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【書籍8巻2025年冬発売】週に一度クラスメイトを買う話  作者: 羽田宇佐
仙台さんが気づいていたってかまわない
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 冷蔵庫を開けても何もないことは知っていた。

 私はキッチンでため息をつく。


 仙台さんが材料を買って来なければ、唐揚げを作ることもできない。

 まあ、材料があったとしても私には作れないけれど。


「なに食べようかな」


 選べるほど夕飯になるものがあるように呟いてみたものの、この家にあって簡単に食べられるものと言えば一つしかない。


 私は冷蔵庫を閉めて、キッチンの棚の中からカップラーメンを二つ取り出す。包装フィルムを剥がして蓋を開ける。もう一つ開けようとして、それが必要のないことに気がつく。


「ああ、もうっ」


 思いつきで始めた消しゴム探しの後、何となく気まずくなって仙台さんを家へ帰した。彼女が来た日は一緒に夕飯を食べることが習慣のようになっていたから、二人分用意してしまうのは癖のようなもので体が勝手に動いてしまう。


 私は余計な一つを棚に戻してから、カウンターテーブルの上にカップラーメンを置いてポットのお湯を注ぐ。そして、スマホのタイマーをセットして三分待つ。


 無駄に広いキッチンとリビングは、何かがどこかに潜んでいそうで一人でいると落ち着かない。

 自分の部屋以外は、他人の家にいるみたいだ。

 私は振り返って、誰も見ないテレビと誰も使わないテーブルを見る。


 ここでお父さんと一緒にご飯食べたのっていつだっけ。


 考えてみるけれど思い出せない。

 なかなか探すことができない記憶にため息をつくと、スマホが甲高い音を鳴らしてびくりと体が震えた。


「びっくりした」


 心臓に悪い。

 仙台さんがすることと同じくらい心臓に悪い。


 今日、彼女に志緒理と呼ばれて心臓が止まりそうになった。

 私のことを志緒理と呼ぶのは舞香と亜美だけで、仙台さんには今まで一度だってそう呼ばれたことがない。


 だから、予想もしていなかった呼び方に呼吸が乱れた。

 すぐに振り向けなくても仕方がないと思う。


 私はカップラーメンの蓋を剥がして、麺を口へ運ぶ。


「あんまり美味しくないな」


 カップラーメンなんてそれほど美味しいものじゃないけれど、誰かと一緒に食べた方が美味しい。

 たとえ、仙台さんでもいた方がいい。

 でも、仙台さんがいつもとは違うことをするから一人で食べることになった。


「なんなの、今日」


 仙台さんはもともと馴れ馴れしかったけれど、前以上に馴れ馴れしくなった。距離感がおかしいし、命令もしていないのに指を舐めたり、急に志緒理って呼んだりする。


 まるでもっと近づいて良いっていうみたいに私に触れてくるから、私も彼女に触ってみたくなった。

 その結果が消しゴム探しだ。


 どうかしている。

 仙台さんはおかしい。

 彼女がまともなら、一人で夕飯を食べるようなことにはならなかった。


 なにがあって、こうなったんだ。

 心当たりなんか――。


 私は麦茶を取ってきて、テーブルの上にグラスを置く。

 自分の首を指先でなぞると、麦茶で冷えた手がやけに冷たく感じた。


 たぶん、仙台さんは私がしたことに気がついている。


 仙台さんが教科書の表紙に折り目を付けた日、私は彼女の首筋に触れた。

 意地悪なことをしてくるようになったのは、あれからだ。


 それなりに従順だったのに最近は反抗的で、いらないことばかりしてくる。私は名前を呼ばれたくないし、命令をしてもいないことをされたいわけでもない。


 ここにはルールがある。

 それを守れば仙台さんはどんな命令も聞いてくれる。


 私はルールの範囲内でどんな命令をしたっていい。彼女に触りたければ触れば良いし、反抗的な態度を改めさせることだってできる。その気になれば忘れてと命じることだってできるのだから、仙台さんが私のしたことに気づいていたってかまわない。


 それなのに、今日はイケナイことをしたみたいに気まずくなった。


 私は伸びかけたラーメンを食べて、麦茶を飲む。

 やっぱり美味しくないと思う。

 味わって食べるほどのものじゃないから、残りの麺を胃の中に押し込んで立ち上がる。


 出たゴミを片付けて、電気を消す。

 真っ暗になったリビングは、自分の輪郭さえはっきりしない。


 仙台さんの舌が触れた指を消えた照明にかざす。

 何も見えなくて、指先を確かめるように唇で触れる。

 当たり前だけれど何の味もしなくて、私は自分の部屋へ戻った。


「あ、消しゴム」


 開きっぱなしの鞄を見て思い出す。

 仙台さんから消しゴムを返してもらっていない。


「ちゃんと返してよ」


 宿題できないじゃん。


 やる気があるわけではないけれど、やろうと思っていた。それが仙台さんのせいでできない。こんなことなら、宿題をやってもらえば良かったと思う。


 でも、仙台さんは家に帰ってしまったし、文句を言っても消しゴムが返ってくるわけじゃない。宿題が魔法のように終わるわけもなかった。


 舞香に見せてもらえばいいか。


 宿題は明日の舞香に託して、早々に放棄する。


 早めに眠って翌朝、結局、私はコンビニで消しゴムを買ってから学校へ行った。

 仙台さんは隣のクラスだけれど、消しゴムを返しに来たりしない。すれ違っても、消しゴムのことを口にすらしなかった。


 学校では話しかけない約束だから、そういうものだ。少しも不満になんて思っていない。


 消しゴムの行方は、次に呼んだときに聞けばいい。新しい消しゴムがあるから困らないし、消しゴムなんて安いものだからなくしたというならそれでもいいと思う。


 ただ、それから仙台さんを呼びたくなるほど嫌なことは起こらなかった。少しくらいの嫌なことなら我慢しようと思っていたし、なんだか彼女を呼び出しにくくもあった。でも、最後に呼んだ日から一週間が経つと、彼女を呼ばないわけにはいかなくなった。


 だって、急に仙台さんを呼ばなくなるのはおかしい。


 私は、初めて用もないのに仙台さんにメッセージを送る。


『うちに来て』


 返事はすぐに来て、予備校があるという彼女は翌日になって私の部屋にやってきた。

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