第091話 密談
メンザレは勝利に沸いていた。
既にアラドには北方軍の軽歩兵が中心となった部隊が入城しており、更に北方軍の軍直属法兵も入城したことで十分な守備戦力を有するようになっており、メンザレは安全な拠点となっていた。
そして、西方混成兵団の兵たち、北方軍の兵たちいずれも勝利の美酒に酔いしれていた。
それはユートたち、西方混成兵団の幹部連中も同じだった。
「いや、本当に勝ててよかったです」
「なんでも兵団長閣下は深い森を突破されてクリフォード侯爵の本営を急襲されたとか」
イアン・ブラックモアとロビン・リーガンという西方混成兵団の中核ともいうべき指揮官二人がこぞってユートとウェルズリー伯爵の采配を褒め立てていた。
「そういえば上流渡河点の戦いでは敵を引き込んで混成歩兵大隊が側面を急襲したとか?」
「ははは、たまたまです。ずるずる下がった時にイアンが側面を奇襲してくれただけです」
「我らこそ、行軍が遅れたのが上手く作用しただけです」
戦前、やり合ったレオナやゲルハルトはブラックモアに含みがあるようだったが、それでも勝利の美酒に酔いしれるというこの席上でわざわざ喧嘩するほど愚かではない。
もし酒の席で高級指揮官同士がやり合ったりをすれば、酔っ払った兵士たちの間の噂となって酒の肴とされた後、しらふに戻った兵士たちを不安にさせる要因になるだけだからだ。
「これでイアン殿の正騎士叙任も近づいたかな?」
「まだまだだなぁ……」
ピーター・ハルの言葉にブラックモアは頭を掻く。
「正騎士?」
「ええ、イアン――ブラックモア殿は平民の出ですので、現在は軍の士官として従騎士なだけで、退役すれば平民に戻らざるを得ないのです」
従騎士は貴族ではあるが、あくまで仮初のものであり、軍の士官、政府の官僚といった高等官に任じられている間だけ貴族扱いをされる、ということをユートは思い出した。
「正騎士になれば王国から生涯にわたって俸禄が出続ける上、子も正騎士としての俸禄を受け取れますからな」
「そういえばリーガンさんは正騎士なんでしたっけ?」
「ええ、私は功績を挙げたからではなく、リーガン子爵家の三男ですので、貴族法に基づいて正騎士となっただけですが」
どちらかといえば性格的にはせっかちで豪放磊落な体のリーガンが貴族の出で、どちらかといえば知的で理屈っぽい雰囲気を漂わせているブラックモアが平民の出という事実を知らされてユートは意外だな、と思う。
「兵団長閣下はうらやましい。平民の出ながらポロロッカで正騎士に叙任され、この王位継承戦争では大森林の民との交渉で大手柄を挙げられて爵位を授けられるとは……」
ブラックモアはアルコールのせいで赤くなった顔を更に上気させるようにして更にうらやましがる。
「いえ、ポロロッカも交渉もラッキーだっただけですよ」
「何を何を。実は私はここに来る前に王立士官学校の戦術研究所にいたのですが、ポロロッカの戦訓研究を見る限り、あれは奇跡に等しい勝利といわざるを得ませんよ」
ブラックモアの言葉にユートは頭を掻くと同時に、研究職にあったということを知ってブラックモアが妙に理屈っぽい理由がわかったような気がした。
「正騎士になるにはあのくらいの手柄が必要なのですな」
ブラックモアはそういうとため息を吐いた。
「そういえばユート、エリアのこと、どうするんだ?」
宴会もお開きとなった頃、アドリアンがユートに聞いてきた。
今回の苦難の川の会戦でもエリアはユートの傍にあって直接戦う機会はほとんどなかった。
ブラックモアたちの話を聞く限りでは正騎士に叙任されるには相当な手柄が必要――しかももともと国に貢献している軍人の立場で――なのだから、今の状況ではエリアを叙任させるというのは遙か先になりそうだった。
「正直、手詰まり感が……」
「だよなぁ……」
そう言うとアドリアンもため息をつく。
「何かいい方法ないですか?」
「わからん」
アドリアンはそう切り捨てた。
ユートたちは宴会の後もレビデムの市庁舎でのんびりとしていた。
もちろんレオナが指揮する虎狼族の斥候小隊を派遣してアラド向こうの東部に派遣して敵軍の進軍がないか警戒はしているし、訓練をやったり、リーガンの西方驃騎兵第二大隊もパトロールをやっているが、それでも精神的には戦いがない、というだけでのんびりとしていた。
「ほんまこんなゆっくり出来るとか、西方は天国や」
そんなことを言っているのはゲルハルトだった。
「北方ではそうじゃなかったのか?」
「そらそんなわけないやろ。略奪に行くだけで数週間がかり、それで略奪してきた食糧を配分しても足りへんから森で狩りに出たりしてたんや」
「そういえば今はどうしてるんだ?」
よく考えればユートはゲルハルトたちに給金やらの話もしていないことを思い出した。
一応西方総督府か西方軍の予算で給金は出ることになっているし、ゲルハルトも今回の従軍はユートを含めた王国貴族の信用を得る場面と割り切っているらしく、うるさいことは言っていなかったが、それで餓狼族の村はやっていけているのかふと心配になる。
「村にため込んだ金で食糧買うてるで。まあはよ給金欲しいけどな」
「……ごめん」
「まあユートが忘れてたんやとは思ってたし、大丈夫や。気にすんな」
ゲルハルトはそう言うと豪快に笑い飛ばした。
そんなユートたちの陰でウェルズリー伯爵は忙しい日々を過ごしていた。
失われた兵員の補充がない北方軍の再編に頭を悩ませていた、というのもあるが、それは主に副官たちの仕事であり、それ以上に重要なこととがあったからだ。
「アリス王女殿下がいよいよこちらに来られます」
苦難の川の会戦の戦勝を祝した宴会の次の日、ウェルズリー伯爵は久々にユートと夕食を共にしながらそんなことを言った。
「まだゴードン王子派の者もメンザレにいるでしょうし、ジャストに知られれば暗殺団を送りかねないでしょう。警戒を要します」
ウェルズリー伯爵はそんなことを言っていたが、それから毎日アリス王女をメンザレに迎える準備をする日々だったのだ。
まずはレビデムからメンザレへの移動計画だったが、これはロナルド・イーデン提督が請け負ってくれたようだ。
街道を利用して陸路で来るよりも海路の方が速く、海上で魔物に襲われる危険性を考えても暗殺やらから警備する方よりよっぽど安全、ということらしかった。
警備計画の主体は事実上の親衛隊となっている西方戦列歩兵第一大隊と西方軍直属法兵中隊で編成していた他、ユートの下にもレオナの斥候小隊を貸して欲しいという連絡が来ていた。
ウェルズリー伯爵は表では戦列歩兵と法兵が守り、レオナの斥候小隊が裏から守るという体制を構築したいようだったのだが、ただそうすると西方混成兵団の偵察はリーガンの西方驃騎兵第二大隊に依存することになってしまう。
ただ、妖虎族をアリス王女の警護にあてる、というのは西方混成兵団内の大森林の民と王国軍人の対立を考えても有益ではあることもあり、ユートは散々悩むことになった。
しかし、このユートの悩みは意外な形で解決された。
餓狼族が八百人からの軍勢を送り出したと聞いたレオナの父アルトゥル・レオンハルトがこれに負けじと二百人ほどの妖虎族の部隊を送ってくれたのだった。
これによってアリス王女の警護に数十人を出してもまだ二百人ほどが余る計算になり、斥候小隊は斥候中隊に格上げとした上でアリス王女の警護にも人を出すことが出来るようになった。
「あちきも中隊長ニャ!」
レオナはそんなよくわからない喜び方をしていたが、レオナたちの偵察能力は知っているだけにユートは妖虎族の増員は頼もしく思っていた。
そんな様々な準備をする時期を経て、三月十五日、とうとうアリス王女がメンザレへ入城してきた。
当日はメンザレの桟橋に赤絨毯が敷かれ、ウェルズリー伯爵とユートを筆頭にメンザレにいる高官たちが整列して迎える中、一等フリゲート艦イラストリアス号の舷門からタラップを使って優雅にアリス王女は降りてきた。
「みなのもの、ご苦労です」
頭を下げる高官たちに一瞥をくれると、凜としながら威厳を感じさせる声でそれだけ言って、侍従や護衛を引き連れながら庁舎までの馬車に乗り込む。
それを見てユートやウェルズリー伯爵も馬車に乗り込み、イーデン提督が敬礼をして見送った。
「レイモンド卿、ユート卿、ご苦労でした」
アリス王女の滞在場所とされたメンザレの庁舎の別棟の、ティールームでアリス王女はウェルズリー伯爵とユートにそう言った。
大広間では形式張って自由に意見が言い合えないので、儀式の如く高官全員を集めて労を労った後、ユートたちだけティールームへ呼ばれたのだ。
既に人払いがされており、室内にはユートとウェルズリー伯爵、それにアリス王女とアナの四人しかいない。
「二人とも大活躍だったとか。感謝します」
アリス王女の言葉にユートとウェルズリー伯爵は会釈して応じる。
こうした礼一つとってもティールームだから不敬とされないだけで、もし大広間で王女の礼に会釈で応じたら非難囂々だろう。
「殿下、明日からなのですが……」
「ええ、わかっています」
明日、アリス王女は軍を集めて演説を行い、そしてそのまま東部へと進軍を開始する予定となっていた。
「演説の内容は後で草稿を渡しましょう。忌憚ない意見を言いなさい」
「わかりました」
そう言いながらアリス王女は自信ありげだった。
「それと、明日からはゴードン王子派を僭王派、僭王派軍と呼ぶことにしたいのですが、構いませんか?」
「ええ、何ら問題はありません」
ウェルズリー伯爵が頷く。
大義名分というものは大事であり、今回の場合、アリス王女は代王を名乗っているゴードン王子に対して、勝手に王を僭称していることの理非を糾すというのがその大義名分である。
ゆえに王子派ではなく、僭王派と呼称するのは自然なことであり、兵たちの士気にも関わる問題であるからウェルズリー伯爵もユートも否やはない。
「ところで殿下、東部の貴族に対して派兵を促す書簡を送りたいのですが……」
「構わないでしょう。書簡をあとで私のところに寄越しなさい」
アリス王女はウェルズリー伯爵の書簡ではなく、アリス王女自身の書簡とするつもりらしかったが、そのことにウェルズリー伯爵は何か言いたげだった。
ウェルズリー伯爵の書簡ならば、アリス王女の指示があることを匂わせたとしても、敗れたあとにアリス王女は勝手に担ぎ上げられた、と保身に走ることが出来る。
そして、王女派の貴族であるウェルズリー伯爵としてもアリス王女さえ生き残れば再起がないとは言えないからこそ、泥を被ってでも勝手にやったことにした方が得策と考えて、そのことを口に出そうとしたようだった。
「レイモンド卿の忠節は感謝しますが、もとより敗れた後の言い逃れなど考えていません」
アリス王女はウェルズリー伯爵の懸念を察してそうきっぱりと言い切ると、にこりと笑った。
メンザレで初めて出会った時はもっと儚げな少女だったのに、いつの間にか威厳がついたな、とユートはふと思った。
それからいくつか、事務的な話をしたところでティーパーティーは終了した。
ウェルズリー伯爵は一礼をして退出していき、そしてユートもまたそれに続こうとするが、呼び止められた。
「ユート、もう少しおしゃべりしましょう!」
そう、アリス王女ではなくアナに。
「ユート、姉様のためにありがとうなのです。いきなり敵の背後を取った上に森を突破して敵将を敗走させるとか、まるで物語の中の騎士のようなのです!」
アナはウェルズリー伯爵の使者から戦いの経過を聞いて興奮していたらしい。
「うーん、まあウェルズリー伯爵の作戦だしなぁ……」
「それでも、そんな無茶な作戦をちゃんとやり遂げたユートがいたからなのです」
アナにそこまで褒められて悪い気はしない。
「ところでユート卿」
アナとじゃれ合っていると、不意にアリス王女の声が聞こえた。
「は、はい……」
「ちょっと話があります」
どうやらアナが呼び止めたのはユートとじゃれ合うことだけが目的ではなかったようだ。
「これから我が兄、僭王ゴードンと戦うことになりますが、戦ったあとをあなたはどう考えていますか?」
「えっと……」
そんなことを問われてもわからない、と思うが、相手は王女、そんな答えを返すわけにもいかない。
「ええっと、アリス王女殿下が王太子になって……」
「そうですね。私が王太女となるでしょう。そして、我が兄はどうなると思いますか?」
「そりゃ打ち首か何かじゃないですか?」
そう言うと、アリス王女は首を横に振った。
「いくら王を僭称したとはいえ、さすがに王子を斬首、というのは無理でしょうね。僭王派の貴族が反対します。そうした反対を押し切って斬首にすれば、内乱が長引きかねません」
王子ですら斬首ならば、その王子に組した貴族たちも軒並み斬首されることになり、そうすると僭王派の貴族たちは自分の首を賭けて徹底抗戦する、ということらしい。
「ですから、どこかの修道院で信仰の生活を送ってもらうことになるでしょう」
ありもしない信仰のための生活、ということらしい。
「人でなしと思ってもらっても構いませんが、私はそれが怖いのです。私は王太女になった後、いつかは王位を継ぎます。そして、王配を得て私の子が将来王位を継ぐはずです。しかし、もし兄が生き残れば、私の死後、兄の子と私の子で再び骨肉の争いとなるかもしれません」
確かにありもしない信仰の日々、というのは精神的には追い込まれそうだが、同時にそんな生活に追い込んだアリス王女に対する憎しみを募らせることはユートにも想像がついた。
それに修道院でも妻帯が許されているのであれば、子が生まれる可能性もあるだろうし、将来の火種になりかねないのもわからないではない。
「ユート卿、兄を討てませんか?」
戦場で戦死する分には僭王派の貴族たちを刺激することもなく将来の禍根の芽を断てる、とアリス王女は考えているということなのだろう。
「王子を討っても大丈夫なのですか?」
「それは戦場のならい、しょうがないでしょう。もちろん、ユート卿の望む褒美は出します」
そう言うとアリス王女は意味ありげにアナを一瞥した後、再びユートの方を見た。
恐らく、アリス王女にはアナを経由してエリアのことが伝わっているらしい、というのがその視線から察することが出来た。
「…………わかりました。討てるかはわかりませんが……」
エリアのために、人を殺すのはどうなのか。
そう思いながらもユートはアリス王女の言葉に、肯定の返事をするしかなかった。