第24話 執念の秘奥
虹色に煌めく炎剣を肩に背負うように構えたレイネス。その体に宿る魔力が一気に足元へと集中し、次なる一手を打つべく全身に圧倒的な魔力が漲っていく。溢れ出す魔力は爆発的に膨張し、ついにはその限界を超えた。その瞬間、重々しい轟音が周囲一帯に響き渡ると、レイネスは一瞬で距離を詰め、まるで虹の流星のごとき速度でニスレアへ斬りかかった。神速の一刀を振り下ろし、炎剣はこの場にいる勇者たちの大将ニスレアを狙い定めていた──だが、その剣は標的に届く寸前、四人の勇者によって阻まれる。
「剣士!」「剣士!」「剣士!」「剣士は我らが仕留める!」
四人が持つ四本の聖剣が交差し、レイネスの炎剣の軌道を止めた。鋭くも重い一撃が完全に封じられた瞬間、レイネスの眉が僅かに動いた。
「あなた方は……」
まさかこの剣が止められるとは──レイネスも驚きを隠せない。今の一撃は軽いものではなく、圧倒的な魔力を込めた剣だった。それにも関わらず、彼らは揺るがずに聖剣を交差させ、まるで平然と炎剣の一撃を抑え込んでいる。虹色の炎を纏う剣の輝きに目を細める四人の瞳には、深淵のような闇が垣間見えた。
「さあ」「ご決断を」「我らに」「この剣士を」
彼らの視線が一斉にニスレアへと向けられると、ニスレアは面倒くさそうにため息をつきながら、気だるげに言い放った。
「ったく。ああ、いいよ。やっちまえ」
その一言が落ちると同時に、四人は手際よく反撃を開始した。瞬く間に繰り出される四連の斬撃が、レイネスを包み込むように襲いかかる。レイネスは反射的に攻撃を避けるべく身を翻したが、その速度にもかかわらず完全には逃れられなかった。首、腹、胸、そして足に浅い切り傷が次々と刻まれていく。
「……速いですね」
その言葉を漏らすレイネスの声には、驚愕と冷静さが混じっていた。今の斬撃は様子見のようでありながらも、決して軽いものではなかった。そして、立て続けに襲いくる幾度かの斬り込みも、彼女は何とか捌き、わずかな距離を取ることに成功する。
レイネスは、改めて四人をじっと見つめた。手を抜いたつもりなど一切ない。だが、自分の速度に対してこれほどの反応を示し、なおかつ即座に反撃してくる彼ら四人の存在、その脅威を改めて認識せざるを得なかった。
(これが……アイラフグリス王国の正規勇者……)
レイネスの頭をよぎるのは、彼らの噂だ。ノバルレイン家の四聖剣──その名を知る者は多い。剣士の間ではとりわけ名高い存在であり、アイラスグリフ王国において貴族でありながら勇者として名を馳せる。彼らは、長男ゼセル、次男ゲインズ、三男ウルグ、四男ロンドの四兄弟。剣士を殺すために鍛え上げた〈四聖一体〉と呼ばれる剣技を操る、"剣士殺し"として恐れられていた。
「速い?」「まだまだこれからだ」「相当な手練れのようだな」「我ら四人を楽しませてみろ」
四人は同じ顔、同じ声、同じ背格好──まるで一人が四人に分裂したかのように、全てが瓜二つだ。だが、その真髄は〈四聖一体〉と呼ばれる技にあった。感覚、思考、感情までも完全に共有し、四人が一人のように動き、戦うその技は、幾代にも渡りノバルレイン家で磨き続けられたものだ。
六代続く当主が必ず四兄弟であることを条件に継承される〈四聖一体〉は、剣士を倒し、技を吸収し、絶えず進化を続ける言うならば『変わり続ける奥義』である。その剣技の究極は、彼らが剣士を狩り続け、戦った剣士から技を奪いながら成長する過程で培われたもの。剣士殺しの名の通り、彼らは剣士との戦いそのものを楽しむ。
「あなた方を楽しませるつもりはありません。しかし、その技は……厄介ですね」
レイネスの目が目隠しの奥で鋭く光り、再び炎剣を握り直す。
ノバルレインの四兄弟は剣士を殺すことに特化した戦闘スタイルを持つ。レイネスもまた剣士の一人ではあるが、彼らの前に立つと状況は明らかに不利だ。しかし、それはあくまでレイネスが『剣士』としての力にのみ依存している場合の話だ。
事実、彼らが執着しているのは"剣士"としてのレイネスのみであり、他の能力には一切の興味を示していない。彼らのその盲目的な集中力──そこにこそ、レイネスは隙を見出していた。
「我ら」「四聖の」「聖剣を」「受けて死ね」
ノバルレインの四兄弟の剣技はまるで流水の如し、止めどなく流れるように変幻し、その剣筋は捉えどころがない。幾多の型や奥義を取り入れ、長所を最大限に引き出し、短所を補うその剣技は、相手に一瞬の油断も許さない。剣撃はするりと標的の防御をかいくぐり、確実に命を狙う。〈四聖一体〉の名に違わぬ完璧な連携、四人の動きは一切の遅れも狂いもなく統率されており、絶え間なくレイネスに襲いかかる。
対するレイネスは、研ぎ澄まされた技術と数々の戦いで培った経験、そしてかつて最強の剣士が認めた才能で、剣撃を巧みに流し、払い、受け止めていく。何度目かの打ち合いが続くが、互いに決定打を打ち出せずにいた。
レイネスは彼らの攻撃を捌き切ってはいるが、反撃の機会を見出せずにいる。相手は四人、こちらは炎剣一本。手数の違いからくる不利な状況が、攻めに転じることを許さない。距離を取ろうとすれば隙が生じ、その隙をノバルレインの四兄弟が見逃すわけがない。下手をすれば、次の瞬間には彼らの剣がレイネスの首を跳ねているだろう。彼らは確実に一定の距離を保ちながら、的確に死の一撃を放ち続けていた。
だが、どんな攻撃も無限に続くわけではない。刹那の隙、彼らの剣技が一瞬止んだその瞬間、レイネスは地面を力強く踏みつけた。
「爆ぜろ!黄炎!」
轟音と共に大地が裂け、レイネスの周囲に無数の亀裂が走る。そして、その亀裂から溢れ出すように黄色い炎が爆発的に広がり、四方へと弾け飛んだ。
「小癪な技だ」「我らの」「剣士としての」「戦いを愚弄するか」
黄炎の爆発を避けるため、ノバルレインの四兄弟は一時的に後退を余儀なくされた。その表情には明らかな不快感が浮かんでいる。彼らがレイネスに求めるのは純粋な『剣士』としての戦いであり、それ以外の力には全く興味がない。いや、それどころか、他の力を使うこと自体が彼らに対する侮辱だと感じているようだ。剣士に対する彼らの執着は異常とも言える。
「剣士、ですか……四人がかりで一人を相手にするあなた方に、剣士を名乗られるのは少しだけ、嫌ですね」
本物の剣士を知るレイネスの言葉。しかし、それは彼らには届かない。彼らにとって、"勝利"こそが至上の目的であり、その手段は問題ではない。
「何を言うか」「我らは四人で一人」「これが我らの真の姿である」「我らは剣帝すらも越えるだろう」
彼らの自信はこれまでの戦果に裏打ちされている。ノバルレインの四兄弟──彼らは、剣士相手に一度も負けたことがない。名だたる剣士たちを次々と屠り続けてきた。"剣士殺し"の異名は決して伊達ではない。
「そうですか。しかし、あなた方では剣帝は倒せません。確かに、一人一人の剣技は卓越していますが、それでは越えられない壁があるのです。剣帝の剣は至高です。四人が集まったところで、その剣には届かないでしょう」
「何を言うか」「我らは無敗の」「剣士殺し」「剣帝とて例外ではない」
レイネスの発言に怒りを覚えたのか、四人は再び攻撃を開始した。先程よりも更に速く、鋭く的確な攻撃が繰り出される。だが、レイネスはその攻撃に何か異質なものを感じ取った。
彼らが今放っている力は、以前戦った準勇者たちが使った〈狂化〉と同じものだ。しかし、準勇者とは異なり、四兄弟はその力を完璧に操っている。これこそが彼ら本来の姿──"剣士殺し"としての真の実力だ。彼らは、レイネスを完全に殺しにかかってきている。
「無名の剣士よ」「我らの四聖に」「跪き」「死を受け入れろ!」
四人の技術、才能、そして聖気法力が完全に混ざり合い、〈四聖一体〉の真の姿が現れる。彼らが繰り出す必殺の連撃は、数多の剣士を殺してきた技。その技を逃れた者は一人もいない。限界まで速度を高めた四兄弟の攻撃が、レイネスを四肢から切り刻まんと襲いかかる。
だがレイネスは、その剣技の奥に何かがあると直感した。四肢を狙う四連の斬撃──それだけでは終わらない。レイネスは、自らの両手両足を犠牲にしてでもその真の技を見極めると決意した。
四聖の剣が肉を裂き、皮膚を切り裂く。だが、レイネスはその痛みに意識を奪われることなく、深い集中を維持する。そして、見えないものを"見る"ために、感覚を研ぎ澄ませた。
──「よく音を聞き、風を感じ、魔力の流れを全身で感じるのだ。そうすれば、自然と"見えてくる"。それが〈心眼〉だ。まずはこれを習得しなさい」──
かつて師匠ウォリアズから教えられた言葉が脳裏に甦る。レイネスは目を閉じ、音と風、力の流れを感じ取り、全てを掌握する。そして、四聖の剣技の先を見極める準備を整えた。
(音、風、力の流れ……この場の全てを掌握し、すべてを見通す──)
限界まで引きつけられた初撃の四連撃は、レイネスの手足の深いところまで届いていた。しかしここで彼女は静かに身を引いた。次の動きを完全に読み終えたことから、これ以上の負傷は無意味であると判断したのだ。
彼女は、相手に初撃の失敗を悟らせぬよう巧妙に身をかわし、次に来る一手を予見していた。そして、ノバルレイン家の奥義、その真価がついに姿を現した。彼らの技は、八連撃――複雑で不可解な軌道を描きながら、死を確実に刻む剣技であった。
この奥義の本質は、四連で四肢を断ち、相手の自由を奪い、続く四連で首を断つというもの。一見単純に見えるが、その軌道は剣士の盲点をつき、八連すべてにおいて精密な剣技を必要とする。技量、経験、鍛錬の結晶であり、これまでに多くの剣士がこの技の前に敗北してきた。だが、レイネスには既に見切られていたのだ。
重なり合い響き渡る剣戟の音が止み、舞い上がる砂煙の中、静寂が訪れる。四兄弟は剣を構えたまま一点を凝視した。〈四聖一体〉と〈狂化〉、全ての力を出し尽くした彼らの奥義を受け、生き延びた者はいない──そう信じ、これまでに例外は存在しなかった。
しかし、砂煙が晴れると、そこに倒れているはずのレイネスは立ったまま炎剣を握りしめ、両手両足に深い傷を負いながらもなお立ち続けていた。右手には炎剣、左手には小振りなナイフを携え、その二刀で四聖の剣の全てを受け止めたことを証明してみせたのだ。
「な…なんだと!?」 「我らの四聖の剣が…」 「破られたというのか?」 「ありえん!お前、一体何者だ!」
無敗の剣技が破られた事実は、ノバルレインの四兄弟を大いに動揺させた。この技は剣帝を討つために、彼らの一族が幾年にもわたり鍛錬し、磨き上げてきた奥義。全ては剣帝の至高の剣を超えるために行った血の滲むような努力の結晶だった。
しかし、それが今、名も知らぬ剣士によって破られたことに、彼らの心は動揺と屈辱で満ちていた。
「さすがに無傷では済みませんでしたが、もうその技は私には通じませんよ。もう見切りました」
レイネスは静かに言い放った。
その言葉に、彼らは反応を返すこともできず、ただ剣を握りしめるだけだった。戦闘は一瞬の休息を迎えたが、彼らの視線は全てレイネスに釘付けになっていた。彼女がどうやって奥義を破ったのか、そして何者なのか。考えを巡らせても、答えは見つからない。唯一の可能性として浮かんだのは、剣帝の技──だが、それは絶対にあり得ないことだと、彼らは否定する。
「ありえん!そんなことは…ありえない!」
「見たぞ!あの時、お前の動きは…剣帝に近いものだった!」
「剣帝の剣は一子相伝だ。模倣することなど絶対に許されない剣技だ!」
「なぜだ!なぜお前が剣帝の剣を使えるんだ!」
ノバルレインの四兄弟の〈四聖一体〉が乱れる。各々がバラバラの感情で声を上げる。それだけ彼らは動揺しているのだ。
シィータビスク連合国が誇る剣の頂点、『剣帝』。その技は親から子へ一子相伝で伝えられ、他者が習得することは絶対に不可能とされている。
剣士殺しの一族、ノバルレイン家ですら、剣帝の剣を解読することはできなかった。あらゆる剣技を極め、数多くの剣士を屠ってきた彼らですら、それを見抜くことができなかったのだ。だが、目の前に立つ無名の剣士レイネスは、それを完璧に使いこなしてみせた──この事実は、彼らにとって受け入れ難いものであった。
「あなた方に語ることは何もありません。ただ…まだ、終わりではありませんよ?」
レイネスの言葉が、冷たく響き渡る。
ノバルレインの四兄弟がレイネスを必死に攻略しようとする一方で、その戦いを冷静に観察している勇者達の中に、ひときわ鋭い視線を向ける者がいた。
彼の名はシト・ルグニクス、第九階位勇者だ。頭脳明晰で、広範な書物の知識と数多くの実地調査によって情報を収集してきた彼は、既にレイネスの正体に迫りつつあった。彼の膨大な知識は今、目の前の状況を解析し、その恐るべき結論を導き出していた。
しかし、その結論を勇者達の司令官であるニスレアに伝えるべきか、シトは躊躇していた。
シトはよく知っていた。もし彼がこの分析結果を伝えれば、通常の司令官であれば即座に撤退を命じるはずだ。だが、ニスレアは違う。彼は権力を求め、闘争に狂う男だ。相手が強者であればあるほど、彼の戦意は燃え盛る。シトはそれを理解していたからこそ、報告をためらっていた。
しかし、自らよりも階位が低い者が司令官に情報を隠すなどありえない話だ。さらに、もしレイネスの正体を黙っていれば、この場にいる全員が全滅する可能性すらあった。覚悟を決め、シトはついに声をかけた。
「ニスレアさん…あの魔族の正体がわかりました」
その言葉に、ニスレアは普段では見せないほどの上機嫌な態度で振り向いた。
「ああ?マジか!正体がわかったのか?さすがだな、シト!早く教えてくれよ!こんな強い奴、今まで見たことねえぞ!」
シトは内心の不安を抑え、静かに続けた。
「はい。おそらくあの魔族は、全統五覇の不動の一位、最古参であり、伝説とされる魔帝──『虹の焔帝』です。人類、エルフ族、魔族、亜人族、すべての人類の敵を討ち滅ぼす者として語られる大英雄の一人。数多の異名を持ち、『人類の救世主』、『異形殺し』とも呼ばれます。神話大戦の時に彼女が参戦していれば、戦局が変わったとも言われる存在です」
この世に『全統五覇』という最強の概念が生まれた約600年前、その初期メンバーであり、今なお頂点に立つ人物。彼女は異形を狩る孤高の存在で、どの勢力にも属さない。その謎めいた存在は、一代限りではなく、代々受け継がれているのではないかとさえ噂されていた。
だが、確かなのは、全統五覇の序列一位に立つ者こそが表舞台での『世界最強』であるということだった。その事実を知ったニスレアは、喜悦に顔を輝かせた。目の前にいるのは、まさに世界最強──彼女を倒せば、自らの名は全世界に轟くだろう。
「本物じゃねぇか!大物だ!最高じゃねーか!ここで絶対に殺すぞ!どんな手を使ってでも!おい、全員に伝えろ!狂化だ!全員で仕留める!一対一なんて悠長なこと言ってられねえ。九人全員でここで決着をつける!」
ニスレアの声が響き渡る。シトはその予想通りの展開に思わずため息を漏らした。
「……やっぱり、こうなりますか」
通常ならばシトのため息に対して怒声が飛んでくるところだが、今のニスレアは機嫌が非常に良いらしい。彼はシトに向かい、珍しく助言を求めてきた。
「シト、お前なら俺がこういう指示を出すのは分かってただろ?お前の頭脳は信頼している。あいつを殺すための方法があるなら教えろ」
シトは一瞬の逡巡を見せたが、すぐに答えた。
「わかりました。ただし、これはあくまで可能性が上がるというだけで、必ずしも勝てるとは限りません。それでもよろしいですか?」
「いいぞ!どうせ俺は引かない。陛下のご要望を叶えるためにも、やらなきゃならねぇことだ」
ニスレアの瞳には、狂気と忠誠心が入り混じった光が宿っていた。彼は野心家でありながら、国王への忠誠心だけは揺るがぬ本物だ。今彼が第一に考えているのは、全統五覇を崩壊させ、国王の悲願を叶えること。そのために、彼は虹の焔帝、そして目下の標的である八乙女 愁をも討ち果たす覚悟でいた。
「ここで世界最強を倒し、全てを手に入れる…それが、俺の野望でもあり、陛下の望みでもあるからな!」
拳を握りしめたニスレアの心に、燃え盛る闘志と野心が渦巻いていた。そして、その内なる力を解放すべく、彼は自らにこう呼びかけた。
──すべてを、破壊しろ──




