第14.5話 約束
新たな持ち場での任務が始まって数日が経った。
朝日が窓から差し込み、その明るさに思わず目を逸らしたくなるほど清々しい天気の早朝。既にアルバートは準備を終え、リビングでカップを片手に紅茶を楽しんでいた。そんな静寂を破るように扉が音を立てて開き、クミラがリビングに入ってくる。彼女は最近、任務後にここに宿泊することが多くなっていた。どうやら、一度泊まって以来、事あるごとにユアからの誘いを受けては泊まる流れができてしまったらしい。
クミラは完璧に着替えを済ませ、準備を整えた様子で、アルバートとテーブルを挟んで向かい側の椅子に腰を下ろした。
「おはよう、クミラ」
「おはようございます!アルバートさん!」
しかし、彼女の表情はどこか浮かない。挨拶を交わしたと思ったら、クミラは疲れたように机に突っ伏してしまった。すぐに顔を上げると、不満げな声で話し始めた。
「聞いてくださいよ、アルバートさん!ミザリカさんったら、初日からずっと仕事の話以外全っ然してくれないんですよ?空気が重いったらないですよぉ……また今日も会わなきゃいけないんです。はぁ……もう、嫌ですー」
彼女の口を尖らせた不満そうな表情は普段あまり見られないものだった。それを見たアルバートは、クミラがミザリカのことをかなり気にしているのだろうと察した。しかし、クミラの話すミザリカの様子は、アルバートが知る彼女とはどこか違っていた。
「そうなのか?いつも見かける時は明るく挨拶してくれるんだけどな」
「そ、それは!アルバートさんにだけですって!他の勇者の方たちと話してるところなんて、私は見たことないですもん!」
その言葉を受けてアルバートも考えを巡らせた。確かに、他の勇者たちと話している場面はあまり見かけたことがない。もしそこに何か理由があるとしたら、ミザリカが王国初の女性勇者であること、そしてその背景にある重圧や期待に関係しているかもしれないと彼は推測した。そう考えると、簡単に彼女を責めることはできない。
「きっと、ミザリカにも何か思うところがあるんだろう。気分は良くないかもしれないが、任務だと割り切ってなんとかうまくやってくれないか?」
「はぁい……何とか頑張ってみますけど、仲良くなるのは難しそうです……ん?何か美味しそうな匂いがしますね!」
ふと、クミラが顔を上げると、ユアが作る朝食の香りが漂ってきていた。ベーコンや卵が焼ける香ばしい匂いが、食欲を刺激する。そして、ほどなくしてユアが小さな手で料理の乗った皿を二つ抱え、軽やかに駆けてきた。
「朝ごはんできましたよ!さぁ、早く食べましょう!お腹すきました~!」
「いつもありがとう、ユア。いただくよ」
最近、ユアはクミラから料理を教わり、朝食を用意するのがすっかり日課になっていた。最初は慣れない手つきで失敗も多かったが、今では彼女の手際も良く、料理の種類も増えている。何より、彼女自身が楽しそうだった。
「うーん!私もお腹すきました!いただきます!」
いつも通り、何気ない朝の食卓だったが、アルバートはこの時間が気に入っていた。彼は正規勇者の中でも上位階位の立場にあり、さらに貴族でもある。その気になれば、使用人に任せて日々の雑務を代行してもらうことも可能だ。しかし、アルバートはあえてそれを望まず、ユアと二人で平穏な日々を過ごしている。このささやかな日常は、彼にとって掛け替えのないものになっていた。
「このスープ、美味しい!また腕を上げたね、ユアちゃん!」
「やったぁ!でもクミラさんに教えてもらった通りに作っただけなんだけどね」
食卓では他愛のない会話が続き、やがて食事も終盤に差し掛かった。アルバートは一足先に食べ終わり、食器を片付けようと立ち上がると、ユアがその手を制止した。
「私が片付けます!そこに置いておいてください!」
「いや、食器くらいは自分で……」
「大丈夫です!私がやります!」
その気迫に押され、アルバートは大人しく座り直した。ユアのたまに見せる頑固な一面は、こういう時に発揮されるのだ。
やがて全員が食事を終え、ユアが食器を片付けに台所へ向かった頃、クミラが少し緊張した様子で口を開いた。
「アルバートさん!あの……渡したいものがあるのですが」
「ん?どうした?そんなにかしこまって」
椅子に座ったままのクミラは、背筋をぴんと伸ばし、まっすぐにアルバートを見つめていた。その姿はまるで、緊張に包まれた面接の場で、最後の質問を待っているかのように整然としている。不自然なくらい張りつめた空気が彼女を包んでいた。
「えっと、その……これを、どうぞ……っ!」
彼女が差し出したのは、赤い宝石のような石が嵌め込まれた美しいネックレスだった。魔術の文字が刻まれた銀製の土台には、まるで炎を内包しているかのような輝きを放つ赤い石が埋め込まれており、その石は、十字に固定されていた。
「ありがとう。これは……?」
「こ、これはですね、私が研究している世界級魔法を再現するために、研究していた時に偶然見つけた時間停止の術式を書き込んだ魔石なんです……!」
「時間停止の魔法?そんな大魔法の再現ができたのか?」
「い、いえ……まだ三秒だけなんですけど……」
クミラの言葉に、アルバートは思わず目を見張った。しかし、すぐにその短い時間にこそ大きな価値があることを悟った。
「いや、三秒でも十分だ。それだけでも戦局を大きく変えることができる。これはすごい発見だよ。いいのか?こんな貴重なものを私に渡してしまって?」
「は、はいっ!使用回数は二回までですが、少しでもアルバートさんの助けになれば……と思って……」
緊張が解けたのか、先ほどまでの完璧な姿勢は崩れ、クミラはしおらしく俯いた。しかしその瞳には、確かな決意が見て取れた。
「なので、アルバートさんが持っていてくださいっ!それと、あの、えっと……今日の任務が終わってからでいいので、二人で会ってくれませんか?」
緊張で下を噛みそうになりながらも、やっとの思いで言葉を紡ぎ、アルバートを誘うことのできたクミラは、テーブルの下に隠れている両手をギュッと握りしめながら、少しだけ目を伏せてアルバートからの返事を待つ。
「それなら、ありがたく頂くよ。クミラ、これは本当に貴重なものだ。ありがとう。大切に使わせてもらう。……それで、任務の後というと、今夜でいいか?」
「は、はいっ!今夜でお願いします……!」
クミラの顔に、微かに安堵の色が浮かんだ。自分の提案が受け入れられたことに、思わず胸が高鳴る。緊張で強張っていた指も、少しずつほぐれていくのを感じた。
「わかった。じゃあ、今夜、教会の前で待ち合わせよう。ユアにもその旨伝えておくから、クミラは少し休んでいてくれ」
アルバートが席を立つと、クミラは小さくガッツポーズを取った。心の中で『やっと言えた……』と自分を励ますように、ささやかな勝利感を味わった。しかし、まだ終わりではない。今晩の“本番”が控えているのだ。小声で「よし、今夜こそ伝えるぞ……」と自分に言い聞かせた。
◇◆◇◆◇◆
アルバートはユアの元へと向かった。ユアは手際よく食器を洗い片付けをしていた。その姿を見て、アルバートは胸の奥に暖かい感情が広がるのを感じる。ほんの少し前まで、片付け一つにも時間がかかっていた彼女が、今では料理に掃除と自発的にこなしている。剣の修行にも毎日精を出し、めきめきと実力を上げているのだ。
「ユア、少し話があるんだが、いいか?」
「あっ、お師匠さまっ!どうしたんですか?出発まで、まだ少し時間ありますよね?」
「ああ、そうだが……今日はユアの任務を休みにしようと思ってな」
「えっ?なんでですか?私、まだまだ頑張れますよ!」
驚きと不満が混じる表情を浮かべるユア。しかし、アルバートは静かに首を横に振った。
「最近、ユアは毎日任務に出ているだろう?少し休息を取るのも大事だ。体を万全に保つのも戦士の務めだぞ」
「……わかりました。でも、家でできる鍛練はしてもいいですか?何もしないのはちょっと……」
「適度になら構わない。だが、しっかり休むことも忘れるな。それと……今晩、クミラに誘われたので少し帰りが遅くなるかもしれない。先に夕飯を食べていてくれ」
「えっ、デートですか!?デートなんですか!?ずるいっ!」
突然ぐいっとアルバートに詰め寄るユア。アルバートは苦笑しながら、彼女の肩をそっと押さえた。
「待て待て、デートかどうかはわからない。何か相談があるのかもしれないし、何やらミザリカとのことで悩んでいるらしい」
「本当ですかぁ?でも……怪しいなぁ。まあいいです!今日は先にご飯食べてますから!」
「ああ、すまないな。それじゃ、任務に向かうから、留守の間はよろしく頼む」
「はいっ!気を付けて行ってきてくださいね!」
アルバートが玄関に向かって去るのを、ユアは楽しげに見送った。そして、玄関の扉が静かに閉まる音が家中に響き渡ると、ユアは再びリビングに戻り、一人きりになった家の中を見渡した。どうやらクミラもアルバートと共に任務に向かったらしい。
「うーん……掃除して、鍛練して……あと何しようかな。……そうだっ!」
ユアは再びキッチンへ戻り、棚の中を物色し始めた。そこで取り出したのは、アルバートが大切にしていたチョコレート。
「お師匠さまにチョコレートケーキを作ってあげよう!この前、美味しいって言ってたし!」
材料を確認しながら、ユアは微笑み、ケーキ作りに取り掛かる。アルバートの驚く顔、そして「美味しい」と褒めてくれる姿を想像し、彼女の心は幸せな期待感で満たされていた。




