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クラフトマスター建国記  作者: ウィースキィ
第一部 第一章 新たなる世界 【第一次王国 編】

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第5話 冒険者とクエストへ


 新たに亜人たちのための住居を築いたことで、ボックス内の資材は目に見えて減っていた。中でも――魔石の素材が、致命的に足りない。


 戦闘にも、日常の生活にも不可欠な魔石。それを作れないとなれば、あらゆる計画が立ち行かなくなる。木材や石などは探索すれば容易に見つけられるが、魔石の主な原料となる『魔塊鉱』は、そうはいかない。これは『WORLD CREATOR』内でも、地形や魔力の流れが特殊なごく限られた場所にしか存在しない貴重な資源なのだ。


「……これは少し、冒険に出る必要がありそうだな」


 愁がぽつりと呟くと、その隣で耳をそばだてていたリアが、小首を傾げて問いかけた。


「冒険ですか?」


「うん、冒険!正直、素材不足は由々しき事態だけど──ぶっちゃけ、冒険がしたい!この国がどんな風になってるのか、自分の目で確かめたい!」


 目を輝かせる愁。その声には、単なる素材集めにとどまらない『探求心』が滲んでいた。彼の中に流れるゲーマーとしての血が、新しい地を知りたい、未知を切り拓きたいという衝動を駆り立てている。


 だが、それは決して衝動だけではない。この世界について知らぬままに過ごせば、いつか必ず足元を掬われる時が来るだろう。そして何より──魔石戦闘を主軸とする愁にとって、安定して素材を入手できる手段の確保は、『生存』そのものに直結する。


 そんな二人の会話を聞いていたスフィアが、黒髪を揺らして一歩前に出た。


「ならば、以前話した“あの洞窟”に行ってみるといいのだ。主様は確か、魔力鉱石を求めていたであろう?」


 魔力鉱石──それは、この世界において魔石の代替素材たりうる鉱石であり、うまく加工できれば、街の街灯や室内灯の魔力源としても使われる高価な資源だという。


「……それだ。よし、行こう!ただ、現地に詳しい人間が一人は欲しいところなんだよなあ……」


 見知らぬ地を手探りで進むのは非効率だし、何より“冒険”とは、新たな出会いの機会でもある。愁の胸には、そんな『期待』もまた、ふつふつと芽生えていた。


「それなら愁さま。ギルドで、あの洞窟に関するクエストを受けている冒険者と同行するのはいかがですか?素材採取の依頼があるなら、きっと同じ目的の方がいるはずです」


 リアの提案に、愁は思わず手を打つ。


「いいね、それ!冒険者ギルド……いかにも“それっぽい”響きだ」


 『WORLD CREATOR』には、正式な冒険者ギルドというものは存在しなかった。だからこそ、この世界における“ギルド”とは何なのか。どのような情報が集まり、どんな人々が集っているのか……確認しておく価値は高い。情報収集の拠点としても、頼れる人材を見つける場としても、申し分ないだろう。


「よし、それじゃあ俺とリアとスフィアで、さっそくギルドに向かおう!」


「うむ。では村の守りは、我が森の仲間たちに任せよう。長く留守にしなければ、問題はあるまい」


 すぐさま村の面々には事情を伝え、それぞれが日常の食材調達や素材収集を続けながら、無事の帰還を待ってもらうことになった。最近は〈幻術〉魔法を込めた魔石も数を増し、さらに範囲も拡張されている。『並の者では』村の存在にすら気付くことはできず、警備としては万全だと判断できた。


「スフィア、よかったら“魔獣化”して、町の近くまで運んでくれないか?」


 愁の頼みに、スフィアは自慢の白い牙を覗かせて笑う。


「ふふっ、もちろんだ主様!その方が速く着けよう」


「助かるよ。ありがとう」


 こうして三人は、出発の準備を整えるとすぐに村を発った。


 魔獣化したスフィアの姿は、闇夜に溶け込むような漆黒の巨狼。その背は広く、そしてしなやかで、風のように大地を駆け抜けた。徒歩であれば四時間はかかる道のりも、彼女の足ならば三十分ほどで踏破できる。スフィア様々、とはこのことだ。


 やがて、地平線の先に町の輪郭が見えてきたところで、スフィアは再び人の姿へと戻り、三人は徒歩で検問所へと向かう。


「はい次……ん?あんた、この前の!」


 検問に立つのは、以前も応対した兵士の男だった。どこか人懐こいその顔は、偏見を抱きがちなこの国の兵士にしては珍しく、リアやスフィアにも敵意の色を見せなかった。


「また奴隷を増やしたのか?……相変わらず金のかかってる格好させてるな」


「はは。通っても大丈夫かな?」


「ああ、あんたは悪い奴には見えんしな。通ってよし!気をつけて行けよ」


 こうして検問は難なく突破。そもそも止められる理由などないのだが、妙にすんなり通されると、やはり少し得をした気分になる。


「よし、それじゃあ……まずはギルドに向かおう。たしか、前に泊まった宿の向かいに──あった、あれか!」


 町の中心部、噴水がある広場のすぐそばに、その建物はあった。二階建ての堂々たる造りで、入口からは活気ある声が漏れ聞こえる。一階は受付と簡易な食堂スペース、そして二階は職員用の事務所になっているらしく、一般人は立ち入り禁止だという。


 ここは、冒険者たちが行き交い、幾多の物語が交錯する場所──冒険者ギルド。


 愁の目に映ったその建物は、歴戦の猛者たちの魂が刻まれたような重厚な雰囲気を纏いながらも、どこか眩しく、未来へと続く希望の光を孕んでいた。その扉を開けた瞬間、彼の胸には小さな高鳴りが生まれる。


 扉の軋む音と共に広がるのは、喧騒と皮革の匂いが混じる、旅人たちの社交場。数人の男たちが椅子に深く腰掛け、荒々しい笑い声を上げながら卓を囲んでいた。粗野でいかにも場慣れした様子。おそらく彼らもまた、この地に根を張る冒険者なのだろう。


 視線を巡らせると、正面の壁沿いに設けられた受付には、左右に分かれて女性職員が一人ずつ座り、それぞれの来客に丁寧な対応をしていた。入り口と受付の間には、木製の長椅子と頑丈なテーブルがいくつも並べられており、そこでは談笑、作戦会議、食事など、思い思いの目的を持った者たちが活気に満ちた時間を過ごしている。


 壁際には、冒険者たちの目を引く掲示板があり、そこには様々な依頼が張り出されていた。魔獣討伐、人探し、剣術指南、素材収集──予想通りの依頼内容が並ぶ中、愁の目がふと一点に留まる。


 ──東方、レギオンの洞窟にて行われる魔力鉱石の採取依頼。


 件のクエストは『難度:B+以上』と明記されており、理由として《未到達地点あり》と添えられている。愁が探し求めていたもの、それがまさにそこにあった。


「お、あったな。これだろ、スフィア?」


「ん?ああ、そうだな……レギオンの洞窟か。名前まで覚えてなかったな」


 隣に立つスフィアが、耳の先を小さく揺らしながら頷く。


「よかったですね、愁さま。ただ……誰か、この依頼を引き受けてくれる冒険者がいればいいのですけれど」


 リアが不安げに小声を漏らす。


 愁は頷きながら、三人で一度近くの席に腰を下ろし、様子を見ることにした。


 ──自分でクエストを受けることも検討したが、それには冒険者として正式に登録しなければならず、今は余計な注目を集めたくない。ならば、既に登録済みの冒険者に同行する形が最も自然だ。


 それは、ほんの数分の出来事だった。場内に流れていた緩やかな空気が、突如として張りつめるように変質した。


「ん?……なんだ、騒がしくなってきたな」


 ざわめきが、静かだった空間を満たしていく。

 

 その渦中に、ひときわ強い存在感を放つ一人の女性が現れた。愁の視線が導かれた先──そこに立っていたのは、まさに『息を呑むほどの輝き』を纏ったエルフの女性だった。


 腰まで流れる長髪は、陽光を編み込んだような金糸のごとく煌めきながら、しなやかに揺れる。顔周りを彩るその髪は、一房ごとに繊細な光を宿し、まるで絹糸を束ねた宝飾品のよう。

 

 そして、彼女の頭部からすっと伸びる長耳には、装飾こそないものの自然の造形美が宿っていた。それは、彫刻家が魂を削って彫り上げたかのような緻密さと気品を感じさせる。凛とした面差しには隙がなく、肌は白磁の器を思わせるほど滑らか。周囲の喧騒が、彼女の登場を境に一瞬で吸い込まれたように静まる。


 男たちの視線が、まるで魔法でもかけられたかのように、その美貌と威厳に引き寄せられていた。


 エルフといえば、細身で儚げな印象を持たれることが多い。だが、彼女は違った。引き締まった腰回りと、均整の取れた豊かな曲線──それは華奢さではなく『力強さと優美さの融合』を体現した肉体だった。ただそこに立っているだけで、周囲を威圧するような神々しさを纏っている。


 その胸元に、ひときわ目を引く銀色の冒険者プレートが揺れていた。


 ──冒険者ランクは、白、銅、銀、金の順。銀ということは、経験と実力を兼ね備えた者にのみ与えられる証。あの威風と容姿に違わぬ力を、彼女は確かに持っているのだろう。


 彼女はまっすぐに掲示板へと向かい、迷いなく一枚の依頼票を手に取る。その動作には、一切の躊躇も迷いもなかった。


 ──レギオンの洞窟。愁たちが注目していた、まさにその依頼である。


 受付へと歩を進めたエルフは、事務的に受理の手続きを済ませ、軽やかに踵を返した。その足取りには浮ついたところがなく、しなやかで無駄のない動きには、長年鍛え上げられた戦士としての品格が滲んでいた。


 愁の心にざわりと何かが波立つ。ただの注目ではなく、直感的な興味とも言えるもの。彼女が外へと歩み去る背を、愁は迷わず追いかけた。


「すみません、少しお話よろしいですか?」


 その言葉に、エルフの女性は立ち止まり、ゆっくりと振り向いた。一瞬だけ目を見開いた彼女は、すぐに柔らかな笑みを浮かべる。


「……ええ。構いませんよ」


 陽光に照らされたその姿は、まるで絵画から抜け出したかのようだった。


 彼女の装いは、エルフの伝統を現代的に昇華させたような意匠。

 

 淡い翡翠色を基調としたローブは上質な布地で仕立てられ、風にたなびくたびに細やかな刺繍が陽の光を反射してきらめく。胸元と袖口には、蔦模様をあしらった金糸の刺繍が施されており、彼女の気品を一層引き立てていた。腰には深緑の細身のサッシュが結ばれ、柔らかなラインがその曲線美を際立たせている。足元には革製のロングブーツが覗き、旅慣れた者の足取りを支えていた。


 ただの装飾ではない。そこには、美しさの中に確かな機能と意志が息づいていた。


「その……魔力鉱石の採取依頼に、同行させてもらえませんか?報酬はいりません。俺も魔力鉱石を探しているんですけど、未知の場所なので、知識のある方と一緒に行きたくて」


 いきなりの申し出に怪しまれるかもしれない──しかし、変に嘘を交えるより、素直に話すほうが信頼を得られると判断した。後ろ暗い意図など何もないのだから。


「いいですよ。私は何度かあの洞窟に入ってますし、多少は道も覚えてますから」


 あまりにあっさりと了承されたことに、愁は内心驚きつつも安堵する。


「本当ですか?助かります!俺は八乙女 愁って言います。よろしくお願いします!」


 愁が頭を下げて名乗ると、彼女も優雅な仕草で応じる。


「私はメラリカ。こちらこそ、よろしくお願いしますね。……その後ろのお二人は、愁さんのご同行の方ですか?」


「ええ、彼女たちは俺の仲間で。こっちがリア、もう一人がスフィアです」


 亜人族である二人を紹介するのに、一抹の不安がなかったわけではない。しかしメラリカは、微笑を絶やすことなく丁寧に挨拶を交わした。


 その姿勢に、偏見のない心根と社交性が垣間見える。


「愁さんって……人族には珍しい方ですね。私のようなエルフに物怖じせず話しかけてくれて、亜人族のリアさんやスフィアさんにも、とても優しく接していらっしゃる」


「そんな大げさな……俺にとっては普通のことですからね」


「ふふ……『普通』。愁さんは、すごい方ですね」


「え?そうですか?」


 柔らかな微笑みを浮かべるメラリカの言葉の真意を測りかねて、愁は少し照れたように曖昧な笑みを返した。


「それで、いつ頃に出発しますか?私はいつでも大丈夫ですけれど」


 目的地の洞窟まではそれなりの距離があると聞く。ならば、なるべく早く向かった方が良いのだろう。メラリカが『いつでも大丈夫』というのなら、あとは愁たち次第だ。


「そうですね。それじゃあ……今日、これから向かいましょう。色々とお世話になると思いますが、よろしくお願いします」


「はいっ。こちらこそ、よろしくお願いしますね」


 こうして新たにメラリカを加えた四人の旅路が始まった。目指すは東の洞窟。今回は距離があるため、馬車での移動となる。その手配は、手慣れた様子でメラリカが行ってくれた。


 しなやかな馬の足取りに引かれ、木製の車輪が小気味よく土を蹴る。用意された馬車に四人で乗り込むと、ほどなくして旅路が動き出した。


 車内は木の香りと、外から差し込む微かな草の匂いが混ざり合い、どこか懐かしさすら覚える空間だった。やがて、心地よい揺れに包まれながら、リアとスフィアは静かに眠りについていた。旅慣れていない二人には、移動だけでも相応の疲労があったのだろう。メラリカはそんな二人を見守るように、優しい眼差しを向けていた。


「愁さんは、種族の違いで人を差別したりしないんですね。人族の方には、差別的な方も多く見受けられますから……少し、意外でした」


 その声音には、驚きと安堵が入り混じっていた。エルフであるメラリカにとって、人族の偏見は日常的に目にする現実なのだろう。むしろ、愁のような考え方を持つ者がいることに、驚いている様子だった。


 愁はふと、あらためて世界の広さを思い知る。考え方は人それぞれだ。人族にも偏見のない者はいるが、残念ながら数は少なく、亜人を同じ「人」として見ていない者が大半だ。だからこそ、メラリカのように隔てなく接してくれる存在は、心強くも感じられる。


「そうですね。俺は……皆が楽しく過ごせるのが一番だと思ってます。メラリカさんたちエルフ族の方々は、どうなんですか?メラリカさんを見ていると、リアやスフィアにも分け隔てなく接してくれているように見えますけど」


「エルフ族は自然と平和を尊ぶ種族ですから、種族の違いで人を差別することは基本的にありません。この大陸では数が少ない分、少し一目置かれることもあるので、私たちはあまり酷い扱いを受けませんが……他の亜人の方々が酷い差別を受けているのを見ると、とても胸が痛みます」


 言葉の端々に滲む哀しみ。その目には、過去に目の当たりにしたであろう光景の残滓が浮かんでいた。メラリカは、本当に優しい人なのだ。愁は、自分の他にもこんな風に心を寄せられる人がいることに、ほっとした気持ちになった。


 ふと気づくと──左肩にはリアが、右膝にはスフィアが、無防備に頭を預けて眠っている。柔らかな吐息が、愁の腕と脚にかかるたび、温もりが静かに伝わってくる。


(……動きづらいな)


 とはいえ、寝顔を見れば起こすのも気が引ける。愁がどうしたものかと悩んでいると、そんな様子を見ていたメラリカが、くすりと笑った。


「ふふ……愁さん、随分と信頼されていますね」


「どうなんですかね?そうなら、いいんですけど」


 馬車は淡く色づいた夕景の中を進み、やがて空の端が深い群青へと変わり始める。陽が落ちきってしまえば、灯りのない旅路は危険だ。そこで一行は、今夜はこの辺りで野営することにした。


 御者に指示を出し、道端の小さく開けたスペースに馬車を停めてもらう。馬の吐息と共に空気が少し湿り、夜の帳が静かに降りてくる。


 愁は慣れた手つきで焚き火の準備を始めた。あえて原始的に、薪を組み、火打ち石で火を灯す。その手際はまるで職人のようで、赤々と灯る火が闇に揺らめき、旅の安心感を静かに照らしていく。『WORLD CREATOR』でのリアルさを追求して行っていた冒険の経験が、こんな形で役立つとは──愁自身も少し驚いていた。


 最後に馬車の中へ布団を敷き詰める。柔らかな織りの布地が空間を包み、即席の寝床としては上々の出来だ。


「メラリカさん。夜は、こちらでお休みください。三人なら、並んで眠れると思いますので」


 布団に触れたメラリカは、思わず目を見張った。


「あら……とても上質な布団ですね。使わせてもらってもいいんですか?」


「もちろんです。夜の間は、俺が見張り役をしますので。ゆっくり休んでください」


 そう言い残し、愁は夕食の準備をしているリアとスフィアのもとへ向かう。二人は湯気を立てる鍋を囲み、漂う芳香に鼻をくすぐられながら、楽しげに作業を続けていた。


「どうだい?そろそろ出来た頃かな?」


 今夜の夕餉は──湯気立つシチューだった。


 『WORLD CREATOR』のクリスマスガチャで入手した特製のシチューの素に、地元で手に入れた野菜と肉をたっぷりと加えて煮込んだものだ。牛乳が手に入らなかったため、本来のクリーミーさにはやや及ばない。だが、じっくり煮込まれた野菜の甘みと肉の旨味が溶け合い、滋味深く、心まで温めてくれるような優しい味に仕上がっていた。


 焚き火の赤々とした炎が鍋底をなぞるように揺れ、その香ばしい香りが夜気に乗って、あたりにふわりと漂う。


「はいっ、愁さま。とってもいい香りがして……もうお腹ぺこぺこですっ」


「主様ーっ、はやく食べたいぞーっ!」


 湯気の向こうから、少女たちがまるで宝石のようにきらめく瞳をこちらへ向けてくる。見慣れぬ料理に心を奪われたようで、鼻をひくひくと動かしながら、今にも飛びつかんばかりの勢いだ。


 愁自身もまた、その香りに思わず喉を鳴らした。焦げたチーズのようなコクと、甘やかな玉ねぎの香りが胃袋を優しく揺さぶる。


「はいはい、ちょっと待ってね。器に入れるから……よっと。おーい、メラリカさん!ご飯できたので、一緒に食べましょう!」


 馬の世話を終えていたメラリカに声をかけると、彼女は灰色のマントを翻しながら、満面の笑みでこちらを振り返った。


「はーい、今行きますね」


 やがて、御者も加わり、五人で焚き火を囲むかたちでささやかな食卓が整えられた。


 今は十一月。季節は秋の終わりから、冬の気配へと静かに移ろいゆく時期だ。夜ともなれば、空気は肌を刺すように冷たく、吐く息さえ白く染まる。しかし今宵は風も穏やかで、ぱちぱちと音を立てる焚き火のぬくもりが、冷えた指先や頬をじんわりと解きほぐしてくれる。


 この世界にも四季があるらしく、冬には地域によって雪も降るという。その話を耳にしたとき、愁の脳裏にふと過ぎったのは──去年の冬の記憶だった。


 朔夜、ミーシャ、ヴルムヴィード、そして幾人かのフレンドたちと共に挑んだ雪山のダンジョン。極寒の地で震えながらも、仲間と支え合い、戦い、笑い合った。そしてあの夜も、こうして焚き火を囲んで食べたのは、温かなシチューだった。


(あのときと同じ味……いや、きっとそれ以上だ)


 遠くで風が木々を優しく揺らし、枝葉がさらさらと奏でる音が耳に心地よい。


 ふと、愁は静かに空を見上げた。群青色の空に散りばめられた無数の星が、まるで誰かの願いに応えるようにまたたいている。


 ──この日々が、リアやスフィア、そして皆にとっても『かけがえのない記憶』となりますように。その願いは、焚き火の灯にのせて、ゆっくりと星空へと昇っていった。




◆◇◆◇◆◇




 真夜中。あたりは凍えるような寒さに包まれていた。


 夜の帳がすっかり下り、あらゆる物音が雪のように静まり返った世界の中、馬車は薄い布で覆われ、辛うじて冷気を遮っていた。馬車の外、潜り込んだ毛布の中は、少なくとも眠るには耐えられるだけの温もりが保たれている。御者は馬と馬の間に身を滑り込ませ、毛布にくるまって器用に眠っていた。その顔には安らかな微笑が浮かび、寒空の下とは思えぬほど、実に気持ちよさそうだった。


 焚き火の前に腰を下ろし、見張り役としてじっと夜を見守っていると、乾いた足音が霜を踏むように静かに響いた。


 振り向いた先に立っていたのは──リアだった。


「リア?どうしたんだい?こんな夜中に」


「……あ、はい。えっと……目が覚めてしまって。寒いですね……その、隣……いいですか?」


 小さな声に戸惑いが滲む。愁が被っていた毛布をそっと広げると、リアは遠慮がちに腰を下ろした。彼女の身体がぴたりと寄り添ってくる。驚くほど柔らかく、そして『温かい』。焚き火の熱すら届かぬ肌寒さを、彼女のぬくもりが優しく溶かしてくれた。


「やっぱり……誰かが隣にいるだけで、ずいぶん暖かくなるね」


「そうですね……。誰かの隣がこんなにも温かいなんて──きっと、愁さまに出会っていなければ……もう二度と、知らずにいたと思います」


 ふと、リアの横顔に影が落ちた。ほのかに哀しげな微笑み。何かを遠くに見つめるようなその表情に、愁の胸がひりつく。彼女がこれまでどんな日々を生きてきたのか。まだ訊く勇気はなかったが──これからの時間で、その心を満たしていけたらと、そっと願った。


「これからは……心も体も、あったかくなるような、そんな理想の国を作っていくよ。だから、リアも──」


 ふと横を見やると、リアはもう静かに目を閉じていた。穏やかな寝息が、夜の静寂に溶け込んでいく。


「……早いなぁ。でも、まあ。あったかいし、いいか」


 リアの温もりを肩に感じながら、愁は焚き火を見つめ続けた。夜は深く、けれど静かに、確かに更けていった。


 やがて夜明けが訪れた。何事も起こることなく、穏やかな朝だった。


 皆で手早く朝食をとり、馬車は再びゆっくりと動き出す。御者の話によれば、目的地には今夜にも到着できるとのこと。


 愁は昨夜眠っていないこともあり、しばし仮眠を取らせてもらうことになった。


「リア、スフィア。俺、少し眠るからさ。メラリカさんに迷惑かけないように頼むね。メラリカさん、ふたりのこと……よろしくお願いします」


「はい、任せてください。……ゆっくり、休んでくださいね」


 馬車の奥に身体を横たえると、すぐにスフィアが近づいてきた。


「主様!我が膝枕してやろう!ほれっ!」


 得意げに自分の膝を叩きながら、愁の横に腰を下ろすスフィア。


「いやいや、いいって……大丈夫だから……」


 軽くあしらおうとしたが、スフィアは一歩も退かない。むしろ、強行手段に出てきた。


「だーめなのだ!膝枕、するったらするのだ!えいっ!」


 そのままぐいっと頭を引き寄せられ、彼女の膝の上に収まってしまう。力の強さはさすがのレベル九十二。抵抗は無意味だった。


「……もう、わかったよ。……それじゃあ、おやすみ」


 眠気に抗う気力も尽き、愁はそのまま目を閉じた。


 柔らかく温かな膝。時折、優しく撫でられる頭。その心地よさに身を委ねながら、愁はぼんやりと思った。


(……スフィアって、雑に見えて、本当はすごく優しいんだよな)


 昼の陽光が馬車の窓越しに差し込み、車輪の緩やかな揺れがまどろみを深く誘う。夢と現実の狭間に沈みながら、愁は深い眠りへと落ちていった。


 ──目を覚ました時、空は既に淡い紫に染まっていた。馬車は森を抜け、岩肌と崖が連なる荒野へと入っていた。おそらく、目的の洞窟はもう近い。愁が身を起こすと、前方からメラリカが声をかけてきた。


「お目覚めですか?目的地の洞窟まで、もう間もなくです。今夜は近くで一晩を明かし、明日の朝から魔力鉱石の採取に向かいましょう」


 ほどなくして、馬車は洞窟の手前に辿り着いた。焚き火の準備と寝床の設営を済ませ、全員で簡単な夕食を囲む。


「愁さん、今夜は私が見張りをいたします。皆さんはゆっくりとお休みください」


「いえ、それは……。俺が引き受けますよ」


「大丈夫です。私は今朝、しっかりと仮眠を取りましたし──冒険者ですから。こういうのには、慣れていますから」


 メラリカの口調にはどこか重みがあり、異論を挟む隙のない説得力があった。なぜだろうか、その背中には、語られぬ覚悟がにじんでいるように思えた。


「……じゃあ。お言葉に甘えさせていただきます」


 荷を片付け、愁は再び馬車へと戻った。


 明日は久しぶりの探索だ。心は自然と高鳴っていた。新しい発見、新しい体験──それらを想像するだけで、胸が騒ぐ。しかしその一方で、不測の事態にも備えなければならない。


 愁は事前にいくつかの魔石をクラフトし、回復用のポーションも数本作成しておいた。


 リアにはかつて使用したハンドベルを渡してある。それがあれば、〈守護者の聖域〉が自動で展開される仕組みだ。スフィアにはポーションを数本持たせておく。彼女は突っ込みがちな性格ゆえ、怪我の可能性が高い。


 準備は万全。洞窟の中には複数の魔獣や魔物が棲息しているとの噂もある。警戒は怠れない。しかし——それでも、未知へと踏み出す緊張と、高揚。それが絡み合って胸を震わせる。これぞ冒険。これぞ探索。この世界での、初めての本格的な冒険だ。


(明日はきっと、忘れられない一日になるだろうな)


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