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【書籍8巻2025年冬発売】週に一度クラスメイトを買う話  作者: 羽田宇佐
宮城が言うからしているだけだ
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 何かが変わりかけた。

 宮城が私の耳に触れた日、そう感じたのは気のせいだったんだろう。


 中間テストが終わってから何度か宮城に呼び出されたが、私たちの間に大きな変化はない。体育祭も終わって、平穏無事な日々を過ごしている。


 キスをして気まずくなることもなかったし、耳を噛まれたくらいで呼び出されなくなることもなかった。


 つまらない。

 面白くない。

 退屈になるくらい変わらないから、居心地が悪い。


 大好きなお店が味を変えてしまったときのような微妙な気持ちのまま、この部屋で過ごしている。キスで何かが変わるとは思っていなかったが、心の奥底では変わってほしかったと思っていたのかもしれない。


 必ずしも変化することが良いことだとは言えないが、今の宮城は普通すぎる。五千円と引き換えに変わり映えのしない命令ばかりしてくる。


 気が抜ける。

 張り合いがない。


 宮城が私の耳を舐めた。

 そういうことを望んでいたわけではないが、宮城が何を思ってあんな行動をしたのかは気になった。けれど、耳を舐めるに至った経緯を聞いたりはしなかったから、彼女の行動原理は謎のままだ。


 あれから宮城は指を舐めろとか、足を舐めろというような命令はしてこない。刺激的なことが起こって欲しいわけではないけれど、宿題も漫画の朗読も飽きた。


 まあ、でも。

 ほんの少しなら、変わったこともある。


 テーブルがちょっと大きくなって、宮城が今までよりも近くにくるようになった。

 教科書が広げやすい。

 そのせいか、宮城は私の隣で宿題をしている。


 ただ、かわりに私に触らないようにしているように見える。ついでに言えば、それほど楽しそうにも見えない。

 梅雨に入ってぐずついている天気と同じく、宮城の機嫌もぐずついている。


「そこ間違ってる」


 私は、宮城のノートの一ヶ所をペンで指す。

 英語は得意じゃないらしく他にも間違っているところがあるが、とりあえず一つだけ指摘する。けれど、宮城は面白くなさそうに私を見た。


「聞いてもないのに間違ってるとか言わなくていい」

「じゃあ、このままでいいの?」

「……良くないけど」


 宮城がむうっと眉間に皺を寄せ、ノートに書かれた文字を消していく。使っている消しゴムは、私が返したものとは違っていて新しいものだ。


 ――わざわざ違う消しゴムを使うなんて意地が悪い。


 私は、自分のノートに視線を戻す。


「答えは?」


 さっきまで真面目に宿題をしていたはずの宮城から、ミスの手っ取り早い解決方法を要求される。


「自分で考えなよ」

「わかんないもん」

「やる気がないだけでしょ。ちゃんとやんなよ」

「じゃあ、命令。答え教えて」


 教科書とノートが私の陣地に押しやられてくる。


「教えてっていうか、やれってことでしょ。これ」

「やって」

「はいはい」


 確か、前回もこんな感じだった。宿題を途中で投げ出した宮城は、残りを私にやらせて漫画を読んでいた。


 私はノートを自分の方へ引き寄せ、宮城から消しゴムを奪う。


 問題自体はそう難しいものじゃない。

 真面目にやりさえすれば、宮城だって簡単に終わらせることができるだろう。けれど、命令の前にはそんな仮定は無意味で、私は間違っている箇所を消し、直していく。


「もうすぐ一年だっけ」


 いくつかのミスを修正し、新たな問題に取りかかりながら宮城に尋ねる。


「なにが?」

「私がここに来るようになって」

「そうだっけ?」


 宮城が興味がなさそうに言う。


「七月の初めだから、そろそろ一年経つ」


 クラスメイトとは言え、ほとんど喋ったことがなかった宮城の部屋へ通うようになったきっかけはしっかりと覚えている。


 財布を忘れた私の前に救世主のように宮城が現れて、お金を払ってくれたと言えば美談だ。だが、実際は本屋のレジで私に無理矢理五千円を押しつけ、おつりを返そうとしたらいらないから捨てろと言い放ったのだから、あまり良い話じゃない。


 あの日、宮城を面倒なヤツだと思った私は、今も宮城を面倒なヤツだと思っている。


「あのとき、なんでお金払ってくれたの?」

「クラスメイトが困ってるから助けようと思って」

「ほんとに?」

「嘘。財布に五千円札が入ってたから」

「財布に入ってたのが千円札だったら、払わなかったってこと?」

「かもね」

「どうせそれも嘘でしょ。ほんとはどうしてなの?」

「あのときはそういう気分だったから。それだけ」


 誤魔化したのか、本当にそうなのかはわからないが、宮城はそこで話を打ち切って立ち上がる。そして、本棚から漫画を二冊持ってくると、ベッドに寝転がった。


 私はさっさと宿題を終わらせ、宮城の脇腹をつつく。


「もうちょっと向こういって」

「なんで?」

「そこ、私の場所」

「ここは仙台さんの場所じゃなくて、私のベッド。狭いし来ないで」


 宮城が素っ気なく言って、ベッドの真ん中を陣取る。


 確かにベッドは宮城のベッドで、私のものじゃない。

 でも、この部屋に呼ばれたときにいつもベッドを使っているのは私だし、半分くらい領土を分けてもらう権利はあると思う。


「いいじゃん。少しよけてよ」

「良くない」

「宮城のけち」


 私は脇腹をつつくというよりは、脇腹を押して領土を広げようとする。だが、宮城は私を触らずに言った。


「仙台さん、鬱陶しいからやめて」


 宮城はときどき驚くほど積極的に触ってくるくせに、不安そうな顔をするときがある。そういうときは、触らなければ良かったと思っているように見える。


 私は何があっても傷つかない人間ではないし、繊細な部分だってある。宮城の無神経に見える部分は、ときどき私にそれなりの深度で刺さる。


 宮城に触れられることは嫌じゃない。

 でも、少し苦手なことになりつつある。


 触られるよりは触る方がいい。

 私はベッドに上がり、スペースを広げるために宮城の体を押す。だが、彼女は領土を明け渡すのではなく起き上がった。


「仙台さん。ネクタイ外して」


 唐突に言って、表情のない顔で私を見る。

 これはいい顔じゃない。

 宮城はこういうとき、ろくでもないことを考えている。


「なんで?」

「いいから外して」


 問いかけても答えが返ってこないのはいつものことで、命令だと言われなくてもこれが命令だということがわかる。私は無駄な抵抗はやめて、大人しくネクタイを外す。


「これでいい?」

「いいよ。あとは、それ貸して」

「ネクタイ?」

「そう、ネクタイ」


 声色は宿題をしていたときと変わらないが、嫌な予感しかしない。それでも、私は宮城にネクタイを手渡す。


「後ろ向いて」


 言われる通りに後ろを向くと、「手、こっちにちょうだい」と手首を掴まれる。


 これだけで、この先どうなるかわかる。


 宮城に聞こえないように息を吐いてから、手を後ろへ回す。すると、すぐに手首に布がまとわりつく感覚があった。しかも、強く。


「ちょっと痛いって」


 ぎゅうっと力一杯結んだとしか思えない勢いで手首を縛られて、文句を言う。

 加減なしに縛ったら跡がつく。制服は半袖になっていて、手首にそんな跡があったら目立ってしかたがない。


「宮城」


 強く名前を呼ぶと、さらにネクタイが手首に食い込んでくる。


「絶対に跡つけないでよ」


 それ以上は許さないという思いごと声に出すと、少しネクタイが緩む。そして、結び目がつくられる感触が伝わってきた。


「宮城のヘンタイ。こういうの、そこの漫画にあったよね」


 本棚には、乙女チックな少女漫画から熱血少年漫画まで並んでいる。中にはエロを全面に押し出した本もあって、その中に主人公が俺様彼氏にネクタイで縛られるというようなシチュエーションの漫画があったはずだ。


「仙台さん、ああいう漫画みたいにされたいんだ?」

「まさか」

「じゃあ、漫画みたいにはしないからそのまま一時間くらい座ってて」

「え、なに? 放置プレイ?」

「やっぱり何かして欲しいんじゃん」


 スイッチが入ったらしい声が後ろから聞こえてくる。


「仙台さんのヘンタイ」


 声とともに首筋に息が吹き掛かり、次の瞬間、ブラウスの上から肩を噛まれる。


「いたっ」


 宮城の中には、加減という言葉なんて存在しない。

 だから、私が声を上げても肩に歯が食い込んでいた。


「そんなことして欲しいなんて言ってない」


 いつもなら、宮城の額を押して痛みから逃れている。でも、今日は手首を縛られているからそうはいかない。振り向きたくてもバランスを崩しそうですぐには振り向けないし、声くらいしか出せなかった。


「宮城、痛い」


 強く名前を呼ぶと、ようやく痛みから解放される。


「跡つけないでっていってるじゃん。噛んでもいいけど、加減しなよ」

「そこなら、見えないからいいでしょ」

「そういう問題じゃない」

「じゃあ、ベッドから降りて座って」


 嫌だ。

 と言ってもいいけれど、言ったところで無理矢理ベッドから下ろされるであろうことはわかりきっている。それに、こういうときの宮城は平気で人を突き落としそうだ。


 蹴り落とされるよりは、自分で降りた方がいいか。


 黙って言われた通りに床へ座ると、宮城が靴下を脱ぐ。


「仙台さん。次、何を言うかわかってるよね?」


 見上げる私にそう言って、宮城が歯形が残っているであろう私の肩を蹴った。

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