第2-3話 理不尽との戦い
扉を押し開けて中に入ると、そこは賑やかな喧噪の渦だった。
粗野な風貌の男たちが酒を酌み交わし、怒鳴り声と笑い声が飛び交う。場末の酒場のような空気に、リアが少し身をすくめる。
「いらっしゃい、ふたりかい?食事?宿泊?」
料理と酒を載せたお盆を手にした年配の女性が、にこやかに声をかけてくる。どうやらこの宿の店主か、その家族らしい。
「はい、ふたりです。先に食事をいただきたいのと、一泊お願いしたいのですが、部屋は空いていますか?」
「あー、運がいいね。ちょうど一部屋だけ空いてるよ。どうする?」
「では、その部屋をお願いします。それと、この店のおすすめ料理をふたり分、頼めますか?」
愁の言った『ふたり分』という言葉に、近くの席の何人かがちらりとこちらを見たような気がした。だが、今さら気にしても仕方がない。
「ん?ふたり分かい?あんた、奴隷にも飯を食わせるのかい?変わった人だねぇ。ま、うちは金さえ払ってくれりゃ何でもいいよ。空いてる席に座って待ってておくれ」
「わかりました。よろしくお願いします。リア、行こうか」
ふたりは空いた席に腰を下ろし、しばしの静けさを楽しむ。
やがて、先ほどの女性が料理を運んできた。
「はい、お待ちどうさま。うち自慢のきのこのグラタンと、鶏肉のスパイス焼き、ふたり分ね。宿代と合わせて、銀貨一枚と銅貨六枚になるよ」
町を散策中、素材を買い取ってくれる店で不要な鉱石や宝石を換金していたため、所持金には余裕があった。
愁は懐から銀貨を取り出して渡す。
「毎度あり。部屋は二階のいちばん奥だよ。ゆっくりしてってね」
呼ばれたのか、女性は別の客のもとへ足早に去っていった。
「それじゃあ、リア。食べようか」
「はい、いただきます。愁さま」
湯気を立てるグラタンからは、香ばしい焦げ目のついたチーズの匂いと、茸の旨味が混じった芳醇な香りが漂ってくる。とろりとしたクリームの中には、複数の種類のキノコが惜しげもなく使われ、ひと口ごとに異なる食感と風味が舌を楽しませる。
一方、鶏肉のスパイス焼きは見た目こそ素朴だが、皮は香ばしくパリパリに焼き上げられ、肉はしっとりと柔らかい。舌の奥にピリッと残るスパイスの刺激が心地よく、食欲をかき立てる。
旅の疲れと冷え切った身体を癒すには、これ以上ないほどの温もりと滋味がそこにあった。香ばしい湯気が鼻腔をくすぐり、ほんのりと甘みのあるスープが舌の上でとろけていく。
湯気越しに見えたリアの頬は紅潮し、小さく微笑みながら口いっぱいに料理を頬張るその姿は、まるで幼子のように愛らしかった。
彼女の満ち足りた表情を見て、愁も胸を撫で下ろす。
食後、しばしの休息を取ろうと二階の部屋へ向かおうとしたその時──
バンッ!
乾いた衝撃音と共に、宿の扉が乱暴に開かれた。冷たい風が一瞬、店内の温もりを断ち切るように吹き込む。
その隙間から、荒々しい足取りで現れたのは、鎧に身を包んだ一人の兵士だった。息を切らし、額には汗が滲み、瞳には切迫した色が宿っている。
「すまない、いきなりで……この中に、冒険者はいるか!?」
店内に響くその叫びに、ざわめきが走った。騎士然とした姿にもかかわらず、男の顔には明らかな焦燥が刻まれている。
やがて、奥の席から粗野な雰囲気を纏った男たちが数名、面倒そうに手を挙げた。
「冒険者っちゃあ一応そうだが、なんだって兵士がこんな場所に駆け込んでくるんだ?」
兵士は一つ大きく息を吸い込み、震える声で状況を説明し始めた。
「この町に……魔獣の群れが迫ってきている!兵士だけでは到底防ぎきれない数だ!どうか、力を貸してほしい……!討伐報酬は国から支給される!」
「ふん、報酬があるってなら悪くねぇが……敵の数は?到着まで、どのくらい猶予がある?」
返ってきた問いに、兵士は一瞬言葉を詰まらせ、苦しげに続けた。
「数は……およそ二百五十。到着までは一時間ほどの見込みだ。だが……奴らは腹を空かせている。だから、エサを……中間地点に置いてきた。それで三十分ほどは引き延ばせるはずだ……その間に準備を整えなければ、この町は……!」
沈痛な声に、店内の空気が一気に重たくなる。ざわつき、次第に怯えと怒りが入り混じった声が飛び交う。
「二百五十の群れだって!?冗談じゃない、そりゃ勇者でも呼ばなきゃどうにもならんだろ……!」
あちこちで椅子を引く音、食器がカチャリと揺れる音がする中、愁の隣にいつの間にか立っていた宿屋の女性が、ぽつりと呟いた。
「……いくら奴隷だからって、あれはあんまりだよ……」
「ん?どういう意味ですか?」
愁が顔を向けると、彼女は周囲を気にしながら、さらに距離を詰めて小声で答えた。
「さっき兵士が言ってた“エサ”って……亜人のことだよ。奴らを囮にして、魔獣の到着を遅らせてるのさ。……ひどい話だけど、ここではそれが“普通”なんだ」
その言葉を聞いた瞬間、愁は胸の奥が冷たく凍りつくのを感じた。
(……これが、この国の現実か)
心の中で何度も理性が言葉を探したが、どれも虚しく宙に消える。怒りとも悲しみともつかない感情が胸を支配し、ただ一つ、確かな思いだけが残った。
(助けなければ──)
「リア、部屋に行こう」
「……はい、愁さま」
静まり返った廊下を足音も立てずに歩き、木製の扉をそっと押し開ける。
室内には淡いランプの明かりが揺れ、その光の中でリアが顔を上げた。
その瞳は心配そうに揺れていながらも、どこかで覚悟を決めたような、静かな諦念を湛えていた。
「……あの、お気になさらないでください。亜人に対する扱いは、いつもあんな感じなんです」
その声は穏やかで、けれど微かに震えていた。胸に秘めた悲しみを、悟られぬように包み隠すように。
愁は静かに首を横に振る。その仕草には、確かな怒りと、揺るがぬ決意が滲んでいた。
「いや……だからって、許してはいけないことだよ。俺は、囮にされた亜人たちを助けに行く。リアは、ここで待っていてくれるかな」
だが──
「お一人で行かれるつもりですか!?……そんなの、だめです!愁さまに何かあったら、わたし……!」
リアの叫びは悲鳴に近かった。震える手が愁の袖を掴む。か細いその指先に込められた力は、驚くほど強かった。
それはまるで、離れれば二度と会えないと悟っているかのような、必死の祈り。
愁はその手に、自らの手を重ねる。温もりを伝えるように、優しく包み込むように。
「大丈夫だよ。俺は、そう簡単にやられたりしないから」
安心させようと微笑んでみせる。だが──
「それでもですっ……!わたしは、愁さまから……離れたくありません……!」
その一言に、愁は息を呑んだ。
常に控えめで、物静かだったリアがこんなにも、感情をあらわにしている。涙を湛えた瞳の奥に、燃えるような意思が灯っている。
彼女は今、確かに『戦っていた』。臆病な自分と、無力さと、不安と──
愁は静かに目を閉じ、そして小さく頷いた。
「……わかった。一緒に行こう。俺が、ちゃんと守るから。だから安心して」
「……はいっ。すみません、わがままを言ってしまって……」
「いいんだ。これからも、思ったことはちゃんと話してほしい。……でも今は、時間がない。行こう」
言葉と共に、愁は素早く手を動かす。掌に魔力を込め、〈飛行〉の魔法を宿した魔石を生成。それを指輪へと嵌め込むと、リアの身体をそっと両腕に抱き上げた。
「わっ!? あの、これは……?」
「これから窓から飛んで向かう。しっかり掴まってて」
「と、とぶ……!?」
驚きの声を背に、愁は大きく窓を開け放った。ひやりとした夜の風が流れ込み、二人の頬を撫でる。
そして、ためらいなく──愁は宙へと跳んだ。
風が一気に身体を包み込む。耳元で風が唸り、リアの小さな悲鳴が夜気に溶けて消えた。
急上昇しながら高度を稼ぎ、愁は冷静に周囲を見渡す。
眼下には、静まり返った町並みが広がり、遠くの街灯が星のように瞬いている。そして、見上げれば無数の星々が夜空を埋め尽くし、まるで空そのものが宝石箱のようだった。
「わあ……!すごい……!愁さまって、魔法使いだったのですね……!」
リアの瞳が星の光を映し、歓声と共にきらめいた。彼女の銀色の髪が夜風に揺れ、まるで宙に溶け込んでいくようにふわりと舞った。
「魔法使いってほどじゃないよ。でも……飛ぶくらいはね。よし、それじゃあ急いで向かうよ。しっかり掴まっててね」
「はいっ!」
その返事に、力強さが宿っていた。
愁は集中し、〈気配探知〉のスキルを展開。南の方角──無数の魔獣の気配。数にして、二百五十九。
そのすぐ手前には、十三の小さな命が微かに灯っていた。亜人たちだ。まだ、生きている。
(間に合う……!)
彼らを救うために。理不尽を打ち砕き、『誰もが平等に笑える世界』を築くために。
愁は抱きしめた想いとともに、闇の空を裂いて駆ける。
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