間話001話 王立士官学校物語・訓育委員会編①
王国暦五六九年は年明けからかなり冷え込む年だった。
ノーザンブリア王国の国民たちはその寒さに打ち震えながら、ひたすらに暖かくなることを祈るしかなかった。
それでも三月の声を聞くころになると、ノーザンブリア王国はようやく暖かくなってきて、人々は春の訪れを体感することが出来た。
そして、三月の末から四月の頭にもなれば桜が咲くようになり、いよいよ本格的に春を迎えるのだ、と知ることになる。
そして、その桜舞う四月の一日、ノーザンブリア王国の王都シャルヘンの郊外にある王立士官学校には紅顔の少年たちが、夢にまで見た士官候補生の制服に身を包み、心を躍らせていた。
彼らはノーザンブリア王国軍の将来を担う士官となるべく、青雲の志を抱いて王立士官学校に入学したばかりの少年たちであった。
厳格そうな軍人たちが居並ぶ中、入校式は厳かに進んでいく。
王立士官学校の校長の挨拶、王立士官学校後援会会長の挨拶、生徒会執行委員長の挨拶、入学試験の首席合格者の挨拶……それはどこの学校でも見られる光景が続く。
そして、それらが全て終わった後、士官候補生たちにはそれぞれが班長と呼ばれる古参下士官、そして生徒隊長と呼ばれる担任格の士官に連れられて、それぞれがこれからの二年間を過ごすことになる学び舎へと足を踏み入れた。
その中でも一際長身でがっちりとした体格の男――ジャスティンは入校式が終わった直後、生徒隊長より一通の辞令を受け取っていた。
開封すると、こう書かれていた。
「王立士官学校生徒 ジャスティン候補生
貴官を王立士官学校生徒会訓育委員に補職す」
委員会の詳しい名前はともかく、王立士官学校生徒会には六つの委員会が存在していることを、ジャスティンは知っていた。
この辞令はそのうちの一つになることを命じられた、ということであり、それは取りも直さず成績優秀者であることを示していた。
ジャスティンは誇らしげな気持ちでその辞令を確認すると、生徒隊長の訓示が終わった後、すぐに訓育委員会室へと行くことにした。
王立士官学校は本校舎と呼ばれる講義が行われる教室が並ぶ三階建ての校舎があり、本校舎の目の前には営庭と呼ばれる、訓練で使う広い校庭が広がっている。
また、本校舎の裏に生徒会館と呼ばれる、生徒会の各委員会の委員会室や食堂、そして生徒同士の交流を深めるための談話室に共同研究室がある建物があり、それより更に奥に生徒たちが二年間を過ごす生徒寮が存在している。
ジャスティンは訓育委員会室へと急ぐと、そのドアの前で一つ、二つ、と深呼吸をして息を整えて丁寧にノックをする。
「入って下さい」
中からそんな声が聞こえる。
少し甲高い、まだ声変わりしていないような声だ。
「入ります!」
中の大机には一人の男が座っていた。
茶色の巻き毛で、色白の細身――王立士官学校ではまず見ないような少年だった。
「二号生徒、ジャスティンであります。この度、訓育委員を拝命し、ここに参りました」
そう言いながら見よう見まねの敬礼をする。
「やあ、僕はレイモンドです。気安くレイと呼んでくれて構わないですよ」
そう言いながらレイモンドは一礼を返した。
「ちなみに、敬礼は室内では挙手の礼ではなく頭を下げる敬礼が正しいですよ――そして、僕もまた二号生徒です。同期なのに敬意を示して頂いてありがとうございます」
茶目っ気たっぷりにレイモンドはそう笑った。
ジャスティンは呆気にとられたような表情をした後、レイモンドにこけにされたと思って目を怒らせ眉をつり上げた。
「貴様っ!」
「おやおや、僕は一度も一号生徒とは言っていないんですがね」
そう言った時、もう一人、誰かが入ってきた。
「えっと、訓育委員会室はここでいいんだよな?」
中背中肉、余り特徴がない少年だった。
「ええ。そうですよ」
「二号生徒のサイラスだ。訓育委員を命じられて、今着任した」
「これはご苦労様。僕はレイモンド、レイと気安く呼んでくれて構わないですよ」
さっきと同じレイモンドの答えに、ジャスティンは今度はサイラスという少年を騙して面白がろうとしている、と判断して割って入る。
「私はジャスティンだ。ジャストと呼んでくれ。こやつも私も貴公と同じく二号生徒だ」
「ああ、同期と思ってたよ。俺は特に縮めて呼ばれたこともないからサイラスで頼む。これからよろしくな」
サイラスはそう言うと分厚い掌を差し出してきた。
「それにしても、委員長殿、副委員長殿はいずこに行かれたのか? 私はまだ挨拶していないのだが……」
「ああ、敬愛すべき委員長閣下なら僕にここの留守番を言いつけてどこかに行かれましたよ。というわけで僕は今は委員長代理です」
「なぜそうなる。しかし、困ったな……お仕事が忙しいのだろうか?」
「そうとは思えませんけどね」
レイモンドとジャスティンがそんな会話をしている横で、サイラスは紙を紐でまとめたノートを取り出して何やら書き物をしている。
「時にサイラス、貴公は先ほどから何をしているのだ?」
「今日の復習をしておこうと思ってな」
「ほう、これは勤勉なお人だ」
そう言いながらレイモンドがサイラスのノートをのぞき込む。
「しかし、そこのところの軍人心得、間違っていますよ」
「え?」
「ほら、こことここ、逆になっています」
レイモンドの指摘に慌ててサイラスは見直して間違っていることを確認した。
「レイ、まさか君は全部覚えたのかい?」
「それこそまさか。僕がそんな面倒くさいことするわけないでしょう。ただ、文章の流れを見ればわかるだけですよ」
「ふん、軍人心得など、栄えある王立士官学校の生徒になる前に覚えておくべきことだ。今更覚えようとしているなどやる気が足りん」
ジャスティンはそう吐き捨てるように言うが、サイラスは苦笑しながら返事を返す。
「これは手厳しいな。まあ俺はそんなに頭が良くないし、家も平民の出だ。だから王立士官学校に入るので精一杯、委員会に入れたなんか幸運もいいところだ」
それにジャスティンが何かを言おうとした時、ようやく上級生が戻ってきた。
「ああ、三人揃ったのか。別にすることもないから適当にしてろ。ああ、言い忘れていた。俺は訓育委員長ルーパート候補生だ」
「ジャスティン候補生であります。ジャストとお呼び下さい。宜しくお願い致します」
「サイラスです」
先だって挨拶をしていたレイモンド以外の二人が挨拶をするが、ルーパートはふん、と鼻を鳴らして終わりだった。
「ちなみに、訓育委員会はどのような職務を遂行する委員会なのですか?」
「職務? ああ、今は重大な職務を遂行してるぞ。今月の標語を考えるっていう職務だ」
大仰な顔をしながら、そんなことを言われてジャスティンは鳩が豆鉄砲を食らったような顔となる。
「は?」
「は、ではない。だから今月の生徒会標語を考えるという重大な職務だ」
「そのようなことをする委員会なのでありますか? 訓育という名を冠している以上、例えば生徒を指導したりするような……」
「そんなことは風紀委員会の仕事だ」
取り付く島もないルーパートの台詞にジャスティンは唖然とした。
「つまり、僕らの委員会は仕事はほとんどない、ということですか?」
「そうでもないが、誰でも出来るようなことばかりだ。だからジャスティンもそこまで気負わなくていいぞ」
「それは、助かります」
レイモンドは心底嬉しそうにそう笑い、唖然としていたクリフォードは落胆したような表情を作り、そしてサイラスは我関せずと軍人心得の暗誦をしていた。
三人が入学して一ヶ月が経過した。
王立士官学校の生活は、朝六時の始業の鐘とともに起きて営庭に整列するところから始まり、点呼をとった後、そこで体操を行い、続いて標語を全員で叫ぶという幕開けとなる。
朝食後、午前中は基本教練として営庭でひたすら走らされたり、ずっと立ったまま敬礼の姿勢を続けさせられたりする。
昼食後の午後はひたすら王国の歴史や外国語であるローランド語、それに数学や魔法学、それに王国法典に軍規則、その他諸々の座学を受けることになる。
夕方の五時、終業の鐘の音とともに課業は終わり、委員会活動を挟んで夕食、そして勉強をするが、部屋の蝋燭は私弁しなければならないので早い時間に眠る。
三人にとって想像よりもずっと厳しい生活であり、特に細身で体力のないレイモンドは何度となく倒れそうになっていた。
ちなみに寮の部屋は四人部屋であったが、委員の者だけは、委員会活動で他の者と生活時間が違うことに配慮して同じ委員会に所属する三人で一部屋となっている。
これが五人いる執行委員となれば五人一部屋ながら別室もついた立派な部屋になっており、既に王立士官学校の生徒の時点で、王国軍人としての出世争いが始まっている、ということを感じさせるものだった。
一方で訓育委員会の活動は、はっきり言えば雑用としか言えないものだった。
初日にルーパートが言っていた通り、毎朝点呼時に叫ぶ標語を考える他、点呼時に体操の号令係として前に出たりというまだ訓育委員会らしい活動もあれば、なぜか生徒会館の清掃に駆り出されたり、大量に発注した生徒会で使う消耗品を運ばされたり、と完全に生徒会の雑用としかいえないこともやらされていた。
「今日は倉庫の整理をしてこい、だそうで」
委員会室に入ってきたサイラスは、ルーパートからの伝言を伝えながら深いため息をつく。
標語を作り、体操をして、雑用をする委員会――成績優秀者として委員会に入れたことは僥倖と思っていたサイラスだが、その実は名誉のある雑用係にすぎないと気付いてからは、こうしてため息をつきながら活動をすることが多くなっている。
「ふん、今日もそんな雑用か」
ルーパートからの伝言を受けてクリフォードは苛立った顔となる。
雑用など栄えあるノーザンブリア王国士官候補生のすることではない、と常々公言しながらも、同時に軍規則及び軍人心得は上官の命令が絶対と書かれているからやっているに過ぎない、と態度で表している。
「レイ……あれ、レイはどこだ?」
サイラスがレイモンドに声を掛けようとしたが、さっきまでそこの机でなにやら調べ物をしていたレイモンドはいなくなっていて、資料だけは机の上に放置されている。
「あの野郎! また逃げやがったか!」
ジャスティンはそう怒鳴った。
レイモンドは委員会活動が雑用と知ってからは露骨手を抜いているし、雑用の時にはいつの間にか消えていることもしょっちゅうだった。
その度にジャスティンは怒っているが、いつもまんまと逃げられており、腹が立つからといってルーパートから命じられた雑用を無視してレイモンドを探しに行くわけにもいかずに苦い思いばかりさせられていた。
「レイはあとで叱っておこう。それよりも倉庫の整理に行こうぜ」
「……非常に不本意だ」
「わからないではないが、ジャスト、命令を無視して探しに行けば三人揃ってルーパート委員長殿から同じ扱いを受けるんだぞ?」
「……命令だからな。仕方あるまい」
サイラスにそう言われてジャスティンはようやく動き始める。
「くそ、なんて量だよ」
大量にある金属製の鎧、そして刀槍の類が入った木箱がぐちゃぐちゃになっていたのを整理して、鎧と刀槍に分けて片付けていく。
この鎧や刀槍の類は生徒会の所有物であり、王立士官学校の生徒たちが教練で使う物だった。
王国軍において、士官の装備は私弁――つまり自分の財布で購入するのが原則である。
これは士官は貴族であり、貴族はその義務として国の為に戦っていた頃の名残であり、常備軍が成立して久しい今日も、軍が指定する鎧かその同等品を士官が私弁することが伝統となっていた。
そして、士官の端くれである士官候補生であってもそれは例外ではなく、鎧は支給されるものではなかった。
しかし、金属製の鎧は数百万ディールから一千万ディールもするものが多く、特に裕福でもない平民出の士官候補生にとっておいそれと買えるものではなく、私弁の原則を貫けばよっぽど金持ちでもない限り平民出の士官、などというものは存在できなくなってしまう。
この問題を解決するために、生徒の互助、という名目で生徒会が鎧を所有して、全生徒に対して鎧の貸し出しをやっていたのだ。
恐らく近日中にサイラスやジャスティンたち二号生徒も鎧を着た教練が始まるのでその為に古い鎧を整理させられているのだ、ということは二人にも想像がついていた。
「この生徒会の第三倉庫を片付ければ、後は楽みたいだし頑張ろうぜ」
それに対して、こんな雑用ばかりさせる生徒会やルーパートに対する文句か、雑用から逃げているレイモンドに対する文句でも言おうとしたジャスティンだったが、思い切り埃を吸い込んでげほげほと咳き込んだ。
「だから言わんこっちゃない。ジャストもマスクをすればいいんだ」
「…………馬鹿を言うな。栄えある士官候補生が顔を隠すような真似が出来るか!」
ジャスティンはそう怒鳴って、また埃を吸い込んで咳き込む。
それでも鎧をちゃんと
「よし、あとはこっちの木箱を移したら終わりだ。次の倉庫は第五倉庫な」
「うむ、急いで片付けよう。レイが逃げているからといってもそれを公にすると我らの恥。三人もいながら手間取ったと言われてもまた我らの恥だからな」
傲岸不遜ではあるが、命令や士官としての義務に忠実なジャスティンらしい物言いをしながら、残っていた木箱を積み上げていく。
そして、残りの木箱を片付けると、すぐに第五倉庫に移動する。
「こっちは随分と少ないな」
「ああ、備品簿によると鎧が二十領に剣と槍が二十本ずつ、だな」
「それならば話は早い」
そう言うとジャスティンは片っ端から片付けていき、ものの一時間もかからないうちに全部整理し終えた。
「なんだ、レイの奴戻ってきてもいないのか」
倉庫の整理を終えて委員会室に戻ってくると、レイモンドが読んでいた資料らしいものはそのまま机に広げられたままだった。
「もう寮の方に帰ったのか?」
「そうかもしれん。見つけたらただじゃ済まさんがな」
剣呑な言葉を吐いているジャスティンの横で、サイラスはレイモンドが出しっ放しにしていた資料を片付けようとする。
「何の資料なんだ?」
「ああ、倉庫の備品リストだな。第三倉庫と第五倉庫にちゃんと甲冑並びに武器と書かれている」
「ほう。倉庫の中身に興味はあるが、実地で見るのは嫌だ、と。全くとことん軍人向きじゃない人物のようだな」
「そういうな」
そう言いながら資料を片付けようとして、ばさり、と何かが落ちたのに気付く。
「うん? これは昨年度の生徒会の帳簿書類か……なんでまた……」
「あいつは数字をいじるのが大好きなんだろうよ」
「ジャスト、腹が立つのはわかるが、あまり同期を貶めるもんじゃない」
サイラスがジャスティンを窘めながら、予算書と決算書もまた片付けようとする。
「うん? これはおかしいぞ」
片付けようとして予算書と決算書を何気なく見ていたサイラスが困惑した声を上げる。
サイラスの視線は、恐らくレイモンドの手によって朱を入れられた決算書の項目から動いていない。
「どうした、サイラス?」
「去年の生徒会費で鎧が五十領購入されたことになっている」
「それがどうかしたのか?」
サイラスはそれを無視して次の朱が入っているところに指を滑らせる。
「ふむ、決算書の損失に項目に廃棄損が立っているな。うん? 廃棄損が帳簿価額そのままになっているのか?」
「意味がわからん」
帳簿書類をめくりながら呟いたサイラスの言葉に、さっぱり意味がわからないジャスティンが苛立たしげに言葉を挟む。
そんなジャスティンにサイラスは事細かく疑問に思っていることを伝え始める。
「昨年度、生徒会は鎧を五十領買ったわけだ。ここまではいいな?」
「ああ、鎧だって傷んだりするものだから買うこともあるだろう」
「そうだな。そして、同時に廃棄損が出ているということは傷んだ鎧を捨てたということだ。ここまではいいな?」
「それが何か問題なのか? 壊れたから新しいのを買って、前の鎧を捨てたというだけのことだろう」
「ちゃんと作られた鎧だぞ? まさか年間で五十領も全損するわけがない以上、使える部分だけ売ったり出来るはずだ。最悪でもいい鉄を使っているのだからくず鉄としてもそれなりの値段になる。しかし、レイの持っている帳簿を見る限り、売却額の記載はない」
ようやくサイラスの言葉に納得がいったようにジャスティンが頷く。
「…………もしや、不正ということか?」
「可能性は十分にあるな。鎧は廃棄したとして廃棄損を立てて帳簿ではないものとする。その上で、こっそりと売り払ってその代金を着服する、という不正会計を働いていた可能性がある」
それを聞くと、ジャスティンはかっと目を見開いた。
「許せんな! 執行委員の連中はまだいる時間だ! 行くぞ!」
サイラスが止める間もなくジャスティンは訓育委員会室を飛び出していった。
遅くなりましたが、ようやく間話の更新です。
本日は間話をあと2回(19時、22時)更新します。