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クラフトマスター建国記  作者: ウィースキィ
第一部 第一章 新たなる世界 【第一次王国 編】

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第11話 海の見える町と王都の闇

 今日は十二月二十五日。もしここが日本なら、今頃多くの子供たちが枕元のプレゼントを見て歓声を上げている頃だろう。


 冷たい朝の空気がゆっくりと客室に入り込む中、愁は静かに目を開けた。


 窓辺には、すでに身支度を整えたリアの姿があった。彼女は細い指先で窓枠に触れながら、じっと外を眺めている。朝日を受けた銀色の髪が、淡い光をまとって揺れ、まるで雪の結晶が煌めくようだった。


「おはよう、リア」


 柔らかな声で呼びかけると、リアはぱっと振り向き、嬉しそうに微笑んだ。


「おはようございます、愁さまっ!」


 彼女の瞳がきらきらと輝いている。その表情には、今日という日を待ちわびていたことがありありと表れていた。


「誕生日おめでとう、リア。今日は存分に楽しもう」


「ありがとうございます!今日がすごく楽しみですっ!」


 リアの弾んだ声に、愁も思わず微笑む。


 今日は彼女の希望で、海沿いの町ウエルピスへ向かう予定だった。リアは今まで一度も海を見たことがないらしく、それならばと愁が提案したのだ。冬の海は少し肌寒いが、ウエルピスには古代遺跡もあると聞く。愁としても新たな攻略地もとい冒険する場所として一度見ておきたい場所だった。


 今日は移動手段として王都から出発する行商人の護衛という形で同行させてもらうため、準備を整えなければならない。


 愁が手際よく身支度を終えて戻ると、リアが躊躇いがちに近づいてきた。


「あの、愁さま……昨日みたいに、髪を結ってもらえませんか?」


 小さく上目遣いで頼まれると、愁は少し驚きつつも、ふっと笑った。


「気に入ったのかい?」


「……はい、とっても!」


 リアは嬉しそうに頷く。この世界では鏡が高価であり、通常の宿の部屋には備え付けられていない。鏡も無しに自分で結うのはまだ難しいようで、こうして愁に頼んできたのだろう。


「はいよ、それじゃあこっちへ」


 愁はベッドに腰掛け、リアをそっと膝の間に座らせた。


 銀糸のような彼女の髪に櫛を通すたび、サラサラと流れる感触が心地よく、ふわりとした優しい香りが鼻をくすぐる。光を受けて煌めく銀髪は、まるで夜空に降る流星のようだった。指先に伝わる温もりと共に、リアがじっと大人しくしている気配が感じられる。彼女の静かな呼吸が、どこかくすぐったく思えた。


「よし、できた」


「えへへ、ありがとうございます!」


 リアは小さく跳ねるように振り返り、嬉しそうに笑った。その無邪気な笑顔は、朝露に輝く花びらのように純粋で、愁の心まで柔らかく包み込む。


 支度を終えた二人は宿を後にし、行商人の待つ場所へと向かう。街角に停められた荷馬車の前で、陽気な声が響いた。


「おーい、あんちゃん!そろそろ出発だぞ!」


「すみません、ギリギリになっちゃって。よろしくお願いします」


「いやあ、間に合えば問題ないさ!道中、頼りにしてるぜ」


 荷馬車の一角に二人分の座席を確保してもらい、愁とリアは並んで腰を下ろした。


 しばらくして、街の門を抜け、馬車はウエルピスの町へ向けて走り出す。馬の蹄が土を叩く音と、車輪の軋む音が一定のリズムを刻む。風がゆっくりと流れ込み、冬にしては柔らかな空気が肌を撫でた。


「……んっ」


 リアが小さく呻く。


「大丈夫かい?結構揺れるね」


「はい……ちょっと、お尻が痛いです」


 困ったように眉を下げるリアの表情に、愁は思わず苦笑した。


「ちょっと待っててね」


 彼は手をかざし、クラフト能力を使って簡易的なクッションを二つ作り出した。そのうちの一つをリアに手渡す。


「ほら、これ使いな」


「わぁ、ふかふかです!ありがとうございます!」


 リアは嬉しそうにクッションを抱きしめる。その純粋な仕草に、愁の胸がじんわりと温かくなった。


 馬車が進むにつれ、どこからか潮の香りが漂い始める。


「……何か、変な匂いがします。愁さま、これは?」


 リアが小さく鼻をくんくんと動かしながら、首をかしげる。


「これは海の匂いだよ。潮風の香り、慣れていないとちょっと変に感じるかもしれないね」


「これが、海……」


 リアは興味深そうに遠くを見つめた。やがて、青く広がる水平線と活気に満ちた町並みが視界に飛び込んでくる。


「……! もうすぐ、着きますね!」


「うん。ウエルピスは結構賑わってるみたいだね」


 荷馬車が町の門をくぐると、目の前には活気に満ちた市場の光景が広がった。色鮮やかな布を纏った商人たちが威勢よく声を張り上げ、新鮮な魚を並べた屋台が軒を連ねる。樽に入った生きた魚が跳ね、干された魚が潮風に揺れ、炭火で焼かれた魚の香ばしい匂いが漂っていた。


 波の音が遠くから響き、陽光を浴びてきらめく海が視界の隅に広がる。初めて海を目にするリアにとって、この風景はどのように映るのだろうか。そんなことを思いながら、愁はそっと横目で彼女の様子を窺った。


 リアはまるで時が止まったかのように、瞳を大きく見開いて立ち尽くしていた。


「すごい……!」


 驚嘆の声が、潮騒に溶けるように小さく響く。その表情は、まるで宝石が光を受けて輝くような純粋な驚きと感動に満ちていた。


 ウエルピスの港町には、潮風がそよぎ、魚市場の喧騒が響き渡る。賑やかな声と笑い声が飛び交うこの場所で、愁はふと足を止め、屋台で炭火焼きの魚を購入した。


 パリパリに焼けた皮に、ふっくらとした白身。じんわりと溢れる脂の旨味が炭火の香ばしさと絡み合い、食欲をそそる。


「美味しいかい?」


 そう尋ねると、隣に座るリアは魚を頬張ったまま、もぐもぐと小さく頷いた。


「ふぁい、んぐ。熱々で美味しいです!」


 頬を膨らませ、慌ててふーふーと息を吹きかけながら食べる彼女の姿に、愁は思わず微笑む。その何気ない仕草が、旅の疲れを忘れさせるほどに微笑ましかった。


 だが、その和やかな時間も束の間だった。


 二人は食事を終えると、もう一つの目的である『古代遺跡』へと向かうことにした。その道すがら、ふと気になり、愁は市場の屋台の店主に声をかける。


「古代遺跡ってどんな逸話があるんですか?」


 店主は手を止め、少し表情を曇らせた。


「おうよ。千年以上前の神話の時代に、神々ですら恐れた魔族の王がいたって話だ。その王を封印したのが、大悪魔フロストフィレスだって言われてる」


「悪魔が魔王を封印……?」


 愁は眉をひそめる。その言葉には違和感があった。


 さらに、最近ウエルピスでは、奴隷の亜人や人族の子供たちが相次いで行方不明になる事件が頻発しているという。地元の人々は、その遺跡を忌み地として避けているらしい。


(この辺でも亜人族が姿を消しているのか……アールクトスの事件とも関係があるかもしれないな)


 潮風が吹き抜ける中、愁は静かに思案する。胸の奥に広がるのは、冒険の高揚感ではなく、不穏な気配だった。


 やがて、屋台の人が教えてくれた道を辿ると、二人は目的の遺跡へと辿り着いた。石造りの巨大な建造物が、静かに佇んでいる。


 入り口へと続く道の両脇には、高くそびえる石柱が等間隔に並んでいた──ただし、その中の『一本だけ』が不自然に欠けている。


「なんだか、不気味な場所ですね……愁さま」


 リアが静かに呟く。


「そうだね。でも俺は冒険っぽくて楽しいかな」


 そう言うと、リアはクスッと微笑んだ。


「ふふ、愁さまらしいですね」


 愁は軽く肩をすくめると、遺跡の入口へと視線を向けた。


(この遺跡、本当にただの遺跡なのか……?)


 じわりと湧き上がる胸騒ぎを抑え、二人は静かに遺跡の奥へと足を踏み入れ、愁はすぐに表情を引き締めた。


「さて、まずは周りの確認を……」


 愁は慎重に〈気配探知〉を発動させる。


(……妙だ)


 この遺跡には普段、人は近寄らないはず。だが、中には明らかに『何か』がいる。


 二十を超える高い魔力の反応。それだけではない──そこには、かすかに震える人族の子供や、複数の亜人族の気配も感じ取れた。


「リア、遺跡の中で……良くないことが起きているみたいだ。ハンドベルで結界を展開して、俺に付いてきてくれるかな?」


 リアは真剣な表情で頷くと、〈守護者の聖域〉を発動させ、愁の後ろについた。


 愁は事前に用意していた魔石を手に取り、クラフト難易度中位の魔剣『カラドボルグ』を作成する。神話に名を残すこの魔剣は、並の剣とは一線を画す鋭さと能力を誇っていた。


 魔剣を片手に、愁は遺跡の闇へと踏み込んだ。


 湿った空気が肌にまとわりつき、下へと続く石段は冷え切っている。かすかな燭台の明かりに照らされた空間にたどり着くと──そこに広がっていたのは、常軌を逸した光景だった。


 中央にそびえる巨大な祭壇。新たに流されたばかりの血が、赤黒く輝く魔法陣へと染み込んでいく。その周囲には、鬼のような角を持つ魔族たちが二十人ほど集い、何かを口にしている。


 ──否、それは『誰か』だった。


 祭壇の脇には、無造作に投げ捨てられた人間や亜人の残骸。魔族たちはその肉を貪り、骨を噛み砕きながら、低く唸るように笑っている。


(……惨いことを……)


 愁は震える怒りを押し殺し、静かに〈鑑定の魔眼〉を発動させた。


 視界に映し出された魔族たちのレベルは四十七から六十二。個々の脅威はそれほどではない。だが、問題は──人質の存在だった。


(迂闊に動けば……奴らは人質を盾にするよな)


 愁は即座に思考を巡らせる。そして、魔石に〈物理結界〉と〈魔法結界〉を付与し、遠隔操作が可能な防護結界の魔石を作り上げた。


「リアはここで待ってて」


 儀式の様子が見えない位置でリアにそう指示すると、愁は気配を極限まで抑え、魔石を人質の中央へと投げ込んだ──瞬間、結界が展開される。透明な壁が人質たちを包み込む。同時に、驚愕した魔族たちが一斉に振り返った。


「侵入者だ!」


「侵入者がいるぞ!見られたからには殺せ!」


 怒号が響き渡る中で、愁は静かに魔剣を構えた。『カラドボルグ』の刀身が妖しく輝く。


「……さて、始めるか」


 ガラガラとした声を荒げながら、数体の魔族が愁に向かって突進してくる。その刹那、愁は低く冷たい声で告げた。


「お前たち。人質を解放し、この場を去るなら、命までは奪わない。最後の機会だ。選べ」


 一瞬、魔族たちは顔を見合わせ──次の瞬間、ゲラゲラと笑い出した。


「たった一人の人族が何を言う!」


「さっさと殺しちまえ!」


 愁は呆れたように肩を落とす。


「……本当に典型的な反応ばかりで、つまらないな」


 そう呟きながら、魔剣に魔力を注ぐ。


 刹那──淡い紫色の光がぼんやりと愁の周囲三メートルほどを覆った。それを見た魔族たちの足がわずかに止まる。


「これは剣の結界だ。踏み込んだら最後、お前たちの首は落ちる」


 愁の言葉に、魔族たちは再び顔を見合わせる。しかし、またしても馬鹿にしたように笑いながら、二人の魔族が結界の中へ踏み込んだ。


 瞬間──シュッという鋭い音が響いた。次の刹那、踏み入れた魔族たちの首が宙を舞い、地面へと転がる。遅れて、胴体も崩れ落ちる。


「な、なんだ今のは……!?」


「何も見えなかったぞ……!」


 生々しい死の光景に、魔族たちは怯えたように身を強張らせる。


「くそ……!囲め!一気に押し潰すぞ!」


 残る魔族たちは武器を構え、愁を取り囲もうとする。


(囲むのは構わないが……むしろそっちの方がこちらとしては助かるな!)


 愁は剣を構え直し、同時に逆の手で大型のナイフを生み出した。そして、的確に魔族の脳天へと投げつける。投擲されたナイフが深々と脳天に突き刺さり、魔族はその場で崩れ落ちた。


「な、なんなんだこいつは……!」


 魔族たちは明らかに動揺していた。


「……まだ終わらないぞ」


 愁は目を細め、次々と魔族を狩る。逃げ出す者すら容赦なくナイフで仕留め、やがて残ったのは祭壇の上に立つ四人の魔族のみ。彼らはレベル六十を超えており、この集団の中では強者の部類だ。そして、四体揃って魔方陣を展開し始める。


(……中規模の魔法攻撃か?こんな狭い空間で撃たれたら、さすがに厄介だな)


 愁は静かに手をかざし、明確な言葉を放った。


「魔法の行使を〈無効〉にする」


 ガシャンッ!──ガラスが砕けるような音が響き、魔族たちが展開していた魔方陣が一瞬で崩壊する。


「な、なにぃ……!?四人掛かりの魔方陣が……!!」


 愁が用いたのはスキル〈言霊〉。魔法の妨害や、相手の自由を奪ったりなど汎用性の高い便利なスキルで、発動条件は相手を恐怖状態にしていること。愁が見せた戦闘技術に恐怖を覚えていた魔族たちは、恐怖状態であり、発動条件は揃っていたのだ。


「く、くそっ……! に、逃げ──」


 魔族の一体が叫びながら踵を返した。それに続いて、他の三体も闇の中を必死に駆け出す。しかし、その刹那、愁の姿が霞のように揺らぎ、〈縮地〉によって空間を裂いたかのように間合いを詰める。魔族たちの足が止まるよりも早く、黒き刃の『宵闇』が閃いた。


「た、助け──」


 最後の哀願が空へと消えた。


 シュッ──風を切る鋭い音と共に、四つの首が血飛沫を描きながら宙を舞い、無機質な音を立てて地面へと転がる。


 あたりに沈黙が満ちる。


「お前たちが生贄にしようとしていた人々も……何度も助けを求めたはずだ」


 愁は静かに呟いた。わずかに滲んだ憤りが、凍てつくような冷たさに変わる。


「……なのに、お前たちだけ助けてもらえると思うなよ」


 黒刃からしたたる紅の雫が、淡く光る結界の上に散った。彼は無造作に剣を収めると、手をかざして結界を解除する。


 圧倒的な死の空気に怯え、震える人質たち。その視線の先にいるのは、血に染まった少年だった。けれど、次の瞬間──


「大丈夫かい?」


 愁の声は驚くほど穏やかだった。


「敵はすべて倒した。……さあ、自分たちの家へお帰り」


 優しく差し出された手に、人々の警戒が僅かに解ける。おずおずと、それでも確かな意思で、彼らはその手を取った。


「……ありがとう……ございます……」


 誰かが震える声で呟き、それに倣うように一人、また一人と頭を下げる。そして、まるで安堵を求めるように遺跡の出口へと足早に向かっていった。


 愁は静かに彼らを見送り、ふと周囲を見渡す。そして、一つの扉へと歩み寄った。遺跡の奥に鎮座する巨大な扉──それはまるで、何かを拒むかのように冷たく閉ざされていた。


「……何か結界が張られてるな」


 指先をかざすと、微細な魔力の波動が空間を揺らす。それは、強力な封印だった。故に今は解く時間がない。


「仕方ない、後回しだな」


 愁は静かに踵を返し、待たせているリアの元へと戻る。


「待たせてごめんね。それじゃあ、海を見に行こうか」


 遺跡の入り口からすぐのところで待っていたリアが、心配そうに駆け寄った。


「愁さま、お怪我は無いですか?」


 愁の姿が見えなかった間も、剣戟の音や断末魔の叫びは耳に届いていた。だからこそ、無事を確かめずにはいられない。


「うん、大丈夫だよ。人質もとりあえずは無事だったみたいだし、よかったよ」


 愁が柔らかく微笑むと、リアは安堵したように小さく息を吐いた。そして、二人は遺跡を後にし、近くの浜辺へと向かう。


 歩くこと十五分。やがて、目の前に広がる『蒼』。


 夕暮れの陽が波間に溶け込み、黄金と瑠璃の世界を描き出す。風は穏やかで、寄せては返す波音が心地よく響き、潮の香りが微かに鼻をくすぐる。空を舞う鳥たちはゆるやかに羽ばたき、まるでこの静寂なひとときを祝福するかのようだった。


「わぁ……綺麗……」


 リアが目を輝かせながら、波打ち際へと駆けていく。愁はそんな彼女を静かに見つめ、ふと空を仰いだ。先ほどのような『血塗られた剣の記憶』とは対照的な、穏やかで美しい景色。


(……せめて、このひとときだけは)


 愁は静かに息をつき、リアの後を追うように砂浜へと足を踏み出した。


 夕焼けや雲が海に映り込み、まるで海そのものが『巨大な鏡』になったかのように輝いている。小さな波で水面が揺れるたび、夕陽の光が煌めき、砂浜にも黄金色の光が波のように広がる。


 ふと横に目を向けると──リアの赤と青の瞳が夕陽に照らされ、まるで宝石のように輝いていた。その美しさに、愁は思わず息を呑む。


「愁さま?どうかしましたか?」


「いや、その、夕陽……海に映って綺麗だよね?夏の暑いときにみんなで泳ぎに来たいね」


「……?そうですね。とっても綺麗です。みんなで泳いだら楽しそうですよね。夏になったらまたここに来たいです」


「そうだね。今度はみんなで海で泳いで遊ぼうか」


「はい!是非!」


 二人はしばらく砂浜に腰を下ろし、寄せては返す波の音を聞きながら、夕陽に染まる海を眺め続けた。しかし、冬の陽はあっという間に沈んでいく。空が紫紺へと染まり始めると、砂浜に伸びる二人の影も徐々に長くなっていった。


「よし、そろそろ村に戻ろうか。みんなも待ってるだろうしね」


「そうですね!あの、愁さまっ!二日間、すっごく楽しかったです!本当にありがとうございました!」


「そんなに気にしなくていいって、また来年も一緒に誕生日を祝おうね」


「はいっ!また楽しみなことが増えちゃいました」


「それならよかった。それじゃ、帰りはここから空を飛んで帰ろうか。ちゃんと掴まってね」


 浜辺には人気もなく、辺りもすっかり暗くなっていた。愁はリアを両手で抱き上げると、〈飛行〉の魔法を付与した魔石の力でゆっくりと空へと舞い上がる。


 村へ向かうには、アイラフグリス王国の王都を越えねばならない。そのため、〈認識阻害〉の魔法をしっかりとかけておく。王都にはまだ見ぬ実力者がいる可能性もあるので、慎重に進むべきという愁の判断だ。


 浜辺から飛び立って数分後、愁はすでに王都の真上まで到達していた。眼下に広がる光景は、まさに『宝石箱』のようだ。魔力鉱石を使用した街灯の灯りが街中に広がり、夜の王都を煌びやかに彩っている。中でも王城は、まるで夜空に輝く星のように明るく照らされ、その存在感を誇示していた。


 王城の近くには教会らしき建物があり、その白亜の壁もまた光に包まれ、ひと際目立っていた。しかし、ふとその裏手に目を向けたとき──『見覚えのある色の光』が高速で動くのを、愁は捉えた。


 瞬時に〈遠目〉のスキルを発動し、確認する。薄いピンク色の剣閃──その色は、間違いなくユアの剣の光の色だった。


「あの色の剣は確か……あ!ユアちゃんの剣の色だな」


「え!?ユアがいたんですか?」


「あの光は、多分そうだね。剣の練習でもしてるのかな?」


 だが、次の瞬間、愁の眉がピクリと動く。


 ──『違う』。


 剣閃は、一か所に留まることなく、広範囲を移動しながら繰り出されている。練習にしては、不自然な動きだった。


 愁はすぐに〈遠目〉を強化した。するとすぐに視界が鮮明になり、ユアの姿がはっきりと映し出される。──彼女の腕は血だらけだった。そして、その背後にはフードを被った男が迫っていた。


 愁は急ぎ、ユアを襲っている男の情報を〈鑑定の魔眼〉で解析する。


**


ネーム:サリスト

レベル:89

種族:人族

ジョブ:暗殺者

スキル: 神速剣舞


**

 

 ──情報から察するに『敵』。愁の瞳が鋭く光る。


「リア、少しまずいことになっているのかもしれない。リアはこのままここで結界を展開して待機していてくれないか?ユアちゃんが襲われている可能性があるから、助けに行ってくる」


 〈飛行〉の魔法を付与した魔石をもう一つ作成してリアに渡し、待機を指示する。だが、飛び立とうとしたそのとき──


「愁さまっ!」


 リアの声が夜風を切った。


「あの、ユアを助けてください!」


 リアの紅と青の瞳が、不安に揺れていた。


「うん!任せといて!必ず助けるよ」


 振り返ることなく、愁は夜の闇へと飛び込んだ。目指すは、ユアのもと。疾風のごとく、愁は飛ぶ──




◆◇◆◇◆◇




 遡ること約一時間前。


 ユアは家の中で、大人しく部屋の片付けをしていた。


 日頃から整理整頓は苦手な方だが、今日は流石に片付けておかないと、アルバートが任務から帰ってきた際に怒られてしまうだろう。そんな思いから、しばらく真面目に片付けに励んで、部屋の散らかり具合も幾分かマシになった頃、ユアのお腹が大きく鳴った。


「はぁ、お腹が減った……。何か食べに行こうかな……」


 窓の外を覗くと、空には夜の帳が落ち始めている。アルバートには『不用意に外出するな』と言われていたが、ほんの少しなら──街まではさほど遠くない。


(……大丈夫、大丈夫。すぐに戻れば平気だよね)


 自分にそう言い聞かせ、ユアは外へと出る準備を整えた。しかし、扉を開いた瞬間、嫌な気配が肌を刺すように広がった。


 ユアは瞬時に身構え、魔力を操って薄いピンク色の光剣を生み出す。そして、暗闇に向かって警戒しながら声を張った。


「誰かいますね? 出てきてください!」


 静寂を破るように、建物の影からコツコツと靴音が響く。現れたのは、黒いフードを目深に被った男だった。影に沈んだ口元が、歪な弧を描く。


「いやいや、さすがは勇者のお弟子さんだ。もう気付いてしまうとはね」


 男はゆっくりと手を叩きながら、余裕たっぷりに笑う。


「お前は何者だ! ここに何の用があって来た!」


 ユアは決して気を緩めず、剣を構えたまま問い詰める。すると、男は両手をひらひらと広げ、まるで他愛もない話をするかのように言った。


「仕事でしてね。貴女をぶち殺してほしいって人がいてねぇ。それを実行しに来たんですよ」


 その手には、いつの間にか短剣のような二本の剣が握られていた。


「お前……暗殺者か! まさか、昨日の貴族からの──」


「申し訳ないですが、依頼人のことは話せませんねぇ。ま、何も知らずに死んでもらえれば、それで結構ですよ?」


 次の瞬間、男の姿が掻き消えた。驚く間もなく、目の前に迫る刃。ユアは反射的に受け止めるが、その衝撃の重さに足が地面を削る。


(は、速い──っ!)


 呼吸を整える暇もなく、次々と襲い来る斬撃。ユアは必死に捌くが、わずかに受け止め損ねた刃が肌を裂く。鋭い痛みと共に、血が弧を描いて宙に散った。


「おやおや、結構速くしてるのに、まだ耐えられるんですねぇ。それじゃあ……もう一段階、上げますかぁ?」


 次の瞬間、刃が唸りを上げた。


「──っ!!」


 ユアの腕が悲鳴を上げる。受け止めても受け止めても、次々と斬り込まれる。しかも、狙うのは決まって『腕』のみ。一定間隔で、何度も何度も何度も。傷は浅すぎず、深すぎず。まるで意図的に苦痛を長引かせるように、丹念に、丁寧に──腕を『破壊』していく。


「……ぁ、痛……っ……!」


 皮膚が裂け、血が地面に点々と滴る。剣を握る手は既に感覚を失い、力なく震える。意識が朦朧としながらも、ユアはそれを手放すまいと歯を食いしばる。


 だが、限界はとっくに超えていた。


「はぁ、はぁ……っ……」


 膝が折れた。


 うっすらと砂塵の舞う石畳の上に、ユアの小さな身体が崩れ落ちる。その姿を、男はまるで滑稽な見世物を眺めるように、楽しげな笑みを浮かべながら見下ろした。


「俺はなァ、こうやってジワジワ嬲り殺すのが……大好きなんだよォ!! おい、クソガキ!! もっと絶望しろよ! なぁっ!? おらっ!!」


 鋭く振り上げられた足が、無慈悲に振り下ろされる。


 ドッ!!──鈍い音が響く。


「──がっ!!」


 衝撃とともに視界が揺れ、意識が白く飛ぶ。頭が弾けるような痛み。地面に叩きつけられ、口の中に広がる鉄錆の味。


「う……ぐ……っ……や、やめ……て……」


「あぁ!? なんだって!? 聞こえねぇなぁぁぁッ!!」


 背中に蹴りが叩き込まれる。


「ぎゃっ──!!」


 男は獲物をいたぶる獣のように、ユアの腕を掴む。そして、無理やり地面に押し付けると──ぐちゃぐちゃになった傷口の上から、躊躇なく足をねじ込んだ。


「いやぁぁぁっ!!! 痛い、痛い!! もう、やめて……やめてぇぇっ!!!」


 その叫びは、何処へも届かない。むしろ、サリストはその悲鳴に愉悦を滲ませ、ますます楽しげに笑った。


「おいっ! もっと叫べよ! もっと泣けよォ!!」


 ガッ!!──蹴りが振り抜かれ、ユアの顔が跳ねる。


「……っ……ぅ……お、師匠さま……」


 意識が遠のく。


(……もう……ダメ……だ……)


 反応の薄くなってきたユアを見て、男はつまらなそうに吐き捨てた。


「あーあ、もう折れやがった。つまんねぇなぁ……そろそろ、殺すか?」


 血塗れの少女の喉元に、鈍く光る刃が突きつけられる。


(……痛みが……なくなる……なら……)


 瞳がゆっくりと閉じかけた、その時だった。


 轟ッ!!──突如、何かが石畳に激突した。重く響く衝撃音とともに、大量の砂煙が巻き上がる。視界が遮られ、一瞬、時が止まったように感じた。


 そして次の瞬間、風が唸りをあげ、砂煙が一気に吹き飛ぶ。


 ユアの霞む瞳に映ったのは、黒髪の少年。黒の異国風の服を纏い、腰には漆黒の刀を携えた姿。その顔は、かつてユアが知っている優しい笑顔とはまるで別物だった。


 怒りに満ち、氷のような冷たい光を宿した眼差し。まるで──鬼。


「なんだなんだ? まさかこのガキ助けに来たのか? とんだ王子様が来たもんだな。邪魔するってんならあんたも殺しちまうぞ?」


 サリストはなおもユアを踏みつけたまま、愁を嘲るように言い放つ。しかし、愁はただ静かに、腰の刀を抜いた。その刃は黒く、月明かりに照らされ、鈍く光を放つ。


 愁はサリストを睨みつけ、低く、鋭く言い放った。


「おい、お前。その汚い足を今すぐにどけろ」


 サリストがヘラヘラと笑いながら応じようとした、その刹那。愁の姿が──消えた。そして次の瞬間。サリストの視界が揺れ、気づけば数メートル先まで吹き飛ばされていた。


「な、なんだ……!?」


 頬に走る鋭い痛み。直感が警鐘を鳴らす。サリストは歯を食いしばり、己の限界を超えようと力む。生存本能が自然とそうさせたのだ。


「全然見えなかったぞ、くそ!全力でいくしかねーか!」


 怒号とともに、サリストは己の力を解放した。身体が弾けるように加速し、残像すら追えぬ速さで二本の剣を振るう。本気で相手をしとめる時にしか使用しない能力──〈神速剣舞〉を発動していた。


 しかし、愁の黒刃が、その全てを断つ。空間が裂けるような閃光。鋼が交わる音すら生まれず、サリストの猛攻はことごとく掻き消される。


(な、なんだこいつ……俺よりはえーのかよ!?)


 瞬間、背筋を駆け抜ける悪寒。今まで嗤い、侮ってきた男が、まるで神の裁きの如く圧倒的な力を振るっている。


「もう十分だろう」


 静かに、しかし揺るぎない声が響いた。


 次の瞬間、血の雨が降る。


 サリストが視界を取り戻した時、愁はすでに剣を納め、僅かに膝を折り、右足を前に踏み込んでいた。そして、その瞳──燃えるような怒気を孕んだ黒曜石のような黒い瞳が、サリストを貫いた。


 それを見た刹那、サリストは『悟った』。勝てない。何をしても、この男には敵わない。死が、確実に目前に迫っている。


「ま、待ってくれ!この依頼はキャンセルする!今後一切この娘にも近付かない、だから見逃してくれ!貴族からの依頼で仕方なかったんだ!」


 震えながら命乞いをするサリスト。その哀れな姿に、愁は冷ややかな瞳を向けた。


「仕方なくやった……?この有り様でか?」


 静かに、だがその声音には凍てつくような侮蔑が滲んでいた。


「うん、お前は駄目だな」


 愁が力を込め、刀を僅かに抜く──刹那、轟風が巻き起こると同時にサリストの身体が、真っ二つに裂けた。宙を舞う上半身。その目が、動かぬ自らの下半身を見つめ──絶命する。


 キィン──刀が鞘に納められる音とともに、サリストの亡骸は更に細かく裂け、無数の血飛沫が辺りに散る。斬撃が重なりすぎて、斬られたことすら認識できなかったのだ。


 愁は無言のまま、鞘を握りしめ、素早く振り返る。


「ユアちゃん……!」


 愁は血の匂いが漂う戦場の中、荒々しく地面を蹴り、一目散に駆け出した。倒れ伏すユアの元へ──。


 彼女の小さな身体は無惨にも傷と血に塗れ、呼吸すら掠れるほど弱々しい。白い騎士服は赤黒く染まり、微かに震える指先すら力なく地面に沈んでいた。その姿は、今にも命の灯火が消えそうな儚さを纏っている。


 愁の心臓が鷲掴みにされたように締め付けられる。すかさず〈鑑定の魔眼〉を発動すると、視界に次々と浮かぶ致命的な負傷の数々。


 ──肋骨複数本骨折。

 ──頭蓋骨陥没。

 ──右腕粉砕骨折。

 ──出血多量、内臓損傷、眼球損壊。


 それはもはや『重傷』とは言えないほどの状態だった。


(もう少し……もう少し遅れていたら……! ユアちゃんは……死んでいた……!)


「ユアちゃん! 今、楽にしてあげるからね……!」


 震える手で愁は最高位の回復ポーションを取り出し、そっとユアの冷たい唇に押し当てる。


「飲んで……お願いだから……」


 ゆっくりと流し込むと、ユアは微かに痙攣しながらも、それを飲み下していく。その瞬間、魔力の輝きが彼女の体を包み込み、刻まれた無数の傷が静かに塞がっていった。


 ひどく歪んでいた苦痛の表情が、次第に和らいでいく。


「……愁さん……助けて……くれて……ありがとうございます……」


 彼女の声は、風に消え入りそうなほど儚い。それでも、確かに生きていると実感できる証だった。


「お礼なんていいよ。とりあえず、お家まで運ぶから。まだ辛いだろうけど、案内できる?」


「……はい……」


 愁はそっとユアを抱きかかえた。まるで壊れ物を扱うように慎重に。彼女の身体はまだ弱々しく、それでも微かに彼の腕を掴む指先に、生きたいという意志が宿っている気がした。


 王都の闇夜に溶け込むように、愁はユアの家へと向かい、ユアの案内で到着した家の中、ユアの部屋へと運び、そっとベッドへ座らせる。


「ユアちゃん、少しは落ち着いた?」


「……はい……」


 それは、あまりにも小さな声。そして──


「……本当にありがとうございます……その……もう、駄目かと思って……うぅ……」


 堪えきれず、ユアは泣き出した。震える肩が小刻みに揺れる。必死に耐えていた恐怖が、溢れ出して止まらない。


 愁は何も言わず、彼女をそっと抱きしめた。温かな腕の中で、ユアの心は少しずつ解れていく。


 震える背中を優しく撫でながら、愁は囁く。


「怖かったよね。でも、よく頑張ったね。もう、大丈夫だから」


「……は、はい……」


 やがて、ユアは安心したのか、愁の腕の中で静かに眠りに落ちた。


 愁はそっと彼女を寝かせ、毛布を優しく掛ける。そして、静かにメモ帳を取り出し、ユアの師匠宛てに手紙を残す。


 ──ユアが暗殺者に襲われたこと。しっかりと治療を施したこと。心以外の傷は、もう問題ないこと。最後に、ユアが着ていた服と全く同じものをクラフト能力で再現して用意し、そっと枕元に置いておく。


「……もう、無茶しないでね」


 愁は静かに息を吐き、家の扉をそっと閉じた。


 夜の静寂が辺りを包み込む。星々が瞬く王都の夜空は、どこまでも美しく、しかし、その輝きの下には決して拭えぬ『闇』が広がっているように思えた。


 空で待つリアのもとへ足早に戻る。そこに立つ少女は、まるで夜の風に吹かれた小さな灯火のようだった。彼女の白銀の髪が、月光を浴びて静かに揺れる。小柄な身体はじっと一点を見つめており、その仕草から張り詰めた緊張が伝わってきた。


「リア、お待たせ!」


 愁が声をかけると、リアははっと顔を上げた。


「ユアちゃんはもう大丈夫だよ」


 その言葉を聞いた瞬間、リアの瞳に張り詰めていた不安の膜がほどける。青と赤の美しい瞳が揺らぎ、そこに滲むのは『安堵』の光。


「……よかった……ありがとうございます、愁さま……」


 涙がこぼれ落ちそうになったのを、彼女は慌てて袖で拭う。しかし、震える指先が彼女の本心を語っていた。待っている間、どれほどの恐怖と不安を抱えていたのか、それは愁にも痛いほど伝わってくる。


「……せっかくだから、二人で飛んで帰ろうか?」


 愁が手を差し出すと、リアは一瞬驚いたように見つめ、そして小さく頷いた。


「はい……!」


 その小さな手をしっかりと握る。温もりが、確かにそこにあった。


 ふわりと、二人の身体が宙へ浮かぶ。夜の風が頬を撫で、王都の灯りが眼下に広がる。どこまでも続く星空の下、彼らの影は闇を切り裂くように舞い上がった。


 美しくも冷たい夜空の中、愁はふと、地上に広がる王都を見下ろす。


(……この国は、警戒すべきだな)


 静かな決意を胸に、二人は仲間が帰りを待つ村へ向けて飛び立った。

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