第14-1話 海の見える町
今日は十二月二十五日。
もしここが日本なら、今頃多くの子供たちが枕元のプレゼントを見て歓声を上げている頃だろう。
冷たい朝の空気がゆっくりと客室に入り込む中、愁は静かに目を開けた。
窓辺には、すでに身支度を整えたリアの姿があった。彼女は細い指先で窓枠に触れながら、じっと外を眺めている。朝日を受けた銀色の髪が、淡い光をまとって揺れ、まるで雪の結晶が煌めくようだった。
「おはよう、リア」
柔らかな声で呼びかけると、リアはぱっと振り向き、嬉しそうに微笑んだ。
「おはようございます、愁さまっ!」
彼女の瞳がきらきらと輝いている。その表情には、今日という日を待ちわびていたことがありありと表れていた。
「誕生日おめでとう、リア。今日は存分に楽しもう」
「ありがとうございます!今日がすごく楽しみですっ!」
リアの弾んだ声に、愁も思わず微笑む。
今日は彼女の希望で、海沿いの町ウエルピスへ向かう予定だった。
リアは今まで一度も海を見たことがないらしく、それならばと愁が提案したのだ。冬の海は少し肌寒いが、ウエルピスには古代遺跡もあると聞く。愁としても新たな攻略地もとい冒険する場所として一度見ておきたい場所だった。
今日は移動手段として王都から出発する行商人の護衛という形で同行させてもらうため、準備を整えなければならない。
愁が手際よく身支度を終えて戻ると、リアが躊躇いがちに近づいてきた。
「あの、愁さま……昨日みたいに、髪を結ってもらえませんか?」
小さく上目遣いで頼まれると、愁は少し驚きつつも、ふっと笑った。
「気に入ったのかい?」
「……はい、とっても!」
リアは嬉しそうに頷く。
「はいよ、それじゃあこっちへ」
愁はベッドに腰掛け、リアをそっと膝の間に座らせた。
銀糸のような彼女の髪に櫛を通すたび、サラサラと流れる感触が心地よく、ふわりとした優しい香りが鼻をくすぐる。光を受けて煌めく銀髪は、まるで夜空に降る流星のようだった。
指先に伝わる温もりと共に、リアがじっと大人しくしている気配が感じられる。彼女の静かな呼吸が、どこかくすぐったく思えた。
「よし、できた」
「えへへ、ありがとうございます!」
リアは小さく跳ねるように振り返り、嬉しそうに笑った。その無邪気な笑顔は、朝露に輝く花びらのように純粋で、愁の心まで柔らかく包み込む。
支度を終えた二人は宿を後にし、行商人の待つ場所へと向かう。
街角に停められた荷馬車の前で、陽気な声が響いた。
「おーい、あんちゃん!そろそろ出発だぞ!」
「すみません、ギリギリになっちゃって。よろしくお願いします」
「いやあ、間に合えば問題ないさ!道中、頼りにしてるぜ」
荷馬車の一角に二人分の座席を確保してもらい、愁とリアは並んで腰を下ろした。
しばらくして、街の門を抜け、馬車はウエルピスの町へ向けて走り出す。
馬の蹄が土を叩く音と、車輪の軋む音が一定のリズムを刻む。風がゆっくりと流れ込み、冬にしては柔らかな空気が肌を撫でた。
「……んっ」
リアが小さく呻く。
「大丈夫かい?結構揺れるね」
「はい……ちょっと、お尻が痛いです」
困ったように眉を下げるリアの表情に、愁は思わず苦笑した。
「ちょっと待っててね」
彼は手をかざし、クラフト能力を使って簡易的なクッションを二つ作り出した。そのうちの一つをリアに手渡す。
「ほら、これ使いな」
「わぁ、ふかふかです!ありがとうございます!」
リアは嬉しそうにクッションを抱きしめる。
馬車が進むにつれ、どこからか潮の香りが漂い始める。
「……何か、変な匂いがします。愁さま、これは?」
リアが小さく鼻をくんくんと動かしながら、首をかしげる。
「これは海の匂いだよ。潮風の香り、慣れていないとちょっと変に感じるかもしれないね」
「これが、海……」
リアは興味深そうに遠くを見つめた。やがて、青く広がる水平線と活気に満ちた町並みが視界に飛び込んでくる。
「もうすぐ、着きますね!」
「うん。ウエルピスは結構賑わってるみたいだね」
荷馬車が町の門をくぐると、目の前には活気に満ちた市場の光景が広がった。色鮮やかな布を纏った商人たちが威勢よく声を張り上げ、新鮮な魚を並べた屋台が軒を連ねる。樽に入った生きた魚が跳ね、干された魚が潮風に揺れ、炭火で焼かれた魚の香ばしい匂いが漂っていた。
波の音が遠くから響き、陽光を浴びてきらめく海が視界の隅に広がる。
初めて海を目にするリアにとって、この風景はどのように映るのだろうか。そんなことを思いながら、愁はそっと横目で彼女の様子を窺った。
リアはまるで時が止まったかのように、瞳を大きく見開いて立ち尽くしていた。
「すごい……!」
驚嘆の声が、潮騒に溶けるように小さく響く。その表情は、まるで宝石が光を受けて輝くような純粋な驚きと感動に満ちていた。
ウエルピスの港町には、潮風がそよぎ、魚市場の喧騒が響き渡る。賑やかな声と笑い声が飛び交うこの場所で、愁はふと足を止め、屋台で炭火焼きの魚を購入した。
パリパリに焼けた皮に、ふっくらとした白身。じんわりと溢れる脂の旨味が炭火の香ばしさと絡み合い、食欲をそそる。
「美味しいかい?」
そう尋ねると、隣に座るリアは魚を頬張ったまま、もぐもぐと小さく頷いた。
「ふぁい、んぐ。熱々で美味しいです!」
頬を膨らませ、慌ててふーふーと息を吹きかけながら食べる彼女の姿に、愁は思わず微笑む。
その何気ない仕草が、旅の疲れを忘れさせるほどに微笑ましかった。
だが、その和やかな時間も束の間だった。
二人は食事を終えると、もう一つの目的である『古代遺跡』へと向かうことにした。
その道すがら、ふと気になり、愁は市場の屋台の店主に声をかける。
「古代遺跡ってどんな逸話があるんですか?」
店主は手を止め、少し表情を曇らせた。
「おうよ。千年以上前の神話の時代に、神々ですら恐れた魔族の王がいたって話だ。その王を封印したのが、大悪魔フロストフィレスだって言われてる」
「悪魔が魔王を封印……?」
愁は眉をひそめる。その言葉には違和感があった。
さらに、最近ウエルピスでは、奴隷の亜人や人族の子供たちが相次いで行方不明になる事件が頻発しているという。
(この辺でも亜人族が姿を消しているのか……アールクトスの事件とも関係があるかもしれないな)
潮風が吹き抜ける中、愁は静かに思案する。胸の奥に広がるのは、冒険の高揚感ではなく、不穏な気配だった。
やがて、屋台の人が教えてくれた道を辿ると、二人は目的の遺跡へと辿り着いた。石造りの巨大な建造物が、静かに佇んでいる。
入り口へと続く道の両脇には、高くそびえる石柱が等間隔に並んでいた──ただし、その中の『一本だけ』が不自然に欠けている。
「なんだか、不気味な場所ですね……愁さま」
リアが静かに呟く。
「そうだね。でも俺は冒険っぽくて楽しいかな」
そう言うと、リアはクスッと微笑んだ。
「ふふ、愁さまらしいですね」
愁は軽く肩をすくめると、遺跡の入口へと視線を向けた。
(この遺跡、本当にただの遺跡なのか……?)
じわりと湧き上がる胸騒ぎを抑え、二人は静かに遺跡の奥へと足を踏み入れ、愁はすぐに表情を引き締めた。
「さて、まずは周りの確認を……」
愁は慎重に〈気配探知〉を発動させる。
(……妙だ)
この遺跡には普段、人は近寄らないはず。だが、中には明らかに『何か』がいる。
二十を超える高い魔力の反応。それだけではない──そこには、かすかに震える人族の子供や、複数の亜人族の気配も感じ取れた。
「リア、遺跡の中で……良くないことが起きているみたいだ。ハンドベルで結界を展開して、俺に付いてきてくれるかな?」
リアは真剣な表情で頷くと、ハンドベルを鳴らして〈守護者の聖域〉を発動させ、愁の後ろについた。
愁は事前に用意していた魔石を手に取り、クラフト難易度中位の魔剣『カラドボルグ』を作成する。神話に名を残すこの魔剣は、並の剣とは一線を画す鋭さと能力を誇っていた。
魔剣を片手に、愁は遺跡の闇へと踏み込んだ。
湿った空気が肌にまとわりつき、下へと続く石段は冷え切っている。かすかな燭台の明かりに照らされた空間にたどり着くと──そこに広がっていたのは、常軌を逸した光景だった。
中央にそびえる巨大な祭壇。新たに流されたばかりの血が、赤黒く輝く魔法陣へと染み込んでいく。その周囲には、鬼のような角を持つ魔族たちが二十人ほど集い、何かを口にしている。
祭壇の脇には、無造作に投げ捨てられた人間や亜人の残骸。魔族たちはその肉を貪り、骨を噛み砕きながら、低く唸るように笑っている。
(……惨いことを……)
愁は震える怒りを押し殺し、静かに〈鑑定の魔眼〉を発動させた。
視界に映し出された魔族たちのレベルは四十七から六十二。個々の脅威はそれほどではない。だが、問題は──人質の存在だった。
(迂闊に動けば……奴らは人質を盾にするよな)
愁は即座に思考を巡らせる。
そして、魔石に〈物理結界〉と〈魔法結界〉を付与し、遠隔操作が可能な防護結界の魔石を作り上げた。
「リアはここで待ってて」
儀式の様子が見えない位置でリアにそう指示すると、愁は気配を極限まで抑え、魔石を人質の中央へと投げ込んだ──瞬間、結界が展開される。透明な壁が人質たちを包み込む。同時に、驚愕した魔族たちが一斉に振り返った。
「侵入者だ!」
「侵入者がいるぞ!見られたからには殺せ!」
怒号が響き渡る中で、愁は静かに魔剣を構えた。『カラドボルグ』の刀身が妖しく輝く。
「……さて、始めるか」
ガラガラとした声を荒げながら、数体の魔族が愁に向かって突進してくる。その刹那、愁は低く冷たい声で告げた。
「お前たち。人質を解放し、この場を去るなら、命までは奪わない。最後の機会だ。選べ」
一瞬、魔族たちは顔を見合わせ──次の瞬間、ゲラゲラと笑い出した。
「たった一人の人族が何を言う!」
「さっさと殺しちまえ!」
愁は呆れたように肩を落とす。
「……本当に典型的な反応ばかりで、つまらないな」
そう呟きながら、魔剣に魔力を注ぐ。
刹那──淡い紫色の光がぼんやりと愁の周囲三メートルほどを覆った。それを見た魔族たちの足がわずかに止まる。
「これは剣の結界だ。踏み込んだら最後、お前たちの首は落ちる」
愁の言葉に、魔族たちは再び顔を見合わせる。しかし、またしても馬鹿にしたように笑いながら、二人の魔族が結界の中へ踏み込んだ。
瞬間──シュッという鋭い音が響いた。次の刹那、踏み入れた魔族たちの首が宙を舞い、地面へと転がる。遅れて、胴体も崩れ落ちる。
「な、なんだ今のは……!?」
「何も見えなかったぞ……!」
生々しい死の光景に、魔族たちは怯えたように身を強張らせる。
「くそ……!囲め!一気に押し潰すぞ!」
残る魔族たちは武器を構え、愁を取り囲もうとする。
(囲むのは構わないが……むしろそっちの方がこちらとしては助かるな!)
愁は剣を構え直し、同時に逆の手で大型のナイフを生み出した。そして、的確に魔族の脳天へと投げつける。投擲されたナイフが深々と脳天に突き刺さり、魔族はその場で崩れ落ちた。
「な、なんなんだこいつは……!」
魔族たちは明らかに動揺していた。
「……まだ終わらないぞ」
愁は目を細め、次々と魔族を狩る。逃げ出す者すら容赦なくナイフで仕留め、やがて残ったのは祭壇の上に立つ四人の魔族のみ。彼らはレベル六十を超えており、この集団の中では強者の部類だ。そして、四体揃って魔方陣を展開し始める。
(……中規模の魔法攻撃か?こんな狭い空間で撃たれたら、さすがに厄介だな)
愁は静かに手をかざし、明確な言葉を放った。
「魔法の行使を〈無効〉にする」
ガシャンッ!──ガラスが砕けるような音が響き、魔族たちが展開していた魔方陣が一瞬で崩壊する。
「な、なにぃ……!?四人掛かりの魔方陣が……!!」
愁が用いたのはスキル〈言霊〉。魔法の妨害や、相手の自由を奪ったりなど汎用性の高い便利なスキルで、発動条件は相手を恐怖状態にしていること。愁が見せた戦闘技術に恐怖を覚えていた魔族たちは、恐怖状態であり、発動条件は揃っていたのだ。
「く、くそっ……!に、逃げ──」
魔族の一体が叫びながら踵を返した。それに続いて、他の三体も闇の中を必死に駆け出す。
しかし、その刹那、愁の姿が霞のように揺らぎ、〈縮地〉によって空間を裂いたかのように間合いを詰める。魔族たちの足が止まるよりも早く、黒き刃の『宵闇』が閃いた。
「た、助け──」
最後の哀願が空へと消えた。
シュッ──風を切る鋭い音と共に、四つの首が血飛沫を描きながら宙を舞い、無機質な音を立てて地面へと転がる。
あたりに沈黙が満ちる。
「お前たちが生贄にしようとしていた人々も……何度も助けを求めたはずだ」
愁は静かに呟いた。わずかに滲んだ憤りが、凍てつくような冷たさに変わる。
「……なのに、お前たちだけ助けてもらえると思うなよ」
黒刃からしたたる紅の雫が、淡く光る結界の上に散った。彼は無造作に剣を収めると、手をかざして結界を解除する。
圧倒的な死の空気に怯え、震える人質たち。その視線の先にいるのは、血に染まった少年だった。けれど、次の瞬間──
「大丈夫かい?」
愁の声は驚くほど穏やかだった。
「敵はすべて倒した。……さあ、自分たちの家へお帰り」
優しく差し出された手に、人々の警戒が僅かに解ける。おずおずと、それでも確かな意思で、彼らはその手を取った。
「……ありがとう……ございます……」
誰かが震える声で呟き、それに倣うように一人、また一人と頭を下げる。そして、まるで安堵を求めるように遺跡の出口へと足早に向かっていった。
愁は静かに彼らを見送り、ふと周囲を見渡す。そして、一つの扉へと歩み寄った。遺跡の奥に鎮座する巨大な扉──それはまるで、何かを拒むかのように冷たく閉ざされていた。
「……何か結界が張られてるな」
指先をかざすと、微細な魔力の波動が空間を揺らす。それは、強力な封印だった。故に今は解く時間がない。
「仕方ない、後回しだな」
愁は静かに踵を返し、待たせているリアの元へと戻る。
「待たせてごめんね。それじゃあ、海を見に行こうか」
遺跡の入り口からすぐのところで待っていたリアが、心配そうに駆け寄った。
「愁さま、お怪我は無いですか?」
愁の姿が見えなかった間も、剣戟の音や断末魔の叫びは耳に届いていた。だからこそ、無事を確かめずにはいられない。
「うん、大丈夫だよ。人質もとりあえずは無事だったみたいだし、よかったよ」
愁が柔らかく微笑むと、リアは安堵したように小さく息を吐いた。そして、二人は遺跡を後にし、近くの浜辺へと向かう。
少しでも『面白い!』『続きが気になる!』と思っていただけたら、ブックマークで応援いただけると嬉しいです。下にある【☆☆☆☆☆】を【★★★★★】にして評価をいただけると、さらにさらに、次回の更新も頑張れます!




