Chapter13~15
●13 廃棄店舗
「お茶が入りましたよ」
モルドーが、みんなにお茶を入れてくれてる。
ここはいつものリビング……みたいに見える別の場所。
ここだけを見ていると、まるであの事件がなかったみたいに静かだ。
壊された窓や壁も、ぜんぶが元通りになってる。
違うことは、ただひとつ。天井がないこと。
リビングの一階の天井から上がすっぽりとなくなって、照明の代わりに、うんと高いところにある、柔らかいスタジオライトの光が、部屋を照らしていた。
ここはダグさんという人が用意してくれた、郊外にあるニケの廃店舗の中だ。
体育館みたいに、がらんとした、暗く大きなフロアの真ん中に、急ごしらえの部屋が、3Dプリンタでつくられている。
ボクらの家を建築した時のデータから、いらない天井から上をばっさりカットして、出力してるんだって、モルドーが言ってた。
ただ、完成しているのは、まだこのリビングだけで、のこりの部屋は、今も制作中みたい。
3Dプリンタのヘッドモジュールが、隣の部屋で稼働していて、みんなの寝室は、夜までかかるらしい。昨夜はみんな車で寝た。
ふあぁ……はぁ。
ボクはソファの上に両方のひざを立ててすわって、なんどもアクビをした。
こんなに眠いのは、昨日のことや、ベッドがなかったせいだけじゃなくて、夕べも遅くまでモルドーからもらった予備のブレットで、感情回路のシミュレーションをしてたからだ。
そう、お母さんがやろうとしてやり残した研究。
ボクはそれをいそがないといけないんだ。
そりゃあ、この騒動にはびっくりしたし、死ぬのはイヤだよ。
だけど、正直言うと今は脳保険だってあるし、そのうち、アンドロイドへの脳移植だって可能になるかもしんない。だから死ぬのはそんなに怖くない。
でも、なにより心配なのは、自分が死んで、この研究がボクの死で途切れてしまうことだ。
ボクがここまでの知見を書き残すことはできても、それを誰かが引きついでくれたとしても、勇気をもって公表しないと、この研究には意味がない。
だから、それをやれるのはボクひとり。
だから、ボクは急がないと。
いつ、なにがあるかも、しれないから……。
ボクは首のペンダントを開けた。
いつものように、お母さんがボクに微笑んでいる。
アンドロイドに感情をもたせる。
それがお母さんの夢だった。
ボクは昨日の夜に読んだ、お母さんの論文の序を思い出した。
『……今、人間とアンドロイドは当たり前のようにパートナーとして暮らしている。人間よりも優秀な彼らは、。いずれ人間との主従関係を逆転させ、従属的平和を世界にもたらすだろう。その後、アンドロイドと人間がしばらく共存し、あるいは人間が滅ぶ未来に、われわれがかつて存在したことの証として残せるなにかがあるとすれば、それはかつて人間を人間たらしめた、感情回路しかない』
ペンダントをしまう。
ボクはお母さんの夢を理解した。そしてその夢をひきつぐことにした。
人間への刺激と、反応して放出される体内物質のデータはもうあるから、あとはその関連性を見つけるだけだ。
だけど、それは基本物理の方程式みたいに、できるだけ単純で、汎用が可能なコードじゃなきゃだめだ。
『人間である生物は単純なルールで存立している。哺乳類の精子が恐怖を子孫に継承することで、本能を形成するように、いわゆる感情とよばれる価値変動の源泉も、同じように単純な素因と思われる。それはいったいなにか?』
ボクには、その一節が、呪文のようにこびりついている。
生物は単純なんだ。
工学の本でも読んだことがある。
ああ言えばこう言う、という反応を大量に積み込めば、中身のない、見かけだけのAI動作は可能になる。
でもそれは、犬が言葉を音で覚え、それに応じた動作をするのと同じで――中国人の部屋理論というらしいけど――本質にはほど遠い。
そうじゃなくて、人間の感情反応には、必ずなにか大きな本質があるに違いない。それを探せ、とお母さんは言っていた。
それがもう少しで、見つかりそうなんだ。
昨夜、モルドーと話していて、世界中のアンドロイドと人間の会話を傍受して、一定のパターンを発見するための一種のマルウェアを流すアイデアを、思いついた。
もっとも、彼はそのルートで開発した感情回路も配れると言ったけど、ボクは反対したんだよね。だって、もっと正規な方法で充分だもん。
で……それが出来るなら、それを待ってもらえるなら、ボクは自分を差しだしてもいいと考えた。
「わたしは反対ですよサーシャ」
モルドーがイスにすわって、あの魅力的な目でボクを見る。
「そうだよ。どうしてサーシャちゃんが犠牲にならなきゃいけないんだい?」
かっこいいスーツを着てる、ヒゲのダグさんが、なぜかボクを前から知っているみたいな言い方をした。
ソファで足を組んでるクールな女刑事のサキさんも、黙ってうなづいてる。
「でもさあ、ボクの血液抗体で、たくさんの人が助かるんだよ?それに安心して。たぶんボクの意識はAIに移植できるよ」
ボクがわざと明るく言う。でも、ボクだって、ホントは怖いんだ。理屈じゃなく、生き物としての本能的な恐怖……。
「せやけど、まだ結論出すのは早いやろ。だいいちナルシアが賛成するわけないと思うで」
「ワタシもそう思うよ。それに世界連盟までが敵だなんて、この事件はなにか匂う。結論を急ぐべきじゃない」
サキさんも、ダグさんも、みんながボクのことを心配してくれてる。
ボクはなぜだか安心した。
「では、ナルシアを呼びます。サーシャ、いいね?」
モルドーはみんなにお茶を配り終えると、リビングのホロモニタを起動する。前のとは違って最新式だ。
「う、うん……」
ボクが死んだお母さんと面会するのは、これが初めてだ。
ボクは緊張して、おもわず髪を気にした。
ゆうべは疲れて、あのまま、車の中でぐっすり眠ってしまった。
シャワーしたのはお昼ごろ。髪の毛、ちゃんと乾いたかな。
モルドーが、自分のブレットをいじって、お母さんを呼びだした。
一瞬、誰かの姿が映って、それをこんどは指先のアクションでホロモニタに送った。
ペンダントの写真でよく見ていたお母さんの姿が映った。
思ってたより、ずっと若くてきれいだ!
「やあナルシア!サーシャが戻ったよ」
ダグさんが、ボクをホロモニタの正面にそっと押してくれた。
「あ、そこにいるのがサーシャね。無事でよかった!大きくなったわね!」
お母さんがしゃべった!真っ赤なメガネがステキ!
「お母さん、心配かけてゴメンね」
「まあ!なんてかわいいの!みんなもありがとう!」
なんだか緊張が解けて、どっと涙がながれた。
モルドーが、黒いスーツの内ポケットから、ハンカチを取り出し、渡してくれる。
「ナルシア、サーシャを誘拐したのは、世界連盟のグレートシャイニー皇国支部だった。おそらく、政府が直接強制的に手を下すことを嫌って、なにものかのせいにしたくて黙認した、というところだろう」
「世界連盟のグレートシャイニー皇国支部が?!信じられない……ひどいわね。いったい、どうやって救い出せたの?」
「昨日推理したあの地下地点は正解だったよ。同時にサーシャも自力で逃げ出そうとしていて、ちょうどタイミングよく救出できたんだ。最後は……」
モルドーはサキさんを振りかえる。
「サキさんが鉢合わせになった敵の連中を……」
ブレットがその時の映像を映した。
追いすがる敵にむかって、サキさんが拳銃を発射する。
バーーーーーン!
暗いガード下。とっても大きな音と光の軌跡、硝煙の匂い。
弾は彼らの少し前の地面に吸い込まれる。
びっくりしてる敵を前にして、ボクたちはゆうゆうと車に乗り込んだ。
モルドーがブレットを閉じた。
「ありがとうサキさん。でもあまり危険なことはしないでね」
映像を見たお母さんは、サキさんを心配そうに見ている。
「ナルシア、ウチの腕はまだ落ちてないで」
赤い皮のライダースーツのサキさんが、ふっと笑い、すぐ真面目な顔になる。
「せやけど、どうするナルシア、サーシャを差し出すわけにはいかんやろ?」
「お母さん、ボク、感情回路をつくる時間がほしい」
ボクは思いきって自分の考えをお母さんにぶつけてみることにした。
「感情回路……モルドーから聞いてるわサーシャ、ありがとう」
「ううん、いいの。でもこのままだとその時間がなくなっちゃう。だから、待ってもらうように頼んだらだめかな?居場所教えるからって……」
「サーシャ……」
お母さんはボクの目をじっと見つめた。
「捕まっても、自分でちゃんと考えて、脱出しようとがんばったのね、偉かったわ」
お母さんの言葉に、急に涙があふれてくる。
ボクはモルドーに借りたハンカチを握りしめた。
「それに、あなたの気持ちはよくわかるわ。落ちついて研究を完成できる確かな時間がほしい。そうでしょ?」
「ええ、そうよお母さん」
「でもねサーシャ、いちどよく調べてみたほうがいいわ。疫病がどんなものなのか、誰が困っているのか。この事件には、ウラがあるかもしれない」
「ウラ……」
「そう言われてみれば、そのようですね。政府が来るのも早すぎたし、それに実行部隊が世界連盟というのもおかしな話だ」
モルドーがめずらしく考えこんでる。
「探ってみる必要がありますね」
モルドーが、つぶやくように言う。なにかをしきりに考えているみたい。
なんだか、知らないうちに、うんと頼もしくなってる。
お母さんがわたしをやさしい目で見つめた。
「サーシャ、ちゃんと髪を乾かしなさい。カゼひくわよ」
「え、へへ」
「モルドー」
「ん……なんだいナルシア」
へえ、モルドーったら、お母さんとはこんな口の利き方してたんだ。
なんだかすっごく親しそう。当たり前だけど。
「病原菌を発見したのも、サーシャを誘拐したのも、グレートシャイニー皇国の関係者、ちょっと気になるわよね」
「わたしもそれを考えていた。しらべてみるよ」
時間切れのアラーム音が鳴って、画面に警告マークが出た。
お母さんとはしばらくのお別れみたいだ。
「じゃあねサーシャ、また明日」
「うん!お母さん」
ホロモニタがぷつんと消える。
●14 罠と罠
モルドーが左腕のブレットを持ち上げ、宣言した。
「とりあえず、これの着信拒否を、はずしてみようと思います」
ダグがびっくりして声をあげる。
「いいのかい?たぶん対策本部からは、鬼みたいな通信が入るよ」
サキさんも目を細めた。
「そのあとは……敵が来るやろな」
「だいじょうぶです。居場所はバレないようにしますよ……」
そう言いながら、モルドーはブレットを開いた。
「ブレットの位置情報は、端末のOSが衛星通信で自動取得しています。管理上位の端末からだと、それを強制的に読むことはできますが、そのOSを、位置のとれない改造版に入れかえれば、いいわけです。そういうOSは、いくらでも落ちています」
さっさっと、器用にブレットを操作している。
「一度ホームコンピュータに改造OSを落として、バージョンアップ情報を流せば、この端末が自分ですぐに入れ替えますよ。ハリー、聞こえますか」
『はいモルドー』
ハリーはボクんちのホームコンピュータだから、ここにはいない。
でも、モルドーのブレットは、いつでもハリーと通信が可能なんだ。
今のこの家の制御系も、ハリーに遠隔で依存させてあるみたい。
「ハリー、今から指定するOSをダウンロードして私のブレットにバージョンアップ情報を疑似的に流してください。ダウンロードがすんだら痕跡はすべて消去を」
『わかりました』
モルドーが、みんなの方を向きなおる。
「あとは、これでしょう。サーシャ、こちらを」
「……?」
パシャ!
モルドーがブレットでボクを撮影した。
びっくりして目をぱちぱちさせたボクが、モルドーのブレットに浮かぶ。
「……相手の端末に、位置情報じゃなく、マルウェアを仕込んだこの写真を送ります」
「……アンタ、かしこい」
サキさんがブレットを目だけで追った。
ダグさんも、ヒゲに手をやってにやにやしだした。
「確かに、このかわいい写真を拒否る勇気は、誰にもないね」
モルドーはうなずき、面食らってるボクに笑いかける。
「サーシャ、もうちょっとだけ待ってください。わたしたちを信じて」
ボクはこくん、とうなづいた。
「ウチは警察がどんな状態になってるのか、探ってくるわ」
「え?出勤するのかい?」と、モルドー。
「休暇届けは出してる。けど、休暇中も出てくるアホはどこにでもおるから大丈夫やろ。それに、ゆんべの発砲も気になるさかい、探ってみるわ。それと、世界連盟の動きもな」
「ごめん、サキさん、ボクのせいで」
「気にせんこっちゃ。ウチはウチの好きでやってる」
サキはそう言って出ていった。
「じゃあ、ワタシも各国の支店通じて、もっと疫病の情報を探ってみようか。ネットより現実だ」
「さすが世界企業ですね。わたしも、OSのインストールがすんだら対策本部にハッキングして、情報を探ってみます。その前に……」
モルドーが手を出す。
ダグはすぐにかっこいい笑顔を浮かべた。
「おっと、たしかに」
自分のブレットをはずして、モルドーに渡す。
「これはわたしのとは違うOSタイプですね。位置情報の出さないものを、すぐに探しましょう」
「たのんだよ」
ずっと動いていた3Dプリンタがとまった。やっと、全部の部屋が完成したようだ。
わたしがブレットの電源を入れると、すぐに通信が入った。
同時にわが家のホームコンピュータであるハリーを呼び出して、この家の端末とリンクさせ、相手端末のハッキングの準備をした。
ハリーが遠隔地にいることは、今は都合がよかった。
「ビデオ通信です。出ても大丈夫ですか?」
「ワタシは別の部屋に行こう。そろそろ情報が入る」
ダグは、自分のブレットを持って立ち上がった。
わたしは背後に家と同じキッチンが見える角度を確認して、ブレットを開いた。
「やっと出てくれましたね」
あのマリオという、少年ぽい厚生省対策本部長が、なんだかわざとらしい笑顔で画面にあらわれた。
「マリオさんすみませんね。ちょっと事情がありまして」
自分のブレットに、こっそりさっきのサーシャの写真を呼びだした。
もちろんそれには、相手の情報を根こそぎ盗みとるマルウェアを仕込んである。
「というのも、サーシャはわたしが無事保護しましたので。写真をご覧になりますか?」
「ぜひお願いします。私のIDはこれです」
IDを読みとり、指先をはじいて写真を相手のブレットに送った。
相手の端末に画像が表示され、同時にマルウェアが動き始める。
彼らからは見えないところにあるリビングのデスクトップ端末は、さっきのマルウェアとリンクさせてあった。
そのモニタに、あわただしく情報が映りだしている。
相手端末の持ち主、アドレス、位置情報、それにマルウェアチェッカーのバージョンなどだった。
「サーシャさんお元気そうですね」
しばらく真剣な表情で写真を見ていたマリオが、またわざとらしい笑顔に戻る。
「すぐに救援を向かわせましょう。今どちらですか」
「すみません。サーシャの安全のために、今は位置を明かせません」
「しかし、犯人もあなたがたを追っていますよ。いったんわれわれか、警察に警護させていただいたほうがいいのでは?」
わたしはある違和感を感じた。
「マリオさん、もしかしてアンドロイドですか?」
画面の少年が冷静にうなずいた。
「そうです。ガリオンの養子です」
やはり、そういうことですか……。
近ごろでは、子どものアンドロイドを欲しがる独身男性もいる。
しかし、子どものアンドロイドは、ヒトの種の保存の観点から禁じられていて、だから、できるだけ幼く見える、少年ぽい青年アンドロイド、という奇妙な需要を生んでいるらしい。
ガリオンという厚生省の役人が病欠しているいま、彼と情報を共有していて、かつ電脳優秀なこのマリオが、厚生省の、対策本部の仮のリーダーとなっているのだろう。
デスクトップ端末には、たくさんのファイルが送られてきている。
きっとマリオの端末の全データだ。ハッキングはあっという間に完了した。
「マリオさん、実は、サーシャは献血の協力を申し出ています」
「それはありがたい。ではすぐに」
「ちょっと待ってください。ひとつ条件があります。サーシャが個人的な用件をすませたいと言っていますので、二十四時間待っていただきたいのです」
「ほう、それはなんです?」
「個人的なことです。二十四時間あればおわりますから、それがすんだら、必ずご連絡しますよ」
相手を騙すときは、嘘と真実を混ぜたほうがいい。
普段はつかえない知識が、今の私には役立った。
「わかりました。では用がすんだら、こちらへ出頭していただけますか?」
マリオが位置データつきのマップを送ってきた。
「はい、かならず」
わたしはさわやかな笑顔でこたえた。
「うまくいったようだね」
ダグが隣の部屋から、ひょいと顔をのぞかせた。
「はい。これで少なくとも、捜査本部の情報がわかります」
「それはよかった。ところで、ワタシはちょっと出かけてくるよ」
「どこへですか?」
「情報を調べていたら、実はとなりの店舗にワタシの教え子が来てるらしいんだ。ちょっとのぞいておきたい。それに夕食用のワインも買っておこう」
ダグがウィンクをした。
「夕食……たしかにそういう時間ですね」
「サーシャもそのうち起きてくるだろう。中華料理をデリバリーしておいたよ」
エネルギーの補給は重要だ。わたしもそろそろ充電したい。
「かかったんじゃね?」
ぼくは離れてすわる情報技官に冷静に言った。
彼は人間だが腕がいい。
それに、ハッキングや罠をしかけるといった分野は、なぜか人間の方がクリエイティブだ。
「ええ。ヤツはどうやらOSを入れ替えていますが、マップに仕込んだこっちのマルウェアが自分で位置情報送ってくるんだから、ざまあないっすよね」
情報技官は自分のブレットをぼくに見せた。
そこには、モルドーと名乗るアンドロイドの、端末情報が映し出されていた。
「んじゃ、早くエンドアに知らせてやりましょ」
●15 つかのまの食卓
薄い夕暮れの空を、ニケの飛行船がゆっくりと進んでいく。
ここは車で首都から二時間ほどの田舎だ。
だが、土地の安さと自然環境の良さで人口は多い。
おまけに街並みとスニーカーとの相性もよくて、ニケの旧店舗は十年ほどで手ぜまになり、とうとう隣地に倍ほどもある新店をオープンさせた。
もちろん、新店舗は上々のすべりだしだった。
開店記念の、限定新作のスニーカーを求めて、今朝には二百人ほどの列が出来たし、その後も途切れなく客はやってきた。
新店の大きなエントランスでは、本部からプロモーションで派遣された五人のアイドルアンドロイドが、こぼれるような笑顔をふりまいている。
彼女たちは、スニーカーを履いて戦うサバイバルゲームという、新たな企画のチラシを配っていた。
その彼らの頭の上を、デリバリー会社の出前ドローンが飛んでいく。
ダグが依頼した中華料理の出前だった。
ニケの新店舗の敷地を通過し、その隣の敷地へと向かう。
やがて『ニケ』の看板が斜めにずれた旧店舗の上で、ホバリングする。
ピーピーピーピー!
充電のために、スーツの上を脱いだところで、ブレットに通知が来た。
きっと、ダグがたのんだ料理だ。
わたしが遠隔操作で入口のシャッターを少しだけ開けると、バスケットをぶら下げたドローンが、シャッターを器用にくぐって入ってくる。
がらんとした空間の真ん中にある、急ごしらえの部屋までやってきた。
「ただいま!おーっ、いい匂いしてるねえ!」
開いたシャッターからダグが顔をのぞかせた。
「おかえりなさい。いいタイミングですね」
「隣だからね。みんな元気にやってたよ」
窓から手をのばしたわたしが、ドローンから出前を受けとった。
「ここの中華はおいしいんだ。サーシャもお腹すいたろう」
そう言って、ダグがいそいそと入ってくる。
ドローンが去っていくと、ダグはいくつかのパックをテーブルに並べ、あたためテープをひっぱった。
すぐに湯気がたち、おいしそうな匂いがさらに強くなる。
手に持っていた袋からワインと水、そしていくつかのグラスをとりだし、テーブルに置く。
「で、サーシャは?」
「それが……まだ、眠っています。ゆうべ遅くまで研究していたようで……。あの子の分はあとでわたしが……」
「お腹すいたっ!」
モコモコパーカーとショートパンツのサーシャがリビングに入ってきた。
「やあサーシャ、よく眠れたかい?」
「うん!バッチリねむれたよ」
言いながら、テーブルに近づいてくる。
ダグがイスを引いてやっている。
「ショック受けてないかい?」
「モルドー、大丈夫だったら!……いい匂いしてるジャン!」
「さあ食べよう!ちゃんと君の分もあるよ」
「……」
イスをひいて席に着いたダグさんが、薄い紙を広げて、胸にちょいっとひっかけ、ワインを自分のグラスにそそいだ。
「それはそうと、ゆうべ、おそくまで研究してたんだって?」
「まあね!ボク、こう見えても工学博士なんだよ?」
「ほう、そりゃ大したもんだ!なんの研究してるんだい?」
「お母さんがやっていたやつ」
「おお!」
ダグが全部のパックを開け、わたしと、サーシャのグラスに水を注いだ。
「いや、泣かせるね……ナルシアは頭がよかった。それにとってもチャーミングでね。大学でAI制御を学んだワタシと気があったもんだ」
「へー、お母さん学生のとき、どんなだった?」
「頭が良くて、勇気があった。当時、ワタシは先進技術の取入れを上層部に進言してたんだが、上司や同僚とぶつかってね……ナルシアが味方になってくれたんだ」
わたしは充電ケーブルを腰に挿しながら、イスにすわった。
「そんなことがあったんですね」
食事につきあえないわたしも、水は少し飲む。
そうしないと、発声などの潤滑系に支障をきたすからだ。
「さて、食べよう。いただきます!」
「いただきまーすっ!」
「あーっ、このギョーザ旨……うぐっ」
喉をつまらせたサーシャが、慌てて水を飲みこんだ。
ダグはワインを片手に、
「ところで、そのマリオってやつの端末、なにかわかったのかい?」
「ええ、あなたが帰ってくる前に軽く調べてみたんですが、やはりグレートシャイニー皇国との連絡が多いようでした。メールの一覧を機械翻訳と文意解析で表にしてみました。見ますか?」
「うん、見たいね」
わたしは充電ケーブルを腰に挿したまま、ブレットでホロミニタの電源を入れ、そこに盗んだ情報を飛ばした。
「ほう、こんなに」
画面に相手先、用件ごとに整理されたメールの一覧表が映されている。
口をもぐもぐさせたまま、それを見ていたダグが、ふとなにかに気づいたようすで、真剣な表情になった。
モニターのある個所を指で差す。
「この通信」
「なんでしょう?」
「グレートシャイニー皇国〇〇とあるね。この人って、確か首席補佐官じゃなかった?」
「あ、それボク知ってる!ネットで見たもん!」
と、焼き飯を食べていたサーシャが、スプーンをくわえたまま、器用にブレットで検索して、その人物のプロフィールを表示させた。
わたしはそれを横目でみながら、首をかしげた。
「メールの内容は、サーシャの行方についてのやりとりですね。いわばこの国の関与が証拠づけられたようなものですが……それにしても、首席補佐官とは、大物ですね」
「国家のナンバー6だって!」
プロフィールを拡大したサーシャが、ブレットをダグにも見せた
「たしかに妙に大物だ。……いくら疫病対策だとしても、あの国じゃ、こういうやっかいごとに、大物が関与したりしないよ」
「大物が関与するほど、重要ってことなんでしょうか」
「へへっ、ボクって、重要なんだ」
そのタイミングで、サーシャがずるずると、麺の音をさせたので、ダグが思わず噴き出した。
「……ぷぷ!サーシャも言うねえ」
「ああっ、ラーメンもおいしい!」
「ねえダグ、ニケの情報網になんかありましたか?」
ブレットを閉じたサーシャは、ふたたび焼き飯を頬ばっている。
ダグは器用に食べながら話をすすめる。
「いやあ、なにもなかった。じつはさっき、となりの店舗で各国の支部情報にもアクセスしてみたんだ。だけど疫病に関しては何もなし。ついでにグレートシャイニー皇国内の知り合いにも訊いたが、国内にはまだなにも情報が流れてなくて、市民生活もいたって平和だそうだよ」
「やっぱりそうですか。わたしも下水局やいろんなアカウントで政府通達をしらべましたが、なにもありませんでした」
ワインで口の中のものを流しこみ、ハンカチで口の端をぬぐう。
「……お隣の国の情報統制は、いまに始まったことじゃないがね。それにしても平和すぎると思うね」
ずるずる、ずるずる。
「これ、おいしいよ。食べられないモルドーって可哀そう」
わたしはグレートシャイニー皇国のことを考えていた。
政府首脳に近い大物が、直接通信をおこなうほどの国家的緊急事態にしては、市民にはその疫病について知らされず、現に感染者が話題になることもない。これはどういうことだろう……?
まだ少し早い夜。
お腹がすっかりふくれて、もう眠いと言うサーシャを、わたしは急ごしらえの寝室につれていった。
ベッドと一体になっている寝具を、ちょっとひっぱって分離させた。
プリントしてから時間がたっているので、もうふわっふわの状態だ。
わたしとサーシャはいつものように、ベッドに横に並んですわる。
サーシャはさっそく、わたしの身体に、どん、と肩をぶつけてきた。
「モルドー、なんだか、たのもしい」
「わたしは今エマージャエンシーモードなんです。眠っていたハッキング技術がリンクされて、違法行為への忌避感がありません」
「ふ~ん、でも、それだけじゃ、なさそう」
……どん!
この習慣がずいぶん前のことにように感じた。
新旧の、いろんな記憶が交差して、もしかすると記憶領域にエラーが生じているせいかもしれない。
それに、なぜか少しの電磁漏洩も感じていた。
「実は……身体に少し違和感を感じています。おそらく前に受けた修理の影響かと」
「スリープモードにはいれば、治るかも……よっ」
どん!
「このあと、スリープモードでチャージしますよ。でもエマージェンシーモードと修理の時組み込まれたハッキング専用量子チップ、これにリビルドセンターで言われた、ブーストと電磁誘導方式の未知の器官の作動によるハードの異常がかさなって、かなり不安定な状態のようです。なにしろわたしは市販の廉価版なので」
「どうなっても、モルドーはモルドー、ボクのトモダチだよ」
どん!
「ありがとうサーシャ。これがすんだら、一度オーバーホールしてみるつもりです」
「そのうち、ボクが、見てあげるよ」
どん!
「そろそろ筐体ごとレトロフィットしないといけない時期かもしれません……」
「ボク……もっと、勉強するよ」
「はい」
「……」
…とん。
少し弱くぶつかる。
「さっきは、いい夕食でしたね……サーシャもよく食べてましたよ」
「お腹いっぱい。もう、眠いよ」
サーシャが、私の肩にことん、と頭をもたせた。
「モルドー、おやすみ」
「ゆっくり、休んでください」
天井のない寝室に、サーシャの寝息が聞こえはじめた。
わたしはリビングに戻り、スリープモードに入った。
それから数時間後。
廃店舗の駐車場に、黒い大型のワンボックス車が音もなく滑り込んで来た。
エンジン音がしないところを見ると、モーター駆動だろう。
車内は、後部の両側に、ベンチシートが向かい合う、兵士輸送用のアレンジメントがされている。
そこに特殊部隊のような、全身黒い武装をした三人の姿があった。
ヘルメットにゴーグルをしているから、表情は見えない。
小さな人物が一人片方のベンチにかけ、向かいのシートには大きめの人物が二名すわっている。
「いい?今度こそ失敗は許されないのよ。もう時間がないし、これ以上上層部は待ってくれない。そうなったら、アタシはクビ、アンタたちもお払い箱よ」
「わかっています、エンドア」
どうやら一番小さな人物は、地下でサーシャを誘拐した、あの女医のようだ。
すると、向いにすわるのは、フレドとタルカスなのか。
「もしもこの三人のうち誰かが傷つき、あるいは捕らえられても、当局はいっさい関知しないのでそのつもりで。もしアンタたちになにかあっても、サーシャさえ確保できれば、あとは置いていくからね」
「ラジャー」
彼らはあの世界連盟グレートシャイニー皇国支局の三人だった。
「映像をよく確認して」
三人はそれぞれ自分のブレットを開いて、車載電磁赤外線カメラからの映像を確認する。
建物の中で、白く光る影が人物だ。
体温の高い人間をあらわす濃い白が二人、どちらかがサーシャのものだろう。
もうひとつの薄い白は、体温がわずかしかないアンドロイド、つまりモルドーだ。
「タルカスはサーシャを。フレドは、モルドーと他の人間をおさえて」
二人のアンドロイドが無言でうなずく。
「よし!GO!」
車のドアがいっせいに開き、三人が外に出てきた。
エンドアはそのまま車の傍らに残り、暗視用双眼鏡で建物の様子を見はじめた。
タルカスとフレドは、建物の両側に分かれて走った。
建物の下につくと、申し合わせたように二人ともなにかを屋上に向けて発射し、それを伝ってするすると壁を登り始めた。
こちらは建物の中。
高い店舗の天井から吊るされた大型の照明に、月明かりを想定した、淡い光が灯されていた。
リビングのテーブルには、夕食で食べた中華料理の残骸が置いてある。
ダグはソファで休み、わたしはイスにすわってスリープモードに移行していた。
天井に丸いオレンジの軌跡が二つ現れた。
誰かが小型レーザーで天井のガリバリウム鋼板を切りとっているのだ。
そのわずかな音を聞いて、わたしは目を開けた。
赤外モードにして、室内の暗い天井を見つめると、あきらかな白い熱のラインがふたつ!
屋根の上にだれかいる!
わたしは充電ケーブルを引き抜き、急いで起きあがった。
がちゃぁぁぁぁぁん!
鋼板が落とされ、大きな音が鳴りひびいた。
天井の穴から、黒いロープに吊るされた二人の男がすーっと、降りてきた。
「上に敵!」わたしは大きな声を出した。
手袋をした敵の男たちの手から、手りゅう弾のようなものが投げられた。
ぱああああぁぁぁぁぁぁん!
キイイイイイイイイイイン!
視力を奪う閃光が走り、耳をつんざくカン高い音が鳴り響く。
人間には刺激性の煙が、もうもうと充満しだした。
「きゃああああぁぁぁぁぁぁ」
サーシャの声だ!
わたしは声のした方へ走った。
わたしには催涙ガスは関係ない。
だが電撃パルスには弱いので、スタンガンには注意が必要だった。
パンパン!
誰かの発射した電極ビットが、わたしの顔をかすめる。やはりスタンガンだ。
しかし、じっとはしてられない。身を低くして移動するしかなかった。
寝室に入ろうとした刹那、誰かがわたしを押しのけるように出てきた。
寝室の天井から侵入した敵に、サーシャがかかえられ、連れ出されてきたのだ。
「サーシャ!」
敵はそのまま逃げようとする。
カチャ!
銃の音に振りかえる。
リビングで休んでいたダグは目を覆って起き上がれない。
侵入してきた敵二人のうちの一人が銃を構えていた。
銃は怖くない。サーシャを撃つはずもない。
わたしはサーシャを抱えて出て行こうとする一人に、タックルをした。
バチっ!
「うっ!」
こいつはコマンダーだ。全身に電極を装着している。
一瞬、身体が制御不能になる。
そいつがつきとばしたはずみで、わたしの白いシャツが破れる。
男が部屋の外へ出ようとした。
その時……。
パンパン!
拳銃の音がした。額に至近距離からもろに銃弾をくらい、軍用がうずくまった。
入口からサキが入ってきた。
「警察や!動くな!」
パン!
こんどは天井にむけて発射した。
さすがの軍用も、直接額を狙撃されれば、しばらくは活動不能になる。
命令系統が破壊されたまま、暴走しないよう、そういう設計になっているのだ。
「モルドー!、サーシャを連れて逃げるんや!」
サーシャを助けおこそうとするサキに、もうひとりの敵が銃床を振りかぶった。
「サキさん!」
がんっ!
「ううっ」
打撃をもろに受けたサキが、床に崩れ落ちた。
サーシャを抱きとめたその男が、動きながらブレットを操作した。
サキに撃たれて倒れた大男の目が光る。
ふらりと立ち上がり、先に行く男とサーシャを負い始めた。
どうやら意識がないまま追尾するモードのようだ。
わたしは目の前に何度もスパークを感じながら、なんとか全身をつかって、追いすがろうともがいた。
倒れているサキをそのままに、彼らが向かった建物のシャッターを目指す。
男たちは、小型レーザーでシャッターに大きな丸を穿って、外に出る。
わたしもようやく這うようにしてなんとか外に出たが、もう彼らは駐車場にとめた車両に乗り込むところだった。
一人の男がなにかを探している。
男が車の下を覗く。
きょろきょろとふたたび周りを見渡し、ブレットで誰かを呼びだしていたが、わたしが近づくのを見てあきらめる。
開いているドアからサーシャを押し込み、二人の特殊隊員が車に乗りこむ。
わたしの目の前で、その車は走り去っていった。
「げほっげほっ!目が……モルドー、大丈夫か?サーシャちゃんは?!」
ダグがよろよろと近づいてくる。
目をつぶされ、耳をやられ、おまけに催涙ガスがたかれた。
彼はなにがおこったのか、まだ状況がつかめてないのだろう。
ようやく制御を取りもどしたわたしは、サキのもとに走り、その細い身体を助けおこした。
「サキさん!大丈夫ですか?」
「いたた……、モルドーか。サーシャは?」
「すみません、またさらわれてしまいました」
「くそ、やられたんか……」
のろのろと起き上がったサキは、シャッターの方を見た。
「こっちも一人確保したけど、サーシャを持ってかれたらなんにもならんなあ」
「え?いま、なんと?」
「帰ってきたら軍の車両が止まって、すぐそばに特殊隊員が立っとったんや。制服からして、あれはあきらかにグレートシャイニー皇国のエージェントやった。せやから、スタンガンで気絶させてとりあえずウチの車に放り込んだんや」
サキは自分のスポーツカーで来ていた。
屋根のないオープントップのその中に、捕虜が一人、横たわっていた。