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【書籍8巻2025年冬発売】週に一度クラスメイトを買う話  作者: 羽田宇佐
宮城が美味しくないことは知っている
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 彼氏が欲しい。

 格好良くて、浮気しない彼氏がいい。

 彼氏が、彼氏が、彼氏が。


 放課後のカラオケボックス、羽美奈が決められた単語しか話せないロボットになったみたいに“彼氏”を連発していた。


 いつものメンバーの一人に彼氏ができたことがわかった結果がこれで、一月の終わりに恋人に振られた羽美奈は彼氏が欲しいマシンになっている。こういうときの羽美奈は面倒だ。せっかくつまらないドラマを見てきたのに、今日はあまり役に立ちそうにない。


「良いよね、葉月はモテるから」


 羽美奈が私の名前を呼んで、笑顔を作る。


 モテる。


 その言葉が事実であるかどうかは問題じゃない。

 口にすべき答えは初めから決まっていて、否定しすぎず、かといって肯定せずに「羽美奈の方がモテる」という結末に持っていくことが求められている。


 女の子は生クリームの上に色とりどりのフルーツをのせたケーキみたいに飾られているけれど、中身もケーキのように甘いとは限らない。美味しそうだと口にいれたら、毒だったってこともある。だから、嫌味にならない程度にモテるという言葉を打ち消しつつ、羽美奈を持ち上げておく。


 けれど、機嫌が酷く斜めの羽美奈は納得しない。


「バレンタインデーさ、途中で葉月帰ったじゃん。あれ、誰かに会いに行ったんでしょ? 飯田? それとも佐々木?」

「この前も言ったけど、そんなんじゃないって。あれは親に呼ばれただけ。彼氏できたら、真っ先に羽美奈に言ってる」


 バレンタインデーに宮城から呼び出されて早めに帰ったせいで、翌日、羽美奈たちから彼氏に会いに行ったのではないかと疑われた。それについては誤解を解いたはずだけれど、八つ当たりがわりに蒸し返されることになるらしかった。


 羽美奈も悪い子じゃない。

 私が落ち込んでいれば心配してくれるし、励ましてもくれる。人より感情の起伏が激しいだけだ。


 でも、彼女の機嫌を取り続けるのもつらい。


 四人のメンバーのうち、一人は彼氏ができて浮かれている。もう一人は羽美奈にちくちくやられて屍になっていた。そうなると、私一人で羽美奈の機嫌を修正しなければならないわけで。


 そう、すごく面倒くさい。


 こういうとき、宮城から連絡が来ればいいと思う。

 適当な理由をつけてこの場を離れることもできるが、きちんとした用事があった方が抜けだしやすい。


 けれど、宮城に続けて呼ばれることはほとんどないという過去の例に漏れず、彼女から連絡が来ることはなかった。


 結局、宮城に呼び出されたのは次の週になってからで、その日は彼女の宿題をして一緒に体に悪そうな夕飯を食べた。その次も、その次も、夕飯に体に悪そうなものを出された。宮城は、夕飯を作れとは一度も言わなかった。


 だから今日は、呼び出しのメッセージを見た本屋からスーパーへ行き、鶏肉を買って宮城の家に向かっている。


 お弁当にお惣菜。

 他にも、カップラーメンや冷凍食品のようなものを夕飯にし続けるのはどうかと思う。


 それに、命令されていないことを私がする瞬間、宮城がどんな顔をするのか見たかった。そもそも、私の嫌がる顔をみたいなんてことを言う宮城に気を遣う必要なんてない。

 家で夕飯を作るのも、宮城の家で作るのも同じだ。


 だから、私は夕飯の材料を持って宮城の部屋に入る。


「茨木さんたちと会ってたの?」


 宮城が五千円を渡すついでといった感じで、この部屋に来ることが遅くなった理由を尋ねてくる。


「違う。これ、冷蔵庫に入れといて」


 私は五千円を受け取って、スーパーの袋を宮城に押しつける。


「なにこれ?」

「唐揚げの材料」

「なんでこんなの持ってくるの」

「ここで夕飯作るから」

「そんな命令してない」


 宮城があからさまに不機嫌な顔をする。


 彼女の命令に従う。

 そういう約束ではあるが、この家で夕飯を作ってはいけないという約束はしていない。命令されるまでは自由にしていて良いという決まり事があるくらいだから、今日、私が夕飯を作ることは咎められるようなことではないと思う。


 宮城自身もそれをわかっているのか、夕飯を作るなとは言ってこない。不快そうに眉間に皺を寄せているだけだ。


 人の嫌がる顔を見たいなんて思ったことはないけれど、命令されていないことをしようとする私を不愉快そうに見ている宮城の姿は面白くはあった。


「されてないけど、いつも夕飯ごちそうになってるお礼だから。それにさ、たまにはまともなもの食べたいし」


 断ることができなくなるであろう理由を告げて、スーパーの袋をもう一度家主に渡そうとするが宮城は受け取らない。


「自分で入れれば」


 そう素っ気なく言うと、宮城がファンヒーターで暑いくらいに暖められた部屋を出てキッチンへ向かう。私はコートとブレザーを脱いで、彼女の後を追いかける。カシャカシャと音を鳴らすスーパーの袋を持ったままキッチンへ入ると、やけに大きな冷蔵庫が鎮座していた。


 何人家族なんだろう。

 そんなことを考えたくなる四角い箱を開けると、見た目の大きさに反して中は清々しいほどに物が入っていなかった。


「冷蔵庫、ほぼ空っぽじゃん。ジュースしかないって、ヤバくない?」

「ヤバくない」


 低い声がこれで良いとばかりに断言する。


 まあ、人の家の冷蔵庫に文句をつけてもね。


 私は、黙って夕飯の材料を冷蔵庫に詰め込んでいく。スーパーの袋が空に近くなり、どうせこの家にないだろうと買ってきた小麦粉と片栗粉を取り出したところで宮城に声をかけた。


「今日の命令なに?」

「何でもよくない?」

「後からでもいいなら、先に唐揚げ作ろうかなと思って」

「決めてないし、好きにすれば」


 宮城が投げやりに言ってキッチンを出て行こうとする。


「待って。キャベツ切って」


 冷蔵庫からキャベツを取り出して、宮城に渡す。


「私が?」

「宮城以外、誰がいるの?」

「作るって言ったの仙台さんなんだから、全部自分でやんなよ」

「もしかして、千切りできない?」


 まな板と包丁を洗いながら問いかけると、低くて小さな声が聞こえてきた。


「やる」


 千切りができるのか、それともできないのか。

 よくわからないが、宮城がキャベツをまな板の上に置く。


 私はその隣で、生姜をすりおろして醤油とお酒の中に入れる。にんにくは、あまり好きじゃないから入れない。合わせた調味料の中に、すでに適度な大きさに切られている唐揚げ用の鶏肉を投入して揉み込む。


 ふと、宮城が気になって隣を見ると、彼女はキャベツというより指を切り落とそうとしていた。というと大げさだが、自分が包丁を持たせてはいけない人間に包丁を持たせたことはわかった。


「宮城、ちょっと待って。それ、危なくない?」

「どこが?」

「手、手! 猫の手みたいにして」

「猫の手ってなに」

「昔、調理実習で言われなかった?」


 左手は、丸めて切るべき対象を押さえる。

 そう習ったはずだ。

 でも、宮城は指先でキャベツを押さえていて怖い。


「覚えてない」


 宮城が言い切って、包丁を下ろす。

 そして、キャベツが千切りと言うよりざく切りの幅でまな板に散った。


「その切り方、キャベツじゃなくて手を切るって。包丁も持ち上げすぎだってば」


 振り下ろすと言ったら言い過ぎだが、ザンッと結構上の方から包丁を下ろしている。


「仙台さん、横からごちゃごちゃうるさい」

「あーもう。宮城、あっち行ってて」


 見ているだけで寒気がする。

 これなら、全部自分でやった方がいい。

 だが、彼女は引き下がらなかった。


「やるからほっといて」


 包丁がキャベツを刻んで、ダンッとまな板が鳴る。


 頼んだの、失敗だったな。


 いくら後悔しても、千切りを頼む前には戻らない。結局、私はビクビクしながら鶏肉に小麦粉と片栗粉を合わせたものをまぶしていくことになる。


 ダン。

 ダンッ。


 とてもキャベツを刻んでいるとは思えない音が何度か響いてから、宮城が小さく呻く声が聞こえた。


「どうしたの?」


 返事がない。


「宮城?」


 彼女の手元に視線を落とすと、キャベツの緑に混じって赤い色が見えた。


「ちょっと宮城。血、出てる。切ったなら、切ったって早くいいなよ」


 手についた粉を洗い流して、宮城の手首を掴む。水を流しっぱなしの蛇口に彼女の手を近づけようとすると、水道が止められた。


「こういうときって、切った指を舐めたりするんじゃないの?」

「漫画の読み過ぎ。舐めても傷は治らないし、よく洗って絆創膏貼った方がいいよ」

「消毒は?」

「消毒は傷の治りが遅くなるから。で、絆創膏どこ? ないなら、私の持ってこようか?」


 傷は、それほど深くないように見える。

 それでも、人差し指からは滴り落ちそうなほど血が出ていた。


 流水で洗って、絆創膏を貼って。

 キッチンから宮城を追い出す。


 それは全部とても簡単にできるはずのことなのに、宮城はそのどれもを私にさせないようにしていた。


「舐めて消毒してよ」


 そう言って、切れた指を私の前に差し出す。


「血が出てるし、舐めるのは消毒じゃない」

「命令だから」

「……わざと切った?」

「まさか」


 宮城の指は私の前に出されたままで、命令が絶対だと告げていた。


 赤い、赤い血が流れ出て、指を染めている。

 見ているだけで、口の中に鉄の味が広がる。


「仙台さん、早くして」


 自分の血を舐めたことはあっても、人の血を舐めたことはない。


 他人の血は、自分の血と同じ味がするのか。


 私は、その答えを知ることになった。

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