Chapter19~20
●19 サーシャの迷い
部屋に帰ってから、一時間が過ぎた。
少し眠ろうかととも思ったけど、目が冴えてそんな気になれない。
ボクはハオレンのことを考えていた。
あの子はあとどのくらい生きられるのだろうか?
あの小さい命をなんとか助けることはできないのかな。
それにしても、古代の病原菌に人類が脅かされることが現実にあるなんて……。
『サーシャさん、私は人間が好きです。どうか世界中の、多くの人間を助けるために、あなたの命をくださいませんか』
フレドの言葉がよみがえる。
ボクはいったい、どうすればいいんだろう?
このままグレートシャイニー皇国におとなしく連れていかれたほうがいいのかな?それで大勢の人を救う。それが正しい選択?
あるいは、なんとかして逃げ出して、病原菌のまん延には目をつむり、お母さんの研究を完成させる……?
だって、どれだけこの病原菌が悪質だったとしても、そのせいで人間が滅亡してしまったりはしないと思う。
たくさんの犠牲を払いつつも、結局は、なんらかの隔離政策がうまくいって、収束に向かうんじゃないかな。
でも、そうなるまでに、相当多くの人が死んでしまうかもしれない。ハオレンや、もしかするとボクの友達や、大勢の人が犠牲になってしまう可能性だってある。
それでいいのかな。こうしている今も、病原菌はひろがっているのに。
病原菌はアンドロイドたちには関係ない。
彼らはすでに自らを再生産する能力を持っているから、やろうと思えば、自分たちだけが生き残ることだって出来る。
でも彼らには感情がないので、自分たちが世界を牛耳ろうなんてことは考えないんだ。
人間のゆるやかな衰退と、とつぜん訪れた生物学的ピンチ。
アンドロイドの強靭さと、感情回路……。
この一連の問題が、ボクにはすべて、つながっているような気がした。
お母さんが命をかけた、アンドロイドに感情を持たせるコードの開発。
ボクもそれを受けついで、もう少しでたどりつけそうなところまで来ている。
ここ数日、ボクの頭の中で、ぼんやりした霞のようなもやが、ゆっくりと渦巻いて、形をとりはじめている。
人間の感情、あらゆる事象の中で、不合理にも優先させようとする過激ななにか。
それがボクには、なんとなくわかってきたような気がするんだ。
それは、『自己実現』、つまり、他人に自分を認めさせることへの、強い反応なんじゃないかな。
人間が人間であること。
それが感情だとしたら、その源泉は『自己実現』という名の、たったひとつのことに帰結されるんじゃないかな。
自己否定されると怒り、それを満たされれば満足する。
そのたったひとつのことが、人間を不合理な選択行動へと走らせているのでは?
ボクはお母さんの行動解析データを繰り返し見て、そのことを予想し、ネット上にAIをたてて、自己実現エゴをコード化して実験をくりかえした。
あとは優先順位への偏移を数値化して『怒り』と『喜び』に変換するだけ。
おそらく、あと、一週間。ううん、証明や検証をはぶくなら、二十四時間もあれば論理式を書き残せるかもしれない。
ボクはふと、モルドーの笑顔を思い出した。
彼はボクが命がけで世界を救うことに反対だと言った。
でも、それは彼の父性回路の選択にすぎない。
そういうコードが描かれているからだ。
長い時間生活を共にして、友好な時をすごした人間を優先するのがアンドロイドだ。
人間とパートナー契約を結べば、それが第一優先だけど、養子をもらえば父性母性回路を開いて、さらに優先順位を最上位にしてしまう。
だから彼にとっては、ボクは他のだれよりも、優先しなくてはならない存在。
ただ、それだけのことなんだ。
だけど……。
モルドーは小さいころから、ずっとボクを育ててくれた。
お母さんといっしょに、お母さんが亡くなってからは一人で。
ボクが淋しい時も、悲しいときも、いつもボクのそばにいて、ボクをささえてくれた。
モルドーのおかげで、ボクはどれだけ助けられただろう。
こんなことがなければ、ボクはいつかアンドロイドのパートナーを見つけて、モルドーと三人で暮らすだろうと思っていた。
モルドーはボクが死んでしまったら、どうなるんだろう?
法律で言えば、親戚にひきとられるか、処分されるかだ。
躯体が健全なら、記憶を初期化されてまた誰かのところに行くかもしれない。
でも、今のモルドーではなくなるし、名前だって変えられてしまう。
それはイヤだ!
ボクはモルドーとずっと暮らしたいと思っている。
お母さんもモルドーを愛していた。
お母さんとモルドー。
人間とアンドロイド。
これからも長い年月、たぶん人間とアンドロイドは、幸せな関係をしばらくの間、歴史上につむいでいくんだろう。
でも、いつか人間はすべての管理をアンドロイドに任せ、自分たちはゆっくりとその役目を終えていく。
そうなったら、人間がこの地球上にいたことも、いつか忘れ去られていく。
お母さんはそうなっても、感情回路を残すことで、人間のいた証を、彼らの中に生かそうと考えていた。
だからボクはお母さんの代わりに、それを受け継ぐつもりだった。
今、おきていることは人間の危機。
お母さんが見ていたのは、危機のむこう側。はるかに遠い未来への視線。
病原菌は人間だけを危機に陥れる。でも、アンドロイドにはなんの意味もない。
お母さん……。
ボクはいつのまにか、泣いていた。
ボクはやっと、決心がついた。
ボクは立ち上がった。
シャワー室のドアを開けて中に入る。
鏡に、自分の顔が映った。
●20 突入
「開けますよサーシャさん」
ドアのむこうにフレドがいた。
ボクは両手をジャンパーのポケットに突っこんで立っていた。
もう、覚悟はできていた。
「血液抗体の試験は?」
「うまくいきましたよ。じゃあ行きましょう」
フレドは命令にしたがって、ボクを外にうながしている。
ボクは軽くうなづいて、部屋の外に出た。
「いよいよ送られるのかな?」
「デッキに出て、そこから本国までドローンで移送になります」
「へえ。この船じゃ行かないの?」
「この船はこのままこの海域に待機するそうです」
「ふーん」
入ってきた経路を逆にたどり、エレベーターに乗って、なんども廊下を曲がる。
大きな鉄の扉を出た。
汐の匂いがきつく、波の音がしている。
ボクは部屋から持ち出したブレットで時間を確認してみる。
あと三十分もしたら、夜明けのはずだけど、今はまだその気配すらなくて、頭上には星のまたたく昏い夜空が広がっていた。
小さく灯るいくつかのライトで、足元だけはかろうじて見える。
真ん中に背の高いおじいさん、左に太っちょ、右におばさんという、例の士官たちが三人、二人の兵士につきそわれたボクとフレドを出迎えた。
「見えますか?デッキを渡った向こうにある、あの双発のドローンに乗ってグレートシャイニー皇国へ向かうそうですよ」
フレドが言った。
ボクは目を凝らした。
そのドローンは、暗闇に溶けて不気味に浮かんで見えた。
ボクらはそれにむかって歩き出す。
広々としたデッキは、あいかわらず歩きにくかった。
「サーシャ、少しは眠れましたか?」
「ぜんぜんだよ。フレドはこれからどうするの?」
「私もグレートシャイニー皇国へ同行しますよ」
「ふうん……ねえフレド」
フレドはボクを見た。
「なんですか?」
「君はボクの味方だよね」
「……」
ボクはにっと笑った。
つきそいの兵士二名はボクらの後ろからついてきていた。
足もとをハンドライトで照らしてくれていた。
ちょうどデッキの中央付近まで来たとき……。
ドンッ!
ボクはフレドを思い切りつきとばし、三メートルほど彼らから離れた。
「来ないでっ!」
軍服のシャンパーの内ポケットから、ガラスの大きな破片をとりだし、自分の喉元にあてる。
バスルームの鏡にイスをぶつけて作ったものだ。
「サーシャ!」
やってこようとするフレドと兵士たちを、左手で制してボクは叫んだ。
「ボクをボートで帰して!でないとここで死ぬよっ!」
兵士が顔を見合わせてこちらに来ようとするのを、フレドが手で抑えた。
きっとボクの言葉を通訳しているんだ。
無線でなにかを叫んでいた兵士が、ハンドライトでボクを照らした。
まぶしくてあたりがまったく見えなくなる。
「ちょっともう!まぶしいったら!」
目を細める。
デッキの中央付近で、兵士たちとボクらは大声で叫びあった。
フレドだけが、双方の言葉を理解していた。
ふたつのライトが、ジりじりとボクの方に寄ってこようとする。
ボクは後ずさりながら、もう一度大きな声で叫んだ。
「動かないで!」
遠くで見送っていたあの上官たちが、あわてて駆け寄ってこようとする。
司令塔のドアからも、数人の兵士がかけてくる気配。
「フレド!5メートル以内に近づくと死ぬって伝えて」
「サーシャさん、やめてください」
「早く!」
フレドが通訳する。
「ボートを用意させてフレド。ちゃんと岸までついたら、限界まで血はあげる。ううん、ボクがやらないといけないことが終わったら、血は全部上げてもいい」
「サーシャ、逃げられないからあきらめろ、と言っています。あなたの命は保証するからと」
「ボクは本気だよ。一分待って応じてくれないなら頸動脈と太ももの大動脈を切る。そしたらボクの命は十秒もたない」
太った上官がなにか言った。兵士は無線でそれを知らせる。
「ボートは用意します。それを渡してください」
「無理!」
そのとき……。
なにかが、ボクたちの間にひらひらと降ってきた。
……紙吹雪?
なにこれ?と思った瞬間。
ブオオオオオオオオオオ!
象の声のような大きな音が、頭上で鳴り響いた。
ボクらは驚いて空を見上げる。
バッシャアアアアアアアアアァァァァァァ!
同時に大量の水がバケツをひっくり返したように降ってきて、兵士たちを次々に転倒させた。ボクはなにがなんだかわからず、後ずさった。
何人かの兵士が大声で叫び、空に銃を向けた。
バッ!
上から大きなライトが点灯された。
デッキの上が昼間のように明るくなる。
同時に楽しげな音楽が大音量で響きだした。
「わお!な、なんなの?!」
「はーい、それではニケ最新アイドルグループ『スターK』、五人のアイドルが歌います。聴いてください『告白クライムナイト!』」
な、な、なにやってんの!
こっちは命がけでやってんのに!
ああっ!とうとう音楽に合わせて歌いだした!
巨大なゴンドラをぶら下げた、銀色の葉巻型のなにかが、ゆっくりと降下してくる。
そのどてっ腹には、(WORLD PEACE!)という文字が点滅している。
(飛行船?!)
ゴンドラは十五メートルくらいあるみたい。
天井には照明やおっきなスピーカーがいっぱいとりつけられてて、ステージみたいにも見える。
そこに十人ほどの人間が乗っていた。
ああああ!モルドーたちだ!
あそこで紙吹雪を撒いてるのは……サキさん?
マイク持って司会やってるのはダグさんで、モルドーはなにやってるの?
ブレットで撮影!?
それよりも、アイドルっぽい衣装を着て、マイクもって歌ってる人たち、だれ?
アイドル!?
「はーい、この模様わぁ~、現在ぃ~世界に同時映像配信してますよ。ウィアーワールドストリーミングブロードキャストナウ!暴力はいけません!サンキューワールドピース!」
ダグさんが奇妙な名調子でマイク放送してる。
アイドルぽい五人の女の子は、ミニスカートで笑顔を振りまきながら、歌って踊り続ける。
「撃つのはやめてください。銃はいけませんよ。放送してますからねぇ~。ドンシュー、ノーガン、ウィアーワールドストリーミングブロードキャストナウ!」
大音量の飛行船が降りてくる。
ステージでは、五人のアイドルがライブをやりながら、愛想を振りまいている。
めっちゃ楽しそうだ。
ボクたち、下士官三人組や、そのほかの兵士たちみんな、呆然としてるよ。
ステージがさらにゆっくり降りてくる。
ちょうど地上につく寸前で脚のようなものが出てきて、空母のデッキにがっしりととまった。
アイドルたちは、とうとうワンフレーズ歌いきっちゃった。
アウトロの終わりに合わせて、ピシっとポージングなんか決めてるよ。
で、また紙吹雪。
「モルドー、今や!」
モルドーとサキさんが、銀色の柵を飛び越して、デッキの床にきれいなフォームで着地した。
モルドーが急いでボクに手を差し伸べる
サキさんが大きく足をふんばり、銃を抜き、兵士たちに狙いをつけた。
(サーシャ、今のうちに……)
「イエース!」
意図がわかったボクは、次の曲のイントロにまぎれて、ゴンドラに乗り込もうと、わざとニコニコしながらゴンドラに近づいた。
背の高い上官がなにかを叫ぶ。
「気をつけてください。逃げるならタイホしろと言ってます!」
フレドが叫んだので、ボクはあきらめて振り向いた。
あん、もうちょっとだったのに!
数人の兵士がようやく目を覚ましたように銃を持ち上げ、なにか言いながらボクらにむかってくる。
「さて来ましたね~、みんな行くぞ!クラスチェンジ!」
ダグさんが叫ぶ
「アイドル戦隊!サバイバルモード!」
「アイアイサー!」と、五人の合唱。
同時に、カシャカシャッと音がして、アイドルたちの顔にマスクとメガネが装着される。
音楽が鳴り響く中、五人の女の子はステージから飛び降りると、近寄る兵士に痴漢スプレーを噴射した。
「WAA!!」
太った上官のひとりが、なにかを叫んで腰の拳銃を抜く。
女の子がさっと銃を抜いて速射した。
パン!
矢じりに羽のついたような弾を受け、肩を抑えて太った上官がうずくまる。
もしかして麻酔銃?
司令塔から新たに出てきた兵士のひとりが、ボクに狙いをつけた。
「あぶない!」
フレドがボクを背後から覆うように抱えて、立つ。
背の高い上官が兵士になにかを叫ぶのが聞こえる。
バーーーーン!!
ボクの背中に、どん、という衝撃が伝わる。
フレドが銃弾を受けてしまったのを知る。
パン、パン!
サキさんに足元を撃たれた兵士が、思わず二三歩さがった。
「……うっ!」
フレドがうずくまる。
ボクも衝撃を受けてしゃがんでしまう。
「サーシャ!大丈夫か?」
サキさんが手を広げて狙撃した兵士の前に立ち、撃たせないようにした。
兵士たちはいっせいに銃口をモルドーたちに向けた。
あの大きな鉄扉から、さらにたくさんのアンドロイド兵――コマンダーたちがばらばらと出てきた。
三十センチほどもある攻撃用ドローンが、やかましい羽音とともに、どこからか飛来して、私たちに銃口を向けながら、頭の上を飛び回った。
サキさんが大声をあげながら、コマンダーたちに銃口をいそがしく向け、狙いをつけている。
五人のアイドルたちは、ダグさんとゴンドラを守るように立っている。
兵士たちは上官の命令を待っている。
音楽がやんだ。