第5-2話 寒い日のシチュー
四人が目指すのは東にある洞窟。レギオンの洞窟だ。
今回は距離があるため、馬車での移動となる。その手配は、手慣れた様子でメラリカが行ってくれた。
しなやかな馬の足取りに引かれ、木製の車輪が小気味よく土を蹴る。用意された馬車に四人で乗り込むと、ほどなくして旅路が動き出した。
車内は木の香りと、外から差し込む微かな草の匂いが混ざり合い、どこか懐かしさすら覚える空間だった。
やがて、心地よい揺れに包まれながら、リアとスフィアは静かに眠りについていた。旅慣れていない二人には、移動だけでも相応の疲労があったのだろう。メラリカはそんな二人を見守るように、優しい眼差しを向けていた。
「愁さんは、種族の違いで人を差別したりしないんですね。人族の方には、差別的な方も多く見受けられますから……少し、意外でした」
その声音には、驚きと安堵が入り混じっていた。エルフであるメラリカにとって、人族の偏見は日常的に目にする現実なのだろう。むしろ、愁のような考え方を持つ者がいることに、驚いている様子だった。
愁はふと、あらためて世界の広さを思い知る。考え方は人それぞれだ。人族にも偏見のない者はいるが、残念ながら数は少なく、亜人を同じ『人』として見ていない者が大半だ。
だからこそ、メラリカのように隔てなく接してくれる存在は、心強くも感じられる。
「そうですね。俺は皆が楽しく過ごせるのが一番だと思ってます。メラリカさんたちエルフ族の方々は、どうなんですか?メラリカさんを見ていると、リアやスフィアにも分け隔てなく接してくれているように見えますけど」
「エルフ族は自然と平和を尊ぶ種族ですから、種族の違いで人を差別することは基本的にありません。この大陸では数が少ない分、少し一目置かれることもあるので、私たちはあまり酷い扱いを受けませんが、他の亜人の方々が酷い差別を受けているのを見ると、とても胸が痛みます」
言葉の端々に滲む哀しみ。その目には、過去に目の当たりにしたであろう光景の残滓が浮かんでいた。メラリカは、本当に優しい人なのだ。
愁は、自分の他にもこんな風に心を寄せられる人がいることに、ほっとした気持ちになった。
ふと気づくと──左肩にはリアが、右膝にはスフィアが、無防備に頭を預けて眠っている。柔らかな吐息が、愁の腕と脚にかかるたび、温もりが静かに伝わってくる。
(……動きづらいな)
とはいえ、寝顔を見れば起こすのも気が引ける。愁がどうしたものかと悩んでいると、そんな様子を見ていたメラリカが、くすりと笑った。
「ふふ……愁さん、随分と信頼されていますね」
「どうなんですかね?そうなら、いいんですけど」
馬車は淡く色づいた夕景の中を進み、やがて空の端が深い群青へと変わり始める。
陽が落ちきってしまえば、灯りのない旅路は危険だ。そこで一行は、今夜はこの辺りで野営することにした。
御者に指示を出し、道端の小さく開けたスペースに馬車を停めてもらう。
しばらくすると、馬の吐息と共に空気が少し湿り、夜の帳が静かに降りてくる。
愁は慣れた手つきで焚き火の準備を始めた。
あえて原始的に、薪を組み、火打ち石で火を灯す。その手際はまるで職人のようで、赤々と灯る火が闇に揺らめき、旅の安心感を静かに照らしていく。『WORLD CREATOR』でのリアルさを追求して行っていた冒険の経験が、こんな形で役立つとは──愁自身も少し驚いていた。
最後に馬車の中へエンドレスボックスから出した布団を敷き詰める。柔らかな織りの布地が空間を包み、即席の寝床としては上々の出来だ。
「メラリカさん。夜は、こちらでお休みください。三人なら、並んで眠れると思いますので」
布団に触れたメラリカは、思わず目を見張った。
「あら、とても上質な布団ですね。使わせてもらってもいいんですか?」
「もちろんです。夜の間は、俺が見張り役をしますので。ゆっくり休んでください」
そう言い残し、愁は夕食の準備をしているリアとスフィアのもとへ向かう。
二人は湯気を立てる鍋を囲み、漂う芳香に鼻をくすぐられながら、楽しげに作業を続けていた。
「どうだい?そろそろ出来た頃かな?」
今夜の夕餉は──湯気立つシチューだった。
『WORLD CREATOR』のクリスマスガチャで入手した特製のシチューの素に、地元で手に入れた野菜と肉をたっぷりと加えて煮込んだものだ。牛乳が手に入らなかったため、本来のクリーミーさにはやや及ばない。だが、じっくり煮込まれた野菜の甘みと肉の旨味が溶け合い、滋味深く、心まで温めてくれるような優しい味に仕上がっていた。
焚き火の赤々とした炎が鍋底をなぞるように揺れ、その香ばしい香りが夜気に乗って、あたりにふわりと漂う。
「はいっ、愁さま。とってもいい香りがして……もうお腹ぺこぺこですっ」
「主様ーっ、はやく食べたいぞーっ!」
湯気の向こうから、少女たちがまるで宝石のようにきらめく瞳をこちらへ向けてくる。見慣れぬ料理に心を奪われたようで、鼻をひくひくと動かしながら、今にも飛びつかんばかりの勢いだ。
愁自身もまた、その香りに思わず喉を鳴らした。焦げたチーズのようなコクと、甘やかな玉ねぎの香りが胃袋を優しく揺さぶる。
「はいはい、ちょっと待ってね。器に入れるから……よっと。メラリカさん!ご飯できたので、一緒に食べましょう!」
馬の世話を終えていたメラリカに声をかけると、彼女は灰色のマントを翻しながら、満面の笑みでこちらを振り返った。
「はーい、今行きますね」
やがて、御者も加わり、五人で焚き火を囲むかたちでささやかな食卓が整えられた。
今は十一月。季節は秋の終わりから、冬の気配へと静かに移ろいゆく時期だ。
夜ともなれば、空気は肌を刺すように冷たく、吐く息さえ白く染まる。しかし今宵は風も穏やかで、ぱちぱちと音を立てる焚き火のぬくもりが、冷えた指先や頬をじんわりと解きほぐしてくれる。
この世界にも四季があるらしく、冬には地域によって雪も降るという。その話を耳にしたとき、愁の脳裏にふと過ぎったのは──去年の冬の記憶だった。
朔夜、ミーシャ、ヴルムヴィード、そして幾人かのフレンドたちと共に挑んだ雪山のダンジョン。極寒の地で震えながらも、仲間と支え合い、戦い、笑い合った。そしてあの夜も、こうして焚き火を囲んで食べたのは、温かなシチューだった。
(あのときと同じ味……いや、きっとそれ以上だ)
遠くで風が木々を優しく揺らし、枝葉がさらさらと奏でる音が耳に心地よい。
ふと、愁は静かに空を見上げた。群青色の空に散りばめられた無数の星が、まるで誰かの願いに応えるようにまたたいている。
──この日々が、リアやスフィア、そして皆にとっても『かけがえのない記憶』となりますように。
その願いは、焚き火の灯にのせて、ゆっくりと星空へと昇っていった。
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