第12-2話 勇者と英雄
前線に立つのはアルバート、後方で遠距離支援魔法を行うのはクミラ、そしてその彼女を守るのがユアだ。
アルバートは覚悟を決め、躊躇なく軍の隊列の最前列まで駆け抜けていった。
その進撃に兵たちは一瞬、息を呑み、距離を取り、次に三人から四人の小隊となって包囲の構えを取る。指揮官とおぼしき兵士が静かに命じた。
「相手は一人だ!だが、数で押そうとは考えるな。少人数で攻めつつ消耗させろ!向かうのは腕に自信のある者だけにしておけよ。奴は強い」
その姿に、アルバートは相手の高い士気と覚悟を読み取った。
「さすがは精霊王が治める国の軍だな。一般の兵士も並の者たちとは違う。しかし、ここは通すわけにはいかない!」
彼は全身に聖気法力を巡らせ、右足に力を込めると、鋭い金属音を響かせて地面を踏みしめる。
練り上げられた聖気法力は大地を裂き、過去最大の範囲にわたり空間支配の支配領域を広げていく。
その範囲に捉えられた百六十人ほどの兵士たちが、一瞬の隙にアルバートの一閃によって首を斬り裂かれた——しかし、その瞬間、兵士たちの輪郭は幻のように揺らぎ、蜃気楼のように消え去っていく。
「なるほど、幻術か……」
冷静に状況を分析するが、アルバートの気配探知や空間支配の範囲にも確かに反応していたことが解せない。
不可解な感覚がアルバートの身体と精神を覆い、全てがどうでもよくなるような侵食が忍び寄ってきた。
このままでは危険だと聖気法力を解放して冷気を振り払い、何とか意識を取り戻した彼が目にしたのは、一筋の妖しく煌めく刃。
「邪魔が入ったか……」
剣を突き出していたのは、装飾されたバンダナで片目を覆った隻眼の男。
彼の剣の切っ先はアルバートの首元まで迫るが、寸前で幾重にも重ねられた防御結界に阻まれていた。アルバートはすかさず抜刀し、隻眼の男へ横薙ぎの一閃を放つ。
だが、再び男の姿は煙のようにかき消え、幻のごとく姿を失った。
「また幻術か、やりづらいな……それに、この剣捌き、ただの剣士の腕前ではないな!」
隻眼の男がどこからともなく再び現れ、攻撃を繰り出す。
アルバートは刃を受けきり、すかさず反撃の一刀を放ったが、剣が届いた瞬間に男は再び幻のように消えてしまう。
「それでも受けきり、反撃までするとは……まだ若いのによく耐えるな。貴公の未来は末恐ろしいほどだ」
隻眼の男の声が虚空に響く。
その音は、まるで戦場そのものを圧倒するかのように冷たく重い。風は凪いだかのように静まり返り、ただその声だけが空間を支配していた。
先の侵食さえなければ、剣撃を捌くことなど容易い。そうアルバートは自信を抱いていた。
だが、現実は違った。剣は何処からともなく次々と振るわれ、闇の中から不意に現れる。隻眼の男の一太刀一太刀は、まるで死神が鎌を振るうかのごとく正確で、僅かな油断が命取りになる。剣圧にさらされる度、心臓が鋼のように打ち鳴る。
(集中しろ、崩れてはならない……!)
目には見えぬ敵の剣閃をかわし続ける中で、アルバートの脳裏には冷徹な決意が宿る。
——幻術を使う者。その性質を知る者にとって、心の隙は死を招く。恐怖の影が迫り来ても、彼は毅然とした態度を崩さなかった。
「ふん、これが限界だと思われるのは癪だな」
口元に浮かべた微笑は挑発的なものだったが、その瞳には燃え上がる闘志が宿っている。
アルバートは聖気法力の解放の段階をさらに高め、剣の型すらも変えていく。先ほどまでの戦いの『癖』、わざと見せていた微細な動きのパターンすべてを一度リセットし、再び新たな癖を作り出す。これにより、相手の読みをさらに狂わせる狙いだ。
「ほう、そんなこともできるのか!楽しませてくれるな、少年よ」
「楽しませるつもりはない。……いつまで余裕でいられるかな?」
アルバートは攻撃のリズムを一切なくし、乱舞するように剣を振るった。その剣筋には規則性はなく、読めるはずの軌道があえてちぐはぐに歪められている。相手が一流であればあるほど、その無秩序な動きに惑わされるはずだ。
「おお、おお、早いな……なんだ、その動きは?全く先が読めないぞ……!」
隻眼の男は、霧のように現れては消え、また現れては消える。
その瞬間の中で、鋭い剣撃を繰り出すも、その表情にはいまだ余裕が見て取れた。
「その余裕が命取りだ」
そう囁くように呟いたアルバートは、剣を交える中で得意とする重力魔法を発動する。
術者であるアルバートに影響を及ぼさない重力魔法は、その領域内の重力を何倍にも強めるものだった。途端に空気が重くなり、まるで大地そのものが圧し掛かってくるかのような圧迫感が周囲を包み込む。
そして、見計らったタイミングでクミラが後方から補助魔法を発動する。
クミラの補助で重力魔法の効果はさらに増幅され、まるで空間そのものがねじれるような錯覚を引き起こす。
その上、クミラは状況を見極めて、幻術妨害の術式も付与していた。これにより、隻眼の男の姿は幻術で隠せなくなり、加重された重力によって動きも鈍らせられていく。
「捉えたぞ……!」
その瞬間、アルバートの剣が閃く。聖気法力を纏わせた剣先が、隻眼の男の首筋を寸分の狂いもなく狙い定めた。吸い込まれるように刃は皮膚を切り裂き、肉を断ち、勝利の手応えがアルバートの腕に伝わる。だが──
「……っ!」
刃が届く直前、男は片眼を覆っていたバンダナを外し、閉ざされていた瞳が金色の輝きを放つ。
途端、剣先が捉えていたはずの男の姿が掻き消えた。
「今のは……魔眼かっ!」
アルバートは驚愕するも、一瞬にして消えたはずの男の姿を捉える。
その姿は遥か彼方、兵士たちの前方。まるで最初からそこにいたかのように佇んでいた。
「いやはや、貴公には驚かされてばかりだ。この魔眼を使用したのはルゼ様に次いで貴公で二人目だよ。称賛に値する」
「称賛はありがたく受け取っておこう。しかしその強さにその眼……まさか『天眼の英雄』様と刃を交えられるとはな。精霊王の軍門に下ったと聞いてはいたが、噂は本当だったようだな」
「ずいぶんと懐かしい呼び名だ。しかし、その名はとうの昔に捨てた。今はナイヤと名乗っている、覚えてくれると光栄だ」
ふたりは距離を詰めようとせず、ただ睨み合う。その間、アルバートは焦燥感を抱いていた。
ナイヤに踏み込む隙を見出せず、しかも後方にはクミラとユアが控えている。今のところ、彼女たちに敵兵は迫っていないが、状況は刻一刻と変化している。
「どうした?かかってこないのか?」
安い挑発。しかし、ナイヤが乗るはずもない。
だが、時間を無駄にすればそれだけ精霊王が迫ってくる。焦燥感が胸を焦がし、アルバートは内心で歯噛みする。
「かかってこないのは貴公とて同じこと。それに……もう私の出番はなくなったようだ。覚悟することだ、私ほど甘くはないぞ?」
その瞬間、ガシャッと無数の金属音が響き渡る。兵士たちが次々と鎧を鳴らし、整然と跪き、頭を垂れる音だ。その中にはナイヤさえ含まれていた。
何千、何万という屈強な兵士が、敵を前にしてなお、跪いて頭を下げるという異様な光景。それはまるで、神を迎える儀式のようだった。
(来る……!)
上空を仰ぎ見ると、太陽を背にして広がる白い大きな翼が見える。
まばゆい光が降り注ぎ、空気が震えていた。その姿はまるで神の降臨そのものだ。
精霊王の名を関する王の到来を前に、アルバートの心臓が激しく脈打つ。神威と呼ぶにふさわしいほどに圧倒的な力が、戦場を覆い尽くした。
「……あれが精霊王か。これ以上はただでは済まないな」
アルバートは息を整え、剣を再び構える。ここからが、本当の戦いの幕開けだ。
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