杉田庄助の作家デビュー
車関係の作業員をしながら、杉田庄助は簿記の勉強をしていた。理由は、冬は暖房の効いたオフィスで仕事して、夏は冷房が効いている職場で働きたいから、というものだった。
冬に車の洗車をすると、指先が千切れるのではないかと思うほど凍える。
夏は、作業場がサウナに様変わりしてしまう。
庄助は、体力も根性も気合もない男だったから、そのような職場環境は耐えられなかったのだ。
簿記三級、そして二級まで合格してから、作業員をしつつ、経理事務の求人に応募しまくった庄助。
だが、経理事務に何の情熱も感じていない庄助を、採用する企業なんてものはない。面接まで進んでも、
「いや~、こういう綺麗なオフィスで働きたいんですよ!」
なんてことを口走る始末。
挙句の果て、応募した求人の総数は100を超え、庄助は経理事務を諦めた。
かといって、作業員の仕事を熱心にすることもなく、少しでも隙があれば、タバコを吸う。
そして、そんな庄助に、
「もう、お前はいらねえんだよ!」
強面の社長にキレられ、作業員の仕事をクビになった。
ずっと実家暮らしの庄助は、バイトをするわけでもなく、貯金なんてあるわけがなく、二十九歳でニートになった。
「生きる目標を失った……」
と自室で口走った庄助だが、ハナからこれといって本気になった目標なんてない。
「どうすっかなぁ」
ベッドでお菓子をポリポリかじりながら呟いた。
「やっぱ、楽な仕事で、きつくなくて、給料高くて、可愛い女がたくさんいて。そんな職場ねえかな」
二十九歳で、そんな言葉を吐く。
お菓子を食べ終えて、ジュースも飲み干し、ついにベッドから起き上がって本気になって考え始める庄助。
腕を組んで、目を瞑り、庄助なりに考えた結果が、
「よし、作家になろう」
自宅で仕事をして、エアコンも効いている。ベストセラーになればもの凄いお金が手に入る。作家だと言えば、女なんてすぐに寄ってくる。庄助は、そう考えたのだ。全くもって、アホである。作家という職業を舐め腐っている。だが、こんな考えでも、庄助は本気になることができた。
車の作業員の仕事をしながら独学で簿記二級まで取得した庄助は、自覚こそしていないが、知能労働には長けていた。高卒なのも、学校の勉強に本気になれなかったからであり、庄助なりに動機付けができれば、もの凄いパワーを発揮できる。
そんな性質を持っている庄助が、もう少しまともだったら、今みたいな人生は送っていないだろう。恐ろしいほど、もったいないことである。
そして、小説を書き始めた庄助の指は、もの凄いスピードで動いていく。
庄助は、小説を読むのが好きなのだが、決まった作家の作品しか読まない。読み終えた感想が、「まずまず」だったら、もうその作家は読まなくなる。
彼は読む作家をこう決めている。
「ズキューン! って来たら読む。来なかったら読まない。このズキューン! っていうのは、俺の独断と偏見」
ツイッターに庄助は、こう呟いたのだ。何様なのだ、この男は。
さて、庄助の親は、息子のことをどう思っているかというと、
「庄助は、今まで頑張ってきたんだ。少しぐらい遊ばせてもいいだろう」
「そうねえ。庄ちゃん、ずっと働き詰めだったから」
これは両親のある日の会話。ご両親、そんなことだから駄目なんですよ。
三日三晩、不眠不休で書いた小説は、なんと完成してしまった。しかも長編小説である。本当に、この才能を他の誰かに渡してやりたい。
庄助は、この作品を新人賞に送った。いっさい推敲せずに。そして、ニート生活が数か月ほど過ぎたころ、一本の電話があった。
「杉田庄助さんですか。私、加戸川出版の小坂と申します。お送りいただいた作品なんですが、最終選考まで残りました」
「ああ、そんなもんですか」
庄助の返答に、腹が立たない人間などいるのだろうか。
「ええ。まだ、SNS等での公表は控えてください。一次選考しか出てないので」
「はーい。わっかりましたー」
電話を切った庄助は、親に報告することもなく、読みかけの小説のページをめくった。彼が大好きなホラー作家の新作だ。それを恐ろしいスピードで読んでいく。速読もできてしまう庄助。小説を速読で読むって、意味がないと思うのだが。楽しむために、小説を読むんだろうが。
残り三分の一の分量を十分ほどで読了した庄助は、テレビを点けて、ゲームの電源を入れた。そして、それをプレイすること八時間。やっと庄助は満足し、寝床に入った。
編集者からの電話があってから、毎日、小説を読み漁り、ゲームに莫大な時間を費やすこと二週間。また、庄助の携帯が鳴った。
「もしもーし」
「杉田さんですか。小坂ですが」
「えっ、誰?」
「加戸川出版の小坂です」
「ああ。で、どうだった?」
お気づきだろうか。庄助が編集者にタメ口を使っているのを。
「おめでとうございます。見事、大賞を受賞することになりました」
「ああ。で、いつ会うの」
「はい。授賞式は、二週間後になります」
「わっかりましたー。また、お電話待ってるよー」
「はい。また後日に」
どうして、庄助が編集者にタメ口を使っていて、編集者が敬語なんだ。よし、庄助は作家になっても全く売れず、編集者の誰にも相手にされなくなる呪いをかけてやろう。もの凄く、いい案だ。