第088話 海ゆかば・後編
本日2回目の更新です。
操艦困難の信号旗を掲げているインヴィンシブル号を横目に、イラストリアス号、フォーミタブル号、インドミタブル号の三隻は港へ進んだ。
「警戒しろ!」
艦長の声が飛ぶ。
桟橋に強行接岸できればいいのだが、アラドの街の守備隊もいるだろうし、そうなると法兵による攻撃もあり得ないわけではない。
至近距離から法兵による魔法攻撃を受ければいくら一等フリゲート艦といえども無事ではすまないだろうし、警戒を厳にしていた。
「誰もいませんね」
「ああ、不思議だ」
早朝の奇襲であるがゆえにまだ防衛態勢が整っていないのか、クリフォード侯爵の用意した備えはあの特攻戦隊のガレー船四隻だけなのか、それとも虎視眈々と分遣戦隊が隙を見せるのを待っているのか。
「強行接岸する。二番艦、三番艦には援護しろと信号を」
イーデン提督の命令に従い、信号が飛ぶ。
その間にイラストリアス号は主帆を下ろしてそろり、そろり、と桟橋へと近づいていく。
「撃ってこないな……」
「上陸しますよ?」
「ああ、頼む」
ユートはイーデン提督と短く会話を交わすと、舷側から網を下ろしてもらってアドリアン以下の冒険者たちが桟橋へと飛び降りていく。
「警戒しろよ!」
「わかってるって、アドリアンの旦那」
そんな緊張感のない声とは裏腹、冒険者たちはしっかり警戒して桟橋を制圧していく。
「これなら大丈夫そうだな」
イーデン提督はそう言うと、後続の二隻にも接岸するように信号を送る。
その間にインヴィンシブルからは短艇が下ろされて餓狼族大隊の一部が桟橋ではなく浅瀬の方に上陸していっている。
ユートの支隊の合計一六〇〇名強が上陸し終えるまで、数時間を要し、上陸し終えた頃には空はすっかり明るくなっていたが、特に反撃されることもなかった。
「じゃあイーデン司令、僕も行きます」
「おう、俺たちはインヴィンシブルの様子次第で引き揚げるが、また物資を持ってきてやるからよ」
イーデン提督はそう言うと、ぴしっと色気のある敬礼した。
「頼んだぞ、ユート兵団長閣下! それにサイラス!」
その言葉を背にユートは桟橋へと飛び降りた。
「まずは庁舎を制圧しましょう。敵がいるとするならばあそこだけです」
桟橋で阻止せずに一等フリゲート艦の接岸を許した以上、敵はそう多くないことは予想されたが、それでも全くいないとは思えなかった。
このアラドはクリフォード侯爵の主力にとって生命線とも言うべき都市なのだ。
果たしてユートの予想通り庁舎にはクリフォード侯爵が置いていった守備隊が存在していた。
「でも数はそう多くはないニャ。二百か三百か、そのくらいみたいだニャ。ただ、もしかしたら、外周の市壁にはもう少しいるのかもしれないニャ」
妖虎族の斥候を率いて偵察してきたレオナがそう報告する。
「意外と少ないですね」
「守備隊としては増強中隊か、せいぜい二個中隊ほどということでしょう」
「そんなことってあるんですか?」
アーノルドの説明にユートが疑問を持つ。
重要な、生命線となる都市に置いた守備隊がわずか二個中隊、つまり四百人程度というのは腑に落ちなかったのだ。
「まあそもそもこれだけの陸戦部隊をフリゲート艦で運ぼうというのが無茶な計画ですからな。普段ならば各艦せいぜい数十人の海兵隊が乗っているだけ、しかもそれも接舷戦闘や小規模な上陸作戦のためであって、今回のような大規模な海上機動というのは軍の操典を見てもどこにもない戦術です」
ユートにとっては余りにも不可解だった。
大規模な部隊を展開させるとなると船を使うのは基本ではないのか、と思ったのだ。
だが、エリアの言葉を聞いてすぐにその疑問は氷解する。
「まあ海は魔物が多くて遠洋航海するのは難しいものね」
「そういうことです。今回にしても相手がガレー船でしたからよかったようなものの、同格の一等フリゲート艦四隻を揃えた艦隊がいれば速力も出ないし、不利な戦いとなったでしょう」
「てことは、もしかして僕らは危なかった、ということですか?」
ユートは今更冷や汗が流れるのを感じたが、アーノルドは笑って首を横に振った。
「いやいや、アストゥリアス防衛艦隊には拠点防衛用の戦列艦と、連絡用の二等フリゲート艦が数隻しかありませんし、こちらに回したらローランド王国が海賊行為を働きかねませんからな。まあそれだけでなく、元々劣勢のウェルズリー伯爵か大規模な部隊を分派するとは思えないというのが常識的な考えですし、ウェルズリー伯爵はそこら辺を読み切っていたのでしょう」
アーノルドの言葉にユートはほっと胸をなで下ろした。
それは綱渡りでなかった、というだけでなく、もしここでクリフォード侯爵の軍勢に囲まれた時、海上補給線は脅かされないのでいつでも撤退可能、という事実に対する安心だった。
「ともかく急ぎ制圧しましょう」
そう言いながらアーノルドはアドリアンの冒険者大隊に指示を与えていく。
「ユート、俺らは何したらええんや?」
「ゲルハルトは外周の市壁を頼む。きっちり制圧してきてくれ。出来るだけ市壁を損傷させないように」
市壁のような戦闘スペースが局限される状況だと餓狼族の身体能力が生きるだろうと踏んでユートはゲルハルトにそう命じる。
「また無茶な命令やな。まあええ、どないかしてくるわ」
ゲルハルトは苦笑いしながらもユートの命令に頷いた。
「出来れば速戦で解決したいので、多少犠牲は増えるかもしれませんが餓狼族大隊が戻り次第、強攻策に出ましょう」
アーノルドは表情を硬くしながらそう告げた。
今、こうしている間にも中州ではウェルズリー伯爵とクリフォード侯爵の間で戦闘が開始されているかもしれない。
ウェルズリー伯爵は圧倒的な寡兵でクリフォード侯爵を迎え撃たねばならないのだから、早くアラドの街を片付けて少数の守備隊を残し、ウェルズリー伯爵の助太刀に向かわないとならない。
その為にはこの庁舎の攻略に長くかけるわけにはいかないのだ。
「わかりました」
「じゃあそれまではちまちま魔法撃っときゃいいか?」
「アドリアン、無茶させちゃダメよ!」
「わかってる。ただ牽制に魔法を撃ち込みながら、逃げる奴を出さないように包囲していくだけだ」
「ええ、それでいいでしょう。一時間か、二時間弱で餓狼族大隊が戻るはずです。そこから攻撃を開始する、でよろしいかと」
「ではアドリアンさん、それで頼みます」
「任された!」
アドリアンはおどけるようにそう言うと、敬礼してみせた。
アーノルドの見立て通り、ゲルハルトが戻ってきたのは一時間と少しが過ぎた頃だった。
「今度は攻囲かよ」
戻ってきたばかりで攻囲に駆り出されたゲルハルトは疲れた声を上げていたが、別に否やはないらしく、すぐに餓狼族大隊を再編し始める。
少し数が減っているのは死傷者が出たからというよりは市門の守備に部隊を割いてきたのだろう。
「レオナ、今のうちに外に出て敵情を偵察しておいてくれないか?」
ユートはゲルハルトが餓狼族大隊を再編しているのを横目に見ながら、レオナにそう命令する。
この攻囲が終わればアラドの市外に出ていよいよクリフォード侯爵の本隊を背後から襲撃することになる。
その為には正確に周囲の敵情を探っておく必要があるが、時間を少しでも節約するために先に周囲の敵情を探っておこうというのだ。
「わかったニャ。ここから西だけでいいかニャ?」
「ああ、それでいい。ここから中州までだと十キロくらいか?」
「たぶんそのくらいだニャ。その間でこちらが奇襲を受けないようにしっかり偵察しておくニャ」
「頼んだ」
ユートの言葉を背中で受けて、レオナは部下の妖虎族たちに指示を出し始める。
誰がどこを偵察するのか、という割り振りだろう。
レオナの部下たちはみな気配を隠すのに長けているし、心配しなくて大丈夫だろう。
そうこうしているうちに餓狼族大隊の再編も終わる。
「ユート、攻めるぞ!」
「ちょっとくらい庁舎壊してもええやんな?」
ユートが頷くと、アドリアンとゲルハルト、二人の指揮官が部下たちを督戦して庁舎の出入り口を狙う。
餓狼族大隊から土弾が次々と着弾し、煉瓦造りの庁舎の入り口を削っていく。
「ユート、下がっとき」
ゲルハルトがそう叫びながら、時折降ってくる矢を何気ない狼筅の動作で打ち払っているが、その動きは人間離れしているといってもいい。
一方のアドリアンはそんな動きをはせずに相手の矢を射る間を測って冒険者たちとともに入り口へと近づいていく。
「大丈夫かしら……」
「アドリアンなら大丈夫だろ」
「もしなんかあったらセリーちゃんが……」
「そんな縁起でもないことを言うな」
ユートとエリアがそんな会話をしているうちに、アドリアンはするすると入り口へと取り付いた。
そのアドリアンの大隊が取り付いたのを見て、的も数人が庁舎から打って出て排除しようとするが数に任せてアドリアンが追い返すのが見える。
「人間に負けんな!」
その様子を見たゲルハルトが叫ぶと、餓狼族大隊は降り注ぐ矢の中を駆ける。
そして、何人かが射倒されたが気にも留めずに入り口から中に飛び込んでいった。
そして十分後、庁舎には高々と白旗が掲げられていた。
「案外あっさりだったわね」
「まあ二百人くらいしかいなかったしな」
アドリアンはそう言いながらにやりと笑う。
餓狼族大隊が十数人の負傷者――もっともすぐに火治癒を掛けられて戦列復帰出来るほどの軽傷者だったが――を出したのに対して、アドリアンの冒険者大隊は一人の負傷者も出すことなく制圧に成功したのだ。
「まったく、ゲルハルトは無茶し過ぎよ。誰か矢が降り注いでる中、一直線に入り口を目指すのよ!」
「いや、なに。あれが一番と思ってな」
「その結果が負傷者続出でしょう?」
エリアに怒られているが、ゲルハルトは意にも介していない。
「なあ、ゲルハルト。このあとおおいくさがあるのに、今被害を出すのは……」
「あーわかっとるわかっとる。でもな、早く蹴りつけたかったんや」
のれんに腕押しのゲルハルトだったが、ともかく一番の目標だった庁舎の攻略はなった。
あとは部隊を再編してウェルズリー伯爵の援護に向かうだけだった。
「イーデン提督!」
桟橋に一度戻るとまだイラストリアス号以下の分遣戦隊は桟橋にいたので、イーデン提督を呼ぶ。
「その様子だと成功したようだな」
「ええ、先ほど庁舎に立てこもっていた守備隊が降伏しました。今から主戦場にウェルズリー伯爵を助けに戻ろうかと思います」
「ああ、わかった。守備隊は置いていくのか?」
多少は置いていかないとせっかくこのアラドを落とした意味がなくなるが、余りにも置いていけば肝心の主戦場で戦力不足となる可能性もある。
ゆえに悩みどころだったが、ともかく置いていかないという選択肢はない。
「もしよかったらうちの連中を置いていくぞ?」
「えっ?」
「インヴィンシブル号がどうも自力でメンザレまで戻れそうにない。ここで土魔法を使って簡易ドッグを作った上で修繕して向かわせるんだが、全部は戦闘が終わった後の話だ。それまでインヴィンシブル号と、支援のインドミタブル号はアラドに残すつもりなんだが、陸戦要員を陸揚げしてもいいぞ」
「それじゃ、お願いします」
「ああ、俺は一度メンザレに戻って置いてきた海兵隊も連れてくるつもりだから、守備は俺たちに任せてくれていい。お前たちはしっかり敵の背後を急襲してくれ」
「わかりました」
どっちが上官かわからない返事をすると、イーデン提督はサムアップで応じた。
「武運、祈ってるぜ!」
「そちらこそ」
そして、お互いにやりと笑って別れを告げた。
アラドの門外に出るとすぐにレオナがやってきた。
「この近くには敵はいないニャ。さっきメンザレの近くまで偵察に出た連中がかえってきたけど、ウェルズリー伯爵の予想通り、敵は苦難の川の東部支流を盾にウェルズリー伯爵を待ち構えているようニャ」
つまり、ここまで作戦はウェルズリー伯爵の思い通りに進んでいる、ということか。
問題はここから、だ。
ウェルズリー伯爵がクリフォード侯爵の主力を支えている間に、ユートたちがクリフォード侯爵の本陣へ斬り込めるか。
それが勝敗の分け目となる予定だった。
不意に金属音が遠くで聞こえ出す。
「ウェルズリー伯爵が仕掛けたのかな?」
「たぶん、そうですな」
アーノルドが答える。
「今、何時だ?」
「太陽の高さを見る限り、午前十一時、といったとこかしら?」
今度はエリアが答えてくれた。
わりとすぐに庁舎を降伏させたつもりだったが、意外と時間を食っていたようだった。
「敵軍までは?」
「十キロちょっとといったところニャ。二時間か、敵を多少避けながら、戦いながらでもせいぜい三時間くらいでつくニャ」
レオナが距離を目算する。
「冒険者大隊、餓狼族大隊、準備は?」
「もちろん出来ているぞ」
「いつでもいけるで」
アドリアンとゲルハルトが笑いながら答えた。
「よし、西方混成兵団はこれより敵の後背を衝く。距離十キロ、全力で駆けるぞ!」
ユートの命令に、そこにいた全員が頷いた。




