第090話 その名は猟兵なり
軍務卿にして、ゴードン王子派の軍を率いるクリフォード侯爵は苛立ちを隠せなかった。
ウェルズリー伯爵が白昼堂々、決戦を挑んできた。
ここまでは良い。
数的優勢を持つクリフォード侯爵からしても、決戦を挑んでくれる方が数倍楽であり、もしメンザレに籠城された場合、タウンシェンド侯爵率いる後続部隊を含めても厳しい攻城戦となる可能性は高かったからだ。
決戦直前、ウェルズリー伯爵は一隊を苦難の川支流の上流に分派した。
これもまあ良い。
迂回して側面を衝くというのは戦術の基本であり、敵前渡河を出来るだけ避ける、というのもまた戦術の基本だからだ。
少なくともウェルズリー伯爵は戦術の王道から外れたようなことは一切していないし、クリフォード侯爵にも理解出来る戦術だ。
そこで、敵別働隊を叩くため、クリフォード侯爵もまた別働隊を編成し、これに当たらせることにした。
ここまではクリフォード侯爵自身、自分の取った戦術行動が間違っているとは思っていない。
なぜか別働隊同士の戦いは敗れたが、これでも正面に一万、側面の三千と考えれば数的優勢はまだ覆りそうにもない。
追撃を受けて損害が増えているとはいえ、別働隊も後方で再編すれば再び戦場に投入できるようになるだろうし、それまで正面と側面をまだ保っている数的優勢に任せて守り抜けばいいだけのことだ。
なのに、何故かウェルズリー伯爵は全面攻勢に出ている。
数的劣勢の側が、敵前渡河して全面攻勢に出るなど、単純に考えればこれは破れかぶれとしか考えられない。
しかし、クリフォード侯爵には苦い思い出が蘇る。
三十年以上前、王立士官学校の士官候補生だった時代から、二十年以上前、中隊長だった時代まで記憶は遡るが、クリフォード侯爵とウェルズリー伯爵は同期生として、よく模擬戦闘を行っていた。
その時、クリフォード侯爵はいつもウェルズリー伯爵の奇策にやられて敗北を喫した苦い思い出がある。
机上演習では勝てても、いざ模擬戦闘になればウェルズリー伯爵は机上ではあり得ない、思いもよらない戦術を駆使してクリフォード侯爵の部隊は無惨に敗れてしまった苦い思い出だ。
「今回も、何か奇策を用意しているのか……」
クリフォード侯爵は本営で独り言ちる。
副官たちも何も意見を差し挟まない。
とはいえ、ウェルズリー伯爵の手持ちの兵力はもう使い切っているだろう。
主力となるのは西方軍と北方軍であり、北方軍総勢一万四千のうち、恐らく西方へ転進出来たのは一万、西方軍は定数でいえば六千近いが、先のポロロッカの被害を考えると四千かそのくらいのはず。
その動員可能な一万四千のうち一万三千程度が既に戦場に顔を見せていることを考えれば、ウェルズリー伯爵が切れる手札はもうないはず、せいぜい西方艦隊による嫌がらせくらいだろう。
「軍務卿閣下! 報告です!」
黙考していたクリフォード侯爵に副官が慌てたように声を掛ける。
気付かないうちに急使が到着していたらしい。
「どうした?」
「アラドが敵艦隊に襲われました! フリゲート艦四隻、恐らく最新鋭のイラストリアス級一等フリゲート艦と思われます!」
イラストリアス級一等フリゲート艦――それは王国海軍の中でも一、二を争う高速重武装のフリゲート艦だ。
「イラストリアス級が四隻、ということは……」
「はっ! アストゥリアス防衛艦隊より引き抜いた特攻戦隊はイラストリアス級フリゲート艦一隻を大破擱座させるも全滅、アラドは敵海兵隊の上陸を受けたとのことです」
「うむ」
クリフォード侯爵は頷く。
アラドの守備隊はそう多くはない。
陸戦よりは接舷戦闘における斬り込みを主眼として海兵隊は陸戦となれば不利とはいえ、フリゲート艦が四隻ともなれば艦隊法兵が定数で六十四名もいることになる。
もちろん本来は艦上にあって戦闘を行う艦隊法兵ではあるが、果断な指揮官ならば上陸させて戦わせるだろう。
そして、西方艦隊においてフリゲート艦を率いる指揮官、海賊ロニーとあだ名されるロナルド・イーデンはそうした果断な指揮官であることをクリフォード侯爵はよく知っていた。
「あの海賊ロニーならば、危険を顧みず間違いなく法兵を揚陸して戦うだろう」
間違いなくアラドは陥落した。
そのことにクリフォード侯爵は確信が持てた。
そして、同時にウェルズリー伯爵の策も看破したと考える。
「戦闘中に後方のアラドを落として我々の動揺を誘う気か。レイらしいな」
同期生であるウェルズリー伯爵レイモンドという男はいつも兵の士気を崩壊させる策を打ってくる。
人の心根、心の動きという者を読み切って仕掛けるのが上手い指揮官であり、それ故に訓練とはいえクリフォード侯爵は幾多の苦杯を喫してきた。
今回も後方連絡線を断って兵の動揺を誘おうというのだろう。
「だが、わかってしまえばどうにかなる。先の報告は軍機密に指定する。兵には絶対悟らせるな」
「承知しました!」
副官が一礼して応じる。
「後方連絡線が断たれた影響が出る前に今、ここで押し切ってしまえばどうにかなる。ウェルズリー伯爵の本隊さえ崩しきってしまえば、アラドなど守り抜けるはずもない」
クリフォード侯爵はにやりと笑い、そして命令を下した。
「全軍、突撃をもって応じよ。目指すはウェルズリー伯爵レイモンドの首のみ!」
ユートたちは走り続けていた。
こまめに休息を入れているので脱落者は出ていないが、それでも体力的には楽ではない。
「あと二キロほどニャ。そろそろ警戒するニャ」
レオナがそう言ったのは、丘陵地帯を抜けた頃だった。
「斥候小隊を出して、出来るだけ敵との接触を避けながら接近しましょう」
アーノルドの言葉にユートは頷く。
すぐにレオナや妖虎族たちが準備をして、一足先に飛び出して行ったので、ここから先はその妖虎族の報告を受けながら部隊を動かすことになるだろう。
ユートはふとどこかで似たようなことをしたな、と既視感にとらわれる。
しばらく頭を捻っていたが、思い出した。
「ポロロッカで黄金獅子を討った時と一緒だな」
あの時もレオナが先頭に出て出来るだけ魔物と接触せず、接触するならば一撃で倒して魔物が集まらないよう、黄金獅子に接近を悟られないように近づいたのを思い出す。
「そういえばそうね」
「相手が人間なのか、魔物なのかの違いだけなんだな」
ユートは笑った。
軍を指揮する、と難しく考えていたが、結局のところ山で魔物を狩るのも、戦場で敵を討つのも同じことなのかもしれない。
「茂みや森を利用して出来るだけ隠れながら行こう」
ユートの言葉にエリアも頷く。
「それですと戦列が……ああ、これは関係ありませんでしたな」
アーノルドが何か言いかけてすぐに口をつぐむ。
訓練されていない冒険者大隊に戦列を組めなど無茶以外のなにものでもないし、恐らく餓狼族大隊もそうした戦い方は苦手だろう。
「森など、従来はまず進軍してはならんとされていましたぞ。不期遭遇戦にでもなればどうなるかわかりませんからな」
確かにアーノルドの言う通り、密集させて戦列を組む戦い方が一般的な軍だと森の中を進軍するなど危険極まりないし、森から出た途端に襲われれば戦列を組めていない状況で戦いになるのだから不利も明らかだろう。
しかし、むしろ冒険者にとっては山の中を遮蔽物に隠れて接近して敵を倒す、というような戦い方の方が普段から慣れた戦い方であり、ましてその森の中に敵がいる可能性が低い、となれば、そこを進む方がますます安全とすら思えてくる。
「よし、レオナたちが戻り次第、森や遮蔽物を利用して接近、クリフォード侯爵の本営かそれに近いところを襲おう」
森を突破する、と聞いて慣れた戦いが出来る、と冒険者たちは笑ったし、餓狼族にしても大森林の民、森は慣れたものと笑う。
「ゲルハルト、先陣を頼んでいいか?」
「任しとき」
森に慣れた餓狼族を先頭に立てた方がよいだろうと頼むと、ゲルハルトは二つ返事で頷いた。
すぐにレオナたちも戻ってきて、敵情を告げる。
レオナたちがもたらした報告を総合すると、どうやら上流渡河点を渡河したリーガン支隊は無事に敵右翼に斬り込めたようであり、ウェルズリー伯爵もまた全面的な攻勢に出てクリフォード侯爵と正面切った殴り合いを展開しているようだった。
「後方は薄いみたいだな。一気に行こう!」
ユートの言葉に全員がおう、と応じた。
クリフォード侯爵はじりじりとしていた。
ほぼ全軍を投入した殴り合いを展開していて数的優勢を生かし切っているはずなのに、なかなかウェルズリー伯爵の本隊を崩しきれない。
右翼に食らいついてきている敵別働隊は果敢であり、戦力をそちらにとられているのも悪いのだが、何よりもウェルズリー伯爵が攻勢に出ながらクリフォード侯爵が軍勢を送ると驃騎兵大隊を用いて巧みにそれを食い止めている。
攻勢に出ているのか守勢なのかわかりづらい戦い方だったが、それゆえにクリフォード侯爵は思い切った戦いが出来ないでいた。
「さすがレイだな」
口では褒めているが、内心は穏やかではない。
「別働隊の再編はまだか?」
クリフォード侯爵の率いる部隊の中でも別働隊は機動性に富む部隊であり、彼らを欠いていることが戦場で流動的な戦いが出来ない要因の一つだった。
その再編が済めば主戦場に投入してかき回してやるつもりであり、それが出来ればいかにウェルズリー伯爵といえども今のように簡単に食い止めることは出来なくなるだろう。
「あと三十分ほどかかります。軽歩兵大隊は中隊長クラスの死傷が激しく手間取っているのです」
「二十分でやれ」
「南方驃騎兵第七大隊だけでも再編はなっていますが……」
クリフォード侯爵は副官の言葉をじっと吟味する。
「よし、それだけでも投入しろ。南方騎兵ならば北方騎兵の二個大隊程度、手玉に取れるだろう」
「了解しました」
副官はただちに伝令を送り、クリフォード侯爵の切り札ともいうべき南方騎兵第七大隊が動き始める。
「これでレイ、貴様も終わりだ」
戦場となっているのは、河原よりも川の半ばだった。
お互いに渡河しようとしては敵の妨害に遭い、または川の半ばで戦いになり、川を血で染めている。
お互いに何度か渡りきったこともあったが、すぐに予備戦力を出されて橋頭堡を築けずに川にたたき落とされている。
その中において、ウェルズリー伯爵の最大の切り札は北方驃騎兵の二個大隊だった。
これを巧みに操って橋頭堡を築こうとする敵の戦列歩兵を、戦列が整わないうちに排除し、進軍する敵歩兵の戦列に穴が出来たらそこを衝く。
敵も一部には騎兵がいたものの、ウェルズリー伯爵のように集中運用していないこともあって数的劣勢を覆しつつあった。
だが、その頼みの騎兵も、クリフォード侯爵が出してきた騎兵に拘束されつつあった。
「少し、まずいですか」
あの騎兵はウェルズリー伯爵の切り札だ。
その切り札に、向こうも切り札をぶつけてきた。
結果、お互いに相殺してしまっており、そうなれば数的優勢を持つ敵軍の方が有利となってしまう。
しかし、ウェルズリー伯爵の手札は切り札だけではない。
もう一枚、ジョーカーを隠し持っている。
西方混成兵団という名のジョーカーを。
戦場の喧騒が、一段と増す。
騎兵同士の殴り合いが始まったからかと思ったが、そうではないらしい。
「来ましたか」
ウェルズリー伯爵はこの日一番の笑顔を見せた。
「なんだと!?」
クリフォード侯爵は本営で困惑の怒声をあげていた。
後背から一個大隊以上の歩兵が襲撃中、と告げられたのだ。
「どこから現れたのだ!?」
クリフォード侯爵の用兵は教科書通り、と言われることが多い。
しかし、それは決して無能を意味しているわけではなく、堅実であるということだ。
数的劣勢を華々しく用兵の妙で逆転することは叶わないにしろ、数的優勢を無駄にせず、そのまま結果に反映させられる、というのが教科書通りということだ。
今回も丘陵地帯を抜けたあたりから街道上に後衛を配置して万が一に備えていたはずなのに、なぜか後背を襲われているのだ。
本来ならばいないところにいるはずの敵。
それがクリフォード侯爵を困惑させる原因だった。
「敵歩兵は丘陵地帯より森を抜けてきた模様!」
副官の言葉に、クリフォード侯爵の表情は困惑から唖然となった。
「森、だと……」
常識を外れている。
そう言いたげだった。
「よし、最高の場所に出れたぞ! 一気に本営を衝くぞ!」
ユートが獅子吼する。
「おうさ」
ゲルハルトが剽軽に応じて、餓狼族大隊が疾駆する。
「クリフォード侯爵を討ってやろうぜ!」
アドリアンが軽妙に応じて、冒険者大隊が進撃する。
慌ててクリフォード侯爵が差し向けたらしい軽歩兵だが、そんな押っ取り刀でゲルハルトの餓狼族大隊を止めることは出来ない。
軽歩兵大隊は数個大隊に及ぶようで、膂力に勝る餓狼族大隊は圧倒しつつも打ち破るには至らない。
「おい、魔法使える奴、ゲルハルトを掩護しろ!」
アドリアンは一番槍を餓狼族大隊に譲って、そう叫んだ。
次々と火球が、土弾が、水球が、風斬が飛び、軽歩兵大隊に打撃を与える。
ユートもまた火球を次々と放つ。
まさか法兵が混じっているとは思わなかったらしく、思わぬ攻撃を受けた軽歩兵大隊は総崩れとなった。
「ちっ、騎兵が来やがった」
すぐ隣で戦場を見ていたアドリアンが舌打ちした。
その言葉に魔法を撃つのをやめて戦場を見ると、中州の方から騎兵が駆けつけるのが見えた。
本営の危機を察して急ぎ駆けつけたらしい。
そして、歩兵にとって、突撃する騎兵ほど恐ろしいものはない。
「アドリアンさん、魔法で……」
「もちろんだ!」
アドリアンは冒険者たちに命じて、軽歩兵大隊を叩いていた魔法を騎兵に指向させる。
だが、すでに襲歩に入っていた騎兵は魔法によって隊形を乱されつつもゲルハルトの餓狼族大隊へと突撃を敢行――それに対してなんとゲルハルトもまた突撃をもって応じた。
「無茶な……」
ユートが唖然とする横で、それ以上にアーノルドが唖然としていた。
騎兵将校であったアーノルドからすれば、騎兵に突撃する歩兵など大馬鹿者としか思えない。
しかし、ゲルハルトは敢えて部下たちに突撃させると、魔法で乱れている隊列に入り込んでは狼筅を引っかけて騎兵を地面にたたき落として見せる。
狼筅と、餓狼族の人並み外れた膂力がなくては出来ない戦い方だが、馬から落ちた騎兵など、木から落ちた猿より容易く止めを刺され、あっという間に敵騎兵の突撃は蹴散らされた。
「なんということだ……」
クリフォード侯爵は眼前の戦いが信じられなかった。
歩兵相手に突撃を敢行した南方驃騎兵第七大隊が、歩兵によって突撃を粉砕されたのだ。
「撤退だ!」
クリフォード侯爵は慌てて叫んだ。
頼みの南方驃騎兵第七大隊が崩れた今、このまま留まっては前面、右翼、そして後背に敵を抱えることになり、軍は四分五裂してしまう。
早急な退却が必要であることは衆目一致するところであり、副官たちも次々と伝令を送って各大隊を収容し、しんがりを決めて後退の準備をしていった。
追撃戦の主力となったのはユートの西方混成兵団だった。
西方驃騎兵第二大隊は右翼を衝くまでに朝から長躯機動して疲労困憊だったし、北方軍の驃騎兵大隊も朝からの戦いで疲弊していた。
この為、ユートたちが主力とならざるを得なかったのだが、餓狼族大隊は次々と敵のしんがりとなっている歩兵を屠り、クリフォード侯爵の本隊を目指した。
だが、日没直前になって三度目の再編なった南方驃騎兵第七大隊が立ちふさがり、決死の戦列歩兵が戦列を組む様子を見て、ユートは追撃は十分な戦果を挙げた、と打ち切らせた。
もし、その死兵の陣に踏みいっていれば、画竜点睛を欠く結果に終わったかもしれなかったが、ユートの冷静な判断によりそれは回避された。
西方混成兵団が本隊に合流すると、自然と兵たちの歓声が起きた。
優勢なクリフォード侯爵の軍を破り、大勝を収めた、という何よりもの証だった。
「ユート君、見事な戦いぶりでした」
いつの間にか、支流の左岸まで本営を前進させていたウェルズリー伯爵がユートを見つけて肩を叩いた。
「いえ、勝ててよかったです」
それはユートの本音だった。
そう簡単に負けるとは思っていなかったが、それでもアラドを落としてから戦場に向かう間、ウェルズリー伯爵が敗れていたらどうしようと思っていなかったわけではない。
「本当にそうですね。私も久々にひやりとしました」
本当にそう思っているのか怪しい表情でウェルズリー伯爵がそんなことをいう。
「それにしても西方混成兵団、というより森を突破して急襲した冒険者や餓狼族は恐ろしいですね。従来の戦術の枠で考えていれば陥穽にはまりそうです」
「森は冒険者や大森林の民にとっては森は狩りをする場であって、障害物ではありませんからね」
「その思考が恐ろしいのですよ。ジャストも非常識と叫んだでしょう。普段から狩りになれているから突破してくるなんて誰も思いません。まさに狩人であるからこそ出来た戦術としか言えません。戦列を組まず、どんな地形でも突破して、近接魔法支援を受ける兵種……これから冒険者――いえ、猟兵とでもいうべき存在は、我々にとって大きな存在になりそうですね」
ウェルズリー伯爵は最後は独り言のように言った。
その我々、というのが、アリス王女派なのか、王国軍なのかはユートにはわからなかった。