第1-1話 新たな世界にこんにちは
「……森、か」
瞼を静かに開けた愁の視界に広がったのは、視線の限りに連なる『木々の海』だった。
無数の幹が、まるで世界を囲う壁のように乱雑に生え並び、枝葉が風に擦れ合う微かな音が、耳にざわざわと不安を呼び起こす。
愁は少し大きめの岩に背を預けた姿勢で座っていた。
身につけているのは、見慣れた黒の特注スーツ──あの、馴染み深い、最後まで纏っていた自分だけの装いだった。
(……どうして、俺はこんなところにいるんだ?)
記憶は鮮明だった。
つい先ほどまで、自分は病床に伏し、仲間たちに囲まれて最期の時を迎えていたはずだ。涙混じりの言葉。温もりに満ちた手の感触。命の灯がゆっくりと消えていくあの感覚。それら全てが夢ではなく、確かに『現実』だった。
それなのに──今、自分は生きている。こうして息をし、意識がある。そして体は動き、痛みさえ感じる。
「……夢なのか?」
ぽつりと呟きながら、愁は木々の隙間から見える空をぼんやりと見上げた。
白い雲が薄く流れ、風が木の葉を揺らしながら通り抜ける。吹き抜けた一陣の風が、首元を撫でていった。
少しひんやりとしたその冷たさが、現実味のなさを強調するどころか、逆に『生々しさ』を際立たせる。
(ここは……暖かかった俺の国じゃない。あの場所じゃない。全然違う場所だ)
愁のかつての生きていた第二の世界──『WORLD CREATOR』で築いた理想の国は、穏やかで暖かな気候に包まれていた。
しかしこの森は、空気の質すら違う。ひんやりと湿り気を帯びた風、土の匂いに混じる微かな獣の気配、奥深くから聞こえる風鳴りの音──そのすべてが異質だった。
木々の奥はすでに暗く、わずかに風に揺れる枝の音が、まるで誰かの囁き声のように聴こえてくる。
得体の知れぬ静けさが、空気の密度を重たくしていた。
「……とにかく、状況を整理しようか」
ただじっとしているだけでは、何も始まらない。
愁は立ち上がり、服の埃を軽く払うと、ゆっくりと辺りを見回した。足取りは確かで、体に違和感はなかった。それどころか──
(……スムーズに動くな。病で失ったはずの、この体が……)
現実世界での肉体は、とっくに限界を迎えていた。薬も治療も通じず、ただ朽ちるのを待つだけの体だった。
だからこそ、現実の身体を捨てて、電脳世界で過ごしていた愁だが、それも現実世界で唯一残っていた脳が限界を迎えたことで、電脳世界でも体が動かせなくなっていた。
それなのに、今ここにあるこの体は、痛みも痺れもない。
まるで生前以上に健康で、精密に作り込まれた義体のようにすら思えた。ならばこれは『ゲーム』なのか?──だが、そう考えるにも違和感があった。
「こんな場所、見たことないしな……」
そう呟きつつ、愁は試しに手を動かして、かつて慣れ親しんだ動作──ステータスウィンドウの展開を試みた。
すると、空中に音もなく淡い光が走り、透明なウィンドウが目の前に浮かび上がる。
──『WORLD CREATOR』のままのステータスが、そこには確かに存在していた。
「そのまんまだな……。ってことは、ゲームの中?……いや、でも……」
違和感は消えない。ログアウトボタンが消失していたこともそうだが、決定的なのは『感覚』だった。
愁は自分の腕をつねってみると、皮膚の痛覚が鮮やかに反応する。
これは、ゲームの“それ”ではない。現実に限りなく近い、いや、もはや現実そのものとしか思えない感覚。
念のため、スキルも試してみる。
〈縮地〉──一瞬で距離を詰める高速移動スキル。
発動すれば、風を裂く感覚と共に、視界が跳ぶように切り替わる。
次いで〈クラフト〉で魔石を作り、〈火〉の魔法を込めて放つ。
炎の軌跡、空気の焼ける匂い、爆ぜる熱量──すべてが“あの頃”と同じで、なおかつ『現実離れした現実』だった。
「……どういうことだ……?」
マップを開いてみると、画面には『未登録エリア』の表示。
かつての愁の冒険は、すでに世界中のマップをほぼ網羅していた。行っていない場所など、存在するはずがない。
ならばここは──
(新エリア?いや、違う。そもそもゲームの外、いや、“それ以外”なのか?)
愁の中に、恐ろしくも否定しきれない仮説が浮かぶ。
(もしこれが現実でもゲームでもない、なら……俺は、いったいどこに?)
脳裏に、あの最期の記憶が蘇る。
命が尽きる寸前、聞こえていた仲間たちの泣き声。遠ざかる世界。光が潰えていく感覚。あの恐怖。
(──俺は、あのとき、死んだ。間違いなく)
その先にあるはずの“無”ではなく、こうして目覚めたこの場所。五感が鮮明で、魔法もスキルも存在し、ゲームの延長のようで、まるで違う世界。
「……マジで……なんなんだ、ここは」
愁の吐息混じりの独白を、梢を揺らす風と木々のざわめきが静かにさらっていく。
誰も答えてはくれない。ただ、世界だけが静かに、意味深げに呼吸を続けていた。
思考の迷路を彷徨うように、愁が独り言を話していると──風の流れとは明らかに異なる、不規則な葉擦れと、乾いた地面を踏みしめる音が聞こえてきた。
複数の足音。確かな重みと気配が、近づいてくる。
愁は反射的に〈気配探知〉を発動。慣れた所作で接近者の正体を探る。
反応は四つ。人型。体格からして、大人が三人──そして、小柄な子供が一人。
続けて〈遠見〉を使用して目視で確認すると、見えたのは重厚な鎧に身を包んだ三人の男たちと、そのうちの一人に髪を乱暴に掴まれ、引きずられている銀髪の少女だった。
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