも驚きはない。性的な欲求なんて誰にでもあるものだろうし、きっと宮城の中にもあるだろう。だから、したいと思ったことはそれほどおかしなことじゃない。


 気にすべきは、そういう欲求が宮城に向いたことだ。


「なんで、こっち見てるの」


 宮城がいつもよりも冷たい声で言う。


 冷ややかな視線もついてきて、あまり良い気分にはならない。声も視線も作ったようなものだから、気にすることはないとわかっている。けれど、それなりの重さで心の上に乗ってきて気持ちが沈みそうになる。


「見たらいけない?」


 なるべく平坦な声で問いかける。


「いけない」

「じゃあ、見ない」


 視線を教科書に落とす。


 宿題やって。


 そんな命令でもあれば気が紛れたけれど、宮城は自分で宿題をしている。私も同じように宿題をしなくてはいけないが、並んだ問題に集中できないままだ。気がつけば、記憶の中の宮城を反芻しようとしている。


 こういう自分を許すことはできても、受け入れることは難しい。


 あそこまではっきりと宮城に対する欲求を自覚するなんて、想定外のことだ。

 私の手には、まだ宮城の胸の感触が残っている。


 ぎゅっと右手を握りしめる。

 手のひらに爪の痕がつくほど握ってから、手を開く。顔を上げて、消しゴムを宮城の方へ転がす。


「やっぱりさ、宮城のこと見てもいい?」

「もう見てるじゃん。っていうか、なんでそんなことわざわざ聞くの」

「宮城が見るなって言うから」

「そういうのいいから、仙台さん真面目に宿題やりなよ」

「宮城のこと、見ててもいいなら」


 消しゴムは返って来ない。

 宮城は、露骨に嫌な顔をしていた。


「駄目だってさっき言ったよね」

「駄目じゃなくて、いけないとは言われたけど」


 わざわざ訂正すると、宮城が眉間に皺を寄せた。そして、明らかにむっとした表情で立ち上がって、本棚から漫画を一冊持ってくる。


「宿題やる気ないなら、これでも読んでたら」


 テーブルの上に漫画が置かれる。


「昨日買ったヤツだから、仙台さんまだ読んでない」


 見られたくない理由はわからないが、見るなら顔ではなく漫画にしろということらしい。


 こういう反応をする宮城は可愛いと思う。

 でも、欲情するような要素はないはずだ。


 宮城はどこにでもいる普通の女の子で、特別変わったところはない。去年は同じクラスの目立たない地味な女の子で、今は隣のクラスの目立たない地味な女の子だ。


 いや、正確に言うと、目立たなくて地味だけれど普通より少し変わっている。普通は足を舐めろと命令したり、血が出るほど噛んだりしない。


 こう考えると、結構酷いな。


 そういう人間を相手に欲情した私は、理性を止めていたネジが二、三本落ちていたに違いない。


 もう、あんな気持ちになることはないはずだ。


 宮城に触りたいとは思うけれど、触ってもあんなことにはならない。そう信じている。ネジが落ちた理由は考えたくないし、知る必要がない。大体、触りたくてもやけに遠くに座っている。


「読まないの?」


 宮城が消しゴムを投げつけてくる。


「今度来たときに読む」

「今度っていつ?」

「それは宮城が決めることでしょ」


 そうだけど、と宮城が言って教科書を閉じる。でも、すぐにぺらぺらと教科書を捲りだして、ぼそりと言った。


「……仙台さん、今日来ないかと思った」


 話の流れを無視するような言葉が宙に浮く。

 突然あいた間を潰すように、教科書を捲る音だけが響いて消える。


「なんでそう思ったの?」

「あんなことしたから」

「宮城こそ、もう私のこと呼ばないんじゃないかと思った」


 今日、宮城が私を呼んだ。

 それは、意外なことに思えた。


 新学期が始まっても、宮城は連絡をしてこない。

 そんな風に考えていた。


「ルール破ってないから」


 捲られ続けていた教科書が閉じられる。


 よく考えれば、あれは未遂で終わった。

 最後までしていないから、セックスはしないというルールは破っていないということなんだろう。女同士の最後がどこを指すのかはわからないけれど。


「じゃあ、隣じゃなくてそっちに座ってる理由は?」


 今日初めて成立した会話を逃さないように、気になっていたことを尋ねる。


 宮城は最近ずっと私の隣に座っていて、向かい側に座ったりはしなかった。


「仙台さんが信用できないから」


 すっぱりと言われて、私は心の中で彼女の言葉を肯定する。


 私が信用できないことについては、否定できない。でも、宮城だって私を拒まなかった。そう言いたいけれど、口にしたら宮城がまた黙り込みそうでその言葉は飲み込んでおく。


「宿題やろうよ」


 珍しく宮城が真面目なことを言う。

 けれど、私はノートを埋めることよりも目の前の宮城のことばかり考えていた。

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