第3-3話 大森林の管理者
「なんだ、話せるやつがいたのか。なら話は早い。一刻も早く侵攻を止めて、故郷に帰ってくれないか?」
愁の静かな提案に、黒き魔獣は一瞬の沈黙を置いた後、嘲るように笑う。だがそこにあるのは愉快さではなく、烈火のごとき憎悪だった。
「おもしろいことを言うやつだ……大森林の管理者たる我が、裏切り者の人族ごときの命令に従うとでも思ったか?」
その言葉は、まるで牙のように鋭く突き刺さる。話し合いで解決できるような雰囲気ではないことは、愁も痛いほど理解していた。
「いや、そうなるとは思ってたさ。でも、気になる。なぜ大森林の管理者が人族の町を襲おうとする?理由を聞かせてくれ」
「理由……だと?」
その瞬間、空気が張り詰める。怒気と嘲りが混ざり合い、大気すら震えた。
「貴様ら人族が、古き盟約を破り、森の安寧を踏みにじったからだ。……最近の人族は愚かすぎる。森を切り開き、領土を広げ、己の欲望のままに森の命を狩る。生きるためであれば、まだ看過できる。だが、快楽のために無益な殺戮を重ねる輩どもを、我らが赦せると思うか?」
吐き捨てるような声音には、積み重なった怒りと絶望が滲んでいた。
「我らが裁きを下さねば、この森は滅びる。だからこそ、我が身を賭してでも人族を止めねばならぬ。……この大森林は、人族の国に踏み込ませぬ不可侵の地だ」
(……正論だ。もし、この魔獣の言葉が真実であれば、至極真っ当な理由と言わざるを得ない)
だが、それでも争いは負の連鎖を生むだけだ。魔獣が町を襲えば、人族は必ず反撃に出る。討伐隊を編成し、あるいは軍を動かし、戦争になる。対話も和解も、不可能になる。
しかも、目の前の魔獣は高い知性を持つ存在。仮に捕らえられれば、生き延びることは難しい。処刑されるか、最悪の場合──実験台にされるだろう。
そして彼を失えば、森の生き物たちは再び“管理者”を失い、人族により、容赦なく領土を削られていく。
森の木々は減り、環境は崩壊する。この世界の文明がそれを問題視するには、あまりに未熟すぎた。やがて、ここにもまた村ができ、町ができ、森は“過去の存在”とされる。
「……待ってくれ、大森林の管理者。いきなりこんな話をしても信じてもらえないだろうけど、俺は、これから国を作るつもりだ。旧亜人大陸のすべてを取り戻して、どんな種族も対等に暮らせる国を。この森は、旧亜人大陸の一部だ。俺は、君たちも住みやすいよう、環境を整えることを、ここに誓う。だからもう少しだけ時間をもらえないか?」
愁の声は、真摯だった。だが──魔獣は鼻で笑った。その音は、信頼を拒む拒絶の音。
「その言葉を、我に信じろと?かつて全く同じ言葉を口にした者がいた。だが……そいつは敗れた。人族の手によって、約束は潰された」
魔獣のエメラルドの瞳に、焔のような怒りが揺らぐ。
「ならば見せてみろ、人の子よ。貴様に『やり遂げる力』があるのかを。この我を屈服させてみせろ……それが叶えば、話を聞いてやってもよいぞ?」
咆哮が天地を揺るがす。魔獣はその巨体を震わせると、纏う莫大な魔力を誇示するように解き放った。
空気が震え、電気のような魔力の波が空間を裂きながら肌に突き刺さる。
その衝撃に愁は思わず息を飲んだ。
殺気が、威圧が、ゲームでは味わえなかった『生の恐怖』として襲い来る──だが、不思議と恐怖はなかった。
代わりに彼の内に沸き上がったのは、たぎるような昂揚感。今、自分は確かに生きている。そう実感させるほどの強敵の存在が、愁の胸を『喜び』で満たしていた。
「我が名はスフィア。かつて全大陸を統べし“フロストフィレス様”より授かりし力──人族風情がそう易々と打ち破れると思うな!」
スフィアと名乗った魔獣の声は、天地を裂く雷鳴のように響き渡る。その魔力の奔流に応じるように、大地が低く唸り、草木は逆巻く風にちぎれんばかりに揺れた。鼓膜が震え、骨の髄まで熱が伝う。鳥肌が走り、鼓動は音を立てて胸を打つ。
(これが──命を懸けた戦いか……)
本能が警鐘を鳴らす中で、愁の瞳は冷静に輝いていた。恐怖ではなく、好奇心と闘志が彼の中にあった。未知への『期待』と、『強者との激突』を前にした武者震い。戦場でこそ得られる快感に、彼の血は滾っていた。
「おいおい……ずいぶんやる気だな。わかったよ。その代わり、俺が勝ったら……ちゃんと約束は守れよ?」
その刹那、スフィアが再び咆哮する。
今度は可視化された衝撃波となって放たれ、地を抉る。愁は〈縮地〉を用いて瞬時に回避するも、地面には熱で熔け落ちたような跡が残されていた。あれに直撃していれば、身体ごと蒸発していたかもしれない──そう思うと、背筋が冷える。
連続して放たれる咆哮波を軽やかに躱しながら、愁は〈鑑定の魔眼〉を起動する。
対象のステータスや固有スキルを『一度だけ』視ることのできる、極めて希少な能力だ。視線を通じて相手の情報が脳裏に直接流れ込んでくる。
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ネーム:スフィア
レベル:92
種族:unknown
ジョブ:大森林の管理者
スキル: 王の権威 悪魔王の加護
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瞬間、愁の脳裏に映し出された数値群に目を見張る。並外れて高いHP、群を抜くスピード、そのすべてが常軌を逸していた。中でも注目すべきは──〈王の権威〉。
(『従える者の魔力を吸収し、自己の魔力として転用可能』……だと?)
つまり、支配下にある魔獣や生物の数が多ければ多いほど、彼の魔力量は青天井に膨れ上がるということだ。この森は“大森林”と呼ばれている。どれだけの魔物を配下に置いているのか、想像すらできない。
そして、もう一つのスキル〈悪魔王の加護〉──こちらは不明。まるで情報が『黒塗り』されたように読み取れない。これは『WORLD CREATOR』時代にはなかった現象であり、まさしく今、自分が異世界にいる証でもあった。
「MP使い放題なんて……チートにもほどがあるだろ。くそっ、魔石に込めた初級魔法じゃ火力が足りないか。なら……アレしかないな」
愁の視線の先、やや離れた場所にはリアたちがいる。彼女たちを、絶対に巻き込むわけにはいかない──。
咆哮の衝撃波、混じる黒い雷撃。その隙間を縫うように、愁は神経を指先に集中させる。
脳内には素材が並ぶ。金属、魔鉱石、精霊核、魔素繊維——何千、何万という素材の中から必要な要素を抽出し、最適な配合で構成していく。構築速度は、常人には理解できぬ速さ。
──完成まで、わずか半秒。
愁の周囲に淡い黄金の光が灯り、次の瞬間、赤く輝く刀身を持つサーベルが彼の右手に握られていた。
それは名付き武器ではないものの、使用回数制限と引き換えに、上級魔法級の威力をMP消費なしで発揮できる『魔剣』だ。
その時、スフィアが再び咆哮。混じり合う黒雷と咆哮の衝撃波が相乗効果を起こし、濁流のような一撃となって愁へと迫る。
「──させるかよッ!」
避ければ背後の仲間が危ない。愁は一歩も退かず、赤きサーベルを振り抜くと同時に、その魔剣に宿る力を解放する。
刹那、烈火が爆ぜる。魔剣から放たれた紅蓮の炎は、上級魔法〈インフェルノ〉に匹敵する熱量を以て黒雷を迎え撃つ。
ふたつの力がぶつかり合い、天地を揺るがす轟音と共に爆発──烈風が吹き荒れ、周囲の樹々を根こそぎ薙ぎ払った。
「ほう……やるな、人族よ。国を作るなどとほざくだけはある。だが我は、まだその全てを見せてはいないぞ」
スフィアの身体を中心に、巨大な魔方陣が出現した。周囲から濁流のように魔力が集い、まるで竜巻のように彼を包む。その膨大な魔力は、明らかに大技の前兆だった。
だが──愁は、そこに違和感を覚える。魔力の収束と引き換えに、彼の動きに大きな隙が生まれていたのだ。
(……誘ってるな。もっと上の力を見せてみろってことか)
口元が自然と綻ぶ。挑発か、それとも誇りの表れか──ならば、応えてやるまでだ。
「力比べか?おもしろい。じゃあ、こっちも『とっておき』をお見舞いしてやるよ。痛くても──泣くなよ?」
愁の足元から黄金の光がふつふつと湧き上がり、それは熱を帯びた風となって周囲の空気を震わせる。
新たな武器のクラフトが始まったのだ。
眩い輝きの中で構成されていくのは、一本の槍。先程のサーベルよりも格上の名付き武器──その名も『魔槍ボルガ』。
禍々しい装飾と異形の意匠をまとったその槍は、クラフト可能な武器の中でも上位に位置し、本来三度まで使用可能なところを、使用回数を一度に制限する代わりに威力を三倍へと引き上げた愁独自のアレンジが施されている。
その魔槍を右手に握り締め、愁は詠唱を続けるスフィアを静かに見つめた。ここで投げれば、勝利は確実。だが──
(……それでは、つまらないよな)
勝負は正々堂々と。それが愁の信条であり、スフィアの目にも、同じ想いが宿っているのを彼は感じ取っていた。
詠唱の終わりを告げるかのように、空気がふと静まる。風の音すらも止まり、世界が息を呑んだその刹那──
「終わりだ、人族よ。我が力にひれ伏すがいい!」
スフィアの背後に浮かんだ魔方陣が、一際強い白光を放つ。そこから放たれたのは、白と黒が綱のように絡み合った巨大な稲妻。その輝きは天空を裂き、大地を焦がしながら、一筋の光線となって愁を貫かんと襲いかかる。
常人には到底視認すら不可能な速度。しかし、『WORLD CREATOR』での補正を受け継ぐ今の愁の視界には、明瞭にその軌跡が映っていた。
「こっちもこんなところで立ち止まってらんないんでね。電撃には──電撃で押し返させてもらうぞ」
愁は魔槍を高く掲げ、叫ぶことなく力を解放する。
その瞬間、魔槍は雷を呼び、紫電を纏って咆哮した。雷鳴にも似た轟音と共に、愁は全身の力を込めて、その槍を放つ。
疾風を裂き、稲妻すら置き去りにして魔槍は飛翔する。雷を纏い、雷を貫く雷。魔槍はスフィアの放った稲妻と正面からぶつかり合い、激しい衝突音と閃光を撒き散らしながら、押し勝っていく。
やがて稲妻を突き破った魔槍は、そのままスフィアの腹部を貫通し、遥か空の彼方へと消えていった。
「ぐあっ……!く、見事だ……まさか、これほどの力を隠していたとは……」
腹部から夥しい鮮血を流しながら、スフィアの巨体が地を揺らして倒れ込む。常人ならば絶叫すら許されぬ激痛に悶絶するところだろう。しかし──彼はなおも堂々としていた。
さすがは大森林の管理者。その威厳と誇りは、容易には崩れない。
「俺の勝ちだな。スフィア、約束通り──言うことを聞いてもらうぞ?」
「ふん、好きにするがよい……どのみち、この傷では我はここで果てるだろう。我が森を、お主に託す他ない……」
力なく呟き、スフィアの巨体はぐったりと沈黙する。呼吸は浅く、意識は遠のいているようだった。
だが、愁の目に浮かんだのは落胆ではなく、ため息交じりの微笑だった。
(……死なせる気なんてないけどね)
スフィアを〈状態鑑定〉で確認した限り、彼のステータスには『死亡』も『仮死』も表示されていない。HPはギリギリだが、まだ生きているのだ。
「なに死んだつもりになってんの。ほら、これでも飲んで」
懐から取り出した最上級ポーションを、スフィアの口へと流し込む。すると瞬く間に傷口が癒え、血の気を失っていた彼の瞳にも生気が戻ってくる。
「なっ……!?何をしたのだ?あれほどの傷が、一瞬で癒えるなど……信じられん……」
狼狽するスフィアを前に、愁は静かにその胸の内を明かした。
「スフィア。俺の国の民になってくれ。もちろん、お前に従う森の生物すべてだ。俺は王になる。そして、民を守る。見捨てたり、裏切ったりなんて絶対にしない。だから俺を信じてついてきてくれないか?」
しばしの沈黙。スフィアはポカンと口を開け、何か言いかけたまま止まり──
「……ははっ、ははははっ!」
腹の底から湧き上がるような豪快な笑い声が、大地に響く。
「おもしろい!実におもしろいぞ、人族──いや、我が『新たなる王』よ。約束は約束だ。我はお主に従おう。そのかわり、素晴らしい国を見せてもらうことを約束してもらおうか?」
「任せとけって。信じて、ついてきてくれ」
愁はスフィアの大きな頭を、くしゃりと撫でた。手のひらに伝わる体温と、分厚い毛並みの感触──それは確かに『生きている』という証だった。
(……なんだか、大きなペットができた気分だな)
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