第3-4話 英雄譚の幕開け
魔獣の件もひとまず落着し、愁はリアたちのもとへと歩を進める。
草を踏む足音の合間に、背後からスフィアの呟きが風に紛れて届いた。
「このままの姿だと、主様と行動を共にするには少々不便だな。──よし」
「ん?このままの……?」
首をかしげつつ振り返った愁の視界から、巨大な黒狼の姿は忽然と消え去っていた。
代わりにそこに立っていたのは──漆黒の絹糸のような長い髪を腰まで垂らし、頭には愛らしい獣の耳を生やした、美しい少女だった。
身長は百四十から百五十ほど。小柄ながら均整の取れた体躯に、整った目鼻立ちはまるで彫刻のよう。年の頃は十五、六といったところだろうか。どこかリアよりも大人びた印象を与える。
黒曜石のように艶やかな尻尾がゆらゆらと揺れ、ぴょこぴょこと耳が小気味よく動いている。
「ふふふ、どうだ主様!この可憐な姿は!愛おしいだろう?」
スフィアは胸元の緩やかな黒のワンピースの裾を摘み、優雅に頭を下げた。
その所作はまるで王宮に仕える姫君のようで、けれど頭を垂れた拍子に露わになる胸元は、まさに目のやり場に困るほどの危うさだった。
顔を上げたスフィアは、艶やかな笑みを浮かべたまま愁の腕へと絡みつき、ふわふわとした尻尾を嬉しげに揺らしている。
(……どこ行った、さっきの野性味全開の猛獣は)
唖然としながらも、愁は絞り出すように口を開く。
「え?いや、確かに可愛いけど……スフィアって、メスだったの?それに、人の姿にもなれるって……いや、人というよりは亜人、かな?」
「ふむ、そもそも我は亜人だぞ?遥か古の時代、フロストフィレス様より力を分け与えられ、魔獣の姿も取れるようになっただけだ」
(そもそもフロストフィレス……誰だ?)
疑問は尽きないが、それはひとまず後回しにすることにした。
大きなペットができたと喜んでいた直後に、まさかこんな麗しき美少女へと変貌を遂げるとは。
しかも、妙に人懐こい。リアとスフィア──どちらも目を引く美少女である今の状況は、国づくりどころか、まるで『後宮でも築いている』ような錯覚すら覚える。
「そ、そうなのか。うん……まあ、確かにその姿の方が色々と便利だし、いいか。改めてよろしくな、スフィア」
愁が手を差し出すと、スフィアは満面の笑みでその手を握り返した。そしてふたりは並んで、リアたちの待つ結界の方へと戻っていく。
愁の姿が見えるや否や、リアの表情がぱっと明るくなった。彼を案じていた心情が、そのまま瞳に映し出されているようだった。
「リア!戻ったよ。もう一度──二回ベルを鳴らしてごらん?結界が解けるから」
「はい、愁さま……!ご無事で、ほんとうに良かった……とても、心配していました……」
リアが結界の中から姿を現すと、愁はそっと彼女の頭を撫でてやった。細く柔らかな銀髪が指の間をすり抜ける感触は、どこか懐かしい。
昔、妹にしていた癖が自然と出てしまったが、リアはむしろその手を心地よさげに受け入れていた。少しでも安心させてやれたなら、それでいい。
「ごめんね。でも、約束通りちゃんと戻ってきたでしょ?それに、新しく仲間が増えたんだ。森の管理者──スフィアがね。これで建国まで、一歩前進だよ」
愁の背後から、スフィアが音もなく歩み寄り、リアに手を差し出した。
「はじめましてだ!我はスフィア、主様の忠実なる家臣として、これより仕えさせていただく。よろしくな!」
少し唐突な挨拶だったが、リアはその手をしっかりと握り返し、にこやかに応じた。
「あ、はい!わたしはリアです。スフィアさん、こちらこそよろしくお願いします!」
ひとまずの紹介を終えたところで、愁は顔を上げ、周囲に警戒の眼差しを巡らせる。心の奥に、わずかな焦燥が灯っていた。
──もう、あまり時間は残されていない。
討伐隊の兵士や冒険者たちがそろそろ到着する頃合いだろう。今のこの状況を見られてはまずい。これ以上、注目を浴びるわけにはいかない。ましてや、亜人たちを助けたことが知れれば、『擁護派』などと騒ぎ立てられるのは目に見えている。
「とりあえず、あの廃村に向かおう。あそこなら目立たないし、ひとまずの拠点にもできる。亜人のみんなも一緒に来てくれるかい?」
愁の言葉に、助け出した十三人の亜人たちは一斉に整列し、深く頭を垂れた。それぞれが感謝の言葉を述べ、そして最後に、一人の中年の男性が一歩前に出て跪く。
「このたびは我らをお救い下さり、誠にありがとうございます。この命は、貴方様によって救われたもの。我ら一同、貴方様に従い、忠誠を誓います。どうか、傍に仕えることをお許し下さい」
その声に続いて、全員が膝をつく。静かな森の中で、それは荘厳とも言える光景だった。
愁はわずかに息を呑む。が、目の前に並ぶ彼らの真剣な眼差しを見て、自然と胸の奥に灯った覚悟が言葉となってこぼれ落ちた。
「そんなに畏まらなくても大丈夫だよ。君たちを助けるのは当然のことだし……俺も、君たちが忠誠を誓いたくなるような王になれるよう、努力する。だから、まずは森の奥にある廃村へ向かおう。ここは、危険だからね」
その手をそっと差し出したのはリアだった。愁はその小さな手を握り、亜人たちを引き連れて、静かに歩き出す。
──この日が、のちに語り継がれることとなる『偉大なる英雄譚の幕開け』であることを、愁も、そしてその場にいた誰一人としてまだ知る由もなかった。
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