第2-1話 町に行ってみよう
翌朝──。
目蓋をうっすらと持ち上げた途端、窓から射し込んだ光が愁の網膜を鋭く刺激する。
清らかに澄み渡った朝の空気のせいか、いつも以上に朝日が眩しく感じられ、思わず目を細めた。
その光は、まるで眠気を一掃するかのように愁の意識を現実へと引き戻す。
「夢じゃ……なかったか……」
低く漏れた言葉が、静かな部屋に淡く響く。
死を受け入れたはずの自分が、こうしてまた日常を歩んでいる──それは奇妙でありながら、決して悪い気分ではない。
しかし、今の自分が何者で、どのような理に従ってここにいるのかは依然として不明だった。その“わからなさ”は、ほんのりとした安堵の奥に潜む、冷たい不安をじわりと心に滲ませる。
加えて、ここにはかつての仲間も、愛する家族の姿もない。その事実は、胸の奥に静かな喪失の余韻を残していた。
その気配を振り払うように、愁はベッドから身を起こし、足を床につける。裸足に触れた床の冷たさが、目覚めをさらに確かなものとする。
まずは洗顔だ。脱衣所に向かい、冷たい水で顔を洗えば、ようやく頭がすっきりとしてきた。濡れた指先が肌をなぞる感触に、ほんの少しだけ生の実感が宿る。
身支度を整えた愁は、そのまま食堂へと足を運ぶ。
目的は朝食の準備──栄養失調気味のリアに、少しでも美味しいものを食べさせたいという、彼なりの使命感からだった。
食堂の調理場へと向かおうとしたその時、廊下の向こうから軽やかな足音が近づいてくる。
やがてその音は食堂の前で止まり、控えめに扉が叩かれた。
「おはようございます!愁さま。入ってもよろしいですか?」
声の主は、昨日出会ったばかりの少女──リアだった。
「おはよう、リア。いいよ、入っておいで」
返事とともに、扉がゆっくりと開かれる。
現れたのは、昨日贈った軍服風のワンピースに身を包んだリア。
その姿はどこかぎこちなく、しかし確かに彼女に似合っていた。初めての服装に照れくさいのか、頬をわずかに桃色に染めている。
「着替えもバッチリだね。ゆっくり眠れたかい?」
「はいっ!あんな、ふかふかなベッドで寝れたんですから、疲れが取れなかったら申し訳ないくらいです!」
明るく弾むような声に、愁も自然と頬を緩める。
「それはよかった。少し待っててね、今朝ごはん用意するから」
彼は調理場に向かい、エンドレスボックスを開いて中の食材を確認する。
(たしか卵とベーコンがあったはず……)
探してみると、それどころか予想以上に多くの食材が見つかった。
しかもありがたいことに、『WORLD CREATOR』時代と同様、箱の中の時間は完全に停止しているようで、すべての食品が『無限保存』という表記になっている。
(よし。この世界でもエンドレスボックスは健在、か)
安心した愁は、昨日使ったフライパンを取り出し、火の魔石で加熱する。
ジュウッという小気味よい音が空気を震わせ、香ばしい香りが立ち上る。そこへ卵とベーコンを加え、塩と胡椒で味を調える。簡素ながら、朝にはぴったりの定番だ。
合わせて、昨日クラフト能力で作成した米粉パンも取り出し、皿にまとめる。
調理を終えた彼は、その皿をそっとテーブルへと運び、目の前にリアの姿があることに気づく。
彼女はテーブルに並んだ料理に目を丸くし、今にも輝きそうな瞳で皿を見つめていた。
まるで初めてファミレスに来た子どものように──好奇心と喜びがごちゃまぜになった表情だ。
「簡単なもので悪いけど、出来たよ。食べようか」
「わぁ……とっても美味しそうです。いただきます!」
リアは心から嬉しそうに、そして幸せそうに料理へと手を伸ばした。
ほんのささやかな料理でも、彼女にとってはきっと特別なものなのだろう。その姿を見て、愁の中にも自然と温かいものが芽生える。
しばらく食事を共にしたあと、ふと愁が口を開く。
「ところでさ、町に行ってみようと思うんだけど、よかったら近くの町まで案内してくれないかな?この辺の地理がわからなくて」
リアは少し驚いたように目を見開いたあと、口元に手を添えて答えた。
「案内ですか?わたしでよければ……でも、わたしは亜人ですので、町の近くまでしかご案内できません。それでも、よろしいですか?」
愁はその言葉に、初めてリアを見かけた時の光景を思い出す。
町の騎士たちが彼女に向けた敵意──『町に入ってきやがって』などという言葉の数々。
この世界では、亜人というだけで町に入ることすら許されないのかもしれない。まるで人権という概念が根付いていない、暗い現実がそこにはあった。
だが、だからこそ、彼女を町の外に置いていくのはどうしても気が引けた。
そんな無防備な姿で、また何かに巻き込まれでもしたら——次は助けられないかもしれない。
「よかったらだけど、俺と一緒に町の中まで来ないか?俺も話し相手がいないのは寂しいし、この辺のことも、まだ全然知らないからさ。もちろん、リアが嫌じゃなければの話だけど」
「えっ……一緒に……ですか?でも……わたしなんかと一緒にいたら、きっと愁さまにご迷惑をおかけしてしまいます……」
囁くような声。まるで風に掻き消されそうなほど頼りなく、言葉は胸の奥に沈んでいく。
リアの瞳は揺れ、どこか怯えたように彷徨っていた。その姿は、光を避ける小動物のようにおどおどとして、触れれば壊れてしまいそうなほど儚い。
愁はその様子に思わず口元を綻ばせ──だが、同時に、胸の奥を締めつけるような痛みがじわりと滲んだ。
(なんで……こんな優しい子が、こんなにも自分を責める必要があるんだよ)
俯きがちに呟くリアの姿を見ていると、胸の奥で何かがきしむ音がした。
痛々しいほどに自信を失っていて、自分の存在価値すら信じられない──彼女がどれほどの苦しみの中にいたか、愁は痛感する。
きっと、言葉では言い尽くせないような仕打ちを受けてきたのだろう。ただ、亜人族という理由だけで。
「リア……そんなふうに自分を卑下するのは、もうやめよう。昨日も言ったけど、俺はリアが亜人だからって差別や区別はしないよ。もし誰かに酷いことをされそうになったら俺が、リアを守るから。だから心配しないで大丈夫だよ?」
その言葉は、静かに、しかし確かな熱をもって紡がれる。春の陽だまりのような声色で。
だが、リアはまだ顔を上げようとしなかった。
しばしの沈黙。
だがその静寂の中で、愁は気づく──彼女の頬を伝って、ぽたり、ぽたりと、透明な雫が床に落ちていくのを。
「リア……?泣いてるの……?」
静かに尋ねたその瞬間、リアはようやく顔を上げた。
銀色のまつげに縁どられた瞳は潤み、涙が光の粒となって零れ落ちる。震える唇を噛みしめ、ごしごしと袖で涙を拭いながら、か細い声で告げた。
「す、すみません。その、うれしくて。ずっとわたしなんか、生きてちゃいけないって思ってて……自分で、終わらせようとしたことも、ありました。……でも、怖くて、何もできなくて。誰も、助けてくれなくて。でも、愁さまは、見ず知らずのわたしに……こんなにも、優しくしてくださって……守ってあげるって、言ってくださって……だから……」
彼女の嗚咽混じりの声は、これまでの孤独と絶望を絞り出すようだった。
まるで張り詰めていた感情の糸が切れ、心の奥底に溜まっていたものが堰を切って溢れ出したかのように。
愁は、そんなリアの姿をじっと見つめる。幼いその背中に背負わせてしまった重荷の大きさに、胸がぎゅう、と締めつけられた。
(……守ってやりたい。リアには、涙なんか似合わないな)
そんな想いが、胸の奥からこみ上げてくる。
それが自己満足だろうと、偽善だろうと、関係なかった。目の前で泣いている少女がいる。その手を、ただ握ってあげたくなるのは、自然な感情だった。
「……そうか。辛かったんだね。でも、もう大丈夫だよ。俺はリアを見捨てたりなんかしない。もし行くあてがないのなら、リアの心が落ち着くまで、ずっとそばにいてくれて構わないから」
そっと手を伸ばし、リアの頭を優しく撫でる。
掌に感じる温もりは、彼女がこの過酷な世界で懸命に生き抜いてきた証だった。
誰も、この子の自由や幸せを踏みにじっていいはずがない。
そして、愁の胸に、静かに──だが確かに、一つの決意が芽吹く。
(この世界は、間違ってる)
亜人というだけで、希望を奪われ、嘲られ、見捨てられる。そんな理不尽が、まかり通る世界。そんなものが“当たり前”であっていいはずがなかった。
このままではいけない。もし自分に“力”があるのなら──クラフトマスターとして、創造の力を持つ者であるのなら──
(だったら、創り直してやる。正しく、温かな世界に)
燃えるような衝動が胸に灯る。過去の罪も悲しみも、全てを包み込める世界を、自らの手で生み出してみせると。
「……よし。決めたよ、リア。俺はこの世界に“国”を作る。どんな種族だろうと関係ない、みんなが笑って暮らせる国を。それを……リアには、俺の隣で見ていてほしいんだ。もちろん、リアが良ければだけどね」
その言葉に、リアは涙を拭い、ふっと微笑んだ。陽の光が差し込むような、暖かくて柔らかな笑顔だった。
「……国、ですか?」
「おっと、今ちょっと笑ったろ?一応これでも、王様だったんだぞ?」
とびきり得意げな顔で言う愁に、リアはくすくすと笑った。
愁の話は、『WORLD CREATOR』の仮想の王国の話ではあるが、その想いに嘘はなかった。
「ふふっ……そうですね。愁さまの作る国なら……きっと、優しい国になるんだと思います。そこに、わたしがいてもいいのなら……わたしは、愁さまの側にいたいです」
その言葉に、愁もまた柔らかく微笑む。
泣き顔よりも、笑顔の方が何倍も美しい。自然と笑みが零れるような日々こそが、人として生きる本来の姿なのだと、あらためて思う。
「うん。人族も、亜人族も、魔族も、エルフ族も──関係ない。みんなが当たり前に幸せを分かち合える、そんな国を創ってみせる。だから……近くで見ていてくれないか?」
差し出された手を、リアは一瞬の迷いもなく握り返した。赤と青の色の瞳に迷いはなく、頬には太陽のような明るい笑顔が咲いている。
「──はい!お供させてください。これからも……よろしくお願いします、愁さま!」
その言葉は、まるで契約の誓いのように、澄みきった朝の空気に響いた。
こうして、これからの方針は定まった。目指すのは新たな国の創造だ。
かつての仲間たちに胸を張って語れるような、夢と希望に満ちた国を築く。
そしてこの世界の凝り固まった常識を覆すのだ。誰もが学び、働き、夢を見つけて追いかけ、自らの手で『自分だけの幸福』を掴み取れる、そんな輝ける世界を──
「よし、それじゃまずは町に向かおうか。色々と知るべきことがあるからね。準備は大丈夫かい?」
愁が、食後の一息を見計らいながらリアに問いかける。
「はい、大丈夫です。町までの道案内はお任せください」
そこに、先ほどまでの涙のリアは、もういなかった。
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