第9話 リアのほしいもの
宴から数日が経った。
村は再建のために、それぞれが出来ることを懸命にこなしながら、活気に満ちた日々を送っている。
大地を耕す男たちの掛け声が響く中、メラリカは袖をまくり上げ、鋭い眼差しで土の状態を確かめていた。村の男たちを引き連れ、土作りと整地の指導をしているのだ。どうやら、この世界にも小麦が存在するらしく、彼女の発案で試験的な栽培が始まったらしい。
農業関連の指導はすべてメラリカに一任しているため、定期報告の内容以外、愁も詳しい進捗は把握していない。しかし、彼女なら問題なくやり遂げるだろうと信頼を寄せていた。
一方で、愁は村の建築や防衛の強化に力を注いでいた。
彼とリア、スフィア、そして今はメラリカも住んでいる最初に建てた家のほかに、二世帯が暮らせる平屋が六棟、独り暮らし用のアパートのような構造の八世帯居住可能な建物が二棟、さらに村人全員が利用できるようにと少々大きめの浴場施設も建てた。
精魂込めてクラフトした建物群。しかし、その代償として、これまでの作業で蓄えていた素材の七割を消費してしまっていた。
「……少しやりすぎたかな」
愁は額の汗を拭いながら、完成したばかりの建物群を見上げる。だが、これでしばらくは居住問題の心配はない。次の拡張は、さらなる素材が集まってからだ。
現在、村の人口は二十三人。これからも増える見込みだった。
その理由は明白だ。愁が定期的に村の外を見回り、行き場のない亜人たちを保護していることも一因だが、もっと大きな理由は──亜人たちの『絆』だった。
村に移り住んだ亜人たちは、遠く離れた場所に隠れ住んでいる仲間にも声をかけ、次々と新たな住人が増えていく。最近では、その流れが加速しており、愁も驚きを隠せなかった。
──人が増えるのは喜ばしいことだ。
だが、それに伴い、食料や住居、衣服といった生活必需品を揃えるための資金も必要となる。今のところは、『WORLD CREATOR』時代に拾った宝石を売ることで何とかやり繰りしていたが、それもいずれ限界が来るだろう。
「……村の産業も考えなきゃな」
自給自足を視野に入れ、安定した経済基盤を作る必要がある。だが、それにはまだ時間がかかる。少なくとも、村の土台作りが終わるまでは、愁自身が稼ぎに出るほかない。
そんなことを考えながら、愁は二十体の防衛用ゴーレムを作り上げ、一息ついた。
即席で作ったベンチに腰掛け、ふぅと息を吐く。空は薄い雲が広がり、冷たい風が頬を撫でた。
「……寒くなってきたな」
そんな折、遠くから見覚えのある小さな影が近づいてくる。
「おーい、リア! こんなところでどうしたんだ?」
駆け寄ってきたのは、リアだった。手には水筒を抱えている。
「愁さま! 今日はだいぶ冷えますので、温かいお茶を入れてきましたよ」
彼女の白銀の髪が、風にそよぎながら揺れる。
リアはいつも『自分には出来ることがない』と気にしているが、実際にはこうして細かな気配りを欠かさない。
「ありがとう。せっかくだから、一緒に休憩しようよ」
「わたしは何もしていないので、休憩なんて……大丈夫ですよ」
「いいから、いいから! 一人じゃつまらないからさ」
遠慮がちなリアは少しだけ困ったような顔を見せたが、「愁さまが言うなら」と、おとなしく了承した。
ベンチの隣を空けると、リアはふわりと腰を下ろした。白いコートに包まれた姿が、寒空の下でも温もりを感じさせる。彼女が持ってきた湯気の立つお茶を受け取ると、愁はふと以前の会話を思い出し、気になっていたことを尋ねた。
「そういえば、リアは前に『今年で十三歳になる』って言ってたけど……誕生日はいつなの?」
この世界に誕生日を祝う文化があるのかは分からない。しかし、生まれた日は特別なものだ。
リアの瞳がわずかに驚いたように瞬いた。
「わたしの誕生日……ですか? えっと、十二月の二十五日ですね」
「クリスマスの日なんだね。それだと、もうすぐじゃないか」
リアは不思議そうに首を傾げた。
「くりすます……って、なんですか?」
「んー、俺のいた国では、その日は『良い子にしている子供にサンタさんがプレゼントを持ってきてくれる日』かな」
当然ながら、この世界にはクリスマスの文化は存在しない。
「リアは何か欲しいものあるかい? 誕生日のお祝いに何かプレゼントしたいんだけど」
「そんな、お祝いなんて……わたしは今、十分幸せですから。大丈夫ですよ」
分かっていたことだった。彼女が遠慮することは──けれど、愁はそれを良しとしなかった。
「誕生日は特別な日だよ。リアが生まれてきてくれた、大切な日なんだ。だからさ、俺はそれを祝ってあげたいんだ。だめかな?」
リアは遠慮しがちだが、同時に頼まれると断れない性格だ。愁はそれを知っている。案の定、彼女は少し逡巡しながらも、観念したように微笑んだ。
「……そこまで言っていただけるなら。でも、欲しいものって言われても思い付きません。本当に、今の生活は充実しているので……」
愁はくすりと微笑み、どこか優しく包み込むような声で言った。
「なんでもいいよ。大抵の物は用意できるからさ」
穏やかな言葉に、リアはふと目を伏せて考え込む。指先をそっと唇に添え、小さく首を傾げながら思案する様は、まるで可憐な花がそよ風に揺れるようだった。やがて、何かを思い付いたのか、リアは顔を上げ、少し戸惑いながらも真剣な瞳で愁を見つめた。
「じゃああの、愁さまが欲しいです……」
一瞬、時間が止まったかのようだった。
予想外の返答に、愁の思考が一拍遅れる。心の中に驚きが波紋のように広がり、彼は思わず瞬きをした。
「……ん?俺?それってどういう意味かな?」
自身の言葉が誤解を招きかねないことに気付いたのか、リアは急に顔を真っ赤に染め、両手をぶんぶんと振りながら慌てて否定する。
「あ、あの!違うんです!変な意味ではなくて、一日ずっと一緒にいろんなところに行ったりしてみたいなって思いまして……」
言葉を紡ぎ終えると、リアは羞恥に耐えられなくなったのか、しゅんと肩を落とし、小さく俯いてしまった。まるで風に吹かれた小さな花が項垂れるように。
愁はそんな彼女の様子を微笑ましく思いながらも、くすりと笑みをこぼし、優しく頷いた。
「なるほどなるほど。そういう意味ね。そうだな……それじゃあ二十四日と二十五日は二人で出掛けようか?リアの行きたいところに行こう。考えておいてくれるかな?」
「は、はい!わかりました。行きたいところ考えておきます!」
ぱっと顔を上げたリアの表情は、先ほどまでの照れや恥じらいを吹き飛ばすほどの明るい笑顔だった。普段、自分の気持ちを素直に表現するのが苦手な彼女だが、今の笑顔には、喜びがそのまま滲み出ている。思わずこちらまで嬉しくなってしまうほどの、満開の花のような微笑みだった。
こうして、誕生日前日と当日は二人で出掛けることが決まった。今日からちょうど一週間後の話だ。
その後は二人で静かにお茶を飲みながら休憩を取った。だが、昼間だというのに外の空気は思いのほか冷たく、凛とした冬の風が肌を刺すようだった。こんな中で長居をさせて風邪を引かせるわけにはいかない。愁はリアに室内へ戻るよう促した。
リアが部屋へ戻ると、愁は未完だった防衛用ゴーレムの動作確認に取り掛かる。
目の前に立つのは、身長百八十センチほどの頑強なゴーレム。その躯体には魔力の流れを示す淡い光が脈打っている。このゴーレムは魔法が使えない代わりに圧倒的な耐久力があり、さらに複数の〈挑発〉スキルを付与している。敵対者の攻撃を確実に引き付けることで、村人たちが避難する時間を稼ぐための盾となる存在だ。
愁は『WORLD CREATOR』でこのゴーレムの厄介さを身をもって知っていた。〈挑発〉スキルの併用によって、近くにいるだけで敵の攻撃がほぼ確実にゴーレムへと向かう仕様になっている。その耐久性の高さと合わせ、城や拠点を急襲する際には特に厄介な障害となるのだ。
加えて、村の周囲にはスフィアの眷属である黒狼たちがおよそ三百体ほど生息している。彼らは侵入者を即座に察知し、異変を愁へと伝えてくれる。
まだ穴の多い防衛体制ではあるが、確実に強化されつつある。今は素材の不足により、以前のような大量生産ができない。愁が生前に自国の宝物庫へと預けた膨大な素材の数々──それらは、かつての仲間たちのために使われているのだから。
とりあえず、現時点で製作可能な二十体のゴーレムを全て配置し終える。これでまた少し村の防衛力は向上することだろう。
「よしっと。作業も終わったし、スフィアにも早めのクリスマスプレゼントでも渡しに行くかな」
スフィアは今朝、森の見回りに出た。少なくとも、家を出る時にはそう言っていた。
愁は〈飛行〉の魔法を込めた魔石を手に取り、軽く魔力を込めると、その身がふわりと宙に浮く。風を切りながら高度を上げ、村と森を見下ろせる位置まで上昇すると、目を凝らしてスフィアの姿を探した。
(……お!いたな)
地上から、猛烈な速度で何かがこちらへ向かってくる。圧倒的な魔力を纏い、風を切る勢いで飛翔する影が見える。愁が見つけるよりも早くスフィアが愁の事を見つけていたのだ。
「主様ーっ!」
黒の毛並みを輝かせる巨大な狼──魔獣化したスフィアは、猛然と空を駆け、一直線に愁へと突進する。そして直撃の瞬間、彼女は人の姿に戻った。
「うおっ!」
勢いよくガバッと抱きつかれ、愁の体がぐらりと揺れる。スフィアは満面の笑みを浮かべ、しっかりと彼にしがみついた。
「危ないな、スフィア。びっくりしたぞ」
「いやー、主様の姿が見えたからついな!」
スフィアの声は弾んでいた。その黒い狼の耳はぴくぴくと動き、長い尻尾は嬉しそうにぶんぶんと振られる。その様子は、まるで久しく離れていた家族とようやく再会した子供のようだった。
いつも元気な彼女だが、今日はいつにも増して活力に満ちている。
「探してたからちょうどよかったけどさ。ほら、この前預かった剣と、それと新しく作ったアイテムをプレゼントしようと思ってさ」
「え?また何か作ってくれたのか? ありがとう主様! 我、嬉しいっ!」
スフィアは愁に飛びつくようにしがみついた。その小柄な体を両腕で抱え直しながら、愁は村のさらに上方にある小規模な闘技場へ向かうことにした。せっかくの新しくなった武器だ。すぐに使わせてあげたい。少なくとも自分なら、手に入れた瞬間に試し振りをしたくなるはずだ。そう思うと、自然と足取りが軽くなる。
飛行しながら進む道中、スフィアが何か呟いた。しかし、風の音が強く、よく聞き取れない。
「風の音でよく聞こえなかった! もう一度言ってくれるか?」
そう言って顔を近づけた瞬間──スフィアがにやりと笑い、そのまま愁の頬に優しく唇を寄せた。驚きとともに、ほんのりとした温もりが頬を伝う。
「いつもありがとうな主様! これは我からのお礼だぞ!」
満面の笑みを浮かべたスフィアが得意げに胸を張る。
突然のことに驚かされたが、スフィアなりの感謝の気持ちなのだろう。その気持ちは素直に受け取るべきだろうが、彼女の可愛らしい仕草と表情に心が揺れ動くのを悟られたくない。
「おう! 高いお礼を貰っちゃったな。これからもよろしく頼むよ、スフィア」
平静を装いつつ、目的地の闘技場へと降下していく。そこはテニスコートほどの広さを持つ闘技場で、戦闘訓練や武器の試し振りをするために作った場所だった。スフィアをゆっくりと地面に降ろし、愁はボックスから二本の剣を取り出す。
刃は以前とは異なり、深紅に輝いていた。地底龍の骨を練り込んだ影響か、刃文には妖しくも美しい模様が浮かび上がっている。
「剣は前よりかなり良くなったぞ。まず折れず砕けず刃こぼれもしない。それに、ステータスもかなり向上するはずだし、魔力を流しやすくしてあるから、前よりもずっと使いやすくなってるはずだよ」
スフィアは受け取った剣をじっと見つめ、一度深く息を吸うと、愁が投げた大きめの石に向かって剣を振るった。
その刃は、まるで風が通り抜けるかのように、石に何の抵抗もなくすり抜けた──いや、違う。石は斬られたのだ。静かに地面に落ちる二つの破片が、その証明だった。
「すてーたす? はよくわからないが……すごい切れ味だな! まるで斬っている気がしなかったぞ!」
驚いた表情のスフィアを見て、愁は少し考え込む。どうやら彼女にはステータスやレベルといった概念がないらしい。ゲームではないのだから当然と言えば当然なのだが、魔法やアイテムが存在するこの世界では、そうしたシステムがあっても不思議な話ではないと愁は考えていたので、若干の驚きはある。
(まあいいか)
「次はこれな! 結構見た目もおしゃれに作ったぞ」
切り替えた愁は、もう一つのアイテム──地底龍の瞳を加工したネックレスを取り出した。
銀の装飾に包まれた宝石は、光沢の強い真珠のような色をしていた。しかし、光が当たると、七色に淡く輝く不思議な輝きを放つ。その効果は『自動回復』と『呪いの無効化』。鑑定結果は上位から三番目の『レジェンド等級』だ。
生命の始祖たる地底龍の素材を用いただけあり、価値は計り知れない。
チェーン部分には、地底龍の鱗を加工した極めて硬度の高い素材を用いているため、どんな衝撃を受けても切れることはない。戦闘の多いスフィアには、まさにうってつけの装備だった。
スフィアはネックレスを受け取ると、愁の肩に手を置き、つま先立ちになる。そして、期待に満ちた瞳を向けながら──
「ん! 着けて主様!」
その可愛らしい仕草に、思わず苦笑する。
「はいはい……」
ネックレスをスフィアの首に通し、そっと留め具を留めた。
スフィアはそっと首元に触れ、その手のひらに収まる宝石を大切そうに撫でた。七色の光を帯びたその輝きは、まるで彼女の喜びそのものを映し出しているようだった。彼女の口元には誇らしげな笑みが浮かぶ。
「ふふっ……これは我の宝物だな!」
スフィアの胸の上で揺れる宝石が、彼女の喜びに呼応するように煌めいた。
「よし、大丈夫だぞ。うん、よく似合ってるよ、スフィア」
「ありがとう主様!大切にする!」
その後は他愛のない会話を重ね、帰り道はスフィアの提案で歩いて戻ることになった。夕暮れの穏やかな風が木々を揺らし、森の葉が優しく囁く。彼女は、いつの間にか握られていた手を軽く振りながら歩く。二人を包む空気は心地よく、沈みゆく太陽が金色の光を大地に落としていた。
村に着くと、ちょうど夕食の時間だったらしく、迎えに出てきたエリスに呼ばれ、そのまま食堂へと向かう。テーブルには、相変わらず見た目も香りも素晴らしい料理が並んでいた。リア、メラリカ、スフィアと共に夕食を済ませた愁は、ふっと息を吐きながら自室へと戻る。
村の防衛強化や建築、衣服や食器の作成、農作業に必要な道具の生産――やるべきことは山積みだった。この量をこなすには、三日か四日は部屋にこもって作業に没頭しなければならないだろう。
「面倒なことは先に終わらせておくに限る」
そう考える愁は、必要数の三倍を作るつもりで準備を進めた。幸い、リアの誕生日まではまだ時間がある。村の外での仕事よりも、今はこうした細々とした作業に専念した方が良さそうだった。
それからの一週間、愁は鬼のように作業を続けた。その結果、途方もない量の物資を生み出すことができた。これでしばらくの間は困ることもないだろう。
そして今日は、約束していたリアとのお出かけの日だ。村にはスフィアやメラリカもいるため、大抵の問題は二人で対処できるだろう。それでも万が一に備え、遠距離で意思疎通が可能な魔法石を二人に渡してある。
旅の予定はこうだ。初日はアイラフグリス王国の王都オルグリオへ向かう。リアは王都を一度見てみたいと言っており、愁自身も興味があったため、今回の旅の目的地として選んだ。二日目は王都周辺にある町のダンジョンや貴重な素材の採取地を巡るつもりでいる。
移動手段には〈飛行〉の魔法を込めた魔石を用いる。ただし、目立つのを避けるために〈認識阻害〉の魔法を併用する。完全に姿を消すわけではないが、空高くを飛ぶ際には十分な効果を発揮するはずだ。
出発の準備は万端だった。
「向かうのは人族の大陸の三分の一を占める大国、アイラフグリス王国の王都か……」
どんな強者がいるのか、どのような能力やアイテムが存在するのか、分からないことは多い。しかし、慎重になりすぎるのも考えものだ。いずれは向き合わねばならない課題。今回の旅は、その第一歩となる。
「今回は前回のお祭りの時のようにはぐれることがないようにね」
そう考えた愁は、持ち主の位置が分かるアイテムをリアに持たせた。また、彼女の服には自動発動する防御結界を付与し、万が一の際にも安全を確保できるようにしておいた。
「よし!リア、準備は大丈夫かな?」
「はい!愁さま!バッチリです!」
愁は〈認識阻害〉の魔法を発動させると、リアを両腕で抱え、そのまま空へと舞い上がった。
王都までの正確な距離は分からないが、飛行ならば大した時間はかからないだろうと踏んでいる。地上の障害物に妨げられることもなく、速度を最大限に活かせるからだ。
今日は珍しく晴天だった。見上げれば雲ひとつない青空が広がり、遠くの山脈までもくっきりと見渡せる。澄んだ空気が肌を刺すように冷たく、それが心地よい緊張感をもたらす。
眼下には果てしなく広がる大地。緑豊かな森、輝く湖、そして点在する村々。その全てが、まるでひとつの美しい絵画のように見えた。
この旅がどのようなものになるのか、まだ分からない。しかし、リアの瞳は期待に満ちて輝いている。
「行こう、リア」
そう呟くと、愁は翼のように風を切り、王都を目指して飛翔した。




