第095話 最後の突進
タウンシェンド侯爵が戦死した、という事実はあっという間にタウンシェンド侯爵勢に波及した。
別にユートたちが触れて回らなくとも、本営が崩壊しているのは見れば明らかであり、更にユートたち西方混成兵団が本営に突入しているのは周囲の各隊が見ていた事実でもあった。
そして、本営にはタウンシェンド侯爵の戦旗が翻ったままであり、これらが意味するところはタウンシェンド侯爵が戦死した、という事実のみを意味していた。
主将であるタウンシェンド侯爵の戦死は当然ながらタウンシェンド侯爵勢の崩壊をもたらした。
指揮官であり、かつゴードン王子派の中心人物であるタウンシェンド侯爵がいなくなれば中央軍や東海洋方面艦隊海兵隊にとっては戦う意義など全くなくなってしまう。
タウンシェンド侯爵領軍は主君に殉じようと戦う意思を見せる者も多かったが、周囲が総崩れとなっている中では思うように戦列を維持できないうちに先代カニンガム伯爵勢率いる東部諸侯勢に呑み込まれてしまった。
「ユート、やったわね」
「ああ、ようやく勝てたな」
ユートたちはタウンシェンド侯爵を討ったあと、再集結させている。
タウンシェンド侯爵の戦死はクリフォード侯爵にも伝わったのか、それとも数度の突撃も魔法使いの前に失敗に終わって諦めたのか、南方驃騎兵第十三大隊を下がっていったことでブラックモアの西方混成歩兵第三大隊も含めて全部隊が再集結出来ていた。
「どないする? 追撃戦に参加するんか?」
ゲルハルトの言葉にユートはもちろん、と返そうとした時、ブラックモアが口を開いた。
「私は反対ですな。ここにいるのは確かに敵です。しかし、同時に王国軍、王国臣民でもあります。タウンシェンド侯爵を討ち取ったならばもう僭王派は瓦解するでしょう。そうなれば彼らは陛下の赤子であり、無用の殺生は慎むべきです」
ブラックモアの言うことは正論である。
今回のは僭王だなどと大義を掲げてみてもその実態は内乱であり、内乱を鎮める目処が立った以上、それ以上の被害を出すのは国力を落とすことに他ならない。
だから追撃は適当なところで打ち切って降伏させるのが上策というブラックモアの言うことはユートにも理解出来た。
「それはどうなんやろ? まだクリフォード侯爵は生きとるんやろ? もしシェニントンの市壁を頼りにクリフォード侯爵が王子と一緒に立てこもるかもしれへんやん」
ゲルハルトがブラックモアに反論する。
ユートはまた獣人たちと王国軍人たちの対立かと少し焦ったが、ブラックモアも考え込む。
「ああ、勘違いせんとってや。オレやってあんたが嫌いで言うてるんやないんや。ただ、タウンシェンド侯爵を討ち取ったからこれで内乱鎮圧は終わりやっていうんは少し先走り過ぎちゃうかと思うんや」
「うむ。私も別に餓狼族や妖虎族に何か含みがあって反論するわけではない。ただ、追撃で更に被害を拡大させれば相手を意固地にしたり、恨まれて将来の禍根になりかねないという危惧もあるのだ」
二人は純粋に軍事的、あるいは政治的な議論をしているようだ、とほっとしながらユートは二人の意見を咀嚼する。
ユートの本音としては勝利がかなり確実となった今、出来ればゴードン僭王を討ち取っておきたいと思う。
これは再起を期させないという公的な意味でもそうであるし、エリアの正騎士叙任という私的な意味でもそうだったが、自分の中では後者の私的な面が強く出た作戦ではないかと思って言い出すに言い出せなかった。
「なら簡単じゃねぇか?」
アドリアンがにやにや笑いながら言った。
「どういうことや?」
「クリフォード侯爵がシェニントンに籠城しようってのはゴードン僭王があるからだろ? ゴードン僭王がなくなりゃクリフォード侯爵は戦うに戦えなくならねぇか?」
「確かにそれはそやな」
「……正直言えば私は王族殺しは避けたい。もちろん面と向かって戦うならば先頭に立って戦いましょう。しかし、戦いの局面が決まった場面で王族を殺すのは……」
頷くゲルハルトとは対照的にブラックモアが渋い顔でそう言う。
王族――特に王位継承権の順位がかなり高い王族は当然ながら与党ともいうべき貴族を持っているわけで、ブラックモアのように貴族ではない軍人にとって、仮にそうした王族を討った場合、そうした与党の貴族から陰に陽に嫌がらせをされる可能性がある。
大物貴族ならばそんなことはありえないし、大物でなくとも貴族――例えばリーガンのような――ならば他の貴族を頼ってそうした嫌がらせは跳ね返せるだろうけれども、貴族でないブラックモアはそうした嫌がらせを受けてもどうしようもないのだ。
そうした考えが王国軍人にはあるだろうから、アリス王女はゴードン僭王を討つのをユートに依頼したのか、と思いながら、ユートはちらりと意見を述べていないレオナやハルの方を見る。
「あちきはどっちでもいいニャ。タウンシェンド侯爵を討った以上あちきらは今回の一番手柄は確定してるニャ。追撃の手を緩めても、追撃をしても咎められることはないと思うニャ」
レオナがそう言いながら、じろりと見回す。
「ただ、どっちでもいいことならもうユートに任せればいいんじゃないかニャ? ここの指揮官はユートニャ。あちきやゲルハルトはユートの仲間だから従っているし、ブラックモアやハルは命令で従ってるけど、ユートの命令には従うってのは合意できるところじゃないかニャ?」
「確かにそうですね」
ハルが頷き、それをみてブラックモアも頷いた。
指揮官の命令は絶対である、というのは王国軍にとって至極当然のことであり、ブラックモアも殊更に反論するところではない。
「ユート、あちきはユートやエリアを仲間と思ってるニャ。だから、ユートがどんな判断をしてもついていくニャ」
レオナがユートを励ますように言った。
「わかった。追撃しよう。もしこれでシェニントンに籠城されたらそれこそお互いに損害が増えて国力を損なうことになる」
本音は心のうちに秘めて、建前を語る。
「ただ、第三大隊はこの追撃戦には参加せずに、負傷者を救護して後退してもらえませんか?」
「……それは私の戦意を疑ってのことですか?」
「いや、えっと……」
ブラックモアが剣呑な表情でユートを見る。
その表情はいくら王族殺しが嫌だと言っても、命令とあらば手抜きするつもりはないことが軍人の矜持であり、それを疑うのか、と言っていた。
「うちの大隊も、アーノルドの大隊もそれなり以上の被害が出とる。ブラックモアの大隊もせやろ? そんな中で追撃戦に一番不向きなんは戦列歩兵なんやから負傷者を後送したらええやん」
ゲルハルトがユートにかわって答える。
「わかりました。では戦列歩兵を中心に後送部隊を編成しますが、一部の軽歩兵は私が率いて追撃戦に参加します。後方にはリーガン殿もいますので、私が後退せずとも野戦救護所の開設は大丈夫でしょう」
少し意地になっているのかも知れなかったが、ブラックモアは譲らなかった。
「――わかりました」
「兵団長閣下、感謝します」
「隊形はさっきと同じ順でいいですかね?」
「いえ、第三大隊は欠編成ですし、サマセット伯爵領派遣大隊も大きく損害を受けていますので、合同編成にして後衛とする方がいいでしょう」
アーノルドが実務的なところで一つ意見を具申し、ユートがそれに頷く。
「ゲルハルト、先陣を頼むぞ」
「任しとき!」
ゲルハルトは相変わらずの獰猛な笑みを浮かべた。
そして、ユートたちの最後の突進が始まった。
「ユート君たちも追撃を始めましたね。先代カニンガム伯爵は……うん、命令を出すのも不要な勢いで追撃戦ですか。クリフォード侯爵も退却しているようですし、もう司令官の仕事は終わりですね」
ウェルズリー伯爵は本営で会心の笑みを浮かべていた。
タウンシェンド侯爵の戦死を発端として総崩れとなったタウンシェンド侯爵勢に対して先代カニンガム伯爵はためらいのない猛追撃を見せている。
一方でクリフォード侯爵はタウンシェンド侯爵が総崩れとなっているのを見て退却に移ろうとしたところだったが、撤退戦では機動防御の戦力として重要な役割を果たす騎兵を散開させすぎていて集結させようとしているうちにシーランド侯爵勢に食らいつかれていた。
シーランド侯爵は北方軍の騎兵をウェルズリー伯爵に渡しているとはいえ、自前のシーランド侯爵領軍騎兵と欠編成の西方驃騎兵第二大隊を巧みに操ってクリフォード侯爵が繰り出した騎兵を抑え込みつつ、混淆して容易に撤退させない戦いぶりを見せている。
どちらの戦場も、そして追撃戦を行っているユートたちも含めてこれ以上総司令官として何か手を打たないといけないことはなく、後は追撃戦終了の合図を送るくらいだった。
「レイモンド、ご苦労でした」
勝利を確信したらしいアリス王女はウェルズリー伯爵を労った。
「いえいえ、勝ててよかったと思っているところですよ」
これはウェルズリー伯爵の本音だった。
いくら余裕のある表情をしていたとしても、戦いに臨んで全くプレッシャーを受けていないわけではないのだ。
本心から勝ててよかった、と思いながらふう、と一息ついたところで、不意に咳き込んだ。
一方でもう片方、ゴードン王子派の後方は大混乱だった。
「なんだ? どうなっておる?」
軍人としての経験はいっさいない――王子を王立士官学校に入れるような風習もない――ゴードン王子は前方のタウンシェンド侯爵勢が総崩れとなり、自分たちの方に殺到してきているのを見ても混乱することしか出来なかった。
「代王殿下、タウンシェンド侯爵の軍勢が崩れたっております」
「わかっておる。どうしたらよいのだ!?」
ゴードン王子に近侍する者たちは将来ゴードン王子が王位を継承した時にはその手足となる予定の、与党の貴族たちであり、そしてそれはほとんどが王立大学を卒業した文官であることを意味していた。
もちろんゴードン王子の与党には王立士官学校を出た貴族もいるのだが、そうした者のうち軍に籍を置いている者は中央軍や南方軍の指揮官として前線で戦っており、軍を退役した者はやはり南方貴族領軍あるいは東部貴族領軍として前線で戦っていた。
軍人であるクリフォード侯爵や、大貴族として戦術の基礎をかじっているタウンシェンド侯爵が指揮を執る方が合理的であると判断された結果、必然的にゴードン王子の周囲には軍事的素養に乏しい文官ばかりとなっていたのだ。
「逃げるべきなのか……」
これがウェルズリー伯爵ならば、いやウェルズリー伯爵でなくともクリフォード侯爵や先代カニンガム伯爵、シーランド侯爵といった軍人としての教育を受けたことのある者ならばただちに撤退命令を出していただろう。
戦死したタウンシェンド侯爵であってもこの逡巡はしただろうが、後退していたのは間違いない。
しかし、ゴードン王子派その決断が下さなかった。
「ともかく、逃げてくるのは味方なのだ。助けてやらねばならん」
ゴードン王子は撤退を選ばず、危険を顧みずにその場に留まって味方の兵を救護しようとした。
それは人としては全く間違っていない判断であり、冷静であるがゆえに冷徹に見えてしまうアリス王女とは好対照とも言うべき判断だった。
そのゴードン王子の判断を、周囲の文官たちも是とした。
彼ら与党となっている貴族や官僚たちにはもちろんゴードン王子についていくことによって出世しようという者が多い。
しかし、全ての者がそうというわけではなく、ゴードン王子の仁愛の人柄を見てこの人こそを王としたいと思っている者も多かった。
だからこそ、この場面において味方を救護しようとしたゴードン王子の決断を、ゴードン王子らしいと思って好ましく受け容れたのだった。
そして、それは最悪の決断となった。
総崩れとなったタウンシェンド侯爵勢のうち負傷者を収容しようとしたゴードン王子勢だったが、統制の取れていないタウンシェンド侯爵勢を収容しようというのは無理だったのだ。
あっという間にゴードン王子の指揮下にあった軍勢は壊乱に巻き込まれて統率が取れなくなってしまった。
それでも一部は踏みとどまってゴードン王子に命じられた救護をこなそうともがいたが、もがいたところでどうにもならず、むしろ同士討ちや壊乱に巻き込まれて死傷者はうなぎのぼりとなっていった。
そうした混乱の最中、ユートたち西方混成兵団がゴードン王子の本営へと襲いかかった。
ゲルハルトは本営にたどり着くや、餓狼族大隊を挙げて襲いかかった。
大森林を出る時は八百を数えた餓狼族も相次ぐ戦いの中でうち減らされ、すでに七百ほどとなっている。
しかし、それでも是が非でも王子の首を挙げると士気は高く保っていたのは、餓狼族の気質とゲルハルトの指揮官としての才能の双方に拠るところだった。
「なんや? 何しとるんや? あいつらは!?」
すぐにゲルハルトは困惑させられることになった。
槍の穂先を揃えてこちらに打ち掛かってくるならばわかる――攻められているのだから。
あるいは算を乱して逃げ始めてもわかる――敵勢は総崩れになっているのだから。
しかし、ゲルハルトに相対した敵勢はそのいずれでもなく、味方と間違われて救護されかける、という不思議な体験だった。
「こんな戦場のど真ん中で救護しとるってどういうことや?」
まさかそれがゴードン王子の人柄が悪い方向に発揮されたとはゲルハルトは知るよしもない。
ともかく困惑しながらも餓狼族大隊はそこら辺で戦列も組んでいない兵たちをなぎ払った。
中には貴族らしい男もいたが、ユートと戦ったタウンシェンド侯爵ほどの腕前もなく、あっさりとゲルハルトの狼筅の錆となった。
「不思議やの」
そう呟きながらも当たるを幸い、敵兵をその膂力に任せてなぎ倒していく。
正規軍ですら苦戦したゲルハルトの餓狼族大隊を、文官中心のゴードン王子の軍勢が阻止することなど出来るわけもなく、逃げずに踏みとどまっていたゴードン王子の軍勢は片っ端から虐殺されていった。
そう、あまりの一方的な戦いに虐殺というしかない戦いだった。
「ユート、なんか変やけど、あそこがゴードン王子の本営やで」
追いついてきたユートに、ゲルハルトは腑に落ちない表情をしながら本営を指差した。
「王子もお前が討ち取ったらええ。オレが手柄立てたとこで王国は立場上オレに褒美を与えるわけにもいかんしオレも受け取るわけにはいかんけど、お前なら褒美受け取って、それを冒険者ギルドに還元してくれるやろ」
ゲルハルトはそういうとにかっと笑った。
「ちょっと奇妙やから、オレは周囲を警戒しとくわ。レオナがおるんやったらそれで大丈夫やろ」
ゲルハルトはそう言うと、周囲にまだ残っていた敵兵を掃討していく。
「わかった」
ゲルハルトに頷くと、ユートは本営に突入した。
本営の中はあまり人はいなかった。
もしかしたら逃げたのか、とも思ったが、時折ユートたち目がけて斬り掛かってくる者がいるのでどうもそうでもないらしい。
ゲルハルトが困惑していたが、ユートもまた困惑を隠せなかった。
あらかたの護衛を倒し終わったところで、奥の床几に数人の護衛を伴って座っている男がいた。
護衛たちが飛びかかってくるが、レオナとエリアが一蹴する。
「ふむ。見ない顔だな。名を名乗れ」
「西方軍西方混成兵団長、正騎士ユート」
「ああ、あのポロロッカをどうにかしてくれた奴か。私はノーザンブリア王国第一王子ゴードン・ノーザンブリア」
どうやらユートの名はゴードン王子のところまで届いていたらしい。
「その節は多くの臣民を救ってくれて感謝している」
不思議なことにゴードン王子は礼を言った。
ユートは訳がわからない、と言いたげに首を捻ったが、ゴードン王子は至極真面目な表情をしている。
「ところで、ユートよ。ここに来たのは我が妹、アリス王女の命によるものか?」
「…………そうです」
答えるかどうか迷ったが、別に密命を受けていなかったとしても、アリス王女の命に従って戦い、追撃戦をやってここにいただろうと思うからそう答える。
「そうか。あやつらしいな。それをせねば後に王国が乱れる、と思えば実の兄でも討とうとする。私にはそこまで冷酷にはなれんな」
ゴードン王子の声色はアリス王女を批判しているわけではなく、どこか懐かしそうだった。
もしかしたら、小さい頃のアリス王女を思い出して、変わっていないな、と懐かしんでいるのかも知れない。
「まあよい。どうせ修道院に送られて信仰の日々、王子として死んだも同然ならばここで死ぬのも同じこと」
そう言うと、ゴードン王子は剣を抜き放つ。
ユートも、エリアも、レオナも斬り掛かってくるか、と身構えたが、ゴードン王子はまじまじと剣を見つめた。
「此度の戦いの全ての責は私にある」
それだけ言うと、ゴードンは左胸の少し下あたりに剣を突き立てた。
「え?」
「ふむ、胸を突くつもりだったが、少しずれたか。剣の心得もない王子とは全く情けない話よの」
苦悶の表情を浮かべながらも、ゴードン王子は平静な声色で言った。
「王族殺しは後々のそなたらのためにならん。僭王ゴードンはその罪を感じ入り、神妙に自裁したと伝えよ」
そして、莞爾と笑ったあと、ユートが返事を返す間もなく返す刀で自らの頸動脈を斬り裂いた。
血しぶきが舞い、ユートの胸甲は、その血潮に濡れた。
このゴードン王子の死を以て、ノーザンブリア王国史に残る内乱、王位継承戦争またはゴードン僭王の乱と呼ばれる内乱は、その終結を迎えることになった。