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 バイトの話は何回目だろう。


 私はカモノハシの手をさらに強く握る。

 過去に何度かしてきたバイトの話は、私にとっていい結果にならなかった。


 宮城はどう思う?


 なんて、私に問いかけてはいるけれど、仙台さんの答えは決まっている。それに、この話は初めて聞くものじゃない。

 彼女が「冬休み中だけできる短期のバイトしようかなって思ってる」と言っていたことを覚えている。

 私はぎゅっと握っていたカモノハシの手を離す。


「前に聞いた。冬休みにバイトするって」

「してもいい?」


 バイトをする許可を得ようとしてくる仙台さんは嫌いじゃないけれど、最初から答えが決まっているのだから、聞かなくてもいいのにと思う。


「好きにすれば」


 変えられないとわかっている答えを変える努力なんて無駄でしかない。意味のない努力を続けることで得られるものは、仙台さんへの不満くらいのものだ。


「本当にそう思ってる?」


 仙台さんが静かに言って、カモノハシの頭を撫でる。


「ほんとかどうかなんて関係ないじゃん」

「あるよ」

「あってもなくても、好きにしたらいい」


 カモノハシを撫でる仙台さんの手を掴んで、床へ置く。彼女のかわりに、私がカモノハシの頭を撫でる。


「それはバイトをしてもいいってこと?」


 仙台さんが用心深く、探るような声を出す。


「いいとは言ってない。でも、就職が上手くいかなくても家に帰るつもりがないから、お金を貯めておきたいんでしょ」

「その話、覚えててくれたんだ」


 仙台さんがどことなく嬉しそうに言うけれど、私はまったく嬉しくない。


「覚えてる。だから、勝手にすればいいと思う」

「いいって言ってよ」


 言いたくないことを強要する声が聞こえて、ティッシュを一枚引き抜く。床へ置いたはずの仙台さんの手が私の手に触れて、そのままぎゅっと握ろうとしてくるから、私はその手から逃げる。そして、ティッシュをくるくると丸めて仙台さんに投げつけた。


「仙台さん、なんなの?」

「なんなのって?」


 体にぽこんと当たって床へ落ちたティッシュの塊を仙台さんが拾って、ゴミ箱に放り投げる。でも、白い塊はゴミ箱に届かずにぽすんと床へ落ちた。


「仙台さん、私がやだって言ってもいうこときいてくれないじゃん。聞いても答えを変えるつもりがないんだから、好きにすればいい」


 私の意見なんて、仙台さんにとってそれほど重要じゃない。

 それに、意見を変えるべきなのは私だ。


 ルームメイトがバイトをすることにこだわる私はおかしい。


 バイトなんて誰だってする。

 朝倉さんもしているし、舞香だってするかもしれない。

 だから、仙台さんもバイトをしたければすればいいし、今だってしている。増やそうが減らそうが、それは彼女の勝手だ。私が口を出すようなことじゃない。


 ちゃんとわかっている。

 理解しているのに、気持ちがついていかないだけだ。


 私の目の前でバイトをすると言っているのが舞香だったら、そうなんだ、の一言で流せる。いいじゃん、やりなよとにこやかに言える。でも、相手が仙台さんだと同じことができない。頭ではわかっていても、口は違うことを喋りだすし、止められない。


「結果が決まっていても、私は宮城にいいって言ってほしい。私は宮城のものなんだから、ちゃんと許可してよ」


 ゴミ箱に入らなかったゴミを拾いに行くことなく、仙台さんが私を見る。


 目には強い意志が宿っていて、どう見ても私の意見を受け入れてくれそうにない。喉の奥にある本当に言いたいことは、仙台さんの真っ直ぐな目に押されるように、底なし沼と化した心の奥にずぷずぷと沈んでいく。言いたいことのいくつかは泥にまみれて、ドロドロとしたなにかに変わる。


「……バイト、いつから?」

「クリスマス終わってから」

「いつまで?」

「冬休み終わるまでする予定」

「もう決まってるなら、勝手にすればいいじゃん」


 仙台さんは私のものなのだから、私のいないところで、勝手ななにかをしてはいけない。


 私はそう思うことがただの我が儘でしかないと知っているし、私の言葉のほとんどを受け入れてくれる仙台さんに甘えているだけだと知っている。

 それでも、仙台さんが望んでいる「いい」という言葉を返すことができない。


「宮城」


 強く呼ばれて、仙台さんの耳についている青い石を見る。


 私の代わりがそこにいるから、大丈夫。


 どうしてそう思えないのだろう。

 私の代わりになるようにピアスを渡したのに、大丈夫だとは思えない。私のものなのに、私の意見を無理矢理変えさせようとする仙台さんに苛つくだけだ。


「……誰もいない家、好きじゃないって言った」


 ぼそりと言って、私はカモノハシに視線を落とす。ふかふかした小さな手をぎゅっと握って、カモノハシだけを見る。


「帰ってこないわけじゃないし、一日中ずっとバイトしてるわけじゃないから。バイト行くまで側にいるし、帰ってきてからも側にいる。一緒に寝てもいい」

「一緒に寝てなんて言ったことないし、そういうことはしなくていい」


 仙台さんに望むものはそういうものじゃない。

 バイトに行くまででも帰ってきてからでもなく、バイトに行かずにここにいてほしいし、一緒に寝なくていいから、私の目の届くところにいてほしい。


「一緒に寝るっていうのは冗談だけどさ。そういうことはしなくていいなら、どうすればいいか教えて」


 柔らかな声が聞こえてきて、仙台さんを見る。

 言いたいことは言うべきことじゃないから、ごくりと飲み込む。


「バイト、そのピアスつけていって」


 私が産まれた月を意味する石は、仙台さんを縛るには足りない。でも、他に彼女につけることができる誰からも見えていい印なんて見つからないから、青い石で我慢するしかない。


「ずっとつけとくって言ったでしょ」

「……印もつけるから」


 こういうとき、仙台さんはなんでも言うことを聞いてくれる。


 この前はバイトをしてもいいという代わりに「自分でしたか教えて」という質問をして、答えをもらった。だから、今日も気が進まない言葉を口にする代わりになにかがほしいと思う。


 仙台さんが私と同じように気が進まなくて、それでもいいと言わなければいけないなにかがほしい。


「いいよ」

「私がつけたいところにつけたいだけつけるから、絶対に文句言わないで」

「宮城がつけたいところにつけたいだけつければいいし、他にリクエストがあるならそれもきく」

「バイト以外、冬休みどこにも行かないで」

「いいよ」


 あまりにも簡単にいいという言葉が返ってきて、拍子抜けする。


「仙台さん。どんなこと言っても、いいよって言うつもり?」

「できることならね」

「……今、ここで服も下着も身に付けてるもの全部脱いでって言っても?」


 なにかしたいことがあるわけじゃない。

 ただ彼女を困らせたいだけだ。


「それが宮城のしてほしいことなの?」

「そうだって言ったら?」

「……いいよ。その代わり宮城が脱がせてよ」


 仙台さんがなんでもないことのように言う。


 手を伸ばして彼女の頬に触れる。

 指を滑らせ、首筋を撫でて、首元から服の中に手を入れて肩を触る。


 仙台さんは動かないし、表情も変えない。

 ただ真っ直ぐに私を見ている。

 おそらく、彼女の言葉に嘘はない。

 このまま服も下着も脱がせることができる。


 でも、すべて脱がせた先がわからない。

 私は私がよくわからない。仙台さんと一緒にいると、わからないことばかりで頭の中がぐちゃぐちゃになる。


「宮城、脱がさないの?」


 仙台さんの声に、クリスマスまで待つと言われた約束が頭に浮かぶ。


 このまま彼女を脱がせたら、その約束はどうなるのだろう。


 気持ちが定まらないままに仙台さんに触れた手を離す。


「……バイトしてもいい」


 なにがしたいのかわからない私は、結局、言いたくない言葉を口にすることになる。

 面白くない。

 苛立つ気持ちをぶつけるように仙台さんを睨む。


「ありがと」

「あと毎回、バイトのこと聞かなくていいから。無理矢理いいよって言わされるの、むかつく。バイト増やしたかったら勝手に増やして」

「毎回聞くから、毎回いいって言いなよ」

「聞かなくていいし、言わない」


 バイトの話は聞きたくない。

 返事もしたくない。

 勝手に増やされるのも腹が立つけれど、毎回こうやって「いい」という答えを喉の奥から引っ張り出されるのは吐き気がする。


 私はカモノハシを胸に抱えて、頭を撫でる。


 仙台さんがいなくても、私の部屋にはワニのティッシュカバーがいるし、黒猫のぬいぐるみがいる。誰もいない家は好きではないけれど、私は一人で留守番ができないような子どもじゃない。


 カモノハシからティッシュを一枚引き抜く。

 さっきしたように白い塊を作っていると、仙台さんが静かに「宮城」と私を呼んだ。


「なに?」

「冬休み中に暖かい日があったらさ、約束してた動物園行こうよ」

「なんで急に話変えるの」

「いいじゃん。もうバイトの話は解決したんだし、動物園の話したって」

「動物園行くって、そんなの無理じゃん。冬休みはバイトするんでしょ」


 隣に向かって白い塊を投げつける。


「ない日もあるから。あと、バイトが終わったら一緒にご飯食べて、私の部屋か宮城の部屋で映画観たりしたい。映画が嫌ならゲームでもいい」


 丸めたティッシュを拾って、仙台さんが私の機嫌を取るように優しい声で言う。でも、返事をしたくなくて黙っていると、カモノハシを取り上げられる。


「宮城」


 小さく私を呼ぶと、断りもなく人の耳に唇をつけてくる。


「仙台さん、近すぎ」


 カモノハシを奪い返して、彼女の腕を押す。


「もっと近づきたい」


 遠ざけたいのに、仙台さんが当然のように私の耳元で囁いて手を握ってくる。また耳に唇がくっついて、生温かくて湿ったものが耳たぶに触れた。どう考えてもそれは舌先で、耳を這って、首筋に唇が押しつけられる。


 クリスマスまで待つ。


 意識したくなかった言葉が私の心臓を動かして、どくんと鳴らす。


「約束の日、まだだよね?」


 仙台さんの肩を押して、尋ねる。


「それ、いいって返事もらってないんだけど」

「返事強要するの、むかつく」


 バイトのことは諦めているけれど、ほかのことは私が返事をしたいときに返事をする。仙台さんに返事をするタイミングを決められたくない。


「大丈夫。今はキスしかしないから」


 なにが大丈夫なのかわからないまま、私の唇に彼女の唇が一回軽く触れてすぐに離れる。

 キスしかしないからという言葉に嘘はなくてほっとする。でも、どこか物足りなくて、私はカモノハシの手をぎゅっと握った。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 仙台さんの宮城を赦すハードルが低すぎてやばいですね 何ならもうハードルなんてないのでは?笑 宮城の言うことに全部いいよって返す仙台さん好きです笑 自分も宮城にバイトについて強要してると 自…
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