Chapter21~22
●21 見ていた男
東の空が青くなってきた。
わたしはサーシャに駆けよった。サキは兵士たちと睨み合い、ダグたちはまだゴンドラに残っていた。
もう少しだった。あとわずか二十秒、彼らの気をひきつけることが出来ていれば、サーシャを乗せたあと、大量の放水をして、軽くなった飛行船は一気に上昇することができた。
「サーシャ!大丈夫ですか?!」
フレドと呼ばれたアンドロイドがかばってくれたおかげで、サーシャには直接着弾はしなかったはず。
しかし貫通している可能性はあった。
「モルドー……おそいよ」
サーシャがゆっくりとデッキに崩れ落ちた。
「サーシャァァァァァ!!!!!」
夜明けの風が吹きすさぶ。
空母のデッキに横たわるサーシャの髪が、激しくたなびいて、頬にまとわりついている。
ワタシハ……。
マモレナカッタ。
ワタシハナニヲシテイル!
空の彼方、あるいは地の底。そんなはるか遠くから、野獣の遠吠えのような、叫び声が聞こえてくる。
パリパリーッ
下に向けた十本の指先から、白い稲妻のような放電がおこり、デッキを走った。
まだ、誰かが大声をあげつづけている。
誰だ?
オオゴエヲアゲテイルノハダレ……。
……ワタシダ!
ワタシノコエダ!
声が罷んだ……。
静けさの中、わたしはゆっくりと目をあけた。
まわりの兵士たちが見たこともない恐怖に怯え、反射的に引き金を引こうとしている。
彼らは人間の兵士だ。
全部で六人。
なにもかもが、ゆっくりに見えた。
わたしは指先からパリパリと放電の走る両手を、Xの形に胸の前で組み、一気に広げるようにして虚空を薙ぎ払った。
空中に浮かぶ蜘蛛のようなドローンたちが、ほとんど同時に電撃でつながり、火花と煙をあげて中枢機関を破壊される。
ゴンドラの上、ダグやアイドルたちを狙って、引き金を引こうとする兵士に一瞬で近づき、銃を跳ねあげる。
肘を相手の腹に突き刺し、となりの兵士の銃を片手で引き抜くようにして奪う。
兵士が目を剥いて驚きの表情になるころ、わたしはその兵士を4~5メトルほど向こうに突き飛ばし、もう一人の兵士を奪った銃で殴り斃していた。
さらにもうひとりをきれいなフォームの前げりで蹴る。
弾丸が発射された。
音速で通りすぎる弾丸を目のすぐそばで避け、撃った兵士には銃を投げて斃した。
6人の兵士、最後の一人は、後ろから襟首をつかんで、地面にたたきつける。
そうしておいて、わたしは三人の上官たちの元へと大きく跳躍した。
ベキッ!
跳躍する瞬間の巨大なGを受けた膝のチタン合金が、その衝撃で折れるのがわかる。
だがかまわず、空中姿勢のまま、両手の指先をあとから出てきたコマンダーたちに向け、電撃を見舞う。それをまともに受けてしまった彼らは、いとも簡単に機能停止をしてしまう。
わたしは一番背の高い、年かさの上官のそばに降り立った。
そいつを片手で抱え、もう片方の手のひとさし指を頭につけた。
攻撃用ドローンたちが、一斉にがちゃがちゃと音を立てて落ち、ついで屈強そうなコマンダーたちも、デッキへと崩れ落ちた。
誰も、なにがおこったのかわかっていなかった。
「動かないでください!」
人間の兵士たちは立ち上がる気力もないまま、自分たちの上官を確保して指先をこめかみに突きつけているわたしを眺めていた。
電撃に斃れたアンドロイド兵たちは、まるで電池の切れたメカのように、不自然なまでに、ぴくりともしない。
「待って」
サーシャの声がした。
私は全身から力が抜けるような気がした。無事だったのだ。
「ちょ、モルドー、落ちつきなよ」
わたしは背の高い上官を捕らえたまま、声が出るか確かめるように、ゆっくりと言った。
「サーシャ……よかった」
サーシャはフレドに支えられながら、のろのろと立ち上がった。
「モルドーさん、コマンダー(戦闘用)ですか?」
フレドがサーシャの肩を抱きおこしながら小さな声で言った。
わたしは兵士たちからかばうように二人の前に立った。
さっき折れた片方の膝が思うように動かないので、不自由な歩行になる。
「壊れているだけですよ」
「もうやめてモルドー、あなたは怒ってる」
苦しそうに胸を抑えたサーシャが、とぎれとぎれに言った。
「おこる……?」
「ボクがOSをテストアップデートした。昨日の夜」
「じゃ、感情回路をわたしに?」
「うん、モルドーがスリープモードになったとき、アップデートするようにハリーにたのんだ。……このぶんじゃ、まだ未完成みたいだけど」
OSをセルフスキャンする。
未知のアップデートの痕跡があった。
「そうだったんですね……」
私が抑えている上官の男が、兵士たちになにかを言った。
「手を出すなと言ってます」
フレドが通訳をしてくれる。
「サーシャさんにケガはないかと、聞いているようです」
背をななめに丸め、フレドはすこし苦しそうだ。
「サーシャの具合は?」
フレドがサーシャの背中を調べ、それから自分の胸の部分を調べた。
もしもフレドにあたった銃弾が貫通していたとしたら、それは彼の背中から入射し、胸から抜けてサーシャの背中にあたっているはずだ。
しかし、どちらにも、その痕跡は無かった。
「大丈夫です。おそらく衝撃が伝わっただけでしょう」
わたしの(怒り)らしい先鋭化した攻撃意欲が、すうっとおさまっていく。
ふらふらと意識のないまま立ち上がった下っ端の兵士が、アイドルの女の子に手を出そうとして、痴漢スプレーをかけられた。
ダグがゴンドラの柵越しに、わたしにブレットを手渡した。
「さっきから通信が入ってる」
ブレットを確認すると、ピーターからのものだった。
(どうするモルドー、君が暴れるところから、放送は中断してるが)
彼はこの事態を世界に向けて逐一ストリーミング放送してくれていた。
「再開しましょう」
(わかった)
放送画面に映像が映り、この空母上の出来事が世界にふたたび配信されはじめる。
(いま、視聴者数はどれくらいですか?)
(もうすぐ十万人。なんせあらゆるSNSに情報流し、ブログやポータルサイトにハックして拡散したからね)
(それだけの人が見てるんなら、よほどのことがない限り、敵もこれ以上の戦闘は望まないんじゃないでしょうか)
(そいつはどうかな?しかし……)
ピーターさんが続けた。
(君というアンドロイド一人に制圧されるようすを、これ以上、世界に露呈するわけにはいかないだろう)
「離陸させるかい?モルドー」
ダグが小声で言った。
背の高い上官がまたなにか言う。
兵士たちはようやく全員が立ち上がった。
だれも、致命的なダメージは受けていないはずだが、それでも、隣国のケガを負った十三歳の少女を狙って業務用飛行船の胴体に銃弾を撃ち込み、ヘリウム6をすっかり抜いてしまうくらいのことはできそうだった。
わたしは計算する。
サーシャは素早く動けない。おそらくわたしがサポートしながら、ゴンドラに引き上げるのに、十秒。その呼吸を読んで、サキが全量放水のスイッチを押し、兵士たちが右往左往している間に、わたしたちがゴンドラに乗り込んで上昇を開始する。これには五秒。
そしてその後、上昇しきってしまうまでにも約十秒として、全部で二十五秒。
その間、発砲による偶発的な事故も含めて、だれもわれわれの飛行船に穴を開けなければ、無事にこの空母をはなれることが出来るだろう。
背の高い上官と目があった。
あたりはすっかり明るくなって、朝焼けに光る水平線の遠くまで見通せる。
わたしはサーシャをそっと引き寄せた。
ダグはじりっとゴンドラの柵から身をのばす。
サキもその様子をうかがって、自然と身体をこわばらせた。
プープ、プープ、プープ……。
世界で最初のブザーはこんな音だったかもしれない、と思ってしまうほどの、レトロでちょっと間の抜けた音が鳴り響いた。
どうやら、わたしが捕まえている、背の高い上官のブレットが鳴動しているようだ。わたしはなんとなく予感がして――といっても、いくつかの状況を合理的に推論してという意味だが――「受信してください」と、耳元でささやいた。
上官がブレットを開き、なにかに驚いて敬礼をしている。
そのまま、誰かと話し始めた。
「……」
画面にむかってぺこぺこしつつの通話はほんの三十秒ほどで話しおわり、その上官は緊張した面持ちでそばの兵士になにか言った。
兵士たちに緊張が走り、いっせいに姿勢を正そうとした。
どうしても立っていられない何人かが、銃を杖がわりにして体を支えている。
上官がフレドになにか伝えたようだ。フレドは苦しそうな姿勢のまま、顔をあげた。
「あ、あなたたちを解放するそうです」
「……え?」
兵士たちは、必死に直立不動の姿勢をとろうともがいていた。
上官の人と、フレドが話をしている。
「グレートシャイニー皇国、シュー皇帝陛下から、直接の通信がはいったと言っています。おそらく、この模様をあなた方の放送でご覧になったんだろうと」
「ほう……」わたしはうなずいた。「では、われわれはサーシャを連れて帰っていいのですね?」
わたしは、いさましい軍用ジャンパーがよく似合っているサーシャの、それとは似つかわしくない不安そうな表情を見て、小さくて細い背中を、なだめるように優しくさすった。
サーシャも、やっと普通に息が出来るようになってきたようだ。
フレドはそれほど大きな障害はおこしていないのだろう。銃撃を受けた背中の大穴からときどき小さい火花を出しながらも、なんとか姿勢を調整している。
上官が確認のためだろうか、もういちどブレットに向かって話をしている。
ブレットを閉じて顔を上げた。
「シュー陛下におかれましては、解放せよとのお言葉です」
その声とともに、ゴンドラのみんなが歓声をあげた。
「やったあ!」
「あいつ、お妃と王子をあきらめたんだ」
「なんぼ皇帝陛下やかて、家族のえこひいきはアカンわなあ」
ちょっと身体を固くしているサーシャの反応を不思議に思いながら、わたしはゴンドラへとうながす。
「行きましょうサーシャ」
「お妃と王子って、どういうことなのモルドー」
サーシャがわたしを見あげて尋ねた。
「主席の家族が疫病に犯されたことが、すべての発端だったんです。だから彼らは強引にあなたを誘拐して、血液を採取しようとした。それをわれわれが世界にリークしたので、中止せざるを得なくなったんでしょう」
わたしはブレットを開き、この放送に対する民衆のコメントを見せた。多くが政権を批判している。
「待って!」
サーシャが大声をあげた。
みんながその声に黙る。兵士やその上官たちも、サーシャに注目した。
「その人と、話をさせて」
●22 1リットルの愛
サーシャの言葉の意味がわかると、わたしは少し考え、それから、その言葉をフレドに通訳するよう伝えた。残念ながら、わたしにはグレートシャイニー皇国の言語データがビルディングされていない。
ダグが何かいいかけたが、わたしが首をふるのをみて、あきらめたようだった。
背の高い上官は、ふたたびブレットを開いて、通信をはじめた。
おそらく直接皇帝に通信しているのではあるまい、と思った。
だが、相手が秘書官であれ、それでその人に連絡が行くのなら問題はあるまい。
サーシャはそのようすをじっと見つめて待っている。
背の高い上官の言葉を、ふたたびフレドが通訳する。
「お話になるそうです。あのブレットに自動翻訳もスタンバイしています。ただ……」
背の高い上官はわたしのブレットを指さした。
「放送はとめていただきたい」
「いいでしょう」
わたしからの要請を受け、ピーターがストリーム配信を停止した。
それをわたしのブレットで確認して、上官は自分の軍用ブレットをサーシャに渡した。
「どうぞ」
ブレットにサーシャが顔を近づけた。
「サーシャ・トーマです」
相手は顔を出さずに音声だけのようだ。画面には国旗らしきものが映っている。相手が何か言うと、その翻訳文がすぐに画面に表示されていく。
(余がグレートシャイニー皇国、シューである。君はサーシャかね?)
「皇帝陛下、ご家族のこと、ごめんなさい。それから、この船にいるハオレンのことも」
(疫病はわが臣民全員への脅威である。われわれも最善を尽くしているが、決定的な治療法は今も見つかっていない。だが、わが医師団がいずれ有効な治療法を見つけるであろう。君には大変迷惑をかけたが、許してほしい)
「いいんです。ホントはボクも協力したいんだけど、やらなければならないことがあるんです」
(ほう……それは?)
「工学博士として母の遺志を継いでやっている研究が、あと少しで、完成するんです。だから、ボクに時間をください」
(なるほど、君は工学博士か。さすがはAAAの子であるな)
「ボク、もう少しだけここにいます」
(なに……?それは、どうしてかな?)
聞きながら、わたしはサーシャの真意を測りかねていた。わたしの端末に、
(モルドーやめさせろ)
と、ピーターさんが素早く送ってきた。
だが、わたしはサーシャを信じることにした。
「ボク、血を1リットルだけ置いていきます。それでハオレンと、病気の人の治療をしてください」
(……ありがとうサーシャ。君の健康は保証する。かならず治療に役立てようぞ)
「お願いします」
(では余の部下と代わってくれ)
サーシャは引き、上官の人と画面のむこうとの通信がしばらく続いた。
「大丈夫です。サーシャさんの輸血を、安全かつ万全にするよう、指示しているようです」
フレドが音声通信を傍受して、わたしにこっそり翻訳してくれた。
それからのことは、とても友好的にすすめられた。
サーシャが採血と輸血を行うため、いったん船内に戻ることになり、フレドに肩を借りたわたしがつきそった。
清潔な病室に案内され、2回に分けて合計千ミリリットルの採血が、途中の休憩と検査をあわせ、合計二時間で行われた。
その後、同量の輸血が、今度は三時間かけて行われた。
昼頃になって、サーシャの体内を調査していたナノマシンからの診断報告で、健康体が確認できたので、われわれはようやく、その空母を離れることになった。
その間、ダグとサキは、ゴンドラのままだったが、ランチをふるまわれていたそうだ。アイドルのメンバーは、兵士たちにサインなんかをねだられたらしい。最後は、みんなで見送ってくれた。
「また遊びにいらっしゃいと言っています」
デッキから見上げたフレドが、叫んでいる。
彼がこの空母に残ることは仕方なかった。
応急措置で必要な部品は交換してもらったようで、ちょっと発声は弱いが、かなり普通になっている。
「キミも、遊びにおいでよ」
ゴンドラに乗った車椅子のサーシャが、デッキにいるフレドに言った。
フレドは笑って、
「私より優秀なアンドロイドはたくさんいます。私はこれ以上修理されないと思いますから、たぶん処分されるでしょう」
と、微笑して言った。
わたしは心配そうな表情のサーシャにこっそりささやく。
「そうなるまえに、わたしたちがもらい受けてあげます。サーシャの命の恩人ですから」
フレドがわたしたちを不思議そうに見あげた。
「ねえモルドー」
「なんですかサーシャ」
わたしは壊してしまって膝の不自由な足を引きずりながら、サーシャに身を寄せる。高さがあうように腰を曲げた。
サーシャはとん!と、優しく肩をぶつけてきた。
「やっぱボク、コマンダーのモルドーより、いつものモルドーがいいなあ」
「わたしはコマンダーではありませんよ。なぜ戦えたのか、わたしにもよくわからないんです。おそらく、特殊なハッカー専用の量子チップ、エマージェンシーモード、ブーストと電磁誘導方式の未知の器官、あ、そもそもは不完全な感情回路が……」
「言わないで!」
とん!
「そういえば……」
人差し指をかわいらしく唇にあてて、サーシャは首をかしげた。
「その電磁誘導の器官て、誰がモルドーに組み込んだのかな?」
「さあ……誰でしょう?きっとサーシャを守ってほしかった誰か、じゃないですか?」
わたしはサーシャの首のペンダントを手にとり、開いた。
いつものように、ナルシアが慈愛に満ちた微笑みを浮かべていた。
「諸君、さあ、帰ろう!」
ダグがやってきて、わたしとサーシャの肩を抱いた。
「そやで、早よナルシアに報告せんと、な!」
いつも冷静なサキも、このときばかりはその輪の中に加わった。
フレドのそばに士官の一人が来て、なにかを伝えた。
「船長が離脱したらなるべくこの船から離れるようにと言っています。予定を変更して飛ぶそうです」
「飛ぶ?」
「はい」と、フレドはすまして言った
「船長はこう言っています。この船は空中空母だ」
われわれは顔を見合わせた。
飛行船が放水をはじめ、やがて空母のデッキからふわりと浮遊した。甲板には船長やフレド、兵士たちが百名ほども見送りに出て手をふってくれている。あれほど大きかった空母が、眼下に全容を見せ、しだいに小さくなっていく。
三百メートルほどの高度に達してから、飛行船はモーターを駆動させて水平飛行に移った。船長の忠告に従い、首都湾方向へ全速力で飛ぶ。電源はわずかなものだったが、今日は晴天なので太陽光発電は最大量に近い。船体全体が太陽光発電の機能を持っているのだ。
空母のまわりに、とつぜん白い蒸気が湧きおこり、海面に何十もの渦を描き出した。
驚いた海鳥の群れが、いっせいに飛び立ち、目の前を横ぎる。
船底の下部が人の字に開き、炎が噴射されて轟音が響きわたった。巨体が上昇しはじめ、たちまち飛行船と同じくらいの高さにまでなる。
呆然とみているわれわれを尻目に、その空中空母は、グレートシャイニー皇国へと帰っていったのだった。
 




