日常14
『成り損ない』は肩に刺さった曲剣を爪でえぐる様にして抜き捨てた。
攻撃が飛んできた方に顔を向けて牙をむき出し吠える。
「お前の相手は私だ。クリスの敵だ。かかってこい!」
女は体の大部分は布の包帯で巻かれている。腕は鞘で固定してある。
女は立っているのもやっとといった状態でそんな啖呵を切る。
クリスはあの死んでしまった冒険者だろうか。
意識が大分回復してきた。まだ、辛うじて体は動く。このままではせっかく助けたのに見殺しにしてしまう。
残っている魔力を全身に流し無理に体を動かす。絞った状態で全身に魔力を這わす。
『成り損ない』は女に向かって駆ける。
それと同時にこちらもなけなしの魔力を足に込む。『成り損ない』の投げ捨てた曲剣を左手に拾い、『成り損ない』のすぐ後を走る。まだ『成り損ない』と距離がある。
『成り損ない』は腕を振り上げ女を切り裂くように振り下ろそうとした瞬間、左手を強化し曲剣を投げる。
曲剣は先ほど女が投げて刺さった部分の背中側を貫いた。傷を更に抉られて怒りと苦痛の声を上げ、こちらに振り返りながら剛腕を振るった。
左手を強化していたので足の強化が疎かになり、こけそうになったことでその攻撃を運よく躱す。
『成り損ない』は自分のふった腕により、こちらを見失う。腕の下の死角から、足を一気に強化して飛び上がりながらもう一つの潰れていない目に手斧で切り上げ、駆け抜ける。
『成り損ない』は目を抑え叫び、腕を振り回す。完全に視界をふさいだことでこちらを見失っているようだ。
駆け抜けて女の元にたどり着いた瞬間膝の力が抜けてこけてしまう。
勢いのまま女の横に一回転して倒れこむ。
「大丈夫か。」
女が膝をつきながら心配そうに声をかけてくる。
どうやら気が抜けて魔力が四散してしまったようだ。
「あばらが折れているけど、大丈夫。何とか生きてるよ。」
空元気に笑って見せる。
女はふっと笑う。
そんな和んだ瞬間も『成り損ない』は吠えていたが、唐突にピタリと静かになった。
何事かと思い体を起こし振り返る。
『成り損ない』の鼻と耳がしきりに動いていた。
気づけばこちらに体を向けた。鼻は天を仰ぎ、左右に振りながら辺りを嗅いでいる。
耳も内や外にとひっきりなしに動いていた。口からはよだれが垂れており、微かに唸り声をあげていた。
怒りを貯めこんだように低く恐ろしい音だった。
どうやら、まだ相手はやる気らしい。
だが、先ほどよりは機動性が落ちているはず。逃げるなら今のうちだ。
女の近くに置いていた背嚢を痛む体に耐えながら背負い、手斧を腰に差す。
まだ、こちらの正確な場所を掴んでいないようだ。辺りの匂いを嗅いで、匂いを仕分けしているようだった。
だいぶ腹や脇を切ったので辺りは血だらけだ。その血の匂いでうまくカモフラージュできているようだ。できる限り音を立てないように荷物を持ち女に逃げる有無を伝える。
「いや、私はここに残ってあいつを倒す。」
女は小声でいった。
「何言っているんだ。立つのもやっとの癖に、勝てるわけがない。一緒に逃げるんだ。」
驚いてわずかだが声が裏返る。
「駄目だ。奴の狙いは私だ。君は逃げて生き延びろ。それに、私はクリスを置いていけない。」
女はクリスを悲しそうに見ながらつぶやいた。
そうなのだ。
今は自分も傷だらけで体力ももうじき尽きるだろう。クリスを抱えて逃げることは到底できないのだ。だが、女がここに残っても勝ち目は万に一つもないだろう。お互い満身創痍、しかも女の武器は先ほど投げつけて奴の肩に突き刺さっている。よしんば手斧を貸してやっても倒しきることはまず不可能だろう。
せっかく命を懸けて守ったのにこんなところで死なれてなるものか。
『成り損ない』の様子が変化した。こちらを捉えたみたいだ。
牙をむき出し、唸りながら威嚇する。四肢に力を貯めて、今にも駆けてきそうだ。
女は無理に立ち上がりクリスを守る様に身構えた。
しかし足はガタガタと震えていた。膝にうまく力が入らないのだろう。
それを横目に見ながら魔力を体に廻らす。迷っている暇はない。
女の腰を無理やり抱え込み走り出す。
『成り損ない』もそれに気づいたのか駆け出す。
左の足のポーチから麻痺毒袋を取り出し投げつける。
今は鼻と耳だけが頼りなはずだから、この攻撃の効果は絶大だ。『成り損ない』何度もむせたように唸り、吠える。
「なにをする!離せ、クリスが、クリスを置いていけない!私を置いていけ!待てっ、待ってくれ!クリスゥゥゥ!」
女が喚き暴れるのを無視して抱えて走る。
多分これが最後だ。これ以上身体強化は使えない。今使い切ったらもう動けない。
なんとしてもこの場からできる限り離れなければ。
暴れる女の腕が痛めた脇ばらに当たるたびに激痛が襲うが、かえって目が覚めて魔力を切らさずにいる。
しばらく走ると脇に抱えている女が静かになり、泣き出していた。
「すまない、クリス。私を許してくれ。」
無言でその鳴き声を黙って聞きながら走り続けた。
空は赤く染まり今にも黒く深い闇が訪れそうだった。
このままではとても帰れない。どこか隠れる場所を探して一晩野宿をするしかない。
幸いここら辺は何度か来たことがある。今は黄の森の中間あたりでいつも狩をしてる場所だ。
ここにはゴブリンが巣を作っていた洞窟がある。
そのゴブリン達は冒険者によって討伐されている。そしてまた住みつかないように工夫がされている。
それはゴブリンより格上の魔物の臓器を乾燥させたものを、液状の薬と配合し、団子状に固め乾燥させることによってできる魔除け薬である。これを水に溶かして塗ることで、その場にゴブリンを寄せ付けないようにする効果があるのだ。
この効果は十年もつと言われている。寄せ付けないのはゴブリン程度の魔物だけだ。この森はゴブリンとウルフ程度しかいないので効果は抜群で全く魔物は寄り付かない。そういった場所は所々にあり、冒険者の休憩所として使われる。しかし、夜になると他の魔物がわいてくる。そういった魔物にはこの効果は通用しない。なのでもしも、この洞窟で一晩泊まるなら、匂いけしの粉や匂いけしの香を使い匂いを消す必要がある。そうすることで魔物が寄り付かなくなるのだ。
何とかその洞窟についた。
空は完全に暗くなり、辺りを見通すことは困難だった。
洞窟の中は更に暗闇で地面も見えない状態だ。静かになった女を下ろし、洞窟を出て適当に近場の木々を折り洞窟内に持ち帰る。ここらの魔物は『成り損ない』に怯えてどこかに隠れているのだろうか。
背嚢から筒状の火打ち石を取り出す。筒を引っ張ることで蓋が外れ。外れた蓋と中身をこすり合わせて火をつける。何回か火花が付いたがうまく火が付かない。
すると突然横から火が飛んできて木々に火が灯った。
洞窟に明かりが広がった。
「ありがとう。」
振り返りながらお礼言う。
「気にするな、魔力が戻ってきたからな。」
女の目の下は涙の跡が残っていた。体毛で覆われ居るので余計に目立っていた。
「ごめん。クリスだったかな、置いてきてしまって。」
「仕方ないさ。私こそ悪かった。わがままを言ってしまって、それに助けてもらったのにまだ礼も言えていない。本当に感謝ている。」
女は頭を下げてそういった。
それを見て頬が緩むのが分かった。
助けられてよかった。
「いや、いいんだ。助けら・・・。」
話している途中で急に意識が朦朧としだし、倒れてしまった。
女が驚き駆け寄ってきた。何か大声で叫んでいる。頭の中で声が反響してよく聞こえない。
そう言えばかなりの深手を負っていたのに治療もせずにいた。血を流しすぎたのかも。
魔力もとうとう使い果たしてしまったようだ。体が全く動かない。
これはもしかして駄目かもしれない。
まどろんだ意識に闇が押し寄せ、そのまま押しつぶされた。