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クラフトマスター建国記  作者: ウィースキィ
第一部 第一章 新たなる世界 【第一次王国 編】

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Girl's Story 新たな主様


 愁に連れられ、山奥の廃村へ向かう道すがら、スフィアはほんの僅かな後悔に苛まれていた。


(あの時、もっと本気を出していればよかったかも……)


 愁との戦いを思い返しながら、スフィアはふと苦い笑みを浮かべた。結果はきっと変わらなかっただろう。そう理屈では理解している。だが、かつて全大陸を震撼させた大悪魔フロストフィレスの配下として、少しでも己の『矜持』を示しておきたかった。それが拭えぬ未練となって、胸の奥に燻っていた。


 ──結局のところ、ただの負けず嫌いに過ぎないのだが。


 そんな思いを抱えながら、スフィアは無言で山道を踏みしめた。やがて、うっそうと茂る木々の間から、かつて人々が暮らした痕跡──今は朽ち果てた廃村が姿を現す。


 風に軋む瓦礫の音が耳に刺さり、苔むした屋根や崩れ落ちた壁が、時の流れの残酷さを物語っていた。視界の端から端まで、もはや人の住める建物など一つとしてない。


 そんな廃墟群の中でも、辛うじて形を保った家へと案内される。とはいえ『比較的良好』とは名ばかりで、腐食した木材があちこち軋み、壁の隙間からは冷たい風が忍び込んでくる始末だ。


 スフィアは肩を竦めながら、忌憚なく本音を零した。


「随分とボロいな、主様よ……」


 愁は苦笑し、軽く肩を竦める。


「外側は、まあ手を付けてないからね。でも中に入れば、きっと驚くよ」


 その自信ありげな声音に、スフィアは半信半疑ながらも玄関の扉に手をかけた。


 ギイ……と、重たげな音を立てて扉が開く。その瞬間、スフィアは目の前に広がった光景に、思わず息を呑んだ。


「なな、なんだこれは!どこの屋敷なのだこれは!」


 屋内は見違えるような美しさだった。丹念に磨き上げられた丸太の壁、天井を渡る梁には細かな彫刻が施され、床には滑らかな手触りの木材が敷き詰められている。魔石細工のランプが柔らかな光を投げ、廊下には絢爛な絨毯が惜しげもなく敷かれ、奥へと続いていた。


 外観との『劇的な落差』に、スフィアは呆然としたまま、玄関を出ては入り、また出ては入り、何度も繰り返しては、目の前の現実を確かめようとした。そんな彼女を見て、愁は満足げに笑う。


「な、言ったろ?中はけっこう綺麗に作り替えたからね」


 スフィアのエメラルドの瞳が、宝石のようにキラキラと輝いた。


「すごいな、主様は!戦いの時も色々作っていたが、まさかここまでとは……」


 驚嘆の声が、亜人たちの間でさざ波のように広がった。誰もが目を見張り、整然と整えられた空間に、靴音ひとつ立てるのもはばかられる様子だった。戸口で立ちすくむ彼らに、愁は柔らかく微笑みかける。


「気にしなくていいよ。さあ、遠慮せずに入って」


 促されて、ようやく亜人たちは一歩を踏み出した。心のどこかでまだ戸惑いを抱えながらも、愁の温かな声に背中を押されるようにして。


「みんな、疲れてるだろう。今日はここで、ゆっくり身体を休めてほしい。リア、みんなに中を案内してあげてくれるかな?」


 穏やかながら芯のある声に、リアはぱっと表情を輝かせ、力強く頷いた。


「わかりました、愁さま!」


 彼女は事前に建物の構造の説明を愁から受けていた。それに亜人族であるリアが先導することで、皆も余計な緊張を抱かずに済む──それが愁の細やかな配慮だった。


「みなさん、こちらへ!」


 リアに導かれ、スフィアと亜人たちは一番広い部屋──食堂へと向かう。磨き上げられた木の床が、ほのかに甘い木香を漂わせ、足音をやさしく受け止めた。


「ここが食堂です。今日はここに布団を敷いて、みんなで休みましょう。それと、この家にはお風呂もありますので、男女に分かれて順番に入りましょう」


 説明を終えると、男性陣から「女性を先に」との申し出があり、自然な流れで女性組が先に入浴することになった。


「では、お風呂に案内しますので、ついてきてください!」


 リアに続き、スフィア、大人二人、子供二人、合わせて六人が脱衣所へ向かう。


 六畳ほどの脱衣所は、白木を基調とした清潔な空間だった。右手の壁には整然と棚が並び、ふわりと弾むようなバスタオルや、この世界の者たちにとっては珍しい香り豊かなアメニティが所狭しと並べられている。左手には、銀色にきらめく四つの洗面台が据えられ、そこにはこの世界では『宝』とすら呼べるほど貴重な鏡が輝いていた。


 思わず目を見張るスフィアたちに、リアがにこやかに声をかけた。


「今着ている服が不要であれば、あそこのかごに入れてください。後で処分しますが、代わりに愁さまが新しい服を用意してくださるそうなので、心配しないでくださいね」


「なんと……主様は服まで作れるのか?器用だな……」


 スフィアの驚きに、リアはくすくすと笑いながら続ける。


「ふふ、愁さま、よく言ってましたよ。『俺に作れないものなどほとんどない!』って」


 スフィアは、その場に立ち尽くした。煌めく瞳にわずかな動揺を浮かべ、呟く。


「むむ……我は、とんでもない人族を主様にしてしまったのかもしれん……」


 ──やがて全員が衣服を脱ぎ終え、白い湯気の漂う浴室の扉を開けた瞬間、思わず感嘆の声を上げた。


 そこは、十五畳を優に超える広さを誇る空間だった。正面奥には、巨岩をくり抜いたかのような石造りの浴槽が鎮座し、透明な湯が絶え間なく溢れている。湯面は柔らかな灯火に照らされ、金色の揺らめきを描いていた。天井近くには巧妙な通気細工が施され、湯気はしっとりと空間を包みながらも、重苦しさを感じさせない。


 左右の壁際には、体を洗うための空間が並び、滑らかな白石で形作られたシャワーヘッドのような装置が据えられている。石のボタンを押せば、ふわりと温かな湯が流れ出す仕組みだ。隣には桶や椅子、甘やかな香りを放つ石鹸が置かれ、まるで小さな銭湯のような趣を漂わせていた。


「まずはこちらで体の汚れを落としてください。これが体用、こちらが髪用の石鹸だそうです」


 リアの説明に頷きながら、皆はぎこちなく石鹸を手に取った。


 スフィアを除けば、湯浴みという文化に触れるのは初めてだったのだろう。泡立つ石鹸で肌を撫でるたびに、土埃や疲労が洗い流され、露わになった素肌が光を弾くたび、子供たちも大人たちも、目を見開き歓声を上げた。


 小さな体の子供たちには、亜人族の大人たちが甲斐甲斐しく世話を焼き、スフィアの背には、リアがそっと寄り添って手伝いを申し出る。


 湯気の中、笑い声がぽつり、ぽつりと零れた。それは、戦いと逃避行の日々に凍えていた心を、確かに溶かしていく音だった。


「ふふっ、こんなに立派なお風呂に入れるなんて、ほんとうにすごいですよね」


 リアが無邪気な声で話しかける。


「たしかに……人族の貴族くらいしか、こんな湯殿には入れまい。それにこの石鹸、すごくいい匂いがするぞ」


 スフィアは両の手に泡をこんもりと盛り、くんくんと鼻を近づけた。香りは花畑を思わせる甘やかさと、森の奥深くを連想させる清涼感を含み、心までほぐしてくれるかのようだった。


「そうですよね!わたしもこの香り、大好きなんです!」


 リアがぱっと笑みを弾かせ、泡を飛ばしながら共感を寄せた。


 体を洗い終えた二人は、やがて湯気立つ浴槽へと向かう。慎重に足先を湯に沈め、じわりと伝わる熱を確かめながら、肩までそっと身を沈めた。魔石によって温度調整された湯は四十二度から四十四度ほどと、やや熱めだったが、リアもスフィアも心地よさげに目を細める。


「ふー……お湯に浸かるのなんて、何年ぶりだろうか。やはり、格別に気持ちがいいものだな」


 ぽつりとスフィアが漏らす。夜気が冷たくなるこの季節、湯の温もりは心と体を芯からほぐしてくれる。


 そんな至福に身を委ねながらも、スフィアの胸にはふと、ある疑問が浮かんだ。


「ところでリアは、主様とはどのように知り合ったのだ?」


 問いかけに、リアはすぐに答えた。


「この森で、町の兵士さんたちに暴力を振るわれていたとき、愁さまが助けてくれたんです。途中で気を失っちゃって、詳しいことは覚えてないんですけど……目を覚ましたら、体の傷も全部治ってて、びっくりしちゃいました」


 リアは両手でお腹のあたりを撫でながら、はにかむ。


 スフィアもまた、先の戦闘を思い起こす。自らも致命傷を負ったはずだったが、愁が手渡してくれた、美しいガラス瓶に入った液体によって、まるで夢のようにすべてが癒やされたのだった。


「なるほどな。我も主様に傷を治してもらったが……あの液体、ただ者ではないな。普通なら、あれほどの傷、癒えるどころか命を落としてもおかしくないのに」


「本当に……きっと、とても高価なものなんだと思います。愁さまは……わたしたち亜人族にも、分け隔てなく優しく接してくださるんです。わたし、今までそんな人族に会ったことなんて、一度もありませんでした」


 リアの声は、ふっと翳る。


 彼女がこれまで出会ってきた人族たちは、亜人族を見れば暴力を振るい、奴隷商人に売り払う──そんな者たちばかりだった。だからこそ、亜人族を守り、尊厳を与えるように振る舞う愁は、リアにとってもスフィアにとっても『異端』に映った。


「魔獣の姿だった我にも、『自分の民になれ』なんて言ってきたくらいのお人好しだからな……少し、心配になるほどだ」


 スフィアは湯の中で腕を組み、小さく首を振った。


 長い時を生きてきたスフィアにとっても、愁のような価値観を持つ人間は極めて稀だ。かつて仕えていたフロストフィレス亡き後、アイラフグリス王国には、そんな清らかな思想を掲げる者などほとんどいなかった。


 この広き大陸でも、亜人族を公然と擁護する国は少ない。わずかに存在しても、影に隠れるようにして生き延びるしかないのが現状だ。


 隣国に、亜人族を救いながら旅をする者がいる。そんな噂を耳にしたことはある。しかし、愁のように、どのような相手を前にしても堂々と、己の信念を曲げぬ者など、まず存在しない。ましてや、命を懸ける覚悟など──


(……主様は、本当に、不思議な人間だな)


 心の奥にひそやかに浮かんだ想いを、スフィアはそっと呟いたのだった。


「……ところでリアよ」


 何を思ったか、スフィアは意地の悪い笑みを浮かべながら、背後からリアに音もなく近づき、柔らかな動きで抱きついた。


「ひゃっ!ちょ、ちょっとスフィアさん、いきなり何を──って、どこ触ってるんですかっ!」


 リアの戸惑いも露知らず、スフィアの両手はお腹あたりから徐々に上昇し、やがて小ぶりな胸元へと辿り着く。指先はふわりと柔らかな感触を確かめるように蠢き──


「んー、形は良いし柔らかいが……発育が足りんな。リアよ、もっとよく食べねばならんぞ」


 くすぐったさに耐えきれず、リアは身をよじって逃れようとするが、スフィアの腕はしなやかに絡みつき、容易には解放してくれない。


「あ、あの……そんなに揉まないでください……それに、背中に、当たってます……」


 リアがもじもじと身を縮めながら訴えると、スフィアは悪戯っぽく笑った。


「別にいいだろう?女同士なんだ。……我も、そう大きいわけではないが、それなりだろう?」


 そう言って、スフィアはさらに自分の胸をリアの背中へ押し付ける。ふわりと弾力を帯びた感触が伝わり、リアの頬がみるみるうちに耳元まで赤く染まっていく。


「それは、そうですけど……。恥ずかしいので、やめてください……」


 消え入りそうな声で懇願するリアを見て、スフィアは小さく肩をすくめると、ようやく腕をほどいた。


「ふふ、冗談だよ、リア。少しからかいたくなっただけだ。……悪かったな」


 ぷうっと頬を膨らませながらリアが振り返り、抗議のまなざしを向ける。


「もう……!びっくりしたじゃないですか!」


「まあまあ、そんなに怒るな。胸は揉んだ方が大きくなるんだぞ。とくに、好きな男に揉まれるとな!」


「そ、そうなんですか……?初めて知りました……」


 リアはさらに顔を真っ赤にし、恥じらいに身をすくませる。その可愛らしい反応を見て、スフィアは内心ほくそ笑み、『これからも、もっとからかってやろう』と、密かに心に誓ったのだった。


「さて、そろそろあがるか!」


「そうですね、あがりましょう」


 湯けむりの立ちこめる浴室をあとにし、脱衣所へ向かうと、いつの間にか棚に新しい服が並んでいた。きっと、愁が気を利かせて用意してくれたのだろう。六人はそれぞれ着替えを済ませると、足早に脱衣所を後にし、食堂へ向かう。


 男性陣たちも早くお風呂に入りたがっているだろう。長居しては悪い──そんな空気を誰もが感じ取っていた。


 食堂に戻ると、そこには人数分きちんと敷かれた布団が並んでいた。整えられた布団の上には、ふわりと洗い立ての布の香りが漂い、心が和む。


「あ、布団敷いてくれてたんですね!ありがとうございます。それでは、お風呂の案内と説明をしますので、男性の方はわたしに付いてきてください!」


 リアはぴょこんと小さくお辞儀をして、男性陣を引き連れ食堂を後にした。


 ぽつりと取り残されたスフィアは、特にやることもなく、ふと新たな主の気配を探る。そして、それが家の外から感じ取れると、自然に足が向かっていた。


 十月の末。湯上がりの身体に、夜風の冷たさがひときわ鋭くしみわたる。それでも、どこか心地良い。スフィアは、頬を撫でる冷たい風を感じながら、遠い過去に想いを馳せた。


 ──あの日も、こんな風が吹いていた。


 凍える体を必死に抱え、震えていた幼い亜人族の少女。そんな自分に、迷うことなく手を差し伸べてくれた、あの方。強大な力を持ちながら、それを私利私欲のためには使わず、常に弱き者を助け、そして──最後はその身を、愛のために捧げた偉大なる存在。


 スフィアは、あの温かな手を、あの日見上げた光景を、今も胸の内に鮮明に抱いている。


 空を見上げ、瞬く星々に向かって、そっと手を合わせた。


「フロストフィレス様……我は、新たな主に仕えることになりました。とても、優しく、あたたかい心を持つ方です。これから、どのような未来を歩んでいくのか……それを、近くで見届けたくてなりません。どうか、フロストフィレス様も見守っていてください」


 細く儚い祈りの声は、秋の風に乗り、天へと昇ってゆく。どうか、この想いが、今は亡き恩人に届きますようにと、静かに目を閉じ、スフィアは祈り続ける。


 ふと、わずかに空気の流れが変わった気がして、目を開ける。視線を向けると、少し離れた場所で、瓦礫や石を寄せ集め、鈍く光る石を配置している愁の姿があった。


「む……あれは主様か?あんなところで、何をしているやら」


 スフィアはくすりと微笑むと、音もなく気配を消し、忍び足で近づいていく。


(少し、イタズラしてやろうか)


 そんな他愛もないことを考えながら、ふわりと愁の背後へ回り込み──そっと肩に手を置き、顔をひょっこりと覗かせた。


「主様ー。何をしているのだ?」


 不意打ちのつもりだった。しかし、愁はたいして驚きもせず、むしろ穏やかな微笑みを浮かべてスフィアを迎えた。その優しさに、ほんの少しだけ不満を覚えつつ──けれど、それ以上に、スフィアは、心の奥でそっと思った。


(……やっぱり、主様は良いやつだな)


 かつての主にも似た、暖かく、脆く、愛おしいほど不思議な少年をスフィアは、すっかり気に入ってしまったのだった。


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[一言] 裏話…そんなつながりが…( ω-、)
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