Chapter16~18
●16 エンドア尋問
なぜかこだわりがあるらしいサキさんが、わざわざスタンドライトを持ち出して、イスに座らされた女を、ななめ四十五度から照らすように微妙な調整をした。
女は特殊部隊のような制服の上着を脱がされ、白のタンクトップだけにされている。
イスの背もたれの、後ろで手錠をかけられ、足はイスの前脚にしばられていた。
さっき暴れたときに、切ったらしい口の端から血を滴らせて、一瞬女がまぶしそうに目を細める。
つぎの瞬間、きっ、と反抗的な目になった。
「アタシは絶対なにも言わない。拷問でもなんでもしなさい」
腕組みをして、われわれ三人はその女を見つめていた。
「さあ、どうしたもんかね」と、ダグ。
わたしは破れた白いシャツを着がえながら、
「拷問すれば話すでしょうけど、そこまではいくら遵法回路が外れたわたしでも、気が進みません。他に方法があるはずです」
と、静かに言った。
「だね。映画みたいなわけにいかないし、かといってこの調子だと、お願いしても話してくれなさそうだ」
「ウチも拷問には賛成できへんな。これでもまだ警察官や」
頭に濡れたタオルを巻いたサキが、顔を少ししかめながら言った。
「ねえ女兵士さん」
じっと女を見つめていたわたしが、口を開いた。
「べ、べつに兵士じゃないわよ」
「では、なんとお呼びすればいいですか?」
「名前ならあるわ。エンドアよ」
「エンドアさん。わたしはサーシャの父親モルドーです。といっても、アンドロイドですが。でも子を思う親の気持ちに人間もアンドロイドもありません。わたしはサーシャをどうしても救い出したい」
捕まってやけになったエンドアは、反抗的な目でわたしを挑発している。
「あなた方の目的はわかっています。サーシャを拉致に来たのはこれで二回目ですね。あなたの装備も調べましたが、手錠、ロープ、暗視スコープに麻酔銃が二丁、実弾銃がないのは、万一にもサーシャを傷つけないためですね?それから強力な睡眠薬もありましたよ。サーシャを眠らせるつもりでしたか?」
「……」
わたしは無駄だとは思いつつ、さらに2つの質問をすることにした。
「なぜあなた方は、こんなにもサーシャの拉致を急ぐのですか?われわれの情報では、まだそれほど疫病は流行していないはずです」
「……」
眉がピクリとした。
「あともうひとつ、サーシャは今、どこにいるのですか?」
絶対言うもんか、とでもいうように、エンドアは顔をぷいと横に向けた。
その様子を見て、わたしは諦めるしかなかった。
「ナルシアに意見を訊きたいところですが、今はまだ無理ですね」
「ナルシア?……そうや!」
頭のタオルをぎゅっと結んだサキが、ブレットでなにかを調べ始めた。
「どうかしました?サキさん」
「モルドー、ちょっと、ええかな?」
ブレットを操作していたサキが、目配せをした。
なにかエンドアには知られたくない話があるのだろう。
われわれは部屋の外に移動した。
天井のライトはもう通常のように明るく点灯してあった。
「どうしました」
「ナルシアは生前に脳保険でブレインデータをコピーしたんやな?」
「そうですが、なにか?」
「なら、この女のブレインデータも、コピーしてゴーストにしたらどうや?」
「それはできますが……もしそのゴーストに尋問する気なら、結局そのブレインゴーストも、本人と同じ性格ですから、拒否されると思いますよ」
「そのブレインデータにある加工をしてしまうんや。警察の仲間に聞いたことがあるんや。今の諜報尋問はそうやってるってな」
「ある加工?」
「そうや。今のブレインゴーストは、人間の記憶データと、脳をモデリングしてエミュレートするプログラムの部分でできあがってる。その……前頭……なんとかぴしつ」
「前頭前皮質ですか?」
「それや」
サキはわたしの肩にぽん、と手を置いた。
「アンタ、かしこい。その前皮質に相当するエミュレート部分の抑圧機能を弱めたら、秘密を守れない、おしゃべりなゴーストが出来上がる。つまり、デジタルの自白剤みたいなもんやな」
ダグは、おお、と顔を輝かせた。
「それ、いいね。実行にはなにが必要なの?」
わたしは思考をめぐらせた。
「まず脳内記憶を読みこむための特殊なスキャンセンサーですね。これは脳保険の会社が持っています。あとは脳エミュレータ、これはナルシアのがあるからコピーして改造してもいいし、そういう改造済みのがネットから落とせるかもしれません」
「じゃあ、保険会社に行かないと……あ!」
眉をひそめていたダグが、なにかを思いついて手をたたいた。
「それなら、うちが契約してる保険会社があるよ。脳保険もあつかってたから、呼べば来てくれるだろう。それに、脳スキャンは二十四時間対応だ」
「そうですね。脳保険は事故や病気で急に必要になるものですから……」
「ここに呼ぼう!」
笑ったサキが、痛っと頭を抑えた。
「……まあ、どうせここ、もうバレてるしな、誰を呼んでも問題ないわ」
「お大事に!……善は急げだ。すぐ連絡してみよう!」
一時間ほどで、脳保険の係員はやってきた。睡眠薬でエンドアを眠らせ、サーシャの可愛いパジャマに着替えさせて、寝室に寝かせた。
「この子がサーシャだ。病気で老けて見えるが、まだ十三歳なんだよ。可哀そうだろ」
お得意先のニケの部長に呼ばれ、緊張した面持ちの係員は、書類を確認して、すぐに準備を始めた。
もちろん、わたしは保護者アンドロイドとして父権IDを持っていたから、書類を用意するのは問題なかった。
ダグはサーシャの親族ということに、サキは心配して駆けつけたと友人、ということにした。
「では、はじめます」
係員は眠っているエンドアの頭の周囲に小型のレーダーのようなものを並べていった。これが微細な脳の電流を捉え、記憶のすべてを記録するらしい。
われわれは係員にあとを任せ、リビングに移動した。
脳波が混ざらないように、係員は漏電防止ヘルメットをつけている。
「では、終わったら呼んでください」
「わかりました!約十五分で終了します」
ひと休みする間にも、エンドアのブレインデーターは、コピーされるだろう。
脳のエミュレーターは自白用のが見つかった。
みんなのためにお茶を淹れながら、わたしはサーシャのことを考えていた。
いまごろ、どこにいるのだろうか。
痛い目にあっているのではないだろうか。
いまごろ大量の採血をされているのではないだろうか。
一刻も早く救い出さねばならない……。
父性回路のおかげで、わたしの行動規範はすべてに優先してサーシャの安全と幸福を追求するものになっている。
そのわたしにとって、サーシャの不在、そして居所の不明は耐えがたいものなのだ。
両手の指さきが、異常な電磁誘導にふるえた。
「じゃあ、はじめましょう」
わたしはエンドアのブレインデータを再生しはじめた。
リビングのホロモニタに、エンドアの顔が映し出される。
ゴーストの再生には、ナルシアのように本来高精細な3Dデータを用いるのだが、今回は顔の表情だけを、簡易なスキャンで作ったのだ。
それだけに、かなり荒い画像だが、今は仕方ない。
なにより、エンドア本人は、今もベッドですやすやと眠っているのだから。
「あらあ、みんななんの用?」
エンドアのゴーストが目を開いた。
「こんにちはエンドアさん、調子はどうですか?」
「調子?いいわよ。でも、あんたたちは邪魔ばかりするから、嫌いよお」
「すみません、どうしても教えていただきたいことがあるのです」
「いや!なあんにも教えてやらないから。絶対教えてやらない」
エンドアはやたらテンションが高く見えた。
脳エミュレータの、抑圧をつかさどるパラメーターを下げているので、歯止めがきかなくなっている。
荒い3Dの顔が、まわりをきょろきょろを見回していた。
「え?でもこれなに?なんでアタシゴーストになってんの?死んだのかしら。あんたたちが殺したの?ひどいわ。アタシは命令にしたがっただけなのに」
「大丈夫ですよエンドアさん。あなたご本人は眠っておられるだけです。質問がすんだら、あとでちゃんと帰してあげます」
「あらそう、よかったわ。でも質問なんて絶対答えてあげない。だってアタシはあなたたちが嫌いなんだもの。でも、質問ってなんなのかしら?なにが知りたいの?」
「まず、あなたがたはなぜ、サーシャの拉致誘拐をそんなに急ぐのですか?」
「そんなこと、疫病にかかってる人間がいるからにきまってるでしょう!もちろん、誰が罹患しているかは教えられないわ。皇帝陛下の三歳になる王子と皇后さまなんだけど、ああ、だめ、言っちゃった」
「ホンマかいな……」
思わず身を乗り出したサキがつぶやく。
「あのシュー皇帝の王子とお妃が、疫病にやて?」
エンドアのゴーストは、なぜか楽しそうに首をなんどもふった。
「まずは洞穴の奥から、古代生物の死骸を発見して持ち帰った村人が発症した。その村を視察したのが群の役人で、そいつを診療した病院の医師が、皇帝一家の健康診断にやってきて、結局みぃんな疫病にかかっちゃった!大変でしょ?そのあとすぐに空気感染がわかって、レベル5の隔離政策はとられたんだけどさ、なんとまあ、国で一番偉い人の子供と奥さんがかかっちゃって、このままだと死んでしまうから、すぐに治療しなくちゃいけないってわけ。わかる?」
みんなは言葉を失った。
だから、疫病がさほど流行していないにも関わらず、こんなにもサーシャの血液抗体の入手を急いでいたのだ。
そして、この国の政府も、外交的判断から、それを容認した。
ダグがわたしを見た。
わたしは論理推考の優先順位を修正して、質問をつづけることにした。
「では、次に、サーシャは、今どこにいますか?」
「輸送機にきまってんでしょ!グレートシャイニー皇国に連れて行かないといけないんだから。血液だけを抜いて持って行こうともしたんだけど、抗体が足らなかったら生かしておいて、血を継続して抜くかもしんないでしょ。だから連れてかないといけないの」
「それはどこの空港ですか?飛行機はわかりますか」
「空港じゃなくて空母!明日の未明までには首都湾にグレートシャイニー皇国の空母が就航するから、サーシャをそこに連れて行く。それから双発輸送ドローンに乗りかえて本国まで飛んでいくの!」
「空母だと?そりゃまずいよ!」
「あんな大きなもの、首都湾に接岸できるんか?」
二人が我慢しきれずに、思い思いに話しはじめる。わたしは手をあげて、それを制した。
「エンドアさん、サーシャを乗せた車は今から一時間ほど前にここを出ました。すると、首都湾にはあと一時間ほどで着くでしょう。そこから空母までは、どんな手段で移動するんですか?」
「アタシが受けた命令は、首都湾で未明まで待機、空母が着いたら、向こうから小型のボートがやってくるから、受け渡せってだけよ」
なるほど、それでわかった。
首都湾でサーシャをボートに乗せ、それで沖合の空母に行く。
そして空母からこんどは輸送用ドローンに乗せて、彼らの本国まで行くというわけだ。
今からなら、港には間に合うかもしれない。
でも、いくらなんでも、このメンバーでただ突入しても、返り討ちにあってしまうだろう。
わたしはエンドアのブレインデータのスイッチを切った。
あたりは急に静まりかえった。
「さて、どうしましょう?」
天井の二つの穴からは、きれいな星空が見えている。
その夜空を、ゆっくりと宣伝用の飛行船が(NIKE)のロゴを点滅させながら、通り過ぎていった。
●17 空母
海が黒い。
強力なエンジンが爆音をあげる大きなホバリングドローンが、浮力を失って波にぶつかるたび激しく上下し、ボクの顔につめたい波しぶきがばしゃばしゃとかかった。
潮の匂いと、海の味がする。
ボクは海水に流れる目を、タオル地の左の袖で拭う。
船体はゴムなのに、床は固くてしっかりしていた。
埠頭を出てからずっとものすごいスピードだ。
いったいどこへむかってるんだろう?ボクにはなにも教えてくれない。
まさか、このまま隣の国まで行くことはないよね。
もしかして、いつか映画で見たような水上飛行艇に乗るんだったらどうしよう?
このホバリングドローンだって乗り心地はサイアクだけど、小型の飛行機だったら酔っちゃいそうだよ。
それにしても、この数日の騒動で、なんか感覚がマヒしちゃったみたい。
こんな目にあってるのに、たいしてガクブルしてないし、これ以上どんな目にあわされても、けっこう冷静な気がする。
どん!とドローンがひときわ大きくバウンドした。
ふう……今のはちょっとあぶなかったんじゃない?
ライフジャケットのおかげで、まあ落ちても溺れはしないけど、ドローンがひっくりかえるのだけはゴメンだ。
だって黒い海は不気味だし、なにがいるのかわかんないし。
さっきの襲撃で身を縮めたボクを、フレドが隣から肩に手を回して支えてくれている。
あいかわらず人間のような温かみはないけど、でもなんとなく安心する。
もちろん、モルドーの方がずっと素敵だけど……。
フレドだってまあイケメンだし、くっついてて悪い気はしない。
どんなときでも、しっかり考えていい加減な返事をしないところは、さすがアンドロイドだよ。
この船にはぜんぶで五人乗っている。
真ん中にはボクとフレド、ボクらの後ろにふたり。そのうちのひとりは最後尾でドローンの制御コンソールを操作していて、一番偉そうにしている。
先頭にもひとりいて、つねに前方を警戒しているみたい。
どさくさにまぎれて海に飛びこむことも考えたけど、たぶんすぐにつかまっちゃうだろうな。逃げだすことは無理っぽい。
と思っているうちに、沖合に巨大な影が見えてきた。
はじめはぼんやり。やがて圧倒的に。
え!マジ?!
海上から何十メートルもある建造物。長さは二百メートルくらいか。
きれいな逆三角形のフォルムで、下の方が細く上に行くにしたがって幅が広くなっている。
ある程度上に上がったところで、すぱっと切断したように面が平らになってて、その先端がすこし上にグイッと曲げられている。
その端にはさらにビルのような建物がついていた。
ああ、映像で見たことがある。あれって……空母?!
ボクはあまりのことに呆然とした。
グレートシャイニー皇国、最新鋭の空母には、三人の人物が立っていた。
真ん中にはかなり年配の背の高い男、左には太った男と、右には年配の女。
全員が上官らしい軍服を着ていて、デッキの端から暗い海を見つめていた。
頭上には満天の星だ。
ゆっくり視線を落とすと、首都湾の明かりが遠くに明滅し、水平線から下は真っ黒に見えていた。
飛行甲板のエッジには外側に倒されたような柵があった。
そのなにもないと思っていた向こうから、ふいに甲高い爆音が聞こえ、ホバリングドローンがゆっくりせりあがってきた。
ボクらはグラウンドみたいに広い空母のデッキに降りた。
デッキの上は風が強い。
寝間着のままのボクを気づかった若い兵士のひとが、自分の軍用のジャンパーを着せてくれた。
誰かが、ボクにはわからない言葉でなにかを言った。
フレドがやさしい表情で前に出るようボクをうながす。
そこには出迎えのちょっと高級そうな軍服を着た三人の人がいて、その中の女の人がボクをハグをする。
手渡されたタオルをもらって、髪を拭く。
にこやかに女の人が向こうを指さした。
ドローンの乗組員とともに、彼らの誘導するまま歩き出す。
海に浮かんでいるはずなのに、あまりに巨大なデッキはほとんどなにも動いていないように感じる。
とてもざらざらした固い素材で覆われていて、ちょっと歩きづらい。
「あっ!」
ほんの少ししか照明がついていなくて、ボクはつまづいてしまった。
フレドがボクのお腹に手をやって支えてくれる。
遠くには戦闘機が数機と、それより大きめの、ずんぐりしたドローンが一機見えていた。
デッキを横断した反対側に建物のような構造物があって、その下に中への鉄扉があった。
ボクらはそこから中に入った。
中は明るかった。
天井はなく、何本ものパイプがむき出して走っていた。
そこでは二人の兵士が待ちかまえていた。
上官たちを残して、ボクとフレドはその二人とともに、エレベーターで下へむかう。
それから通路を何度か曲がって、最後は病院のような施設につれてこられた。
その間、言葉のわからないボクのために、フレドはなんども通訳のようなことをしてくれた。
二人の兵士とボクらは、部屋の前で立ちどまった。
「夜が明けたら出発するそうです。それまで眠るといいですよ」
フレドが言った。
「どこへ?って、まあ聞いても教えてくれないよね」
ちょっぴり悲しそうな表情をしたフレドが、ドアを開ける。
一人の兵士を残し、中に入る。
ここはたぶん病室なんだろう。
あの地下室の設備に似ていたけど、ずっとこっちのほうが高級そう。
部屋にはベッドのほかに応接セットがあって、テーブルの上にはステンレスの小さな箱と、ブレットが置いてあった。
フレドはついてきた兵士からそのブレットを受けとる。
なにかを話し、兵士はいなくなった。
「先に百CCほど、血液を採取しますね」
フレドがそう言ってステンレスのボックスから注射器をとりだし、ボクの腕をまくった。
「血なら、あそこの地下でとったじゃん」
「はい。おかげで抗体の存在は確認できました。これは実際の抗体分離用です」
「いたっ!」
「あ、ごめんなさい」
「でも百CCでいいんだ」
「ええ、試験用ですから……はい終わりました」
フレドは注射器を抜き、絆創膏を貼ってくれる。血液はもとのボックスにあった保存容器に入れ、自分のポケットにしまった。
「じゃあ私はこれを届けたら、となりの部屋にいますからね。潮にさらされたのでシャワーも浴びないと。充電もしたい」
腕をさすってくれている。
「サーシャさんもシャワーされたらいかがですか、さっぱりしますよ?あ、着がえはロッカーにあります。なにかあったらテーブルの上のブレスレット型端末で通信してください。Fのアイコンで私につながりますから」
「お腹すいた」
「……あとで食事を運ばせますよ」
うん、シャワーはたしかにいい考えだ。
ロッカーを開けると、女兵士のコスチューム(というか軍服?)と、ジャージの上下、ロングのワンピースがかけてある。
ボクのサイズにはなってるみたいだ。下着もちゃんとそろえてある。
今着ているものを脱ぎ、ゴミ箱にすてる。
ピンクの大きな横じまの入ったモコモコパーカーとショートパンツ。
お気に入りのパジャマだったけど、すっかり潮で汚れちゃった。
裸になって鏡を見ると、ちょっと大人びた印象の自分の顔が映った。
知らないうちに、身体がすっかり冷えている。
シャワーはすぐに熱くなり、その時になってボクは震えていたことに気がつく。
高速でホバリングするドローンにも、デッキを吹き渡る風にも、すいぶん体温をさげられていたんだ。
新しい下着をつけて、丈の長いワンピースを着た。
軍のジャンパーは気にいったので、その上からもういちど着ることにする。
ノックの音がした。
ボクはドアについている丸い窓をのぞく。
さっきの兵士のひとが、四角い食事のトレイを持って立っている。
ドアを開けて受けとったボクは、そのとき内側からのカギが取りはずされて、開けられないようになっていることに気づいた。
トレイの上にはたっぷりのご飯と、肉と野菜の料理が三種類、お茶とデザートも用意されている。
「おーおいしそー!」
そのころ……。
フレドはとなりの部屋で充電をしていた。
こちらもシャワーを浴び、用意されていた軍服に着がえている。
ブレットに着信があった。
(ひとりじゃ淋しいからご飯食べるのにつきあって)
●18 ハオレン
充電ケーブルを持参してフレドがやってきたのは、ボクがテーブルに花と食事の用意を終えた頃だった。
濡れた前髪をしているところを見ると、フレドもシャワーを浴びたみたい。
食事するボクの前にすわって、充電ケーブルをつないでる。
「ボク、このまま連れてかれて、やっぱ死んじゃうのかな?ホント言うとね、死んじゃうのはイヤだけど、日本の厚生省の人には協力してあげようかと思ってたんだ。あーこの唐揚げオイシイ!」
「そうなんですか」
「そうだよ。でもモルドーたち……、あ、お父さんアンドロイドなんだけどね、彼は反対だって言うし、お母さんも、良く調べなさいだって」
「サーシャさん。あなたの勇気は、驚嘆に値しますよ」
「そうかな。あなたも言ってたじゃない。人間が好きだって。ボクもそうなんだ」
「……」
「あなたたちアンドロイドは、いつか世界を支配しちゃうだろうけど、人間もまだ、もうちょっと、生きたいんじゃないかって、思うんだなあ」
「そうですね……」
「ねえフレド、病原菌のこと、ボクよくわからないんだ。だって映像でしか見てないから。教えてくれない?あ、そこのお茶とって」
フレドはコップをよこす。
「サーシャ、私はこのグレートシャイニー皇国に仕えています。ですから、すべてをお話することはできませんが、この病院フロアは、自由に案内してもいいと、言われています」
「……?」
「もしよかったら、私と一緒に来てくれませんか?お見せしたいものがあるんです」
ボクはフレドをチラリと見やり、残りのご飯を一気にほおばると、お茶をぐいぐいと飲み干した。
「……ん、はーっ、ご馳走さま!……じゃ、行きましょ!」
ドアを出たところの両側に、さっきの兵士がふたり、両手で銃を持って、壁に背をつけて立っている。
ボクは食事を運んでくれた人に軽く敬礼する。
「さっきはごちそうさま!おいしかったよ!」
兵士の人も、目玉と口の端だけで、笑い返してくれた。
フレドが兵士に許可を求める。
「サーシャさんは、この病院内での自由な見学と案内が、許可されています。今から見学にお連れしてもいいですか?」
もう一人の兵士が胸の軍事用タブレットで、上官に確認している。
すぐに通信が終わり、兵士がボクらの方を向いて、なにか答えた。
「彼らもついて来るそうです」
空母の中の廊下は、どこもまっすぐに伸びていた。
ブレットに、病院内の地図を表示させたフレドに案内されて、ボクらは廊下を進む。
同じような景色がしばらく続き、やがて、床に真っ赤な斜線がひかれた、ちょっと変わった区画があらわれた。
その区画は両側がすべて壁で、しかもその先には、気圧シールドの入った、厳重なドアがひとつ、行き止まりになっている。
フレドが入口で顔認証をすると、プッシュー、という音がしてそのドアが開いた。
中に入ると、がらんとした部屋にバイオハザード用の防護服を着た係員が一人、受付にすわっていた。
奥にはもうひとつ、先に進むドアがあった。
「気圧の調整をします。加圧しますのでご注意ください」
くぐもった独特のスピーカ音で、係員が言う。
つきそいの兵士二人は入ってこなかった。
きっとまたドアの両側で警備してるんだろう。
机からアームで立ち上がったタブレットを操作して、係員が加圧をはじめる。
耳がすぐにキン、となってくる。
「気圧が変化してます。大丈夫ですか?」フレドが言う。
「耳が……こういうときはツバを飲みこむといいんだって」
「私はもともと鼓膜内の気圧調整機構つきです」
ボクも耳に空気が通って、やっと楽になった。
奥のドアが開かれた。受付の係員が手で奥を示す。
「どうぞ、お通りください」
「さ、行きましょう」
フレドがうながす。
中に入るとまた廊下、でもこんどはほんの数メートル。
その先に、広い病室があった。
「……!」
異様な空間。
一言でいうと、そんな感じの部屋だった。たぶん、もとは体育館みたいな部屋、だったんじゃないかな。床にコートのラインが描いてある二十メートル四方くらいの、無窓のだだっぴろい部屋があって、その中央に、もうひとつ、ガラス貼りで、部屋が作られている。
そばには、また見はりの兵士が一人。
フレドといっしょに、ガラスの部屋におそるおそる近よってみる。
真ん中に、ちいさなベッドがあって、その上にはまた、ガラスのカプセルが置かれてあった。
ツタンカーメンみたいだ、とボクは思った。
「中に入っても?」
フレドが兵士と話をする。
ひとことふたこと交わして、ボクの方を向いた。
「彼もアンドロイドですね。私もアンドロイドですから万が一にも感染はしません。あなたは人間ですが、抗体を持っているので大丈夫だと話して、納得してもらいました」
「じゃいいのね」
「はい。でもガラスの部屋までです。ベッドの上のカプセルはそのままでお願いしますとのことです。あれを開けると、空気の消毒に数時間かかるそうです」
「わかった」
兵士がガラスのドアを開けてくれた。
ボクとフレドは、静かにその中に入った。
ベッドに近よってみる。
そこにはひとりの子どもがいた。
「名前をハオレンといいます。未知の疫病にかかった、三歳の男の子です」
ハオレンは東洋系の小さな、男の子だ。
目は閉じ、眠っているようだけど、黒い前髪が汗で額にはりついて頬が赤い。
白いパジャマの胸を大きくはだけて、小さな、淡雪のような白い身体が、点滴チューブや心電図のケーブルで、がんじがらめにされていた。
「あなたの血液をもらったら、すぐに遠心分離機で抗体を分離させて投与試験ができるよう、連れてこられています。疫病については聞いていますか?」
「昔の生物から発見されたんだよね」
「はい。未知の感染症なので、まだ名前がついていません。空気感染する、きわめて感染力の強い病原体のようです」
「かわいそうに……」
「致死率はいまのところ九十パーセント以上ですが、まだ誰も回復していませんから、もっと高い可能性もあります」
「ボクの血液で、本当に回復するのかな」
「それは私にも。しかしDNA解析で、あるべき抗体を計算してから、適合者を検索したと聞いていますから、可能性は高いと思います」
もしかすると、フレドは医療に特化したAIを持っているのかもしれない。
さっきもボクから採血したっけ……。
「じゃあ、どうしてすぐにボクの血を抜かないの?」
「……本当に治療するのはこの子じゃないからです」
「え、どういうこと」
「この子はあくまでも、抗体の安全を確かめるために、連れてこられた同じ年齢の子ども。だから、あなたの血液も、百CCの最低限しか採取しなかった」
ハオレンを見たまま、ボクは言った。
「……ボクの血は、この子の役に立つの?」
「はい。すでに遠心分離機で、抗体だけを分離するよう、処理がおこなわれています。それが終わり次第、この子に投与しますが、それが治療になるかは不明です。ただ、安全性を確かめるだけですから」
「……あ」
ふいに、ハオレンが目を開いた。
のぞきこむボクたちを見て、笑った。
ボクは息をのんだ。
不自由な右手がゆっくりあがる。
なにか言って、手をふるようなしぐさをする。
ボクは言葉が通じないのもわすれて、思わず声をかけた。
「がんばってハオレン」
ハオレンはまた目を閉じた。