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【書籍8巻2025年冬発売】週に一度クラスメイトを買う話  作者: 羽田宇佐
命令をするのは私で仙台さんじゃない
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「くすぐったいって言ってるじゃん」


 仙台さんは、触るなとは言わなかった。けれど、触って欲しくないという表情を隠さずに耳を触る私の手を力ずくで剥がす。


「私も動かないでって言ってるんだけど」


 お願いではなく、命令だ。

 それは、仙台さんもわかっていると思う。


「大体、耳触ったぐらいで大げさなんだって。もしかして、ここ弱いの?」


 もう一度、耳たぶを引っ張る。


「引っ張りすぎ。痛い」


 仙台さんが弱いという言葉は否定せずに眉根を寄せる。でも、表情を動かしただけで体は動かさない。


 耳の裏に指を這わせると、わずかに肩が揺れる。

 不満そうな顔は変わらない。けれど、さっきのように手を掴んでくるようなことはなかった。


「そういうふうに私の言うこと聞いてなよ」


 黙って私の言葉通りにしている仙台さんを見るとほっとする。

 私の部屋なのに、まるで他人の部屋にいるようなそわそわとした気持ちになることはない。


 この場所の主は私で、仙台さんじゃない。

 あるべき姿に戻った関係に、波立っていた心が落ち着く。


 私は、耳の輪郭を辿るように指を滑らせる。

 彼女は、石膏で固めたみたいに不機嫌な顔を保ち続けている。

 その表情を崩したくて耳の中へと指を滑り込ませると、仙台さんが私から逃げるみたいに体を引いた。


「ちょっと」


 低い声が聞こえてくるけれど、耳の中をくすぐるみたいに触り続ける。


 仙台さんが手を上げかけて、下ろす。

 動かないでという命令は守られ続け、私は彼女の耳を弄ぶ。


 学校では澄ましている仙台さんがむっとしながらも、黙って耐えている姿は面白い。

 きっと、仙台さんにとって面白くないことは私にとって面白いことで、私にとって面白くないことが仙台さんにとって面白いことなんだろう。


 考えるまでもなく、私と彼女は正反対で交わるところがない。日の光に照らされているように、いつも明るい場所にいる仙台さんが何を考えているかわからないなんて当たり前だ。


 私は、指を耳の付け根から首筋へと走らせる。

 仙台さんがびくりと体を震わせ、抑えた声を出す。


「面白がってるでしょ」


 耐えかねたように、彼女が私の腕を掴む。


「面白いもん。抵抗していいよ」


 仙台さんが露骨に反抗的な目をする。

 それくらいの方が良い。

 試すような態度を取られると、どうしていいかわからなくなる。


「いい加減にしなよ」

「やだ」


 一言で仙台さんの言葉を拒否して、彼女の手を振り払う。そして、耳を引っ張って体を寄せる。


「宮城、痛いって」


 そうだろうと思う。

 わざわざ痛くなるように引っ張ったのだから、彼女は正しい反応をしている。


 私はそれに満足して、もう少し距離を縮める。

 キスをしたときみたいに近い場所に仙台さんがいる。


 どくん。


 心臓が仙台さんに好意を持っていると誤認する。

 私は早くなりかけた心音に気がつかないふりをして、彼女の耳に唇を寄せた。


 甘い花の香りが鼻をくすぐる。

 それは、仙台さんがベッドを占領した日に枕からする匂いで、嫌いな匂いじゃない。


 シャンプー、なに使ってるんだろう。


 過去に何度か浮かんだ疑問に思考の一部を奪われながら、舌先で耳に触れる。


「くすぐったいってばっ」


 仙台さんが私の肩を押す。

 と言っても、動かないでという命令を忘れていないのか、それほど力が入っていない。許容範囲内の抵抗に軟骨の上に軽く歯を立てると、仙台さんが大げさなくらいに体を震わせた。


「命令はもう終わりでいいでしょ」


 怒っているわけではないようだけれど、いつもよりも低い声が聞こえてくる。


「だめ」

「だめじゃない。やめて」

「せんだ――」


 耳元で囁きかけて止める。

 そして、言い直す。


「葉月、うるさい」


 この部屋で、仙台さんに名前で呼ばれたことがある。

 これはその仕返しで、深い意味はない呼び方だ。


 私と仙台さんを繋ぐものは一つの契約で、それ以上の関係にもそれ以下の関係にもならない。初めて五千円を渡した日から、そう決まっている。彼女がここに来る期間も限定されていて、気まぐれで始まった契約はちょっとした気まぐれで終わるはずだ。


 長くても卒業まで。

 それ以上は続かない。

 それで納得している。

 それ以上は望んでいない。

 だから、名前を呼ぶなんて特別なことじゃない。


 私は、耳の下あたりに唇を押しつける。

 仙台さんの手が背中に一瞬触れて、すぐに離れる。


 舌先で滑らかな肌に触れると、静かに息を吐く音が聞こえた。私の首筋にその息が吹きかかってくすぐったくて、抗議をするように耳の裏に舌を這わせる。


「宮城、気持ち悪い」


 その声はいつもと変わらない。けれど、呼吸が少し乱れている気がする。私の心臓も、早足よりも速い速度で動いていた。


 これ以上はいけないと思う。

 でも、耳を塞いだはずの鼓動の速さに流される。


 仙台さんに体重を預けて、そのまま押し倒す。

 呆気ないほど簡単に仙台さんの背中が床につく。そのまま耳に噛みつこうとしたけれど、鎖骨の辺りを思いっきり押された。


「これ以上はルール違反」

「違反してないじゃん」


 顔を離して文句を言うと、仙台さんが私を押しのけて体を起こした。


「それに類似する行為でしょ。こういうの」

「もしかして、気持ち良かった?」


 からかうように言うと、仙台さんが耳を拭うように触ってから面倒くさそうに立ち上がった。


「馬鹿じゃないの。押し倒すなって言ってるの」


 遠慮のない足が私の太ももを蹴る。


「ねえ、宮城」


 ベッドに寝転がりながら、仙台さんが私を呼ぶ。


「なに?」

「これから名前で呼んでいいよ」

「もう呼ばない」


 ベッドに寄りかかりながら答えると、枕で頭を叩かれる。たいして痛くもないのに大げさに「痛い」と告げる。けれど、謝罪の言葉は聞こえてこない。かわりに、もう一度枕が頭を叩く。


「宮城って、つまんないよね」


 ぼそりと呟くその声は、本当につまらなそうだった。

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