日常17
現在の武器を確認する。
柄が潰れた手斧、麻痺毒袋が二つ、吹き筒が一つ。
戦略を考えている暇はない。のそのそと近づいてくる『成り損ない』との距離が詰まる。
ポーチから麻痺毒袋を取り出す。相手の頼りは鼻と耳だけだ。それならば鼻を潰す。首に掛けたままのゴーグルを嵌める。布がないので息を止めて使うしかない。深呼吸をして大きく息を吸う。
息を止め走り出す。『成り損ない』の間合いに入り込んだ瞬間、麻痺毒袋を相手に投げつけた。
煙は一気に噴き出し、黄色の煙幕が広がる。相手は大声を上げ苦しみだした。
部分強化を発動し、彼女が攻撃した傷を片手斧で何度も切り付ける。
苦しみながらも『成り損ない』は反撃に出る。攻撃されている場所に何度もがむしゃらに腕を振るう。
それを紙一重に避け続ける。避けては切り付けを繰り返す。
普通の動物とは違い『成り損ない』の体は魔力で変質している。強靭な肉体が刃を臓器まで届させてくれない。
だが、同じ場所を傷つけることでそこの肉は抉れ、他のどの部位よりも血が噴き出ていた。その痛みは図りしれない。わずかでも相手の行動の阻害ができるだけの傷を作れば、攻撃速度も衰えてくれるはず。
かすかな希望だけで、確証はない。だが今できることは相手の体力を削ることだけだ。
煙が消えるまであと数秒、煙が消えてもしばらくは鼻は利かないはずだ。
この前みたいに腹に力を込めて刃を止めることはできないはずだ。攻撃の瞬間は相手に見えていない。どこに攻撃するか分からないのでその部分に力を籠めることはできない。同じ場所でも角度が違うから、把握はできないはずだ。腹の片側の傷を集中して攻撃していると、相手もそこに攻撃を集中してくるので適度にもう片側も切り付けてやる。このわずかな間に相手の腹はズダズダに切りつぶしてやった。
腹の周りの皮膚はすべてそぎ落とされており、今ではピンク色の筋肉を赤黒くなった肉塊に変貌してきている。
昨日より腕を強く強化している。その分機動力が落ちている。
何度もギリギリの回避を続けていた。相手の攻撃でこちらも何度も皮膚を削がれた。
それでも筋肉までには達していない。表面のみを切り裂かれている。血は出るがまだ耐えられる。
アドレナリンが出ているのか、そういった痛みには鈍感になっていた。
『成り損ない』は麻痺毒袋のせいでうまく呼吸ができない。
そのおかげか攻撃を繰り出す腕にもうまく力が載っていないように感じる。効果が切れた時が本番だ。
黄色い煙が完全に消えてしまう。
息を止めるのをやめ軽く呼吸をしてみる。少しだが喉と鼻が違和感を覚えたがこの程度なら問題ない。
相手から少し距離をとり、大きく呼吸して一息をつく。
相手の弱点を探す。
一番のねらい目は顎の下だ。あそこならば柔らかいはずだ。食べ物を咀嚼する部分の筋肉は殆どの動物が柔らかい。頭を支えているのは首の後ろの筋肉だ。そこは硬いと思う。なので、柔らかい部分は、顎の下、首の前面と側面。そこを何とかこの片手斧で掻っ切ってやるしか勝機はない。
しかし相手も馬鹿ではない。
自分の急所ぐらい分かっているはずだ。この前調子に乗って首を狙った時の反応は腹を切るよりも早く鋭かった。
いくら目が見えないといっても顔付近に異物が近づくのは感じるはず。
今はまだ鼻が利いていない。耳だけでこちらの気配を探っている。
このチャンスを生かすしかない。
腰に差しておいた吹き筒を痛み右手で掴む。
また間合いに近づき腹を切り付けてやる。相手は腕を何度も振ってこちらを切り刻もうと躍起だ。
それを躱しながら相手の背後を見る。木々が生い茂っている中で出来るだけ大きい木を選ぶ。
狙いをつけてそいつに吹き筒を投げつける。空洞になっている筒が木とぶつかり音が鳴る。
甲高い音に『成り損ない』が気を取られた。
その隙に脇から背中に這い上る。
そして片手斧で喉を掻っ切ろうとする。
しかし、相手はすぐにそれが囮と感じたのか、背中に登る感覚に反射的に動いたのか分からないが。首の横に鋭い爪を振るった。
その攻撃は残った攻撃手段である左腕を狙っていた。
今ここで左腕をやられるわけにはいかない。無理に体を捩じる。
代りに左わき腹が奴の爪の餌食になってしまった。体が大きく左後ろに跳ね上がる。
ここで振り落とされるわけにはいかない。
無理に右手を強化して奴の背中にしがみつく。右腕と脇腹に強烈な痛みが走る。
脇腹をえぐれた勢いで『成り損ない』に背中を預けているような体制になる。右手は魔力を流し無理に動かしている。今にも力が抜けそうだ。
左手に持った片手斧を柄を口にで咥える。
何とか毛を掴もうと手をまさぐる。その間『成り損ない』は背中の異物を排除しようと体を大きく揺らす。
このままでは振り落とされてしまう。
そう思った時に、硬いものが左手に触れた。
意識しないままそれを掴む。
それは昨日逃げるときに投げつけた曲剣だった。
曲剣は深々と『成り損ない』の肩に突き刺さっていた。両手でその柄を掴み体を入れ替える。
相手は肩の痛みに大きな鳴き声を上げた。人間一人分の体重をその傷口で支えている。
何とか離れず掴み続けていたが脇の傷のダメージが大きい。こちらはあばらが折れている方だったのだが、麻酔が効いていて痛みを抑えていたはずだが、今の攻撃が深かったのか、かなり痛む。幸い先ほど殴り飛ばされた時にヒビが入ったあばらとは逆だったので骨を折らずにすんだ。しかし、こちらもかなりの重症だ。
もうあばらはボロボロだ。今はおまけに血を吹きだしている。
不味いことに、血を流しすぎて意識が薄れてきている。
目がかすむ。
しかし、今が好機。これを逃すとやられてしまう。
振り落とされないように必死に掴み続ける。
すると突然相手の動きが止まる。
その瞬間背中がわずかに膨らんだと思ったら、先ほど発した咆哮を放った。
体がその衝撃に固まる。『成り損ない』は体を上方に振り捩じる。
咆哮の時の体の膨らみで筋肉が動いたのか、掴んでいた曲剣が肩から抜けた。
その勢いのまま真上に吹き飛ばされた。
不味いこのままでは地面に叩きつけられる。
意識が朦朧とする中で何とか強化しようとするがうまくいかない。
真下には地面が見える。その少し隣に『成り損ない』がいた。
不味い。
そう思った瞬間。
爆炎が舞った。その衝撃で『成り損ない』の体がこちらに崩れる。
「今だ!」
合図の声がした。
落下の勢いのまま全体重を曲剣に乗せる。両手でしっかりと柄を持ち、切っ先がぶれないように固定する。
曲剣の鋭い切っ先が『成り損ない』の後ろ首に突き刺ささる。全体重を乗せたことにより筋肉で覆われた後ろ首でも突き刺さることができた。ここで手を休めない。
口にくわえた片手斧を左手で掴み、部分強化して前首に腕を回し首を掻っ切る。
首から勢いよく血を噴き出した。
しかし、『成り損ない』は死んではいなかった。
鋭い爪で首に回した腕を掴み、肩越しから前面に引きずり出された。
体の力が抜けてしまっていた。されるがまま肩越しから上半身をだらしなくさらけ出してしまう。
奴の口が開きその鋭い牙で噛みつかれる瞬間。
『成り損ない』の頭部が揺れる。
大きく開かれた口の中に煌めく光が見えた。それは普段自分が使っていたナイフだった。
『成り損ない』の顎下から脳に掛けて深々と突き刺さっていた。
「クリスの敵だ苦しんで死ね。」
彼女はナイフを何度も捩じった。
『成り損ない』は何度も痙攣を繰り返し、口から喉から血を吹きだし倒れた。
倒れた勢いで地面に転げ落ちた。
「大丈夫か。」
彼女は脇腹を抑えながら心配そうに声をかけてくる。
「あばらが折れてるし、ヒビもはいって出血多量で死にそうだけど、大丈夫。何とか生きてるよ。」
ニヤリと笑って見せ、初めて会話した時と同じようにおどけて言った。
彼女はきょとんとした表情を見せた後、声を上げて笑った。
自分もつられて笑ったが、あばらが痛むので声がかすれた。
静まり返った森は重い空気が消え和やかな時が流れた。
『成り損ない』を倒したのだ。
「いててて。」
彼女に背負われながら森の中を歩く。
「もうすぐ、黄の森を抜けるぞ。そろそろ捜索隊に出会うだろう。もうちょっとだ、がんばれ。」
彼女との身長差では肩を借りることはできず、最初とは立場が逆になってしまった。
あの後、『成り損ない』から魔石を回収し、クリスの認識票を取り、簡単にだが弔った。
傷の手当てをして今も森の中を進んでいたのだ。
彼女の背中は体毛によってやはりとても暑かった。
「そういえば、お互いに自己紹介もしてなかったな。下級中位冒険者で、名はゾイ・レッドボル。ゾイでいい。君の名はなんていう?」
「僕の名前は――リチャード・ジェーン。リックって呼んで。僕は下級下位の冒険者だよ。」
「下級下位だって!?」
自己紹介をした後、ゾイにはしこたま怒られた。
どうやら僕のことを同じ下級中位か上位だと思っていたようだ。
普通ソロでは黄の森の終わりまで行動はしない。それに『成り損ない』と戦うなどもってのほかなのだ。
魔法が使えないと言ったら腰を抜かすかも。
ゾイに怒られながら、黄の森を後にする。
空は太陽が照りつけ、優しいそよ風が吹き、小言が耳に心地よかった。激戦の後とは思えない穏やかな日だった。
これが僕、下級冒険者リックの日常でささやかな日々の話だ。
主人公の名前がでたぁぁぁぁ!!
誤字脱字を今日中にある程度修正する努力をします。・・・多分。