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おかしい。
絶対におかしい。
私は、宮城の家の扉を叩く手を止める。
これ以上、叩いたところで宮城は出て来ないだろうし、近所迷惑だ。
でも、納得できない。
だって、おかしいのは宮城だ。
どうして私が部屋から追い出されなきゃいけないんだ。
私は何もしていない。
“何か”をしたのは宮城で、その“何か”に不満を持つことがあるのだとしたら、宮城ではなく私だ。そのはずなのに、不機嫌になったのは宮城だ。
前にもこんなことがあったな。
新学期が始まったばかりの頃を思い出しながら、玄関の扉に背を向ける。
六階から街を見下ろせば、人と車ばかりで景色が良いとは思えない。高そうなマンションは利便性に特化しているようで、見える風景にこだわっているわけではなさそうだった。
面白くない。
景色も宮城も、何もかも。
私は大きく息を吐いてから、エレベーターへ向かう。いつもなら帰りは宮城と一緒にエレベーターに乗るけれど、今日は一人で乗る。
エントランスを抜けて外へ出て、薄暗い街を歩く。
少なくとも、宮城は私のことを嫌いではないはずだ。
友だちでも恋人でもないけれど、好意を持っていると思っている。だから、あそこで私を追い出すのはおかしい。
「なんか、私が悪いみたいじゃん」
目を閉じろと命令をしたのは宮城だし、キスをしようとしたのも宮城だ。それを勝手にやめて、今日は帰れと背中を押した。中途半端に終わらせて話も聞かずに外へ放り出すなんて、人を従わせておいてすることじゃない。
……違う、嘘だ。
宮城が従わせたんじゃない。
私がああいう命令をするように仕向けた。
宮城とキスをしたら、自分がどうなるか。
知りたくなって命令させた。
でも、そう命令すると決めたのは宮城だ。
最終的に自分で命令することを選んだのだから、責任を持つべきだと思う。八つ当たりでもなんでも、あんなところでやめる方が悪い。
私は足を速める。
息切れしそうなくらいの速度で家に帰って、部屋に閉じこもる。お腹が空いているような気がするけれど、夕飯を食べる気にはなれない。制服を脱いで、部屋着に着替える。そして、鞄から財布を出した。
「返しても、受け取らないよね」
今日、私がしたことは五千円に見合わないと思う。
できれば返したいけれど、宮城は強情だから突き返されるに違いない。それどころか、もう連絡だって来ないかもしれない。
私は五千円を貯金箱に突っ込み、持ち上げる。
重さが変わっているのかよくわからないが、五千円は確実に増えているし、入れた五千円の分だけ気分も重い。
「宮城のバーカ」
貯金箱に文句をぶつけて、ベッドに転がる。
こういうとき、宮城は私から逃げる。
春休み前、私にサイダーをかけたときもそうだ。
彼女は私から逃げて、連絡をしてこなかった。
衝動的に行動して、困ったら私を避ける。
それで、物事が解決すると思っている。
「どうせ、今回も同じことするんでしょ」
結局、この予想は当たっていて、宮城から四日間連絡が来なかった。
私は放課後の教室で、スマホの画面を凝視する。
たった四日と言うこともできるけれど、私と宮城の間に起こったことを考えるとそれなりに長い期間だ。これまでだってそれくらい連絡がないことはあったが、今回は一週間待っても二週間待っても連絡が来るとは思えない。
今まで謝ったことのない宮城が謝った。
謝るに至った理由はわからないけれど、宮城が私を避ける理由としては十分だと思う。
スマホを鞄にしまって、羽美奈の席へ行く。麻理子と放課後の予定で盛り上がっている彼女に声をかけると、決定事項を告げられた。
「今、麻理子と話してたんだけど、これからいつものところでいいよね?」
「ごめん。今日、予備校あるから。悪いけど、また今度誘って」
「えー、たまにはサボったら?」
「親にバレたら面倒だもん」
「親なんて怒らせとけばいいじゃん」
羽美奈の無責任な言葉に麻理子が「そうそう」と軽い口調で同意する。
「今度、奢るからさ」
私はいくつかのメニューを提案しながら、羽美奈たちと下駄箱に向かう。二人と一緒に靴を履き替えて、校門で別れる。私は羽美奈たちの姿が消えてから、予備校へ向かう道とは別の道を選んだ。
今まで予備校をサボったことはないけれど、今日は行くつもりがない。
羽美奈たちには悪いが、放課後の予定は決まっている。
目的地は宮城が住むマンションで、通い慣れた道を早足で歩けばすぐに着く。
ここまで来ればやることは一つだ。
私は、エントランスのインターホンで宮城を呼び出す。けれど、反応はなかった。
「まあ、出ないよね」
一回、二回、三回。
インターホンの呼び出しボタンを押すが、宮城の声が聞こえてくることはなかった。
こうなるってことくらい予想していた。
私はスマホを出して、宮城にメッセージを送る。
放課後の呼び出しは彼女の方からで私からメッセージを送ったことはないが、中に入れろとメッセージを送るのはこれで二度目だ。
『宮城、インターホン出て』
『いるんでしょ』
『無視してないで、入れてよ』
いくつか送ったメッセージは既読がつくものの、返事は来ない。行儀が悪いと思いながら、インターホンを連打する。
春休みが終わってクラス替えがあった後、ここで同じことをしたときは中に入れてくれた。でも、今日はインターホンに出ることもメッセージを返してくることもなかった。
腹が立つ。ものすごく。
私は、初めて彼女に電話をする。
わかっていたことだが、電話は呼び出し音を鳴らし続けるだけで宮城の声は聞こえてこない。
『電話出て』
メッセージは既読すらつかなくなる。
「なんでこんなに言うこと聞かないの。子どもかよ」
中間テストが近い。
こんなところで、宮城にメッセージを送りまくっている場合じゃないと思う。でも、この問題が片付かなければテスト勉強が進まない。覚えなければいけないことは、何一つ頭に入っていなかった。
宮城のせいで散々だ。
たちの悪い目眩のように、気持ちがふらふらとして安定しない。
私はマンションを出て、家へ向かう。
別に、こんなことたいした問題じゃない。
そもそも、宮城との関係が切れてしまってもかまわないのだ。卒業までのはずだった関係が少しだけ早く終わるだけで、残念ではあるけれど仕方がないと思う。居心地の良い場所がなくなるが、次の場所を探すこともできる。
でも、こんな中途半端な状態で終わりにするなんて許さない。
どこをどうやって帰ってきたのかわからないが、家に着く。
きっと、いつもの道を歩いてきた。
宮城が私を無視する以外は、何もかわらない日常だ。
部屋に入り、机の上を見る。
きっかけは一つあればいい。
私は、置きっぱなしにしていた宮城の消しゴムをペンケースにしまった。