第082話 出撃、五分前
「まずは、姉様のところに行くのです」
レビデムへ還ってくるなり、アナはそう言いだした。
まあ確かに一番に報告するべきは姉様、つまりアリス王女であることはユートも異論は無いので、すぐにユートとアナはアリス王女のところに、そしてエリアたちはセリルの待つギルド本部に戻ることになる。
「ユート、考えはまとまったのですか?」
アナがユートにそう訊ねる。
考え、というのはもちろんエリアのことだろう。
ユートの考えはまとまっていた。
エリアに何を言われるかはわからないが、ともかく自分の気持ちを伝えて、そしてその上で三人目でもエリアがいいと言ってくれるなら、と。
「ああ」
「エリアを側室として迎え入れるのですね」
「ごめんな、アナ」
「別にいいのです。というよりも変な女に捕まる方が困るのです」
アナの八歳児とは思えない答えにユートは苦笑しつつ感謝する。
そうしているうちにアリス王女の侍従が謁見の用意が調ったことを告げにやってきた。
「ユート卿、そしてアナスタシア、大儀であった」
大広間では、アリス王女は威厳をたっぷり作ってそう一言言う。
「はっ! 姉上、ともかく取り急ぎ帰還の報告を致そうかと」
アナがそのアリス王女に合わせるように、片膝をついて拝跪し、ユートもそれにならう。
ユートたちがいなかった四ヶ月の間にアリス王女の扱いは逃げてきた王女から、次期国王のそれにかわっているようだった。
「詳しいことは……そうですね。午後にティールームで聞きましょう」
この世界の人はティールームを便利使いしているようだが、こんな大広間で、居並ぶ西方総督府の官僚やら北方軍の武官たちの前で報告させられるよりはよっぽどいい。
「パトリック、そなたにも相伴に預からせるゆえに茶会の準備を」
「はっ!」
サマセット伯爵がまるで国王に対する礼のように、恭しく一礼するとすぐに身を翻す。
「アナスタシア。長旅、大変であったか?」
「いえ、ユート卿にはよくして頂き、さほど苦しい旅路ではございませんでした」
「そうか。何よりのこと」
アリス王女とアナがそんな会話をしている間に、サマセット伯爵の家人が用意が出来たことを告げに来た。
どうやらティールームで報告を受けるのは既定路線だったらしい。
通されたティールームはほぼ北方総督府のそれを同じ、総督府の庭園を眺めながら茶会を楽しめるものだった。
違うのは出されたのがアナの好むメリッサ茶ではなく紅茶であることと、空が北方ほどどんよりとしていないことだけだった。
「適当に座りなさい」
アリス王女がそう言うと、アナが中央のアリス王女の席の横に座り、ユートはそのアナの隣に座る。
サマセット伯爵がアリス王女の反対側の隣に座ったところで、紅茶とともにサンドイッチが出された。
「長旅からそのままこちらに見えられたようですので、軽食でも」
サンドイッチならば話ながら適当につまむことも出来るし便利だな、と思いつつユートはサマセット伯爵の配慮に感謝しようとしたところで、見れば隣でアナもサンドイッチにかぶりついている。
そういえばサンドイッチはイギリスのサンドイッチ伯爵の名から取られているが、これも大臣としての仕事が忙しくて仕事の合間に食べられるサンドイッチを好んだから、という伝承があるし、世界は違っていても忙しい貴族が考えることはだいたい似通っているのかもしれない、とユートはやくたいもないことを考えながら、アナと同じようにサンドイッチにかぶりついた。
「北方軍は無事に来れたようですね」
アリス王女の言葉にアナが頬張りながら頷く。
本来ならば不敬と言われかねないが、今は同じ王女同士、姉と妹の気安い関係だから許されるのだろう。
「――ええ、少し手間取りましたが、無事に北方軍を引き入れることが出来ました」
まだ頑張ってサンドイッチと格闘しているアナにかわってユートが答える。
「そうですか。ユート卿、感謝致します。王都奪還、そしてゴードン僭王討伐の暁には必ず約束の褒賞を与えましょう」
アリス王女が僭王と言った、ということはユートたちがいない間に彼は国王を僭称する者、という扱いを受けたようだった。
どういうやりとりがあったのかは詳しく聞かなければならないが、ともかくとして書状のやりとりをして何かがあったことだけは想定された。
「ところで、手間取ったとありますが、何があったのでしょうか?」
「姉様、わたしは婚約をすることになりました」
「ウェルズリー伯爵ですか? それともハミルトン子爵ですか?」
アリス王女はアナが婚約した、と聞いてすぐにウェルズリー伯爵かハミルトン子爵が浮かんだようだった。
ハミルトン子爵は王国軍の英雄であり、ウェルズリー伯爵は言わずと知れた北方軍司令官。
政略結婚して味方に引き込むには絶好の相手ではあるが、二人とも年齢的にはアナより四十以上も年上であり、そのうえ既婚者――正室と離縁してまでアナと政略結婚しようとは考えないのではないか、とユートは思ってしまう。
「いいえ、ユートです」
アナの答えを聞いて、アリス王女はやっぱりか、という表情を浮かべた。
さっきハミルトン子爵やウェルズリー伯爵か、と聞いたのはなんだったのか、と思うが話の枕、という奴なのかもしれない。
「アナ、詳しく聞きます」
「まず、ウェルズリー伯爵に言われたのは、北方大森林の諸族が狼藉を働いている状況で北方軍を動かすことは出来ない、ということでした」
「なるほど、それは一理ありますな。私もポロロッカの最中であるならば例え勅諚を頂いたとしてもそう簡単に西方軍は動かせなかったでしょうし」
「それで、アナはどうしたのですか?」
アリス王女が続きを催促する。
「ですので、大森林の諸族との不可侵の約定を取り交わせたならば、北方軍は西方へ移動する、ということになり、大森林のまとめ役であるエルフ族の森都へ赴きました。そこで、エルフ族の神祇官であるイリヤ神祇官という人物と話し合うことになりました」
イリヤ神祇官という人物をアリス王女は知らないようだった。
サマセット伯爵がそれを察して
「神祇官、というのは大森林の諸族の石神信仰または拝石教という宗教のトップですな。北方大森林はノーザンブリア王国のような国王と貴族、というような明確な主従関係があるわけではなく、神祇官を中心に宗教的な連合を形成しているのです」
「なるほど、わかりました」
アリス王女が頷いたのを見て、アナが再び話を続ける。
「イリヤ神祇官は当初は餓狼族――獣人の一派ですが、彼らが生きていく食糧を確保するために北方屯田領の返還を求めていました。しかし、最終的にエレル冒険者ギルドに餓狼族を派遣すること、そして餓狼族はエレル冒険者ギルドで得た金銭をもって北方で食糧を購入すること、で話がついたのです」
アナの話を聞いて、アリス王女は二つ、三つと頷く。
恐らく頭の中で損か得が――つまり獣人が西方に大挙してやってくる危険性と、それによって得た北方軍を天秤にかけているのだろう。
そして、その答えは明らかだ。
「ユート、相違ありませんか?」
「はい、その通りです」
「よくやってくれました。アナ。恐らくその過程でエレル冒険者ギルドの中立をイリヤなる人物は求めてきたのでしょう?」
「ええ、そうなのです。そして、純エルフとユート、そしてノーザンブリア王家とユートの間で政略結婚をする、ということで話はまとまったのです」
「一つだけ聞いておきます。アナはそれでよいのですね?」
「ええ、ユートはわたしの命の恩人なのです。そしてその人柄は、この四ヶ月ほど一緒にいて十分好ましいものと思っているのです」
面と向かって褒められてユートは赤面する。
「アナの気持ちはわかりました。では王都に戻り次第、陛下に言上し、そのように上手く行くよう取り計らいましょう」
「ただ姉様、一つ問題があります」
「何があるのです?」
「ユートは、四位の神職に任じられたのです」
「……それは厄介ですね」
何度も喜色を露わにしていたアリス王女が初めて顔を曇らせた。
ユートが四位の神職に任じられたことに何の不都合があるのだろう、と疑問に思うが、意外とアナもアリス王女も深刻そうだった。
「あちらがユート殿を四位の神職に任じた以上、ノーザンブリア王国としてもそれに見合った爵位を与える必要がありますな」
サマセット伯爵も難しい顔をしながらそう言う。
「伯爵領には空きはないでしょうし……今回は改易もなかなか難しいでしょう」
「僭称とはいえ、玉璽に従っただけ、ですからな」
ユートは一人、蚊帳の外だったが、すぐにアナやサマセット伯爵が説明してくれる。
男爵以上の爵位、それと知行取りの正騎士位には土地がセットであり、言い換えると例えばサマセット伯爵ならば、パトリックという人物がサマセット伯爵領を領しているからサマセット伯爵と名乗れるのだ。
これが仮にウェルズリー伯爵領へ転封を命じられればサマセット伯爵パトリックからウェルズリー伯爵パトリックになる。
そして、伯爵領のうち王国が預かっているものがないので、ユートを伯爵に任じようと思っても任じることが出来ないのだ。
「改易が出来ない、というのは?」
「今回、ゴードン王子は国王不予につき国王を代理する代王の地位に就いた、と称しております。そしてその代王という地位の玉璽をもって諸貴族に令旨を下しているわけであり、そうなると令旨に従っただけの貴族を改易するわけにはいきません」
「タウンシェンド侯爵の入れ知恵なのですか?」
アナが不思議そうに訊ねる。
制度的に存在していない代王というものを用いるやり方は政治的にはリスキーなやり方であり、本来ならばサマセット伯爵が四ヶ月前に言ったように内侍が陛下の独り言を書き取った、という形式の内侍宣や内侍奉書を用いるやり方の方がスマートだろう。
「それもあるでしょうけど、ケヴィン――アーネスト宮内卿が首を縦に振らなかったんじゃないかしら?」
アリス王女の言葉にサマセット伯爵も頷く。
「アーネスト宮内卿は陛下に対する尊崇の念が篤い御仁ですから、恐らくそうでしょう。ゆえに内侍宣を使えず、国法にはない代王令旨を用いて命を出すしかなかったのでしょうな」
これでなぜアリス王女やサマセット伯爵にゴードン僭王と呼ばれるのかもわかった。
王太子でもない王子が勝手に代王という、国王を代理する地位に就いたというのはまさに僭称であり、それを政治的に批判し、ゴードン王子側につく中立の貴族を減らす意味合いでゴードン僭王と呼んでいるのだろう。
「まあユートの知行地についてはおいおい考えていくしかないでしょう。最悪、王国直轄領から新たに伯爵領を立てるということもできますし」
「それは……貴族会議を通さねばなりませんぞ!?」
アリス王女の言葉にサマセット伯爵が慌てて口を挟む。
「まあ最悪の話、です。ところでアナ、その純エルフの姫君とユートの華燭の宴はどうなるか、決まっていますか?」
「ええ、半年後を目処に婚約という形で一度華燭の宴を挙げ、数年後――わたしが婚姻出来る年齢になった頃合いに正式な婚姻を成す、ということになっております」
「半年後、ですか。それまでに決着をつけなければなりませんね」
アリス王女は強いまなざしで、中空を見た。
真剣で、そして悲観的な空気が支配する。
北方軍と、アリス王女側の指揮官であるウェルズリー伯爵を得たとはいえ、もしタウンシェンド侯爵やクリフォード侯爵が中央軍と南方軍を動員し、更に代王を名乗ったことで精強で知られる近衛軍を味方につければ楽観できる状況ではないからだ。
「それにしてもユート卿は果報者ですな。いきなり王族から二人も妻を娶ることになるとは」
サマセット伯爵がその空気を振り払うようにユートに軽口を叩く。
「なんというか……」
「ははは、慣れませんかな?」
「いきなりだったので、なんとも言えません」
「それに、もう一人増えるかもしれないのです」
アナが口を挟む。
エリアのことをここで内々に話しておくことで、既成事実化しようというのだろう。
「もう一人、ですか? アナスタシアがそれで構わないのならばよいのですが……どなたなのです?」
「殿下もお会いになったこともある、パーティメンバーのエリアです」
ユートは顔が赤面しているのがわかりながらも、敢えてそう言った。
「それは……」
名前を聞いた途端、サマセット伯爵が渋い顔をした。
「ユート殿、悪いことは言わぬ。それは止めた方がいい」
なぜ?
ユートはこの老獪ではあるが決して悪い人物ではないこの老人が、そんなことを言うのが信じられなかった。
エリアの人柄なりは、この老人から見ればそんなに悪いように見えるのだろうか、と不思議さと不安と怒りがない交ぜになった思いがこみ上げてくる。
「なぜ、ですか!?」
そのユートの問いは、その思いを反映して、不安定で鋭く厳しいものとなった。
「簡単なこと。ユート殿が娶るのは、王女殿下であるからだ」
サマセット伯爵はユートの詰問調の言葉に、やや言葉を堅くしながらもはっきりと答える。
「ユート殿。ユート殿は此度のいくさが終われば伯爵に叙爵され、正室は王女殿下、第一の側室は純エルフの姫君を迎えられる。その上で第二の側室にエリア、となれば純エルフの姫君とエリアを同じように扱う、貴族の風上にもおけぬ者として袋だたきに遭うことは間違いない」
サマセット伯爵の指摘に、周囲を見ると、アナがそうなのか、という表情をしていて、アリス王女も残念そうな表情をしている。
「同じような側室でなくとも、妾のような立場にすればいいのではないですか?」
アナがサマセット伯爵にそう反論するが、サマセット伯爵は首を横に振る。
「残念ながらそうはいきません。殿下と婚約しておきながら妾を囲うなど、と言われるのは目に見えておりますし、殿下とご結婚された後、数年をおいて妾とするならば、今度は今で十八、九のあの娘が可哀想ですな」
「それは……」
今、十九、今年二十歳ののエリアがアナと結婚する五年後か、それよりも後まで結婚できない宙ぶらりんにするのは可哀想、というのはわからないではなかった。
もちろん日本では三十を超えて結婚するなどというのも当たり前であるしユートは気にしないが、エリアの方はそうではないだろう。
前にセリルが飲んで愚痴っていたのを聞いたところによると、この世界では十代で結婚するのが普通で二十を超えているセリルは既に嫁き遅れの部類に入るらしいから、二十五、六まで結婚出来ないとなるとさすがに酷だし不安にさせるだけ、というのはユートにもわかった。
「ユート卿、差し出がましいことを言いますが、エリアさんのことを考えても、あなたの貴族としての将来を考えても、諦めた方がいいでしょう」
アリス王女もまた気の毒そうな目でユートを見ながらも、そう断言した。
結局、ティータイムはそれで終了となった。
最後の最後、ユートとエリアの一件で場はすっかり暗い雰囲気になったままの解散だったが、サマセット伯爵もアリス王女もそれを責めず、むしろユートの同情しているようだった。
恐らく彼らもユートが本心から貴族として立身出世を目指しているわけではなく、エレル冒険者ギルドという組織のために立身出世が必要になっている、ということはわかっているのだろう。
もちろん、エレル冒険者ギルドの為に、と決めたならばその他のことを二の次にすべきという厳しい考えも浮かんだが、まだ二十代半ばの若者、しかも少し前まで平民だった若者にそれを求めるほど、二人は人情がわからぬ人物でも無かった。
「ユート、わたしの考えが足りてなかったのです」
帰り道、アナがそう詫びてくる。
アナがエリアを側室に迎え入れることを勧めて、だからユートはユートなりに真剣に答えを出して、それなのにこの結末――
ユートは一瞬だけ恨み言を言おうかと思ったが、アナの顔を見てそんな考えは霧散した。
アナもまた泣いていたのだ。
「アナ……気にするな……」
力なく、そう言ってアナの涙を拭ってやるのが、ユートの精一杯だった。
「おう、ユート。シケた面してどないしたんや?」
ギルド本部の前まで戻ってくると、ゲルハルトが部下の餓狼族に何やら指示を出していたが、ユートを見つけて駆け寄ってきた。
「いや、なんでもない」
「なんでもない、ちゃうやろ。ちょっとくらい話してみんかい」
がしりとユートの両の肩を掴みながらゲルハルトがすごむ。
雷神などという物騒なあだ名をつけられているだけあってゲルハルトの膂力は半端ではなく、ユートでも引きはがせなかった。
仕方なしにエリアとの話をゲルハルトにしてみる。
「ふーん、普通やったら笑い飛ばしたるところなんやけどなぁ……」
さすがに気の毒すぎて出来ねぇよ、とゲルハルトもなんとも言えない表情をしていた。
「まあどないしても、言うんやったら、あのエリアって女を、お姫さんにしてやるしかないんとちゃうか?」
無茶ぶりもいいところだ、とユートは思う。
「いやな、お前も平民から貴族になったんやろ。ならお前に出来てエリアに出来んことやないやろ」
ゲルハルトがユートの表情を見て、少しばかり真剣にそう言った。
確かにユートはポロロッカで黄金獅子を討つという手柄を挙げて正騎士になっている。
エリアはそれに匹敵する手柄を挙げれば同じように正騎士になれるのだろうか。
そういえばポロロッカの時に共に戦ったワンダ・ウォルターズは女性ながら軍人であり、従騎士の地位に就いていたことを思い出す。
ちらりとアナの方を見ると、複雑な表情をしていた。
「ユート、理屈としてはなれることはなれるのです。でも、女の正騎士は父が貴族という例を除いて、ここ数百年任じられたことはないのです」
法は許すが、わざわざ平民の、しかも女を正騎士に取り立てるようなことはしない、ということなのだろうか。
だが、ユートは決心を固めていた。
「ゲルハルト、ありがとう」
「いや、ちょっとでも役に立ったなら、それは石神様のお導きや」
もう一度ゲルハルトの礼を言うと、ユートはギルド本部に駆け込んでいく。
そしてアドリアンを捕まえると、エリアに気付かれないように別室に引っ張っていく。
「アドリアンさん、力を貸して下さい」
「なんだ、ユート……じゃねぇ。なんでしょうか、ユート殿」
アドリアンは気持ち悪い敬語を吐く。
「…………さっきアーノルドのおっさんに言われたんだよ。ユートの従騎士になるならばきっちりとユートを主君として敬えってな。だからお前もアドリアンさんはなし、な」
別室とはいえ壁の向こうに聞こえないように小声でそう言うと、いつものアーノルドのように畏まってユートの方を向き直る。
「アドリアン、エリアと結婚したいから手を貸して欲しい」
ユートの言葉にアドリアンは目を白黒させた。
いつもならばエリアのことで俺に告白してどうするんだ、と混ぜっ返しそうだが、それをしてこないアドリアンに一抹の寂しさを覚えながら、ユートはことのあらましを伝える。
エリアを正騎士にする為の手柄を立てさせる、と聞いてアドリアンは驚いていたが、すぐに返事をする。
「承った」
アドリアンは短くそう言ったあと、ぼそりと続ける。
「まさか主君からの初めての命が、恋愛成就とは思わなかったが」
やっぱりアドリアンはアドリアンだ、とユートは苦笑した。
そして、二週間後、クリフォード侯爵率いる軍勢が西方へ向かっていると聞き、西方軍と北方軍はまさに進発しようとしていた。
サマセット伯爵はポロロッカからの西方直轄領の復興作業もあり、また総督としての政務もあるので出陣は出来ないらしい。
かわりにサマセット伯爵領軍をユートとも顔なじみのピーター・ハルが率いている他、西方軍からも抽出した諸部隊をもって西方混成兵団を編成することが決まっていた。
そしてユートは西方軍司令部付の立場と伯爵へ叙爵されることが予定されていることから、西方混成兵団長として出征することになっていた。
エリアは、そのユートとつかず離れずの場所にいた。
これはあの夜の会話以来ずっとそうであり、そしてほとんど会話らしい会話もしていなかった。
「なあ、エリア」
ユートがそう話しかけると、エリアはびっくりした表情を見せる。
「何よ!?」
いつもと言葉は一緒――だが、その言葉にはいつもとは違う不機嫌さが籠められていることがユートにはわかった。
「もう出撃五分前よ。あたし、色々用事があるんだけど」
「なあ、エリア。この戦いに勝ったら、エリアに話したいことがあるんだ。時間空けてくれ」
珍しく有無を言わせないユートの言葉に、エリアは迷ったようだが、やがて静かに黙って頷いた。