第087話 海ゆかば・前編
アーノルドの偵察から二日後、ユートたちはメンザレの桟橋から西方艦隊分遣戦隊に乗り込もうとしていた。
ユートが率いるのはアドリアンの冒険者大隊、ゲルハルトの餓狼族大隊の合計一六〇〇名に、レオナの斥候小隊三〇名、そして副官のアーノルドとエリアだった。
正直、たった四隻の分遣戦隊に一六〇〇人以上も乗り込めるのか、と不安だったが、たかが数十キロ程度ならばどうにでもなる、と分遣戦隊の司令は胸を叩いた。
「ユート君、一つだけ言っておきます。君はジャスト――クリフォード侯爵と交戦する可能性が高い。ですが、彼とは絶対に斬り合ってはいけません」
出がけにウェルズリー伯爵はそんな忠告をしてくれた。
理由までは言わなかったが、恐らくクリフォード侯爵というのは相当な手練れなのだろう。
「ふーん、怖いわね」
「まあ敢えて強い奴と戦わなくても勝てるならそっちの方がいいよな」
別に冒険者はバトルジャンキーというわけではない。
むしろ目的を達成出来るならば出来るだけ死ぬ確率を下げようとするものだし、その為にはプライドやら何やら面倒くさいことを考えることもない。
むしろ貴族の方が面子やらにこだわって戦わなくてもいい戦いをするイメージがユートには強かった。
ユートとエリアがそんな話をしているうちに、ユートたちの乗る一等フリゲート艦イラストリアス号の帆桁に水兵たちが登っていく。
出港準備のために帆を下ろすのだろう。
「もうちょっと待ってくれよ。〇一〇〇に出港する予定だ」
不意に後ろから声を掛けられる。
あごひげが目立つ、長身の男であり、赤銅色に焼けたその顔は幾多の傷もあり、歴戦の強者といった趣のある男だ。
彼はロナルド・イーデン提督――イラストリアスと、フォーミタブル、インドミタブル、インヴィンシブルの四隻からなる分遣戦隊の司令だった。
既にユートも何回か顔合わせをしているが、強面な反面、気さくで陽気な海の男という印象が強い男だった。
「お前らもレイの奴の無茶に付き合わされて大変だな」
「知り合いなんですか?」
「ああ。レイは王立士官学校の一つ下の後輩だ――まあ後輩と言いながら今では出世でも置いてかれちまったし、王立士官学校時代のあれやこれやを持ち出されては先輩には貸しがありましたよね、と言われてこき使われる悲しい先輩だがな」
イーデン提督はそう言いながら自嘲気味に笑ってみせる。
「もしかして今回も?」
「当たり前だ。どこの世界にこんな任務を喜んで受ける奴がいる? 敵前上陸ですら困難なのに、敵の背後に気付かれずに回り込んで街一つ奪ってこいって言ってるんだぞ?」
「そういえば街――ええとアラドでしたっけ? あれってそこまで守りが堅いんですか?」
「普段は堅くはないが、ジャストの奴がどうしてるかはわからん」
そう言うとイーデン提督はにやりと笑った。
「その割には余裕ですね」
「まあジャストとレイなら、だいたいレイが勝つから余り心配はしとらん、というのが本音かもな――おっと、準備が出来たらしい。後で余裕が出来た頃合いにでも艦尾楼甲板にきてくれ。俺は基本的にそこにいる」
イーデン提督はそう言うと艦尾の方へと去っていった。
「なんというか、独特な雰囲気のある人よね」
エリアはイーデン提督のことをそう評したが、ユートもまた同じ感想を抱いていた。
戦隊は予定通り、午前一時に港を出港した。
「夜って大丈夫なのかしら……」
「わからねーけど、まあ専門家がいるから大丈夫だろう?」
「まあそうですよね」
陸に上がったカッパ、という言葉はあるが、それとは全く逆。
ユートたちは海の上で何が正しいのかもわからないし、それならば専門家のやることに口を出さないのが一番、というのは一つの見識だろう。
「それにしても眠いわ」
これが陸上で見張りなどをしているならば緊張感があってそうそう眠くはもならないのだが、海の上で荷物と同じように載せられているだけ、という状況ではそんな緊張感を保てるはずもない。
「アラドの街への突入は黎明って言ってたから午前五時くらいだろ? まだ寝る時間はあるぞ?」
「そうね。ユートみたいに魔法が使えるならともかく、剣しか使えないあたしじゃ役に立たないしちょっと仮眠させてもらうわ」
エリアはそういうと艦尾側に与えられたユートの個室へと向かう。
同乗している冒険者連中は海兵用の部屋や、積み荷を置いておく部屋をあてがわれている中で、さすがに事実上の西方軍司令官代理――つまり立場でいえばイラストリアス号の艦長はおろか、分遣戦隊司令であるイーデン提督より立場が上の西方混成兵団長を、一般の兵たちと同じ扱いは出来なかったらしく、ユートにだけは個室があてがわれていた。
エリアを見送ってから、ユートはじっと暗い海を見つめていた。
波の音と風の音が響く。
「そういやユート、どうやってエリアを正騎士にするつもりなんだ?」
そんなユートの隣にいたアドリアンがふと聞いてくる。
「どこかで手柄を挙げれば、くらいしか……正騎士になるための功績ってどのくらいなんですかね?」
「そんなこと俺が知るかよ。アーノルドのおっさんあたりに聞きゃいいんじゃねぇのか?」
「ですよね……まあ手柄が立てられる場面では積極的にエリアに手柄を譲ろうとは思ってますけど……」
「今のお前の立場じゃ前線で手柄首を挙げるってわけにもいかないからなぁ……」
そう、ポロロッカの頃とは違って、一軍の将ともいうべき立場になっているユートが積極的に前線に出て敵将を倒すようなこともなくなっている。
そのユートと行動を共にしている副官のエリアもまた、敵兵と直接戦う機会――つまり手柄を立てる機会がなくなっており、それゆえにどうすればエリアを正騎士に出来るのか、と考えても手詰まりになっている感が強まっていた。
「普通に考えたら大将首だな。クリフォード侯爵の首を挙げりゃまあ正騎士にくらいしてもらえるだろう?」
「それは止めた方がいいですな」
不意に後ろから声が響く。
気付けばアーノルドがやってきていた。
「アーノルドさん? どうしてですか?」
「ジャストの持つ剣はクリフォード侯爵家に伝わる家宝の剣です。火を吐き、剣を斬る火炎剣と呼ばれる魔道具の一種で、並みの剣ならば剣を真っ二つにされてしまいます」
ユートはアーノルドにかつがれているのではないか、まさか鉄を斬れるなどありえない、と思ったがアーノルドの表情は薄明の明かりの下でもそれとわかるくらい真剣だった。
その真剣な表情から、もしかしたら火魔法を使った魔道具で、剣を斬るのではなく溶断してしまうのかもしれない、と考えを改める。
「実は私も、ロニー――イーデン提督も、何度か剣を折られているのですよ。ああ、もちろん訓練で、ですが」
そう言いながらアーノルドは苦笑いをした。
剣の腕も相当なレベルであるアーノルドが勝てない相手をエリアに討たせるのは簡単ではないし、エリアが死んでしまっては元も子もないのでユートはため息をつく。
「だとするとまた別のアイディア考えないといけない、ってことだな……」
「まあ戦場で手柄を立てるのは時の運も大きいところ。ああしよう、こうしようと思い悩まない方がいいと思いますしな」
アーノルドがそう言ったところで、不意に船が大きく傾いだ。
「間もなくアラドが目視出来る距離となる! 第一分隊! 法列甲板へ上がれ!」
艦長らしき人の命令が飛び、ぞろぞろと兵たちが甲板に上がってくる。
「兵団長さん、西方混成兵団も中甲板で待機させてくれや!」
イーデン提督が叫んでいるのが聞こえる。
ユートはあわてて指示を出そうとした時には既にアドリアンは動いていた。
「ゲルハルトにも言っておくからよ!」
それだけ言い残してアドリアンは昇降口から下に消えていった。
既に東の水平線上は明るくなっており、その中を分遣戦隊の一等フリゲート四隻は単縦陣を作ってアラドに接近していく。
西側から接近する分遣戦隊は暗闇に隠れて接近できるので有利だった。
ユートたちは分遣戦隊の旗艦イラストリアス号の艦尾楼甲板にあって、イーデン提督や艦長たちとともにアラドの街を注視していた。
アラドの街はそう大きな街ではないものの、しっかりとした港があり、恐らくレビデムから王国東部の港へつなぐ航路の経由港の一つなのだろうということは容易に想像がついた。
「兵団長さんよぉ、アラドはなんども来たことあるから安心しとけ」
イーデン提督は自信満々にそう言い切ると、見つからないように巧みに戦隊を操る。
「アラド港には敵艦艇あり!」
主檣の上から見張員の声が降ってくる。
「何!?」
そう言いながらみると、帆船ではない船が四隻ばかり、アラド港の桟橋に停泊していた。
どうやら分遣戦隊に気付いているらしく、慌ただしくもやい綱が解かれて出港を急いでいるように見える。
「まずい。ありゃアストゥリアス防衛艦隊の特攻戦隊だ! 距離を取るぞ!」
イーデン提督の怒鳴り声が響き、すぐにマストに我に続けの信号旗とが掲げられる。
「馬鹿野郎! たらたらやってたら土手っ腹に突っ込まれるぞ! 上手回しだ!」
艦長の胴間声が響き、必死に水兵たちが帆を操っている。
一方でアストゥリアス防衛艦隊の特攻戦隊、とイーデン提督が看破した敵艦ももやい綱を解き放たれて必死に転舵しようとしているイラストリアス号目がけて突っ込んでくる。
「ガレー船、か!」
帆のない船がどうやって動いているのか、と疑問に思ったが、すぐにその疑問は氷解する。
オールで漕いでいるのだ。
恐らく、船には多数の漕ぎ手が乗っているのだろう。
「よくわかったな。あいつは櫓で漕ぐガレー船だ。だから風向き関係なく動き回れるし、土手っ腹に衝角攻撃を食らえばフリゲートクラスでもただじゃ済まん。おい、二番法隊に撃たせろ!」
イーデン提督の命令を受けて艦長が二番法隊に撃ち方を命じる。
後甲板側にいた法兵四人が火球を放ち、うち一発がガレー船に命中。
旗艦が火球を放ったのを見た後続の三隻も思い思いにガレー船目がけて魔法を放っていく。
そして、とうとう一隻が炎上し始めたが、それでも脇目を振らずに突進を続ける。
「火だるまでも突っ込んでくるのかよ……」
ユートがそんなことを呟いている間にも、四隻のガレー船は猟犬の如くイラストリアス号に迫る。
「よし、風を掴んだ!」
だが、さすが旗艦の乗組員、すんでの所でガレー船をかわして上手回しの回頭を成功させた。
「危なかった……」
恐らく距離百メートルかそこいらまで迫っており、ユートの目には、ガレー船の乗組員の顔がはっきりと映っていたほどだった。
空振りとなった敵のガレー船もまた、くるりと回頭して次の獲物を狙う動きを見せるが、櫓で漕ぐ船の悲しさ。
その回頭によって大きく速度を落としてしまい、速度を取り戻すまでの隙を突いて二番艦フォーミタブル号、三番艦インドミタブル号は上手くすり抜けていった。
だが、四番艦インヴィンシブル号はそうはいかなかった。
炎上する一隻はともかく、残りの三隻は再び分遣戦隊の戦列に襲いかかる。
かわそうともがくインヴィンシブル号だったが、かわしきれずにガレー船の一隻が舷側へと突っ込んだ。
木が引き裂かれるような嫌な音が、夜明けの海上に響く。
「不味いぞ! 援護しろ!」
イーデン提督が叫び、慌てて法兵隊がインヴィンシブル号を狙う残り二隻のガレー船をインヴィンシブル号に近づけまいと火球を叩き込む。
「二番法隊、魔力切れ!」
イラストリアス号の艦上を無情にもそんな声が響き渡る。
火球を何発撃ったのかわからないが、早すぎないか、と思う。
「ユート、冒険者の中から魔法使える奴を選抜して上甲板に上げた。撃っていいか?」
「あんたも火球撃てるんだから撃ちなさい!」
いつの間にかユートの両脇に戻ってきていたアドリアンとエリアがそんなことを言う。
イーデン提督の職掌を侵すことになるのでちらりとそちらを見ると、イーデン提督が叫ぶ。
「撃てる奴は全員撃てよ!」
「火球!」
ユートはその言葉を聞くと同時に火球をガレー船目がけて放つ。
「冒険者大隊、目標はあのガレー船だ! 魔法はよくわからんから任せるが、沈めちまえ!」
アドリアンの号令一下、雑多な魔法が次々と飛んでいく。
「さっぱりわからんが、魔力切れって奴にゃ気をつけろよ!」
「アドリアン、いちいち余計なこと言わなくていいわ!」
もはや戦闘を見学している外野の野次と変わらないレベルのアドリアンの指示に、エリアが突っ込み、冒険者たちからは笑いが起きた。
そうしている間にも次々とガレー船には火球やら土弾やらが着弾していく。
土弾で甲板を穴だらけにされ、火球で炎上させられたガレー船はあっという間に戦闘力を失い、次々と漕ぎ手が海へと飛び込んでいく。
「もう大丈夫だな」
イーデン提督が呟くように言ったところで冒険者大隊は撃ち方をやめた。
「助かったぜ。そっちの魔力は大丈夫か?」
ユートはちらりと冒険者大隊の方を見るが、特に倒れている者もいないし、大きな影響はなさそうだ。
そもそも一番法隊、二番法隊四人ずつでたった八人しかいないイラストリアス号の法兵と違い、冒険者はちょっと魔法が使える者も含めたら数十人いるのだ。
あれだけ撃っても一人当たりで考えれば大したことはない魔力消費で留まっている可能性は高かった。
「たぶん、大丈夫です」
「そうか、そいつはよかった。これから陸戦が待ってるのにその前に疲れさせては申し訳が立たんからな」
「それより、あのインヴィンシブル号は大丈夫ですか?」
「ここならば最悪座礁して土魔法で固定すれば沈みはしないだろう。航行できるかはこれから聞かないといかんが……」
座礁して大丈夫なのか、と思ったが、この手法は魔物が襲われた時にはよくとられる手法らしい。
どうしても勝てないと判断したら座礁して竜骨周りを土魔法で固定して沈まないようにした上で魔法で戦うなり陸上に逃れるなりするらしい。
魔物が倒せれば、あるいは魔物が消えれば土を取り除いて航海を再開する、という先述でインヴィンシブル号の乗組員もそれに慣れているので特に問題はないとのことだった。
「ただ、インヴィンシブル号に乗ってる陸戦部隊は短艇で上陸になると思うが……お、信号旗だ」
見るとインヴィンシブル号の主檣にするすると信号旗が上がる。
青地の上下に黄色のラインが入った旗だ。
「ちっ、我操艦困難なり、か……」
イーデン提督はそう苛立たしげに呟いた。