幸田露伴「風流微塵蔵」……「引」現代語勝手訳
岩波書店の「露伴全集 第八巻」に収められている「風流微塵蔵」については、「序」に当たる文章が、「引」として、この作品群の冒頭に掲げられています。
本当は、「風流微塵蔵」の最初の作品「さゝ舟」をアップする前に出さなければならなかったのですが、内容的に難解であったため、今になってしまいました。
後書きで書きますが、今でも、ほとんど自信のある訳にはなっていません。
皆様方のご教示もいただければとも思い、先ずこの前書きの部分で、原文を掲げ、その後、私の拙い現代語勝手訳を、そして、後書きで、この「引」について、少しだけ書いてみたいと思います。
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引
我聞く。文のもつて義を載するを、脂邦には経といひ、西天には線といふ。
経は経緯相織るの意(こゝろ)に取り、線は花を貫きて瓔珞を作し失墜せざるの意(こゝろ)に取ると。我が心に得て筆に発するもの、之を呼んで経となさんか、必ずしも経緯相織らざるなり。之を名づけて線とせんか、必ずしも花を貫きて瓔珞を作し失墜せざるにあらざるなり。乃ち之を称して蔵となす。蓋し我が心に得るある冉々(ぜんぜん)たる雲のごときもの、我が筆に発するところの黯々(あんあん)たる夜の如きものの中に蔵せられて、而して後奕々(えきえき)冥々(めいめい)半明半暗僅かに存するの意に取るのみ。蔵を標するに微塵を以てするは、其極めて小なること猶一微塵のごとくなると、兼ねては華厳に所謂破塵出経巻の義とに取るなり。たヾ我浄慧浄眼の人にあらず。量三千界に等しきの大経巻を一微塵中に見る能はず、すなわち風流の二字を冠して具四大願の諸仏諸聖が見るところのものに僭する無く、単に凡眼を以て微塵を照破し品花評月の小文字を羅織し出すに止まるものなることを明かにす。
明治二十六年一月先づ蔵中のさゝ舟を出すに當って、豫め全蔵の引をなすと云爾。
癸巳元旦
幸 田 露 伴 識
風流微塵蔵
序
義というものを文に綴ったものを、中国では経、印度では線と言う。経は経糸と緯糸で織り上げることを意味し、線とは花々を重ねて作った瓔珞(*仏像の頭・首・胸などにかけた飾り)を一条の線で貫いて落とさないという意味を持つと聞いている。
自分の心に浮かんで書こうとされるもの、これを経と呼ぶことはできないか。いや、その書こうとされるものは必ずしも経糸と緯糸で織ったようなものではない。では、これを線と言えないか。しかし、これも必ずしも、花々を重ねて作った瓔珞を貫いて落とさないという意味での線にもなっていない。
それで、これを蔵と呼ぶことにする。おそらく、私の心の中で生まれて、徐々に広がって行く雲のようなもの、私がこれから書こうとするものは、ぼんやり暗い夜のようなものの中に蔵められるのだろう。そして、時を経た後、それは光り輝くようになっているか、あるいは暗いままか、または半分明るく、半分暗く、かは分からないが、ただ僅かであってもそこに存在するのだろうと考え、そういう意味で蔵と称するのである。
蔵を表すのに微塵と言うのは、それが極めて小さいためであって、もっと小さい一微塵のようになると、普通は華厳で言う破塵出経巻における義の意味に取る。しかし、私は浄慧浄眼の人(*煩悩に悩まされない智恵を持ち、物事の真理を悟る眼を持つ人間)ではない。宇宙のような三千世界に等しい膨大な量の大経巻を一微塵中に見ることなどできやしない。だから、四大願を具えておられる諸仏諸聖が見ておられるものを越えてやろうなどと、大それたことはせず、風流の二字を冠して、ただ日常における平凡な眼で以て微塵を照らし出し、花を見分け、月を評する『品花評月』という、言ってみれば、普段着るような薄くて粗い羅織(*経糸同士が平行にならずに搦み合い、その間に緯糸が入ることで通気性に富んだ透け感のある網目状の織物)のようなものを作り出すだけだということをここに告白しておく。
明治二十六年一月 先ず、蔵中の「さゝ舟」を出すに当たって、予め全蔵の序とするものである。
癸巳元旦
幸田露伴 識
風流微塵蔵の「引」について
碩学、幸田露伴の硬質な文章です。
国文学などを専攻されている方であれば、充分理解されるのでしょうが、まったくの門外漢で、浅学非才の私には荷が重すぎる文章です。
そもそも、ここで言う「義」が何を意味しているのかが分かりにくい。とらえ方によっては、微妙に異なった意味になるように思います。
しかし、この文章の本質はそこではないと思います。
では、この「引」で露伴は何を言おうとしているのでしょうか。
たまたま、ネット上に関谷 博氏の「幸田露伴の<国民>――『土偶木偶』と『普通文章論』――」という論文を見つけました。
そこに興味深いことが書かれてあったので、次に紹介、引用してみます。
……露伴は、「小説を書かんとするに当たっては先ず想が胸中に浮かばなくてはならぬ」が、「如何なる事を書かんとの思ひ付きの浮かぶのは」、大抵「賢まった時で無い折に起こる」とした上で、
○既に想が起これば直ぐ其れを紙へ写すかと云ふに、余が、多年の経験に拠ると、直ぐに書かずして、それをヂッと寝かして置くを必要とする。
○すると活力の弱いのは直ぐに消滅して終わって跡方も無いやうになる。
(P.48)
「引」の中で、これに相応するものが、
「蓋し我が心に得るある冉々(ぜんぜん)たる雲のごときもの、我が筆に発するところの黯々(あんあん)たる夜の如きものの中に蔵せられて、而して後奕々(えきえき)冥々(めいめい)半明半暗僅かに存するの意に取るのみ」という文に表れているのではないでしょうか。
まとめてみると、
・ 心の中にある構想、書きたいことがフト浮かぶ。
・ しかし、それを直ぐ書き始めず、じっと寝かせておく。
・ すると、本当に書く値打ちのあるものだけは残って、自分の心の中で光り輝くようになり、そうでないものは自然消滅してしまう。
・ そんな風にアイデアを収めておくのが蔵である。
・ それは本当に小さい蔵であるから「微塵蔵」と名づける。
・ 華厳経において、一微塵と言えば、そこに三千世界という大宇宙が納まっていることにもなるのだが、自分の蔵には大したものは入っていない。
・ また、それらの中に存するものを、諸仏諸聖のような目でもって見ることも出来ない。
・ その蔵には、所謂普段着のような、羅織で織ったような薄くて粗い作品しか入っていない。難解なものが納められている訳でも無く、日常生活の中で少しだけ文学的な意味合いを含ませて、「風流」の二文字を加え、「風流微塵蔵」と題した。
こんな風に考えるのは、素人の浅はかさかも知れませんが、とりあえずはそう考えておくことにします。
露伴は瓔珞を繋ぎ止める「線」というものをイメージして、この作品を手がけていたようです。
この風流微塵蔵では様々な人物が登場しますが、それらの人物、物語を瓔珞と捉え、それらが単なる断片として散らばらないように、落ちないように、あるいは纏まりをもつように、しっかりとその中心を貫く「線」としての役割を果たしている人物を考えた。それが新三郎とお小夜だと言われています。
実際に露伴から直接話を聞いたという柳田泉氏は、露伴の言葉として、次のように書いています。
「かういう風に新三郎お小夜の物語から発端して、此の二人の物語から離れて別の物語を発展させ、一わたり発展させてしまふと又此の二人の物語に還って来るといふやうな具合で連環体とか何とかいっても、凡ての物語が、この人の物語によって貫通されてゐる、丁度他の凡ての物語は数珠の珠のようなもの、此の二人の物語はその珠をつなぐ緒のやうなものともいへる」(東洋文庫「随筆 明治文学3 人物篇 叢話篇」平凡社 P.26)
そして、未完に終わってしまいましたが、露伴の構想は、次のようなものであったとされています。
「従って自然にこの二人の物語が、「風流微塵蔵」完成のあかつきには、この作の中心的な位置を占めるといふことになる筈だった。この二人の運命がこの後何うもつれて行くことになってゐたか、自分が当時腹稿として立てたものの記憶をいふと、子ども時代に無邪気に好き合ってゐた二人は、やがて種々な運命を経て青年としてめぐり合ふ、さうして二人の間に昔とは違ふ情緒のものが生じる、そのためにはいはゆる人生の苦杯を敢えて嘗めさせられ、悲惨な経路をいろいろと経てわづかに解脱安住の地に至る、といったことになるのだ……」(同上)
そう考えると、経糸緯糸もしっかり計算され、また、線についても充分構想されてこの大きな作品を作り上げようとしていたのでは、と思わざるを得ません。
「義」というものが何を意味しているのか、私にはまだ理解はできていませんが、関谷博氏の論文や柳田泉氏の話を読んでいるうちに、うっすら、ぼんやりではありますが、この「引」に書かれていることが分かるような気がしてきました。
とは言いながら、これはまったくの素人の猿知恵。
ご専門の方がいらっしゃれば、是非ご教示いただきたいと思っています。
なお、「風流微塵蔵」そのものに関しては、また機会を見つけて書いてみたいと考えています。