声降り雨
私は曇天の空を眺めて、一つ溜め息をついた。今にも雨が降ってきそうなその景色、そんな天候を憎らしく思う。
正に心が灰色だった。
駅の改札前、赤色の傘を持って佇んでいる私の姿は必ずと言っていい程改札を通る彼らの目に留まる。
それは、かなり滑稽に違いなかった。
右前方の時計を見るとそれは5:30を過ぎていて約束の3:00をゆうに越している。 今日は彼とここで待ち合わせをしていた。 一年前私達は付き合い初め、今年で一年目。 彼は遥か遠い所へ引っ越していったのだが今日、ここで会う。 ………はずだったのである。
(どうして……)
嫌われたのだろうか。 まさかそんな事ある筈がない。そう否定してもしきれない。 心は有り得ない程ぐちゃぐちゃに狂っていてどうにかなってしまいそう だった。
「やあ、お嬢さん」
不思議で不自然で、異様。この言葉達がよく似合うそんな男が突如、 後方から声をかけてきた。
私は振り向き、落胆し、前を向き直す。
「いやいやいやちょっと待ってくれ。私はお嬢さんとお話がした……あ、 十分変質者じゃないか……」
一人で慌てて一人で勝手に沈んで行く男など見向きもせずただひたすら 前を向いた。
「お嬢さんは、待ってるんでしょう?」
その通りだったからピクッと震えた。
しかしここは駅の改札前、入り口 を見てキョロキョロしている女性がいたら、人を待っていると誰もが気付くだろう。
だから無視をした。遠く向こう、あの人の姿が見えるのを待ち続けた。 後ろで溜め息を吐く音が聞こえる。
「……お嬢さん。改札を通って御覧」
「…え?」
驚いて後ろを振り向くと、まだ奇怪な男が立っていた。男は蝨を潰し たような表情をしている。
「ほら、改札。通ってご覧よ」
と男は改札を通る事を私に促した。
「あの……意味がよく分からないんですけど……」
私が初めて口を利くと男はふふっと微笑んだ。
「意味は改札を通ったらわかるさ。もっとも良い現実ではないかもしれないけどね」
そう男はウィンクする。もうあの人は来ないとどことなく理解していた。 なら、なら………。 男の言う事に従ってみようか。いつの間にか男の意味深な言葉一つ一つに惹かれはじめている。
______あの改札の先には何が待っているんだろう。 実に興味深い。だから私は頭を縦にふった。 すると男は2枚の切符を私に手渡した。
「こっちは入るとき____で、こっちは出る時。分かったかい?お嬢さん」
うん。と頷き改札をくぐった。
まずは上りのホームに降りた。 駅の構内は無人でここは無人駅だっただろうか。と過去を思い出そうとしてみた。が、思い出せない。
どうやらここには何も無いらしい。 落胆して私は階段を昇った。
次に下りのホームに降りた。意外な事にこのホームには人が数え切れないぐらいいる。顔に写る表情は伺い知れないが、確かにそこに存在していた。
取り敢えずホームを歩いて見た。 ホームを歩いている間、電車は一向に来ない。が、誰も苛立っている様子はない。
不思議な駅だと思う。
何だか人に生気が無いような……。 突如、人がいなくなり視界が開けた。驚いて立ち止まる。後ろを振り向いてみても誰も居ない。ならいままで見ていたのは一体なんだと言うのか。幻覚?いや、確かにそこに存在していた。 恐怖で前を向き直した。
_______そこには、あの人がいた。
照れると後ろ髪を触る癖のあるあの人。笑うと周りに花が咲いたよう な気分にさせるあの人。 そして、私の恋人であるあの人は、壁に向かってしゃがんでいた。
彼の目線の先にはひとつの花束。……そう、しんだ人に送るそれ。 記憶の断片がまるで元からそこにあったのかのように戻ってくる。と 同時に涙がはらはらとこぼれ落ちた。
そうだ、私、しんだんだ______。
線路に間違って落ちてしまった私がかなきり声をあげる。あの人が私の名前を叫んだ。
それが、最後の記憶。
私は嬉しさのあまり彼の名前を叫んだ。言ってしまってからしまった と思う。 私は今しんでいて、幽霊である私の声が彼に届く筈がなかった。
空気も震えない、届く筈がない。
しかし、彼はまるでその呼びかけに応えるように振り向いた。目はあれんばかりに大きく見開かれている。
彼はゆっくりと立ち上がった。そして一言、「お前なのか?」と言って腕を伸ばした。
______彼に届いたのだ。 きっと、何も……そう、声も彼には聞こえてはいないはずだった。 なら、気配?感?そういえば彼は霊感があると言っていた。 彼の伸ばした腕は私にあと1cmという所でとまった。そして彼は腕を下ろし、落胆する。
「あいつは、しんだんだよな…。ははっ、何ばかな事言ってんだ俺」
と頭をかきむしる。
「いるよ!私、いるよ!」
咄嗟についでた言葉。
しかし、彼はピクリとも動きはしない。霊感があるなんてうそっぱちじゃないの。ちゃんと、私を見て!私はここに居るわ!
突如、彼は耳が痛くなるような奇声をあげた。
私は驚き一歩さがる。
「アハハハハッッ!!!お前、そんな所にいたのか!!」
恐怖。 彼が見つめているのは空の果て。違う、私そんな所にいない。
「今からお前の元に行くからな!!待ってろよー!!!」
嫌、嫌だ。やめて、嘘だと言って。お願いだから…。
しかし、彼はそのまま歩き始めた。その瞬間ベルがなる。
<1番線のホームに列車が入ります>
私は走りだした。 彼の向かう先は明らかに____線路だ。 右側から電車が、暴れ馬のように騒音を放ち走ってくる。 「待ってろよ!!!」
彼がそう叫んだ。残り三歩のタイムリミット。
「今、逝くからな!!」
彼がそう笑った。私は手をありったけに伸ばす。 そして、私の手は確かに彼の手をにぎりしめた。
___空を、切る。
私は目を疑った。彼を掴んだ筈の手は虚空で取り残された。 彼の体は宙を舞い、そして、電車があなたの上を………。
「やめてえええええええ!!!!!」
そうか、私、しんでたんだった…。
私の悲鳴は誰にも、届かない。
•
私は駅の改札をぬけた。何もなかった事にしてしまえたら、どんなに良かっただろう。
しかし、彼の散った肉が線路に散乱していた。 しかも、それを誘発したのは私だ。 涙がこぼれない。罪が私に、どんとのしかかる音が聞こえた。
少し歩くと、まだあの男が立っていた。 私は目を逸らし、下を向いた。ごうごうと天の荒れる音がする。
「どうでしたか?彼には逢えましたか?」
「…」
「……そうですね。確かにお嬢さんにはつらい光景を見たかもしれない。 」
私は何も言わない。言えない。罪の意識が泣くな。と訴えてくる。
「でもお嬢さん。あなたの待ち人は明日、元々しぬ運命だったんです よ」
「………え?」
私は顔をあげた。耳を疑う。彼は明日、しぬ運命だった…?
「私がそう設定したんですよ。今日しぬように」
途端、何かがはじけた。男の言ってる意味は分からない。ただ、こいつが何か仕組んだ…ということが、分かる。 から、私は叫んだ。
怒り?悲しみ?自己満足?よく、分からないけれど…… 。
「どうして!?!?」
震える筈のない空気が揺れたような気がした。
「どうして、そんなこと!!あの人はあなたに何も関係が無いでしょ う!?それなのに!!どうして!!!」
「お嬢さん」
静かに、男は私の言葉を遮った。今迄に無い気配におののく。
「お嬢さん、私はシニガミでね。仕事なんだよ」
息が詰まる。浅い、浅い呼吸。 その生き物は物語にしか存在してはいない筈だ。 だが今、男は確かにそう名乗って悲しそうに笑った。男の影が揺れたような気がした。
「私の仕事は人の運命を決める。いつ、しぬのか、どうやってしぬの か…。そして彼のその運命を決めた後で、君の存在を知った。 _____君も、僕がころしたんだ。笑えるよね」
男は声を振るわせて言った。私は何も言えない。
止まった筈の鼓動が聞こえる。
「せめてもの償いだと思ってね、君達をもう一度引き合わせた。…そしたら来てご覧、予想外の結果が起きたよ」
男は私を手招きした。もう何が何だか分からない状態だったが、彼の言う事にしたがった。
駅と道の境で私を止める。男は道に出ると上を指差した。 私が頭上を見上げると、ポツリと何かが頬に当たった。
「雨…」
そう呟いたと同時に一斉に雨粒が宙を舞いはじめた。
「これのどこが予想外…」
と私がぼやくと男はを口に当て、静かに。といった。
男のいわれた通りに私は黙る。何も起きないじゃないか。と思った矢先、
<そうか、お前がしんでからもう1年になるんだな>
「!?」
あの人だ。あの人の声がする。
私は急いで辺りを見渡すが、男しかい ない。気のせいかと思ったがしかし、
<1年前は確か…そうだ。ここで待ち合わせをしてたんだよな。二人で、 ご飯食べにいこうぜ。って>
「どこ、どこなの!?」
やっぱり聞こえる。空耳ではないし、偽物なんかでもない。これは、 一体…
「この駅はね、声を運ぶんだ」
男が言った。私はただぽつんと曇天を見上げる。
<何たべよっか。って聞いたら、君は何でもいいよって笑ってたよね>
「そしてその声が強い時、雨となってこの地に落ちる」
<そして、そのまま君はしんでしまったね…電車にひかれたんだ>
私の両目から、空と同じように雨がこぼれおちた。私はただただ二人 の声に耳を傾け続ける。
「君の待ち人の花束に掛けた声が」
<でも、君がしんだ今でも>
「今こうして」
<僕はずっと>
「声降り雨として、落ちるんだ」
<君を、愛しています>
「私も、愛しています」
声が、止んだ。
•
彼女が無事成仏したらしい。男……シニガミは笑った。 心の底から安堵する。声をちゃんと、伝えられた。
声が途絶えて尚も降り続ける雨を男は苦々しげに 「煩いな」 と、呟いて…。
男は傘をさして道を歩きだした。 男の姿は雨によって薄れ、かすれ、やがて消えた。