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黒猫と三毛猫の箸置きに箸を置く。
半熟の目玉焼きとウインナー、ついでに切ったトマトものせたお皿をテーブルに運ぶと、宮城の声が聞こえてくる。
「仙台さん、おは――」
言葉はそこで途切れ、「髪」と付け加えられる。
「宮城、おはよ。髪がどうかした?」
「仙台さん、なにその髪」
「なにって、ポニーテールにしただけだけど」
部屋から出てくるなり、瞬きもしないで私を見ている宮城ににこりと笑いかける。当然、彼女は私に笑い返したりはしない。ただひたすら私を、正確には昨日つけたばかりのピアスを見ている。
「なんで?」
宮城がやけに真剣な声で言って、私の前までやってくる。
「なんでって、そういう気分だから。似合う?」
せっかく誰に見せてもいい印をもらったのだから、誰にでも見せたい。見せたからといってなにかが変わるわけではないけれど、隠さなくてもいいものが私にあることが嬉しいし、今日くらいはポニーテールにしてもいいと思う。
「……なんか、見慣れないから違和感ある」
宮城がぼそりと言って、「ご飯、用意する」と続ける。
私は食器棚から茶碗を出す宮城を見ながら、昨日つけられたピアスにそっと触れた。
誠実、真実、慈愛、エトセトラ。
宮城が選んだピアスについている石が持つ意味を探せば、そう悪くない言葉が並んでいる。でも、宮城がピアスにそういった想いを託したとは思えない。
指先で青い石を撫でる。
九月の誕生石。
サファイア。
宮城のピアスを選ぶときに調べたから、忘れたりしない。しっかりと覚えている。この青い石は、宮城の誕生石だ。
――まさか自分の耳につくことになるとは思っていなかったけれど。
ただ、このピアスについている石が本当にサファイアなのかは、買ってきた宮城にしかわからない。ネットで調べて、比べて、間違ってはいないと思ってはいるけれど、本人にそうだと言ってほしい。
「仙台さん、用意できた」
テーブルに茶碗を置いた宮城が椅子に座り、私も彼女の向かい側に座って「じゃあ、食べよっか」と声をかける。
「いただきます」
合わせたわけではないが、声が揃う。
私は三毛猫の箸置きから箸を取り、トマトを食べる。
ウインナーを囓ってご飯を口に運び、胃に落とす。そして、静かに「宮城」と向かい側に声をかけた。
「このピアスの石ってサファイア? 高くなかった?」
なんでもないことのように聞いてみると、素っ気ない声が返ってくる。
「別に」
宮城は否定も肯定もしない。
でも、私の耳についているものがサファイアではないのなら、絶対に「サファイアじゃない」と不機嫌そうに言うはずだ。
「そっか。ありがと。大事にする」
「それ、仙台さんが思ってるような意味ないから」
「誠実とか真実とかそういうの?」
「そう」
私の言葉が肯定されて、彼女が言っているものが石言葉で間違いないとわかる。
「心配しなくても、そういう意味だとは思ってない」
ピアスになんらかの想いを込めているのなら、宮城は絶対にその想いを自分から口にしないはずだ。わざわざ自分から石言葉について言ってくるところを見ると、ピアスには本当にそういう意味がないのだと思う。でも、私の耳についている青い石に意味がまったくないとは思えない。
宮城が生まれた月の誕生石。
きっと、青く光る石は彼女の代わりだ。
ピアスに私の誕生石ではなく、宮城の誕生石が選ばれた理由は、それ以外に考えられない。
「宮城の誕生日、九月だしさ、同じものあげようか?」
私の言葉に、目玉焼きの白身を切り分けていた宮城が手を止めた。
「いらない」
はっきりとした声が返ってくる。
「宮城の誕生石なのに?」
「私がつけても意味ない。それ、私のものって印だから。気に入らないなら返して」
宮城の言葉は私の推測が正しいとしか思えないもので、温度のないピアスに宮城の体温を強く感じる。
「ずっとつけとく」
宮城は優しい言葉を私にかけたりしないし、柔らかい表情を見せることもない。そんな宮城が、私の耳につけるものとして自分の誕生石を選んでくれたことが嬉しい。
「そうだ、聞いてなかった。ピアス、似合ってる?」
望むような答えが返ってこないと知ってはいるが、一応聞いてみる。
「……仙台さんは似合ってると思うの?」
「思うよ」
「だったら、それでいいじゃん」
そう言うと、宮城がぱくりとウインナーを食べた。
似合っていると言われなかったけれど、似合っていないとも言われなかった。それは悪くはないということで、私もウインナーを一口囓る。
私たちは黙々と食事を続け、お皿と茶碗を空にする。
「仙台さん、片付けは私がやっとく」
宮城が立ち上がって、食器を下げる。
「ありがと。任せるね」
私は部屋へ戻り、ピアスを鏡に映す。
宮城の誕生石が、宮城の誕生日に開けたピアスホールを飾っている。
胸の奥が熱くなって、ふうと息を吐く。
青い石を撫で、大学へ行くための準備をして共用スペースへ行く。
「先に行くね。今日、バイトあるから遅くなる」
隣のドアに声をかけてから、家を出る。
駅まで歩いて、電車に乗って。
いつものコースを辿って大学へ向かう。
人の群に紛れて門を通り、校舎に入る。
目的の講義室へ入って、真ん中より少し後ろ。
澪の姿を見つけて彼女の隣に座る。
「おはよ」
声をかけると、「おはよ」とこだまのように返ってくる。でも、反射的な言葉のあとに「あっ」という言葉がくっついてくる。
「葉月珍しいじゃん、尻尾」
澪が驚いたように私の結んだ髪を指差す。そして、「わかった」と続けた。
「ピアス、変えたでしょ。もしかして誰かにもらった?」
「ルームメイトにもらった」
「嘘ばっかり。ほんとは彼氏でしょ?」
澪がにやりと笑う。
「いないから、彼氏」
「そんなこと言いながら、わざわざポニーテールでピアス見せてくるんだし、彼氏しかないでしょ」
「違うって」
「じゃあ、マジでルームメイトからもらったの? っていうか、ルームメイトって存在するの?」
彼氏がいるか疑った次は、宮城の存在自体が疑われる。
澪の「葉月の家に遊びに行きたい」という言葉をのらりくらりと交わし続けてきたから、こういう反応をされても仕方がないとは思う。澪が家に遊びに来るなんて言ったら宮城が嫌がるだろうから、断るしかなかった。でも、今は存在を証明することくらいならできる。
「写真あるけど」
スマホを出して、澪を見る。
「写真あるんだ?」
「あるよ」
「だったら、もっと早く見せてよ」
「いろいろあってさ」
私は言い訳にならない言い訳をして、昨日撮った宮城とのツーショットを見せた。
「この子がルームメイト」
「葉月、この子になにしたの?」
澪が予想もしなかったことを言う。
「なにって?」
「機嫌悪そうじゃん」
まあ、確かに。
写真の中の宮城は、機嫌が良いとは言えない顔をしている。
でも、私からしたらこれは見慣れたいつもの宮城だ。彼女の表情と機嫌は連動していないから、写真で見るほど機嫌は悪くない。
「なにもしてないって。たまたまそんな顔してるだけ」
宮城の表情と機嫌を説明するのは難しい。
言ったところで信じてもらえるとは思えず、私は澪に宮城の機嫌が悪くないと伝えることを放棄する。
「たまたま、か。それにしても、ほんとにルームメイト?」
「なんで疑うの。この子、同じ高校の子だから」
「いやだって、グループ違う感じじゃん」
「確かにグループ違ったけど」
「違うのに仲良かったんだ?」
興味津々といった声が聞こえてきて、面倒なことになりそうな予感がする。
人の好奇心というのは扱いにくくて、厄介なものだ。
変に刺激をすると、そよ風があっという間に嵐になる。
なにを言えば上手く話をそらせるか。
そんなことを考えながら「まあね」と答えると、隣からキラキラした声が聞こえてくる。
「面白そうだし、今度会わせてよ」
「え?」
「葉月と接点まったくなさそうなんだもん。どんな子か気になる。あ、その子と一緒にうちでバイトしない?」
「バイトって、澪の親戚がやってるカフェ?」
話が飛躍しすぎる。
旅行の目的地が近場から地球の裏側になるような勢いで、ついて行けない。
「そうそう。冬休み、帰省する子が多くてさ。バイト探してるんだけど、どう?」
「ルームメイトはバイト無理」
冬休みはバイトをしない。
宮城はそう言っていたし、おそらく冬休み以外も私と一緒にバイトはしない。
「じゃあ、葉月は?」
バイトはしたいと思うが、バイトをするには超えなければいけないハードルがある。
「返事、二、三日待ってもらってもいい?」
「おっけ」
澪が鳥の羽よりも軽い声で言った。