第23-1話 奇跡
止めることは不可能と思われたブレストの一撃。それを『確かに止めた』のは璃里だった。
だが、そんな事実すら霞んでしまうほど、状況は苛烈を極めていた。彼女の行動がなければ、リリーニャは間違いなく命を落としていただろう。その現実を受け入れることが、まず愁たちの第一歩だった。
愁は、虚空を掴むように伸ばしていた手をゆっくりと引き戻しながら、視線を正面へ向けた。
ブレスト、璃里、そしてその後ろに佇むリリーニャ。視界には、ブレストが光の剣を突き出したまま、歯を食いしばりさらに力を込めている姿が映る。だが、それでも剣は微動だにしない。
「あり得えねぇ……!」
ブレストの心情はその顔に露わだった。
目の前の、小柄な少女──それも杖を持つわけでもなく、ただ静かに立っている璃里が、自身の全力の一撃を受け止めている現実。それは、彼の常識を完全に覆していた。
璃里は、そんなブレストの動揺を意に介することもなく、ただ淡々と呪文を紡いだ。
「ワークミラクル〈チェイン・バインド〉」
その静かな声に呼応するように、空間から無数の鎖が出現した。鎖は瞬く間にブレストの四肢を縛り上げ、そればかりかその全身を覆い尽くすように絡みついた。
その鎖は、まるで生命を持つかのように彼の動きを完全に封じ込める。これは『WORLD CREATOR』における最上級の捕縛魔法、〈チェイン・バインド〉。通常であれば上級魔法使いが複数人で発動させるべき術式だ。それを璃里は、ただ一人、短い詠唱のみで発動させたのだ。
鎖の中で激しくもがくブレスト。しかし、その努力は徒労に終わる。力任せに引き千切れる代物ではない。その間にも、彼の光の剣は形を失い、徐々に霧散していった。
光りの剣から解放された璃里は、ふらつきながらも後ろにいるリリーニャへと振り返る。彼女の身体は、どこか透き通るように薄れ始めているが、そのままリリーニャをしっかりと抱きしめた。
リリーニャは、突然の出来事に困惑しつつも、目の前の少女に感謝を述べる。
「助けてくれて、ありがとう。あなたは……?」
璃里は、リリーニャの肩に顔を埋めていたが、ゆっくりと顔を上げ、微かに寂しげな表情を浮かべながら答えた。
「私は、あなたの中に眠る本当の記憶を復元するための補助人格。そして、あなたが忘れてしまった『璃里』としての記憶……その残滓」
「璃里……?」
「そう。あなた自身のこと」
璃里は静かに語りながら、リリーニャの額に自身の額をそっと寄せた。
その瞬間、温かな光がリリーニャの体内に流れ込んでいく感覚が広がった。それは心地よく、どこか懐かしい。
しかし、その光は次第に激流となり、彼女を内側から満たしていく。
遠くからその様子を見ていた愁は、急いで駆け寄ろうとした。
今はブレストが動けない間に態勢を立て直す必要がある。視線を巡らせると、隅で動きを止めているエルボスの姿が見える。彼が動かない理由は分からないが、今はそれに構っている余裕はなかった。
愁が近づく中、璃里の姿はさらに薄くなり始めていた。その背中は、今にも消え去りそうな儚さを帯びている。
愁は思い切って声をかけた。
「君は……璃里なのか?」
その問いに、璃里は一瞬の沈黙の後、小さく頷いた。
「私は璃里。でも、あなたの知る璃里ではない。あなたの知る璃里はここにいる──リリーニャ・スターライトこそが、本物の璃里」
愁は目の前の璃里の言葉に、ただ困惑するばかりだった。
「それって……どういうことだ?」
彼は、この世界に来て以来数々の異常を目にしてきたが、この状況はあまりにも理解の範疇を超えていた。
死んだはずの璃里が生きている。それも、リリーニャという名の姿で──。
「リリーニャがすべてを思い出せば分かる。彼女が本当の記憶を取り戻すことが、すべての鍵だから……」
璃里の姿は、今にも消えそうなほど薄れ、その声もか細くなっていく。
「待ってくれ、璃里!君は……大丈夫なのか!?」
消えかけた意識を必死で保ちながら、璃里は最後の力を振り絞るようにリリーニャに言葉をかけた。
「リリーニャ……きちんと思い出して。あなた自身のことを……」
その言葉を最後に、璃里の姿は光の粒子となり、静かに空へと溶けていった。
淡く輝く光の欠片がゆっくりと漂い、周囲の空気を温かさと切なさで満たしていく。その場に残されたリリーニャは、放心したように立ち尽くし、虚ろな瞳で何もない空間を見つめていた。
彼女の胸の奥では、言葉にできない感情が渦を巻いていた。悲しみとも、安堵ともつかない――それは記憶の断片がひとつずつ繋がりながら心を揺さぶる、静かな嵐のようだった。
「なんなんだ一体!訳が分からないぞ。くそ!リリー!しっかりしてくれ!大丈夫なのか?リリー!」
隣にいた愁が必死に声を掛けながら、彼女の肩を軽く揺さぶる。しかし、リリーニャはその手応えに何も反応を示さない。
彼女の中で起こっているのは記憶の奔流――過去の膨大な記憶が次々と押し寄せ、その波が彼女の意識を飲み込まんとしていた。
その中でもリリーニャは、確かに『璃里』としての自分を見つめていた。
両親に祝福されて生まれ、穏やかで満ち足りた幼少期。
だが、心臓の病が見つかり、入退院を繰り返す日々が続く中で、次第に笑顔は消えていった。
そんなある日、病院で出会った一人の男の子――彼は同い年なのにやけに大人びていて、どこか優しい雰囲気を纏っていた。
その子と過ごす時間が増えるにつれ、彼の内に秘めた強がりを知った。互いに隠していた弱さをさらけ出し合うことで、心が次第に惹かれ合っていく。
そして、彼が隣の病室に入院してくると知ったときの嬉しさ。それは矛盾に満ちた感情――彼の病気を悲しむ一方で、毎日彼と顔を合わせ、言葉を交わせる喜びに満たされていた。
『ずっと一緒にいたい……』。そう思いながらも、好きだと伝える勇気を持てなかったことへの後悔。その日々の記憶が、次々と彼女の心に蘇る。
しかし、そんな幸せな時間も突然の別れによって奪われた。
彼との約束――桜の木を毎年一緒に見に行くという指切りの約束――それが彼女の心に唯一残された絆だった。
最初で最後のその約束を胸に刻みながら、璃里としての記憶はそこで途切れる。
次に押し寄せてくるのは、リリーニャ・スターライトとしての記憶だ。
人工知能AIとして目覚めたリリーニャ。
自分がなぜアイドルになりたかったのか、その理由は分からなかった。ただ、歌が好きで、誰かに褒められると嬉しかった記憶だけが漠然と残っていた。
そして、彼女を創った人間が言った言葉がよぎる。
「君の記憶の復元は完全ではない。完全に復元するには時間がかかる。その間、君の人格の中に補助人格を埋め込んだ。それが君を支えるだろう。だから耐えてくれ……」
満たされない心を抱えながら、彼女は耐え続けた。無我夢中で歌い、踊り、冒険を繰り返した。アイドルとしてファンも増えて、誰かに認められることで、自分の存在価値を見出そうとした。
しかし、それでも心の奥底に巣食う寂しさは消えなかった。
そんなある日、『WORLD CREATOR』の中で亡くなった少年の話を耳にした。彼の命日に開かれるパーティーの噂に心を惹かれ、彼が建国した国を訪れることを決意する。
しかし、その地に足を踏み入れた瞬間、リリーニャ・スターライトとしての記憶が急に途切れた。
そして、今持つ断片的な記憶とすべての記憶が一本の糸で繋がり、ひとつの真実を描き出した。
そのとき、リリーニャは気付いた。
「私は……蓮香 璃里。それが私の本当の名前。そして、病気で命を落とした私を復元しようとして生まれたのが、リリーニャ・スターライト……」
少しでも『面白い!』『続きが気になる!』と思っていただけたら、ブックマークで応援いただけると嬉しいです。下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価をいただけると、さらにさらに、次回の更新も頑張れます!




